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エリック・リンドグレンの余白に

To Keita Egami

「エリック・リンドグレンは、空間的な抽象表現からアメリカの風土を定義するものまで、完璧な音楽性を獲得している。エリック・リンドグレンはアメリカ音楽だ」(ヴァン・ダイク・パークス)

「エリック・リンドグレンは音楽統合失調症のモデルです。片足を音楽院に、もう片足をガレージに置いて、ストラヴィンスキーとルイ・ルイを続けて演奏するタイプである。」(ブレット・ミラノ)

エリック・リンドグレン(1954年12月15日生まれ)といえば、Arf!Arf!という特異なレーベルの主宰者でもあり、世界有数の60sガレージのレコード・コレクターとしても知られていますが、同時に作曲家でもあり、ミュージシャンでもあり、プロデューサーでもあり、スタジオ主でもあり、マスタリング・エンジニアでもあります。
上記のようにリンドグレンの「活動」は振れ幅が大きすぎるため、その全貌をフォローするのは非常に困難というか、全貌を捉えた記事や論考もほとんど見かけません。
誰かがやってくれたらと待っても、そんな気配がまったくないので、とりあえずでしかないこの文章を記すことにした次第です。

<最初期の宅録~TNT>

エピグラフに引いたブレット・ミラノが云うように、ペンシルヴァニア州で生まれたリンドグレンは幼少期からピアノを学び始め、大学で作曲とピアノ演奏の修士号まで取得しています。
のみならず、1973年頃から自作曲の宅録も開始し、翌年からTNTというバンドでライヴ活動も始めます。
自作曲の宅録はのちにArf!Arf!から『Sound On Sound - Ambitious Teenage Pop Rock 1973-'74‎』(AA-093)に、
TNTに関しては『Mod Psych Power Pop From Central Pennsylvania - The Complete Studio Recordings 1974-'76』(AA-052)というCDにそれぞれ纏められています。
TNTのブックレットには当時演奏したリンドレンの作品やバンドメンバーの曲以外に、カヴァーした曲のレパートリーの一覧載っていて、カヴァーした曲の作者、バンドを抜粋するとー

クラシック:Robert Schumann-"Carnaval,Op.9-#4"(1837)/Erik Satie-"Gymnopédie #2 "(1888)

ラグタイム:Scott Joplin-"Maple Leaf Rag"(1899)

ジャズ:Eddie Vinson-"Tune Up"(1953-John Lewis、1956-Miles Davis、etc... ) 

ソウル:Sam Cooke-"Shake"(1964)/Bobby Hebb-”Sunny”(1966)
/Stevie Wonder-"Superstition"(1972)

ボサノヴァ:Antônio Carlos Jobim-"The Girl from Ipanema"(1962)

ノヴェルティ・ソング:Rolf Harris-"Sun Arise"(1961)

40‘sUS ポップス:Ned Washington&Bronislaw Kaper-"Green Dolphin Street"(1947) 

50‘sUS ロックンロール:Eddie Cochran-Summertime Blues"(1958)/Chuck Berry-"Johnny B. Goode"(1959)

60‘sUS フォーク/ロック:Billy Roberts-"Hey Joe"(1962)/Beach Boys-"Surfin' Safari"(1962)、"Sufin'USA"(1963)/Neal Hefti-"Batman"(1966)/Choir-"It's Cold Outside"(1966)/Left Banke-"Pretty Ballerina"(1966)、"Walk Away Renée"(1966)、"She May Call You Up Tonight"(1967)/Bob Dylan-"All Along the Watchtower"(1967)/Jimi Hendrix-"Purple Haze"(1967)/ Moving Sidewalks-"99th Floor"(1967)/Chocolate Watchband-"No Way Out"(1967)/Balloon Farm-"A Question Of Temperature"(1967)/Steppenwolf-"Born To Be Wild"(1968)/Millennium-"Prelude"(1968)、"To Claudia on Thursday"(1968)/Grand Funk Railroad-"Are You Ready"(1969)/Touch-"Down At Circes Place"(1969)、"Seventy-Five"(1969)/James Gang-"Funk #49 "(1969)/Stooges-"I Wanna Be Your Dog"(1969)/Nazz-"Under the Ice"(1969)

