つながる見えない線を追う
最近たくさんのいい体験から色々得るものがあったので、言語化したく、noteします。
身体表現だったり音楽だったり、写真だったり映像作品だったり、舞台、絵画、現代アート、スピーチだったり。
やはり浴びるように鑑賞するのはとてもよいなぁと!!!浴びるようにっていうのは、YouTubeやメディアでいつでもどこでも第三者として見ることではなく、生で観るとか誰か他の鑑賞者と時間や空間を共有しながら観るとかの意味です。(ライブやコメント機能とかはおいといて。)
『視線』って、なんらかの熱線が出ていると前に聞いたことがある。確かに、息を呑む鑑賞体験をしたとき、演者やパフォーマーの視線に熱を感じることがある。
映像や写真、平面作品も、表現者の目を共有するということなので、表現者の視線を体感することで何か生きたものを感じる。自動運転の乗り物に乗ってるみたいな感覚に似ていて、あーここはこういう動きになるんだ!みたいな。
隣の知らない人と、思いがけず同じところでリアクションとってたりすると、なんだか余計に楽しく感じてきたり。
アートや芸術、商業クリエイティブや企画・サービスにしても、共に五感を働かせる『共感』というものが、シンプルに一番人の心を動かすんじゃないかなーと最近そんなことを考えています。
ただ綺麗に並んでいるとか、流行りの型に流すとかだけでは生まれない共感があるし、もはやターゲティングするにしても性別や世代では括れない層がたくさん存在する。それは私自身の体感・体験も大いにあって。
逆に流行っているものには、狙ってにしても思いがけずにしても、絶大な共感が必ず存在していて、もうこれしか勝たん!と熱狂する人もいれば、なんであんなに流行ってるん?というまったく共感がない人もいる。
でもそれでよくて、むしろそれが理想だと私は思っている。熱の差があればあるほど、熱い方はもっと熱くなっていける。それがある意味『ブランド』という見方なんだと思う。
つながる見えない線を追うこと。
そしてその時その時の被写体と課題の表情を、きちんと読んで、1番ピタっとくる面を探すこと。
学生時代のデッサンから始まってずっと思ってやってきたことだけど、これまでもこれからも、物事をデザインする上でその視点は必ず持っていたいなと改めて再確認。
『あ〜そうそう、わかるわかる。』の熱狂の引き出しを、たくさんたくさん貯めていこう。