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『ジョーカー』の脚本から逸脱する演技法。

衝撃的な映画でした・・・正直ショックから立ち直るのに時間がかかりましたw。
前情報で、ジョーカー誕生秘話というか『ジョーカー・ビギニング』みたいな内容だと聞いていたので、なるほど普通の人間がどのように狂気をまとっていってジョーカーと化していくのかを描く映画なんだろうなーと思っていたんですが・・・観たら全然違いましたね、映画『ジョーカー』。

主人公アーサー(=ジョーカー)役のホアキン・フェニックスは「狂気」をまったく演じていませんでしたね。彼が一貫して演じていたのは「10歳の少年の無垢なハートを持った中年男性」でした。

そんな無垢な中年男性が無慈悲な社会にガンガン虐げられて、心身ともにへとへとになってゆく様を延々と見せられるこの映画前半の地獄・・・これ家で観てたら途中で消してるところですよ!コレなんの罰ゲーム?って(笑)。

でも映画館なので見続けるしかなくw、すると次第に「あれ?この男は私かもしれない」と思えてきてしまって、電車での発砲あたりから完全に彼と同化してしまい・・・うわあ、なんという映画だろう!と。

この映画は、あっ!という間にスクリーンから飛び出して我々の心に触れてきます。それはつまり「傑作だ」というコトなんですが、そんな映画滅多に生まれるもんじゃありません。歴史的な傑作ってたとえば『悪魔のいけにえ』や『用心棒』なんかもそうでしたが、「幸運なミスマッチ」というか偶然に偶然が重なって奇跡的に生まれてしまうものだからです。

映画『ジョーカー』はなぜこんなにも我々の心に触れてくるのでしょうか?

それはこの映画のよく練られた脚本をホアキン・フェニックスが渾身の演技・パフォーマンスによって破壊し、全てのシーンをことごとく別物にしてしまったからだとボクは感じます。それを監督が編集の過程でさらに別のレベルに引き上げたのだ!と・・・掘り下げてみましょう!

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まず最初に言っておきたいのですが、この映画『ジョーカー』の脚本は本当に緻密に練り上げられているのですが、エピソードは超オーソドックスなモノばかりです。(以下ネタバレ有)

電車の中で女性がタチの悪い男達に襲われていて平凡な主人公がそれを助ける展開とか、たまたまあずかった拳銃に心を奪われてゆく展開とか、その拳銃が彼を開放してゆく展開とか、母の介護と出生の秘密・そのドンデン返しとか、どこまでが妄想でどこからが現実か?とか・・・どれも様々な映画ですでに100回も見たような定番のシーンや展開ばかりです。 なのですが・・・この映画を観てる時は我々これらのシーンをよく見る展開だなんて全然気づかなかった。それどころか夢中になって観てましたよ。

だってまったく先が予想できなかったから。

たった1分先の展開の予想すらもつかなくて、スクリーンで何かが起きる度に我々観客は心底驚いてました。なぜか・・・それはおそらくホアキンが定番のシーンを古い定番の演技で演じていなかったからです。

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1分先の展開が予想できない!この映画でその最たるものが銃でしょう。

銃の発砲がどれも予想できなくて、自室のシーンでも、電車のシーンでも、デニーロのシーンでも、発砲されるたびに我々観客は飛びあがるくらい驚いてましたよね。

しかしたとえば例の電車での発砲シーンも、よく考えてみれば脚本上の仕掛けとしてアーサーに銃を撃たせるためにセッティングされた、いかにもな状況じゃないですか。悪人が女性を苛めているところに偶然銃を持った主人公が偶然通りかかる・・・定番過ぎるシーンってやつですよw。
でも初見の我々はそれに気づかなかった、撃つなんて思わなかった。

それはホアキンがここで俳優たちがよくやる定番の演技をひとつもしなかったからです。例えばポケットの中の銃をさわる演技とか、獲物を探すような目の動きとか、女性に嫌がらせするエリート3人組に対して怒りをつのらせるような表情とか、逆に過剰にオドオドするとか・・・これらをやってしまうと観客にもう「あ、コイツ撃つな」とさとられてしまうんです(笑)。

でも俳優ってこれら定番の演技をしたがるものなんですよねー。もし脚本にそのト書きが書いてなくてもつい演じてしまう(笑)。演出もそれをやらせたがったりするんです。やらないと観客に伝わらない!とか言ってw。