70‘sUS ロック:James Gang-"Tend My Garde"(1970)/Stooges-"Down on the Street"(1970)/Raspberries-"Go All The Way"(1972)/Todd Rundgren-"I Saw the Light"(1972)/Sugarloaf -"Don't Call Us, We'll Call You"(1975)/Roky Erickson-"Starry Eyes"(1975)

60‘sUK ロック:Beatles-"I Feel Fine"(1964)、"Yesterday"(1965)、"Cry Baby Cry"(1968)、"Hey Jude"(1968)、"Something"(1969)/Kinks-"You Really Got Me"(1964)/Rolling Stones-"Satisfaction"(1965)、"Jumpin Jack Flash"(1968)、"Honky Tonk Women"(1969)/Who-"My Generation"(1965)、"The Kids Are Alright”(1965)、"Substitute"(1966)、"Heinz Baked Beans"(1967)、"I Can See for Miles"(1967)/Small Faces-"All or Nothing"(1966)、"Tin Soldier"(1967)、"Itchycoo Park"(1967)、"Lazy Sunday"(1968)、"Ogdens' Nut Gone Flake"(1968)/Troggs-"Wild Thing"(1966)/Creation–"How Does It Feel To Feel"(1967)/Traffic-"Dear Mr. Fantasy"(1967)/Moody Blues-"Nights In White Satin"(1967)/Procol Harum-"A Whiter Shade of Pale"(1967)、"A Salty Dog"(1969)/Nice-"Little Arabella"(1968)/Ten Years After-"Bad Scene"(1969)/Cream-"Badge"(1969)/Spooky Tooth-"Waitin' For the Wind"(1969)

70‘sUK ロック:Procol Harum-"Whiskey Train"(1970)/Ten Years After-"Love Like A Man"(1970)Free-"All Right Now"(1970)、"Fire And Water"(1970)/ELP-"Lucky Man"(1970)、"From the Beginning"(1972)/Rolling Stones-"Brown Sugar"(1971)/John Entwistle-"My Size"(1971)/Orang-Utan-"Chocolate Piano"(1971)/Yes-"I've Seen All Good People"(1971)、"Your Move"(1971)、"Yours Is No Disgrace"(1971)/10cc-"I'm Not in Love"(1975)

ロック部門のサブジャンルで分類すると初期のロックンロール、ロカビリーからフォーク、サーフィン、ガレージ、マージー・ビート、フリーク・ビート、モッド、ソフト・ロック、フォーク・ロック、ブルース・ロック、ハード・ロック、プログレ、プロト・パンク、パワーポップまでパンク以前のロック史のジャンルのほとんどを網羅していることが分かります。それに加えてドイツ・ロマン派のシューマン、リンドグレンの生涯のアイドルと云っていい印象派のサティからラグタイムのスコット・ジョプリンまで、その射程の広さは出鱈目とさえいえます。
また当時の新曲であったRoky Ericksonの"Starry Eyes"をいち早くカヴァーしてたり、後年のリンドグレンのソロ・プロジェクトSpace NegrosでもカヴァーすることになるStoogesの"I Wanna Be Your Dog"と同時にプログレのELPやYesをカヴァーする感覚も常人の理解を超えていますね。
しかし実際のTNTのコンピや宅録ソロのコンピを聴くと"Pedestal"というリンドグレンと同郷(ペンシルヴァニア州)のNazz~トッド・ラングレン的な佳曲はあれど、尖った感じの曲や演奏がほとんどないところも地方都市の長閑なガレージバンド然として面白い。例えば同時代のクリーヴランドで同じくStoogesをカヴァーしていたRocket From The TombsやオクラホマのDebris’やニューヨーク・パンク勢のような尖がったところがほとんどないところが面白い。

