ディレクター/リーダーコンプレックス

かけっこ一番になりきれず、ロボット作りスーパー小学生にもなりきれず、地元マイルドヤンキーにもなりきれず、グローバル高校生にもなりきれず、アメフト選手にもなりきれず、女たらしクラブ遊びマンにもなりきれず、職人的デザイナーにもなりきれず、メディアアーティストにもなりきれない。

しかし、何かにはなりたい。

上記は、すべて自分がその道の途中で諦めたものたち。
自分を含めた、気づいたら「リーダー的」ポジションに着いているような人は、うまく世の中を渡っているように見えて、実は上のように「何か一つのことに特化した人」にコンプレックスを抱えているのではないだろうか。

「特化して行く」道が半分開けていた中で、「やっぱり違う」、「俺は他のこともできる」と決定を先延ばしにしてきた人が多いのではないだろうか。そして、実際にできてしまったゆえ、常に他のフィールドへ向かっている、という感じではないだろうか。(高いレベルでできない場合は、そこのフィールドに留まって努力をする為)

その先延ばしと、雑食的な実践のおかげで、大体のことは普通の人以上にできるが、それゆえ一つのことへ思いっきり執着した経験が少ない。

嫌い/苦手なことであっても、平均的な人より努力するので、偏差値65程度にはできるようになってしまう。普段物事を適当に済ませている人からすると「めちゃくちゃ熱心に取り組んでいる」というように見えるようだが、自分では片手間でやっている気持ちだ。器用貧乏というほど貧乏でもない。

僕は自分のそのような「気づいたら片手間でやってしまう」性質に中学生時に気づき、あえて比較的に苦手なチームスポーツの球技であるアメフトに高校時代は取り組んだ。最初は身体の使い方がものすごく下手だったので、案の定全くいい選手ではなかったが、最後はレギュラー選手として全国優勝を果たすまでに至った。3年間は、「一つのこと」に特化することができた。

(しかし、実はその途中で「やっぱり違う」が出現し、一年間海外留学もしていた。)

大学の進路選択の際は、自分の均整のとれた能力値レーダーチャートに「トゲ」をつけるため、今までそこまで周りから得意と言われてきたわけではないが、密かに興味のあったデザイン/工学の分野、その中でも建築を選んだ。

今後は、能力値に均整の取れたエリートタイプではなく、トゲのある人間の方が世の中で必要とされてくるだろうという直感があった。これは、近年の情報化により、自ら自分の好きなことだけを行い、足りない部分はAIが補ったり、ICT技術が他の専門性を持つ人と協働することを可能にしたためである。

しかし、建築という分野こそ、歴史が長く、建築の複雑な性質から、数学、物理、社会学、哲学、心理学、プロダクトからグラフィックまでの様々なデザイン分野を横断的に、総合的に考える、「究極の器用貧乏」を生み出す学科だった。

つまり、「建築のスペシャリスト」としてトゲをつけられたというより、またしても、「作ることなら、ある程度なんでもできますよ」という器用貧乏のレベルが上がってしまったのだ。

大学入学後、均整のとれ、ある程度高い能力値、体育会系と高校留学で培った人の言っていることをすぐ理解する能力により、気づいたら「まとめ役」、「リーダー役」、「ファシリテーター」的なポジションで動いていることが今は多い。

しかし、一つのことしかできないがその分野においては天才的で、追随を許さない職人タイプの人間に対して大きなコンプレックスを感じる。自分の能力は、どれもそれなりだが、一つのことに対して本物の一流である彼らには到底及ばない為だ。

周囲の人間にこういうことを言うと「何をうまく行っているのに、贅沢だぞ!」というような反応を受ける。

ただ、これはもう自分の生まれ持った「たち」なんだろう。

仕方がないので、これからも、誰よりも早く学んで、誰よりも早く飽きて、次のところへ行き続けようと思う。




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