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ホン雑記 Vol.89「クリーニングエネルギー」

以前に何度か、「言葉はすごいよ」という話をしていると思う。
「言葉は神なりき」とかね。

これほどまでにやりたいことをやってこられた人間と、その種の誕生以来ずっと同じ生活を営んでいる動物とを隔てたものは、言葉の有無である。


どうやら言葉は本当に神性を持つらしい。
「佐藤さーん」と呼びかけると佐藤さんが振り向くように、宇宙に対して「ありがとう」と呼び掛けると「ありがとう」と思わせる現象が降って来る。
これは「ありがとう」といつも思えるような人格者だから、感謝の素にいつも気づけるアンテナを張っているから、ということとは違う話で(もちろんそれもある)、なぜかそうなっているらしい。

昔スピリチュアル系の本をよく読んだが、その界隈だけで見かけるものではない。最近よく読んだり視たりしているビジネス&お金関係の情報の中にもホントによく見られる。
インフルエンサーや本を出版するような人は、だいたい「なぜか分からないけど」と付けて「そうなっている」と言う。それは万有引力のように原理原則である、と。
成功者はなんでも素直に試してみるというのは、当たっているらしい。


ところで、もうひとつ「なぜだかすごいパワー」を持つものがある。

「掃除」だ。
宇宙五指に入るほどメンドクサガリストのオレだが、それでも掃除には何かパワーがあると思わざるを得ない。やる前とやったあとでは、まったく違う人間になっていると言ってもいい。

メンドーサ一族のオレは、なかなかそれに取り掛かるのが無理難題と言う部分もあるのだが、一度そのハードルを超えてしまうと、どんなクズでもその恩恵を受けられる。

きっと宮崎駿監督なんかはこのことに気づいていて、少年少女を優しく洗脳しようとしているのではないか、とさえ思わせるほど、ジブリ作品には掃除のシーンがよく見られる。

出てくる食べ物が美味しそうなことでも著名なジブリ作品だが、それに引けを取らないのが掃除シーンだ。

オバケ屋敷のような古い新居を綺麗にする「となりのトトロ」。「天空の城ラピュタ」では海賊船のキッチンをピカピカに。主人公キキに与えられた部屋を掃除する「魔女の宅急便」に、「コクリコ坂」に至っては古い部室塔をみんなで蘇らせるクリーニング映画になっている。
他にも、「ハウルの動く城」、「千と千尋の神隠し」、「風立ちぬ」などでも掃除シーンが出てくる。


自分の中の思い出を漁ってみても、確かに掃除の不可思議はある。
最初に住んでいた社宅の、ちょっと離れた屋外バレーコート辺りでやっていた草焼きや、学校行事の草刈り、水泳部での水抜き掃除や、家での大掃除……。

学校での給食時間などはほとんど覚えていないのに、掃除のシーンはかなり鮮明に思い出される。それも、素晴らしい多幸感を伴ったビジョンとして。
「トイレにはそれはそれはキレイな女神様がいる」と歌う歌手がいるのも頷ける。



そう言えば、掃除も動物はそんなにしないんじゃないか。
メスを招き入れるための家づくりなどは、小綺麗にデザインすることもあるだろうが、必要最低限以上の掃除、し終わったあとに本人が「あー、スッキリしたー」と思っているような掃除というのは、きっと無いのではないか。


しらんけど。

聞いたこともないんで。




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