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散文日誌「種々雑多」2021/10/13

最近、カレンダーの曜日をよく間違える。昨日(10/12)を水曜日だと思ったりする。歳をとったせいなのか、それとも、変化のない日常に慣れてしまったからなのか?

いまを生きることが大事と、鬱病患者は、主治医からよく言われる。いまを生きるって…かなりしんどい。暗中模索、五里霧中、悪あがきに失望する毎日。何もしないよりはマシだと、こんなWeb logをやって、日ごろの鬱憤を晴らしてみたり、マーブリング絵画をやってみたり…。でもな…やっぱり、心にぽっかり穴が空いた感じは否めないんだな。それは、多分、本当の自分が好奇心の塊で、学問、美術、服飾など、面白そうと思った分野を掘り下げたり、美しいと思った色やかたち、面白い色の組み合わせなどを自分なりにやってみたいと思うからだろう。

しかし今はその好奇心も形を潜めている気がする。特に、学問分野は、本の文字が追えないので、やりたい気持ちはあっても、心身が拒絶してるから悲しい限りである。本が読めないというのも、鬱病の特徴的な症状だそうで、読書家にとっては本当に厄介な病である。今まで出来たことが出来なくなる。少しは料理もやったりも出来たはずなのに、やる気も起きない。本当に好きな人のために何かをしてあげたいと思っていたころもあったけれど、そんな人も、COVID-19の流行と私の退職で音信不通に近くなり、ほとんど会うことも無くなった。さびしいとも、会いたいともいわないので、私と会うのが面倒だったのだろう。一度だけ、一緒に診察に付き合わせたことがあったけど、その時も面倒くさがってた。何でオレが一緒に行かなくちゃならねえんだって。大事な人だから、私の今の状況を知っててほしいからだよって言ったんだけどなぁ。多分、そいつには、大事な人=仲のいい友人という認識でしかなかったんだろう。よもや恋人だとは思いもせんかったのだろうな。

それに、障害者という尾ひれがつけば、なおさら、どうしていいか分からんようになるんだろう。私の一週間は、「寝て、起きて、飯食って、薬飲んで、飯食って、通院日の前は、1週間の報告書書いて、通院して、また飯食って、寝て、起きて、場合によっては役所に行って手続きする」。という感じ。役所での手続きは大体、自立支援医療手帳、障害者手帳の延長か、作業所の見学の日程調整とか、その辺が多い。

一般企業で何回も挫折を経験すると、もう二度と普通の会社組織で仕事するということは考えられなくなる。会社組織は同じ目標に向かって一丸となってがんばりましょうね。というような団体だから、同じ目標を理解できない私たちには、到底無理な話。ちょっとでも外れた事をすると、パワハラモラハラの標的にされて集中攻撃。自社上司やプロパー(元請)の人たちの、ストレス解消の餌食になってしまう。かといって、精神障害者雇用で入ったとしても、身体障害者雇用に比べたら、見くびられてるのかと思われているほどの差があり、配慮もほとんどなされない。たとえばADHDの場合は、昼間突然眠気が襲ってくる。ナルコレプシーのように急に眠くなるのだ。それに対する、お昼寝ルームのような配慮は、片田舎の町の会社には無いに等しい。
また、急にそわそわしだしたときに、どうするかといえば、もう、階段を上り下りするか、外をぐるりと一周して気を紛らわすかしかない。その間、お断りを入れて、席を立たなくてはいけない。それが日に何度もある。そんな状態では仕事になるわけが無い。それでもサボりといわれる。つまりは、理解の無い会社組織に入ると、当事者が一番つらい目にあうのだ。そうなりゃ、適応障害から鬱になるのも、仕方ないことなのかもしれない。こうやって二次障害を発症して、結局社会というものから一歩引いた立場になると、我々人間は、いろんなことに踊らされているのだなと思う。お給金然り、技術力の向上然り、会社の信用然り。自分自身の他人に対する信用然り。

しばらくは俗世間から離れて、出来る事をやるしかない。でも、それでいいのだと思う。出来ない事を無理にやるから失敗するのだし、出来ないと思ったら、脳みそが沸騰するまでやる必要も無い。自分の得意な部分を生かして、伸ばして、その道のプロになる。何とかバカで結構。その道の第一人者になるくらい、突き詰めて掘り下げてやりたくなる。

人生という道の途上で、草むらに迷っても、カレンダーの日にちを間違えても、べつにどうってことないのだ。歩き続ければきっと、その先に新しい世界が待っているのだから。


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