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「普通」という名のシート

思春期の頃、
普通の人生を生きるのは嫌だと思っていた。

成人して以降、
普通であることの難しさを知った。

1年半前、
普通になりたくて、
心療内科のドアをたたいた。

そして、今。

私が座っているのは
「普通」のシートなんだろうか?

それとも

カウンセリングを受けるにつれ、
私は「普通」に不向きではないかと
思うようになった。

「普通」のシートは
息苦しく思えてしかたないのだ。

人と人との距離が近くて、
ゆえに、
常に誰かを意識せざるを得なくて。

同じであることが最良で、
好きな時に立ち上がることも許されなくて。

個性は必要ない世界。
同じ色ばかりの世界。
違う色は、はじき出される世界。

書き連ねるだけで、苦しくなる。

いつからか、
「普通」じゃない方が楽なのでは
と思うようになった。

その方が、
自分を守れるのではないか、と。

世の中では
「普通」でないことを「異常」と言う。

おそらく。

世の中の多数派にいられる人が「普通」。
そこから外れてしまう人が「異常」。
それがホントなら、
なんだか悲しい線引きだ。

「異常」側から見たら
「普通」の方が異常なのに。

「普通」のシートに座ることで
世の中の支持を得られるとしても、
私は正直、
そのシートには座りたくない。

自分というものを持ち、
自分の欲求を知り、
自分がありたい姿を描きながら、
堂々と「異常」シートに座っていたい。

そういう自分でありたい。

「普通」にしがみつくことで、
今までどれだけ苦しんだろう。

余計な苦しみは手放して、
自分であることを大切にしたい。

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