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2019年09月28日わわわの話にて

この日、機会をいただいて哲学対話のファシリテーターを務めさせていただきました。私がどんなことを考えていたのかを公開することは、もしかしたら誰かの役に立つかも知れないと思い、書き留めておきます。

ただし、対話会の詳細な内容を期待される方には申し訳ありませんが、話されたことを詳細にレポートするものではありません。場面場面での、私の目論見を公開するのが目的です。

イベントの情報

開催日時:2019年09月28日 17:00~20:00
開催場所:カフェ藤香想
テーマ :「ところでその言葉で伝わってます??」
リード文:普段なにげなく使っている言葉ってありませんか?(ある意味、"口癖"のようなものだったりして!?)
伝えた・伝わった・受け取った"つもり"にさせる言葉について取り上げてみます。

準備について

これまで私がやらせていただくときは、どの場所であれ、期待して参加していただいた方々にできるだけ楽しんでいただくために、仕掛けや工夫を私なりに時間をかけて考えて臨んできました。しかし今回は、仕掛けも工夫もなにも準備せず、哲学と対話を私と一緒に楽しんでもらうという心構えだけで臨みました。

これは、もやもやを持ち帰るとか、いろいろな話が聞けて楽しかったとか、難しかったという感想ではなく、ひとつひとつ吟味して、一歩一歩にじり寄りながら進む、私が哲学対話に期待しているものを味わって欲しいと考えたからです。それが実現できたかどうか、本音の感想は参加者の胸の内にしかありませんが。

ルーティーンについて

開始は、「わわわの話週末編」の通常回の進行手順にそって進めました。これは会自体を特徴づけるものでもあり、ルーティーンと呼べるものです。哲学対話会にはルールを読み上げるところもあり、読み上げないところもありますが、ここではルールではなく「口上(こうじょう)」を読み上げます。たとえていうなら選手宣誓のようなものです。

禁止事項を伝えるのでもなく、推奨行動を伝えるのでもない。参加者全員、この場での対話に真摯に向き合う、そんな思いの詰まった口上が読み上げられます。毎回少しづつ工夫が見えるこの口上が、主催者の「なんとしてもよい対話にするのだ」という妥協のなさを感じさせ、私もこの口上を聞きながら、必ず満足させてみせると思いました。

進行について

わわわの話ではいつも、オープニングクエスチョンとしてファシリテーターから最初の問いが投げられます。紙を配り、その日呼ばれたい名前と、問いに対する答えを、参加者に書いてもらいます。全員でそれぞれの答えを眺めながら、気になる答えについて答えの主に説明を求めたり、感じた疑問を投げかけてもらいます。

哲学対話では正しい語義を問う展開になることがあり、結局「人によって言葉の意味が違うから伝わらないんだね」という話に進むことがあります。
しかし、どこかで見た展開ではちっとも面白くない。
ここで問うべきは何か。どうしたらより面白くなるか。

「ところでその言葉で伝わってます??」

たびたびこのテーマに立ち戻りながら、伝わるのか・伝わらないのかを確認するために「伝わる条件」「伝わらない条件」を探すことにします。必要条件なのか十分条件なのか。はっきりはしないけど関係がありそうなことなのか。それらを出し合い、そうかも知れないと安易に流さず、行きつ戻りつしながら条件探しを軸に対話が進行します。

手がかりを求めて、条件探しをずっと続ける。手がかりを見つけるまで先には進めさせない。探偵七つ道具の説明はしないけど、あきらめて、適当なところで次の話になんて進ませない。

「今のお話はこういう意味で合っていますか?」
「言葉を変えるとこういうことですか?それともこっち?」
「具体例をあげられますか?たとえ話でもいいです。」
「こちらとあちらの方の話はこういう言葉で表わせませんか?」

聞く方は意見の意図を間違って受け取らないように確認を重ね、話す方は意図が伝わるように四苦八苦して言葉を選び、まさに伝わらないことを味わいながら対話が進んでいたとき…

ある人からぽろっと、「これがなくては伝わらない」と思えることが。

むむ?それはたしかに疑いにくい。今まで出た条件も照らしてみよう。ふむふむ、すっきり説明できる。うむむ、これは否定できそうもない。どうやら、手がかりが見つかったようだ。

しかし、もう少し時間はあったけど、ここで終了と判断。ここから先に進んでも十分話せるほどの時間は残っていなかった。終了を宣言して、残り時間で参加者の方々の感想を聞いて閉会しました。

まだまだ謎の入り口ではあったけど、粘り強く探し、手がかりのひとつを発見できたことは、きっと「もやもやを持ち帰る」のとはまったく違うものを感じてもらえたと思う。もちろん考えることの刺激も。

さいごに

いろいろなことを考えながら対話の舵取りを行いました。どうしてそう問うのか、問うてなにがわかるのか、聞いている人が理解できているか、伝わりにくい言葉を別の言い方にできないか、その脱線はどういう脱線か理解してもらう、テーマに立ち戻ってみんなで問いを再確認、なにを見つけなければいけないのかを共有してまた挑む…。

「私が哲学対話に期待しているものを味わって欲しい」

それが実現できたかどうか、私にはわかりません。
でも、次の機会も同じ気持ちで臨むつもりです。

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