見出し画像

僕のnoteを読みたまえ。~whatからhowへ・howからwhyへ~

ここに三人の時計屋がいる。
三人共時計を売っているのは同じだけれど、時計がなぜ動くのかを知っているのはそのうち二人だけで、なぜ時計が必要なのかまで知っている時計屋は、一人しかいなかった。

僕らはどの時計屋だろうか?

ゴールデンサークル(理論)

Why-How-What. 今回のキーワードはこれだ。

人はまず問題に遭遇し、それを解決するための手段を求め、最後に、適した道具を手に入れる。つまり、「問題が先」で「道具は後」だ。
だから、人や物や行動を売り込むときには、「なぜ」必要で「どう」実現しようとした結果「なに」が生まれたのかを語る方がよい。

シンプルな考え方だが、これを実現するのは意外にも難しい。
目の前にあるのはWhat(道具)で、目に見えるのはHow(機能)だ。
Why(問題)を言葉にするには、目指していたものに立ち返る必要がある。

僕の場合だと

「僕はnoteにミニコラムを寄稿する。誤字が少なく、内容にも幅がある」

……これでは、何が言いたいんだ?となっておしまいだ。
少し書き換えてみよう。そしてその前に、僕自身のことをもう少し整理してみるとしよう。

僕がそもそもnoteを書き始めたのは、就活がきっかけだ。社会に出る前に自分のことが知りたくて、生活の中で思ったことを書いてみることにした。

……結果として、僕は自分に向き合うのがあまり上手じゃないと分かった。
スキやいいねをちょっとでも貰おうとした結果、脚本アイデアやジョーク記事、自己啓発紛いのバックナンバーが多くなっていった。この記事も、その一つだ。僕が必要としていたのは、分析ではなく賞賛で、承認だった。

ここまで分かると、今度は僕のnoteに反応してくれる人がどんな人なのかを知る必要が出てくる。
エッジの効いたブラックユーモア、一つの分野に対する卓越した専門性、読む人の背中を押すような力強い生命の躍動あたりではないことは分かる。

僕は皮肉が上手じゃないし、人より特別詳しいものもない。
今を生きることに対する熱量も、ずーっと平熱、苦楽ナシ!という按配だ。

それでも何かが人に届くとしたら、それはなんだろうか……?

what=独自の視点から見た一般論

僕には、普通のことをヘンに言うくらいのことしかできない。
じゃあ、その言説はどうやってできてる?人とは何か違うんだろうか?

①国語力は結構あるんじゃないだろうか。現代文は得意だった気がする。
②育った街も中学・高校・大学も、四者四様緩くて穏やかな環境だったな。
③本気でこれだけは譲れない、みたいなものがないまま生きてきちゃった。

how=レトリック・非攻撃性・メタ認知

最後に、これが人の役に立つのって、どんな状況だ?
世の中を斜めに見た言葉遊びで、だけど人を傷つけることは少ない。
世界を気楽に読み替える。その行為には、どんな意味があるんだろう?

今日は、仮説だけ立ててみよう。

why=世の中をより面白がれる見方を探すために

使った結果がこうだ

「人生楽しいことばかりじゃないけど、できるだけ面白くしたい!
そんなあなたに、言葉遊びで世界を変える?変わって見えるフレームを。
世の中の『普通』をこねくり回して遊ぶ、ゆる〜いnoteコラムです」

大分マシになったね。
大事なものがくっきり見えるっていうのは、いいことだ。

山なしオチなし山河あり。さもありなん。
そんなこんなでのんびり遊んでいるうちに、noteを書き始めた秋が、太陽系を一周して帰ってくる。
来年の今頃は何をしているだろうか?
分からないけど、とりあえず今より上手にwhyが語れていたら、それで十分な気がするな。

頑張れよ、僕。
そして、皆もよろしく。

常に前よりダサい語りを心がけます。