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なんで書きたいのか?

「自分はどうして文章を書きたいと思うのだろう?」

ということがふとした瞬間に分からなくなってしまった。
考えても考えても答えらしいものは導き出せず、いわゆるドツボにはまって身動き取れなくなってしまっていた。

ここしばらく ”毎日書く” ということから離れていた。
もちろん、毎日書いたほうが文章は上達する。
量をこなしたらそのぶんだけ、自分の力になる。
でも、なんとなく、書く気になれなかった。
それはたぶん ”自分はなんで書きたいのだろう?” という問いに絡め取られて、自分自身に疑心暗鬼になっていたからだと思う。

ちょっと書くペースを落としても、なかなか書く気になれなかった。
去年まであんなに情熱を持って書くことに一生懸命になって取り組んでいたのに、あれは何だったんだろう。
一週間経っても、一ヶ月経っても、解決策らしいものはひとつも見つからず、ただ時間だけが過ぎていっていた。

そんなふわふわとした中でも、二つ、分かったことがあった。

私は ”書かないでいる” 自分にどこか後ろめたさを感じて、なんやかやと理由をつけて無理やり書く環境を作り出すということ。
そして、なんやかやで無理矢理でも絞り出した文章が「上手く書けたかな」と自分でも思えた時、やっぱり嬉しいということだ。

もともとは書くことが楽しくて好きで始めたのだけれど、いつの間にかそれを見失っていた。

好きだからといって、365日24時間常にそのことばかり考えられるわけではないし、好きな食べ物でも食べすぎると反動で見るのも嫌になったり、そういうことってあるもんだ。

好きだからといって、毎日楽しく出来るわけではない。

そのことを自分のこころの中で本当にわかった上でこれからまた細々と書くことを続けていたら、いつかまた新しい感情に出会ったりするのだろう。

嫌だなと思うこともあるけれど、やっぱりやめられないし、やめたくない。

自分に対して自分のペースで向き合うことが出来るようになった時、人に届く本当に良い文章がだんだんと書けるようになるのかもしれない。

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