<Moving Parts~Space Negros~Birdsongs Of The Mesozoic>

1978年、リンドグレンはマサチューセッツ州ケンブリッジを拠点とする商用レコーディングスタジオおよび音楽制作会社であるSounds Interesting Productionsを設立、活動の拠点をボストン周辺へ移すことになります。

1992年にリンドグレンのレーベルArf!Arf!からコンピ(『Wrong Conclusion』 AA-039)をリリースしたことで知られることになったMoving Partsのメンバー編成は、ロジャー・ミラー(ギター)、クリント・コンリー(ベース)、エリック・リンドグレン(キーボード)、ボビー・ベア(ドラム)。
コンピに収録されている音源は1978年の録音ですが、1979年にはギターのロジャー・ミラー、ベースのクリント・コンリーがMission of Burmaを結成することになるため、バンドは短期間で消滅しました。
さらにMission of Burmaと並行してロジャー・ミラーはリンドグレンと合流し、Birdsongs Of The Mesozoicを1980年に結成することになります(のちに脱退しますが)。それと並行してこの時期リンドグレンはソロ・ユニットSpace Negrosの録音活動も続けています。自ら立ち上げたレーベル、Arf!Arf!の最初のリリースはSpace Negrosの『Go Commercial』(AA-001、1980)という7インチです。

それぞれのバンドとユニットについて簡単に触れておくとー

Moving Parts...ドラムのボビー・ベアとリンドグレンはアトランチックスというパワーポップバンドで合流するも飽き足らず、リンドグレンはクリーブランドのペル・ユビュ、メリーランドのハーフ・ジャパニーズ、サンフランシスコのレジデンツなどに刺激され新しいバンドを構想し始めます。
その頃「モノ・マン」ことジェフ・コノリー(DMZ/Lyres)と高校の同級生でバンド仲間でもあったベースのクリント・コンリーがファンジン「Record Raves」の編集者チャールズ・P・"チップ"・レイミーを通じてリンドグレンと知り合い、交流がスタートします。
またギタリスト募集の広告を出していたバンドは、広告が載った新聞の購読者だったミシガン州アナーバーからボストンへ移住してきたばかりのロジャー・ミラーを引き当てることになります。
この4人が集結してMoving Partsというバンドが本格的に活動し始めることになるんですが、ロジャー・ミラーについて少しだけ経歴などを書いておきます。

ロジャー・クラーク・ミラー(1952年2月24日生まれ)はリンドグレンと同じく幼少からピアノを習い始め、中学校ではフレンチホルンを学び、13歳でギターを始めます。ミラーには双子のベンとラリーという弟がいました。この三兄弟とハロルド・カーシェンというトランペット奏者を加えて1969年にスプロトン・レイヤーというハードサイケバンドを結成します。メンバー全員が高校生でした。当時の録音は『With Magnetic Fields Disrupted』(NAR 055)という1991年に発売されたアルバムで聴くことができます。スプロトン・レイヤーは1970年に解散し、ベンとラリーは地元の先輩バンド、ストゥージズのロン・アシュトンとMC5のマイケル・デイヴィスが後に合流することになるDestroy All Monstersに一時(1977~1978)参加することにもなります。
ミラーは1976年に作曲を専攻してカリフォルニア・アーツに入学し、ジョン・ケージやシュトックハウゼンの音楽に触れるも、パンクの台頭には抗いきれず、大学を中退しボストンへ向かいリンドグレンたちに合流します。そして、先にも書いたようにMoving Parts解散後、Moving Partsのクリント・コンリーに加えドラムのピーター・プレスコット、サウンド・エンジニアのマーティン・スウォープが集結しMission of Burma結成、という流れです。
ロジャー・ミラーはこの後もSSTからサン・ラのカヴァーを含む硬質なピアノソロアルバムをだしたり、サイレント映画に音楽を付けるプロジェクトや現代音楽の作曲家としての活動等もそれなりに興味深くはありますが、長くなるのでこの辺で割愛します。
ともあれ、ロジャー・ミラーの参加がそれまで長閑なパワーポップ風だったりガレージバンド然としていたリンドグレンを一気に尖らせたと云えるかもしれません...

