見出し画像

高校入試は必要なのか。

久しぶりのnote更新なので、今日は軽めに行こうと思います。

「高校入試」と聞いてどのようなことをイメージするでしょうか。
4年制大学への進学率は5割程度である一方、29年度の高校進学率は98.8%ですから、誰しもが経験する存在かもしれません。

しかしながら、高校入試が存在しているのは世界的に見ても日本くらいです。私はニュージーランドの高校に在学していたことがありますが、地域の高校に行くのが当たり前でした。我々は実は不思議な国に住んでいるのです。今回は、高校入試がどのような課題を持つ選抜機能なのか検討していきたいと思います。

国際規約に違反している高校入試

社会権規約 第13条第2項(b)
種々の形態の中等教育(技術的および職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。

中等教育(中学校、高校)は学習者が望む場合、誰にでも開かれている必要がある、というのが国際的な潮流にある昨今。高校入試の存在は、日本における「すべての人に開かれた中等教育」の実現を妨げているのではないかという指摘がなされることがあります。

入学試験とは、能力主義の名の下で入学者を選抜するものですから、当然不合格者には受験校での教育を受ける権利は与えられないわけです。有名校や進学校を目指す受験生の場合は、複数校の受験によって第一志望に不合格だとしても中堅校に合格、進学という進路が予想されますが、下位高校を受験する中学生はどうでしょうか。

私の中学時代でいうと、(少なくとも愛知県においては)比較的入試難易度の高い公立を諦め、下位私立高校に推薦入学を目指したり、下位私立への一般入学を目指したりするケースが多かったように思いますが、それでも希望通りにならない場合は専門学校への進学を余儀なくされている生徒もいました。皆さんの周りにもそういった人がいるかもしれません。

身近な例を挙げ検討するだけでも、我が国では希望した者全てに普通教育(専門教育、職業教育でない教育)を受ける権利が保障されていないことは明らかです。

よくこうした主張に対する批判として、通信制高校や定時制高校への進学が可能だという反論がなされますが、そうした全日制でない高等学校における教育課程は設置された目的は「生活のために労働しなければならず、夜間にしか通学できない者」「人間関係に問題が生じ、集団内での就学が困難な者」に対して学習する機会を得る権利を保障する、というものであったはずですから、一般的な高校への進学を目指していた中学生が進学する場合は不本意入学となってしまうことは明らかです。したがって、通信制・定時制が普通教育を受ける権利を保障する機関として機能しているという反論は、理解できるものの望ましいとは、私は考えていません。

高校間格差

高校入試の課題について議論するとき、必ずと取り上げられるのがこの高校間格差です。地域によっては進学校とそれ以外に大きな学力差が生じ、大学進学率および進路が全く異なってしまうために、中学生は過酷な受験競争に投げ出されることになります。一般的にこうした状況には、「心身の発達への悪影響が懸念されている」(宮本,2010)ことが多いですが、正直私は強い問題意識を持っているとは言えません。

ただ、別に似通った学力の人々を同様の高校に在学させるべきという訳でもないのかもなというようには思います。国立大学付属高校は、抽選入試や特別な入試等によっていわゆる「ピンキリ」みたいな状態になりやすいでしょうけれど、そういう高校を見ていて何か問題に感じることもないし、他方、進学校に在学している人々を見てもこうした日本特有の学校形態は残すべきだとも感じません。少なからず、私が在学していたニュージーランドの高校においても高校入試がないことによって日本とは大きく異なっていると感じたことは一度もありませんでした。(主観ばかりでごめんなさい。)

高校入試はいらないのでは。

もっとも、高校間格差に関しては知識不足感が否めませんが、少なくとも各国において高校入試がなくとも教育が十分に機能していることや全ての人に中等教育段階で普通教育が開かれておらず、国際条約に違反している現状を鑑みて、高校入試の実施に固執することはないのではないかと私は考えています。

最後に、「リターンマッチ」という社会学・教育社会学の言葉を紹介して終わりたいと思います。これは、教育社会学者である竹内洋教授が提唱されている日本の選抜の捉え方であり、一度敗れてもセカンドチャンスが与えられるというものです。高校入試で敗れても大学入試で挽回できる日本の特徴を捉えた言葉だなと思い、個人的には印象的でした。

何れにしても、高等学校が入学者選抜したところで大学入試選抜でその社会的地位がリセットされて再度受験競争が巻き込まれるならば、社会的に見ても高校入試は選抜配分の機能を持っていないに等しいし、何度も何度も受験競争を強いる日本社会はなんだかな〜と思ってしまいますね。

近況報告

名古屋での塾のお仕事が終わり、東京に帰ってきました。
残りの夏休みを楽しみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?