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いぬの思い出

上司の家で飼っているわんちゃんが、最近元気がないらしい。
「2週間くらい、毎日点滴を打ちに通っていたらやっと元気になってきた。お金かかったよ~」と言っていた。
その話を聞いて、昔飼っていた犬のことを思い出した。

表で飼っていた中型犬。
最近は家の中で飼う犬ばかり見るけれど、私が子供の頃は外飼いが多くて。
田舎だったのも手伝って「犬を家の中で飼うなんて!」という印象が強かったように思う。
毎朝起きて玄関の扉を開けると、私を見るなりちぎれんばかりにしっぽを振って大喜びしていた。
もちろん、学校から帰ってきた時も同じように喜んで迎えてくれた。
雨の日は嫌いで、自分の寝床に入って機嫌悪そうに外を眺めていた。
家族で家を空けるのに揃って出ていくと、あからさまにしょんぼりした感じで「置いていくのか」と目で訴えてきた。
犬というのは本当に感情を素直に表現する生き物だよなぁ。

家の庭で自分のしっぽを追いかけてぐるぐる回り、
散歩のときに誰かが捨てたお菓子の残りだとかガムとか見つけて食べては怒られ、
とかげとネコと溝から出てくるカニが大好きで、見つけると誰にも止められない勢いで飛びついていき、
骨のおやつをもらって大事に隠して埋めたのはいいけれどどこに埋めたのか忘れ、
いつも「ばかだなぁ」と家族のみんなから言われてもただただ楽しそうにそこにいた。

私が忘れられないのは、その子が死ぬ間際のこと。
当時、私は就職で家を出ていて、連休に合わせて実家に帰ってきた。
その時かなりの老犬で「もう長くないな」という状態だったのだけれど、私を待っていてくれたかのように、帰省の翌日には歩けなくなり、その翌日には立てなくなった。
歩けなくなった時点で、玄関の中に毛布を敷いて座っていられるようにした。
いつもは入れない家の中に入れてもらえて、借りてきた猫のようにおとなしかった。
しばらくして、上手く立てないのに必死にもがいて外に出たがった。
あまりにもあばれるので「なんだろうね?」と体を抱えて庭に出してあげると、土に体がついた瞬間、勢いよくうんちとおしっこをした。ウゥ……と小さくうなりながら。
家の中でトイレをしたらいけないと思って一生懸命我慢していたんだろうな。
ここでしていいんだよ、トイレシートもちゃんと敷いてあるんだよ、と家族と泣きながら言い合った。
そんな、とてもとてもお利口な子だった。
そのあくる日の朝方、死んでしまった。

旅立ってからもう9年近く経つ。
掘り散らかしてぼこぼこだった庭はきれいに整えて花が植えられ、夏場に好んで隠れていた階段の下にはほうきがしまわれていて。
犬を飼っていた影も形も今はないけれど、こうして私や家族の心の中に、その子の居場所はある。
こうやって、かわいかったな、良い子だったなと思い出すことが弔いになるのかな、と思う。

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