ロジャー・ミラーは耳鳴りの持病があり、Mission of Burmaでの爆音ライヴにギターで活動を続行することに限界を感じていたこともあり、リンドグレンの誘いでピアノと作曲でバンドに参加要請されたときは渡りに船だったようです。それがBirdsongs Of The Mesozoic(名付け親はロジャー・ミラー)へと発展します。
メンバーはロジャー・ミラーが主にピアノ、リンドグレンが主にシンセサイザー、(Mission of Burmaではサウンド・エンジニアだった)マーティン・スウォープが主にギター、リック・スコットが主に電子オルガンで全員がパーカッションも受け持つという(初期の)編成でした。
作曲に関してはロジャー・ミラー在籍中はロジャー・ミラー作品が多く、脱退後はリンドグレンの作曲が中心となります。
ただそれぞれの作曲作品以外でも"Out of Limits"のサーフガレージ的カヴァーはいかにもリンドグレン的ですし、"春の祭典"(ストラヴィンスキー)に関してはロジャー・ミラーのピアノの強度が全体を引っ張っているかと思えば、他のメンバーがそれを搔き乱したりと様々な引力が渦巻いているのがわかります。
"Terry Riley's House"(ミラー作)やイーノの"Sombre Reptiles"のカヴァーなどミニマルやそれ以降の動向への目配せと同時に反発が伺えたり、レコメン系とも相通じる側面(実際スケルトン・クルーとも対バンもしている)もあったりと興味深いですが、全体的にチープな風味が漂うのは、やっぱりリンドグレンの仕業だと感じます...
ロジャー・ミラーとマーティン・スウォープのMission of Burma組の脱退後もオペラのバス・バリトン歌手のオーラル・モーゼスを迎え、伝統的なアメリカのゴスペルソングとスピリチュアルを集めた(ほどんどがリンドグレンの編曲)『エクストリーム・スピリチュアルズ』(2006)をリリースしたりと、リンドグレン先生の動向、嗜好はよくわからないというか本当に掴めないですね...

そのわからなさに拍車をかけて紹介したいのがSpace Negrosです(実はMoving Partsと改名する前のバンド名がSpace Negrosだったようです、ややこしい...)。このソロユニットもArf!Arf!から3枚のコンピが出て全貌がわかったんですが、第一集の冒頭から度肝を抜かれます。"Nazz Ⅳ"というタイトルからリンドグレンと同郷のあのバンドへのオマージュを期待しているとホワイトハウスのようなエレクトリック・ノイズの洪水の中で奇声を発しているリンドグレン先生が...その次はストゥージズの"I Wanna Be Your Dog"のちょっとGeza Xを彷彿とさせる奇抜なカヴァーが続き、端正なエレポップやミニマルテクノ、アンビエント風味の楽曲があるかと思えばガレージ風味の楽曲もあり、最後はブライアン・ウィルソン!としか言いようのない"Fireman/Spaceman"で泣かすという、リンドグレン汁がたっぷり詰まった作品集になっております。この感じが苦手な人はリンドグレン先生に近づかないほうがいいかもです...

<commercial work (1979-1992)>

さて、ボストンに移ってからのリンドグレンはCM音楽の作成も生業の一部だったようで、その集成がYouTubeにアップされています。

驚いたのは1986年のCMでなんとルー・リード(ナレーション)とリンドグレン(音楽)が共演していることです(1:53~2:21の間です)。音楽は紛れもなくリンドグレン印とわかります。もちろんルー・リードの語りもルー・リード以外には聞こえません...ちなみにリンドグレンは後に『Yeah Yeah Yeah (28 Mega-Manic & Elusive '60s Garage Punkers)』(AACC-075)というコンピでVU以前にリードがやっていたRoughnecksの"You're Driving Me Insane"を挿入することになります...

