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幸福な速度

2020年、はじめてシーカヤックで海に出た。

海上からよく見える団地がある。きっと昔は水田だったのではないだろうか。団地の名前もそれらしく、もしかして海から見た価値観の地名だったのかなという気がする。

曇り気味だけど、いい風が吹いている。少しばかりうねりらしいものが見受けられたけども、基本的に穏やかな海。打ち付けるような音もなく、水面には波の音が360°から優しく生まれては消え、の繰り返し。  

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日々生産性であったりとか効率の良さであったりとかタスクの処理速度、効果を追い求めて頭が詰まりそうになるけども特別何かを生まない時間というものもまた格別。何もしない日があってもいい、実にいい。


人間にとって幸福な速度について考えていた。通信、輸送、伝達、要した時間が加速度的に短縮されていく。これからも変わらず、今まで以上にもっともっと速さが暴力的にまで追求されていくだろう。

こんなときに思い出すのは先輩がカヤッカーなら読んでいた方がいい、と奨める一冊。サン=テグジュペリが見ていた風景は地上を物理的に俯瞰するというよりも、時間すら俯瞰していたのではないかと思う。宮崎駿が巻末に解説として記した名文の核心もまた、速度についてだった(速度と言えばポール・ヴィリリオ)。

市民を巻き込む世界的喧騒の速さは緩むことを知らない。僕らの個としての一生は技術(及びその速度の刷新)に利用され続けている。
けれど、渚に安らぎをもたらす波の音のリズムは今も昔も同じではないか。

On the sea, still as a pond, hunter paddles, far from land.
海は、池も同然の凪、櫂をとる猟師は、遥か沖を目指す。

--あ・はう・りく 北極の昼 (C.W.ニコル)

北極の猟師が刻んだリズムは、海こそ違えど変わらない。
そういうことを大切にできる価値観を、少なくとも自分のそういう感受性を守っていけなくて周りに何ができるんだこのヤロー。

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なんて思ったりしながら、瀬戸内に浮かんでいました(写真は2年前の夏)