命の価値と時間の価値

命の価値は同じだけど、時間の価値は違うかも。

大統領とか有名人とか、私のような一般人でも命の価値は一緒。
どんな人でも、ひとりにいっこ命を持っていて、その生命の重さは何人たりとも変わらないものだと信じている。


だけど、時間の価値は人によって違うんじゃなかろうか。


例えばどこかの国の大統領の今日の一時間と、私の今日の一時間は、きっと重みが何十倍も何百倍も何千倍も違うだろう。
私の一時間は半径5メートルくらいの人たちと、その一時間によって生み出されるものに関わる人達くらいしか関係ないけれど、
一国の大統領ともなるとその一時間でもしかしたら国民全員に関わる重大な決断を下すことがあるかもしれないし、他の国との争いにつながる火種を産んでしまうことだってあるだろう。
そうしたら、影響がいったい何人に及ぶのかなんて計り知れないばかでかい数になってくる。

時間を積み重ねていくというのは生きるということで、生きるということには命が関わってくるので、
「結果的に同じことなのでは?」
となってしまうかもしれないけれど。

命、という基本のものがあって、それをどんな風に使って過ごすかの考え方が時間の概念というか。
命という共通の重さのものを使って、いかに生きるか。
どんな時間を過ごすか。
それによって人生の濃さが変わってくるような気がする。

そして命というものはみんな同じ価値のものを持っているのだから、ひょっとしたら私が大統領になる未来もあるのかもしれない。

それは私が、私の時間をいかに価値のあるものにするかにかかっているのではないか。
スタートは同じ。
これから、どんな時間を生きていくか。

大統領にはならないけれど、そんなことを考えている。

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あや

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