「まだコマーシャルな分野にいた頃、自分にはあまり関係がないと感じていた時期があったんです。ある企業の依頼で、デペッシュ・モードの曲を模倣した曲を書くことになり、嫌々ながらそれをやったんだ。彼らのアルバム『Music for the Masses』を買って勉強したんですが、(出来上がった)音楽が嫌いだった。でも、そのトラックを仕上げてクライアントに届けたら、『エリック、これは天才だ!』って言われたんです。
で、私は(声を小さくして)『うん、よくできてるよ』って言ったんだ。それが私にとっての終わりの始まりだったかもしれません。」(リンドグレン)

こうして結局、CM業界からリンドグレンは去ることになります。なんて繊細な...

<Between Meals>

またここで触れておきたいのがBetween Mealsというバンドのことです。

メンバーは、

Jad Fair:vocals、 guitar、 synthesizer
Andy Paley:vocals、 guitar、 organ
Chuck Bell:vocals、 guitar、 organ, bass
David Greenberger:bass、 recorder、 synthesizer、 melodica、 percussion、 backing vocals
Erik Lindgren:synthesizer、 organ、 xylophone、 percussion、 backing vocals
Maureen Tucker:drums
Philip Milstein:vocals、 guitar、 percussion

リンドグレンがMoving Partsを結成する際、触発されたバンドの一つでもあるハーフ・ジャパニーズのジャド・フェアに、CMでリンドグレンと密かに共演していたルー・リードの永遠のドラマーのモーリン・タッカー、それから後年、親交が深くなるデビッド・グリーンバーガー(1954年6月26日、ペンシルヴァニア州生まれ、リンドグレンとは同年同郷)が参加しています。
デビッド・グリーンバーガーは『The Duplex Planet』というZINEの発行者でもあり、マサチューセッツ地域の高齢者福祉センターで長年にわたりディレクターを務めていました。またグリーンバーガーは自身が録音した『Talent Show』という日本でいう「のど自慢大会」をそのまま収録したテープをCD(ライナーはグリーンバーガーの盟友でもあるNRBQのテリー・アダムスが担当)としてArf!Arf!から出したり、その「のど自慢大会」に出演した高齢者福祉センターの入居者であるJack Mudurian氏の即興歌を99曲収録したスピンオフ作品の制作やそれ以外の様々なジャケット・デザインの制作など、Arf!Arf!にとっては欠かせない人物です。傑物グリーンバーガー氏に関してはその昔、雑誌『MAP』の創刊号に福田教雄氏と吉本栄氏の行き届いた紹介文とインタヴューが載っていたので、詳細をお知りになりたい方、雑誌をお持ちの方は参照してください。

Between Mealsに関して云えばジャド・フェアが唄ったりギターを弾けば、誰が入ろうといい意味ですべてジャド・フェア色に染まるというアレですね...

<プロデュースについて>

数あるかもしれないリンドグレンのプロデュース業のなかでは、どうしてもウィリー "ロコ" アレクサンダー(1943年1月13日生まれ)について触れないわけにはいきません。
簡単に経歴をー
ボストンのガレージバンドとしてはリメインズに次いでメジャー(キャピトル)と契約するも、結局3枚の7インチを出しただけで契約を切られ消滅したザ・ロストに関しては、2枚のコンピがArf!Arf!からリリースされています。
『Early Recordings: Demos, Acoustic And Live 1965-1966』(AA-059)
『Lost Tapes 1965-'66』(AA-081)
その後はモーリン・タッカー以外のオリジナルメンバー(もちろん最初のVUのドラマーはアンガス・マクリーズですが)がいなくなったVUのヨーロッパツアーメンバーに採用されるも、最後のVU LP『Squeeze』(1972年、ポリドール)をリリースする前に、マネージメントによって無碍に解雇されてしまいます。その後はWillie 'Loco' Alexander And The Boom Boom Bandとしてメジャー(MCA)で2枚アルバムを発表。2ndアルバムは国内盤もでていますね。1stは特に素晴らしいと思います。2005年に再結成した際には我がCapten Tripから3rdアルバム『Dog Bar Yacht Club』と『Loco Live 1976』というライヴアルバムも発売。さらに誰も知らないウィリー "ロコ" アレクサンダー参加時代を含むVUの1971~1973までのライヴ録音を集めた4枚組のCDも出してくれているから‎Capten Tripは恐ろしい。さらに言えば、個人的にソロ時代の最高傑作だと思う『Solo Loco』もCapten Tripが世界初CD化しています。
その1981年作『Solo Loco』(ROSE 3)からアレクサンダーのフランス時代が始まるわけですが、 80年代のほとんどをフランスのパンクレーベル、ニュー ローズ レコードで過ごし、ボストンのマサチューセッツ アベニューにあるレストランで食器洗いとして働きながらヨーロッパをツアーしたらしい。「私は皿を洗っていて、その後この会社のフランスツアーに行き、毎晩アンコールなどをもらっては、ボストンに戻って皿を洗っていました。ばかばかしいことでしたが、そのおかげで謙虚でいられるのだと思います」とのこと。

リンドグレンがプロデュースしたのはそのニュー ローズ時代の2枚のアルバム『Tap Dancing On My Piano』(1986)と『In The Pink』(1988)です。後者はアレンジと演奏だけでなく作曲も手掛けているものの、ちとオーバープロデュース気味で『Tap Dancing On My Piano』のほうがアレクサンダーの持ち味が出ていて好ましいかなと思います...個人的には...
それよりも両者の持ち味が最高に発揮されているのが『New England Teen Scene The Next generation』(AA-044)に再収録されている(オリジナルは77Recordsのコンピ『Crawling From Within』)Lyresのカヴァー"Don't Give It Now"でしょう。
メンバーはもちろんリード・ヴォーカルにアレクサンダー、Vox Continental Organにリンドグレン、ロジャー・ミラーがギター、アラム・ヘラーがベース、ドラムがボビー・ベアとういう編成、つまりMoving Partsマイナス1にアレクサンダーが参加し、楽曲はジェフ・コノリーの傑作なので悪いわけがないという...

<室内楽>

「50歳を過ぎた頃、何かが変わったというか、何かがクリックされたようで、アコースティックな室内楽だけを書いていこうと決めたんだ」(リンドグレン)

室内楽について云々するまえに1992年にリリースされた『Oil On Linen』というソロアルバムの紹介をー
1992年といえばリンドグレンがCM業界から足を洗った年でもあり、リンドグレン38歳時の作品ですが、室内楽にシフトする萌芽がここにあるような気がします。
活動の最初期から脈々と感じられるサティとブライアン・ウィルソンへ憧憬にZNRやパスカル・コムラードの音粒を溶かし込んだような、なんとも言えないチープさに包まれた音楽。ただしSpace Negros期のノイズ素がきれいに除かれた楽曲。
それから24年経過し、バイオリン×2とヴィオラとチェロとコントラバスにフルート、ヴィブラフォン、パーカッション、リズムボックス!にリンドグレンのピアノと指揮の編成で録音された楽曲(2016年作『BESPOKE』)の印象は楽器編成の違いを除けば、ほぼ変わらないと云ってよさそうだ...つまりヴァン・ダイク・パークスの云うように、エリック・リンドグレンは「アメリカ音楽」として「完璧な音楽性を獲得」したというべきなんでしょうか?!...
もちろんリンドグレンにとっての「アメリカ」とは現実の合衆国であるはずもなくコンピ『Only In America』(AA-049、1995)に再録されたトンデモな音楽を量産?した「アメリカ」であるだろう(そこにはShaggsの"My Pal Foot Foot"の未発表ライヴ・ヴァージョンやThe Incredible Kim Fowleyの"Young America Saturday Night"の莫迦げたアカペラだけではなく、リンドグレンが拾い集めなければ藻屑となって消滅しただろう「アメリカ音楽」が充満していて眩暈がする)...

それにしてもリンドグレンのアメリカ印象派然とした軟派な室内楽とロジャー・ミラーの現代音楽然とした硬派な室内楽とのなんという違い!
それはリンドグレンの愛好するレイモンド・スコットの電子音楽とシュトックハウゼンの電子音楽が違うように違うと言えそうです...
これまたリンドグレンの愛好するアメリカ軽音楽の父リロイ・アンダーソンの楽曲とエリオット・カーターの楽曲が違うように違うと言い換えてもよさそうです...etc...SO WHAT!?

<自己を含まない集合に自己を含ませること~コンピレーション制作ついて>

リンドグレンは同じく1992年を境に、以前フランスのEvaレコードから非公式にLPとして再発されていたトワイライト・ガレージの必殺名盤ライジング・ストームの『Calm Before...』を、(1983年にArf!Arf!からLPとしてリリースしていた)同バンドの再結成ライヴ盤『Alive Again At Andover』とカップリングして1枚のCDとして再発して以降、リンドグレン自身が関わった音源のレトロスペクティブを含め、コンピを怒涛のように連発し始めます。もちろんCDの時代が始まって1枚の収録時間が増えたからという理由はあるんでしょうが...

ということで、最後にリンドグレンがコンピレーション制作を始める前に、どういう流れがあったかをArf!Arf!がCD時代になる前のガレージ・コンピレーションの趨勢を中心に振り返ってみたいと思います。

Nuggets~Pebbles~Boulders等を経て、ガレージ・コンピの新時代(凡そ第一パンク世代が編纂している)を創ったといえるTim Warrenの『Back From The Grave#1』の前年に『Chosen Few 1』がリリースされます。
『Chosen Few 1』は周知のように?オーストラリアのメルボルンにて、ブルース・ミルンとフィリップ・モーランドによって設立されたAu-Go-Goというレーベルから1982年にリリースされたガレージ・コンピです。
前史としては1957年生まれのブルース・ミルンが1977年にクリントン・ウォーカーと共にパンクの同人誌である『パルプ』を共同設立、その後1978年3月に創刊された別の音楽雑誌である『ロードランナー』を編集するという流れがAu-Go-Goに繋がったようです。
また余談ですが、BFTGがでた1983年といえば、MTVが全盛期で、1983年に『Chosen Few 1』のレヴューでRon Rimsiteが「デュラン・デュラン信奉者にも重度の脳腫瘍を与えることが保証されている(Ugly Things誌)」と云ってました...
ここから話を始めたのは上記2つのコンピにはリンドグレンとジェフ・コノリー(DMZ/LYRES)が演奏者としてかかわっているからです。
(BFTG以降のコンピに関してもリンドグレンはマスタリング・エンジニアとしてTim Warrenを支え続けることになるでしょう。)

『The Chosen Few 1』の最後に収録されている楽曲はThee Wylde Mainiacsの"Why Ain't Love Fair"となっていますが、演奏しているメンバーにはErik LindgrenとJeff Conollyが含まれています。全メンバーの編成は、

Jeff Conolly:lead vocal
Erik Lindgren:guitar、piano
Roger Miller:bass、lead guitar
Boby Bear:drums

なんと、クリント・コンリーの代わりにジェフ・コノリー(クリント・コンリーと高校時代のバンド仲間)が入ったMoving Partsではないですか...これは60sガレージ・コンピを謳いながら、現行のものを混ぜるという「詐欺」まがいの手法ですね...
Arf!Arf!の『New England Teen Scene The Next generation』でこの曲が再収録された際、リンドクレンはライナーノートで60sの実在のバンドっぽくコメントしてますが...しかも『New England Teen Scene The Next generation』のサブタイトルはGarage Rock 1978-1992となっているので、60sのバンドが入っていること自体、矛盾も承知で出鱈目を言ってるんでしょうが...

参考までに以下該当部分のリンドグレンのライナーです。

「ざっとした情報では、Thee Wylde Maniacsは60年代の代表的なシングル1枚(MRC-002)を制作し、Wylde兄弟とその3人の遠い従兄弟からなり、全員がミシガン州Bangorの家業で葬儀屋として働いていました。彼らのレコードはオンタリオ州ウォータールーの大学ラジオ局で即座に2位となり、彼らは2つのトラックをカナダの小さなレーベル(K-Nooky1001)はこのシングルのプロモ盤を100枚プレスした(ボーカルは「Why, eh, ain't love fair, eh!」というリフレインで再カットされているのが興味深い)。ニューイングランドのマスコミは、このシングルがThe Seedsの特徴であるピアノの音とスタイルをあからさまに模倣していると非難したが、噂では、彼らはK-Nookyからの大反響を期待して、霊柩車でカナダを6週間かけて回るツアーに出かけたという。しかし、そのプロモ盤がカナダに届くことはなかった。
その際、郵送料が不足しており、返送先の住所もないため、一旦国境を越えると、それっきり音信不通となった。国境を越えた後、彼らの消息は途絶えた。
ウィニペグの人気バンド、49th Parallelのメンバーが、フレディ・ワイルドの社会保障番号が刻まれたFarfisa Combo Compactオルガンを購入したことから、彼らは楽器を売ってカルガリーで葬儀屋を開業したと考えるのが一般的である。」

同様にBFTG#1の最後に隠しボーナストラックとして収録されているのは、同じくJeff ConollyとErik Lindgren等によるSonicsカヴァー"The Witch"です。

BFTG#3には当時の現行ガレージ・バンドのRaunch Handsがクレジットと写真付きで堂々と旧ガレージバンドに交じっていますが、現在出回っているBFTGのCDヴァージョンでは両方ともオミットされているようですね。

またリンドグレンは1990年にグレック・ショウのVOXX Recordsのために『Beyond The Calico Wall』というガレージというよりサイケ寄りのコンピレーションの編纂を請け負ってもいます。

1993年から漸くArf!Arf!でガレージやサイケのコンピCDがではじめますが、個人的には1999年にリリースされた『No No No』 (AACC-076)がたまりませんね...
Tim Warren関連では『Teenage Shutdown/I'm Down Today』『Teenage Shutdown/Nobody To Love』『Last Of The Garege Punk Unknown Vol.7&8』あたりが近いテイストですかね。『Teenage Shutdown/I'm Down Today』には『No No No』 の収録曲(Specters-"Depression")の被りもありますし...まぁ好みの話はこの辺で慎みます。

話は戻って混ぜちゃダメなところに自分をいつも混ぜる傾向のあるリンドグレン氏は66’~68’までと謳ってるガレージ/サイケのコンピ『30 seconds before the calico wall』(AA-050、1995年)に1975年のTNT(リンドグレン自身のバンド)のMoving Sidewalksのカヴァー"99th Floor"を事も無げに挿入してしまう。

自己を含まない集合に自己を含ませること。そうすることで集合自体が機能不全になること。また、それ(es)を反復すること。
そのほうが「片足を音楽院に、もう片足をガレージに置いて、ストラヴィンスキーとルイ・ルイを続けて演奏する」ことより遥かに困難だし、おそらくリンドグレン以外、誰もやろうとはしないだろう。
そして当のリンドグレンは国境を越えた後、消息が途絶える...が、楽器を売ってカルガリーで葬儀屋を開業したと考えるのが最も一般的である。

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