ところがホアキンはこのシーンでこれらを一切演じてない。

その代わりに彼が演じたのは・・・まるで10歳の少年のように3人の男が若い女性につきまとっているところを見てドキドキする、笑いの発作が起きて笑いが止まらなくて困る、この笑いが彼ら3人組を嘲笑っているわけではないことを説明しようとしてうまくいかない、3人組に取り押さえられるのを嫌がって子供みたいなキックをする・・・それだけです。で殴られて、メチャクチャ蹴られて、もう発砲です。え?
ボクなんか発砲の瞬間に初めて「あっ!アーサー銃持ってたんだっけ!?」と思いだしたくらいで(笑)。完全に忘れてた。

この発砲の衝撃が成立したのは、ホアキンが伏線的な定番の説明的演技をいっさい演じなかったからです。

それに続く数発の発砲もどれも唐突でした。だってホアキンは殺意の表情とかも演じていないから。駅の階段で3人目を射殺するときですらホアキンは狙いを定めて定まったので発砲・・・それだけです。普通カッコいい台詞とか言いながら撃つトコですよw。ホント怖かった。

そして銃を撃ち終ったアーサーは、『悪魔のいけにえ』で女の子を逃がしてしまったレザーフェイスが窓辺でうろたえる時にしたのとそっくりな動作をします。まさに10歳の少年のように途方に暮れます・・・で、逃げ出します。ハッと我に返る演技とか、芝居気たっぷりに銃を見る芝居とか、そんな定番の動作は無しです。

走って走って走って・・・公衆トイレへ。
そう、ホアキンのインタビューによるとこれ元々脚本上ではアーサーがここに銃を隠すという定番の説明的シーンだったらしいです。がホアキンは銃を隠すよりもなぜか「ダンス的ななにか」を演じたくなって、監督に相談してあの不思議な名シーンが誕生したんだそうで(笑)。
あの孤独なダンス・・・自分自身を称賛するような、誰もが一度は独りであんなダンスを踊ったことがあるんじゃないでしょうか。

指が銃から離れない!の演技とか、鏡の中の自分を見て信じられない!の演技とか、徐々に笑い出すとか、吐きそうになる!とかそんな定番の演技は無し・・・てゆーか結局、銃を隠す行為自体がまるまるカットされてますよね。ただダンスを踊るシーンに変更されていました(笑)。

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ね。なぜこんなにも先の展開が予想が裏切られるのか?それは定番の説明的演技が演じられていないからなんです。脚本上に意図された段取りを破壊して、でもその破壊が逆にシーンと映画全体に活力とリアリティを与えるという「幸運なミスマッチ」・・・。

でもまあ現実の人間も行動の予測がつかないものですよね。目の前の人が急に涙を流しはじめてびっくりしたりする。そういうの、ドキュメンタリー映像とかでもよくあります。 ホアキンはインタビューで「演技はドキュメンタリーのように演じられるべきだ」と言っています。

ホアキン演じるアーサーはその10歳の少年の無垢なハートゆえに大人の事情が理解できず、世間からつまはじきにされ続けます。アーサーにはなぜ相手が怒りだすのか理解できないんです。この映画の最初から最後までホアキンはそんな彼のコミュニケーションの失敗を演じ続けます。

ホアキンの言う「ドキュメンタリーのように演じる」とはどんな演技でしょうか。

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ホアキンはアーサーという人物を「見る演技」で演じています。

彼は世界を見ているんです、自分に対して怒りをぶつける世界を。10歳の少年のハートとあのキラキラした瞳で、なんとか世界に受け入れてもらおう愛されようと笑顔でコミュニケーションを試みるのですが、それが全くうまくいかない・・・彼はそんな世界と自分のディスコミュニケーションを「見て」いるんです。

これ、定番の演技であれば「10歳の少年のハートを持つ中年男性に見える演技」をするところなんでしょうが、ホアキンはたとえば口調や動作を10歳っぽく工夫したりの「見える」ための説明的な演技はほとんどしていません。そんなことはしないで、ただただ10歳の無垢な瞳で世界を「見て」、心を震わせています。

それは彼の「見る」そのまなざし、その顔と身体の表情のディテールを見ることで我々観客には彼がいったい何を感じているのか、そして彼がどんな人物かまでがしっかり伝わってしまっているんですね、台詞や動作で説明しなくても。

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この映画は父探し&父殺しのドラマでもあるので(2人も殺した!)、少年の心で演じる事自体はまったくもって脚本的にも正解なんですよね。ただ「うおおおお!(血の涙)」的なベタな演技で演じずに真摯に演じ続けていたら、さらにさらに無垢になっていってしまい、悪や狂気に染まってゆく流れにならなかった(笑)。

これラストでちゃんと最後ジョーカーになれるのか???っていうコトが後半部分の物語のうねりを生み出していて、まったくもって最高の「幸運なミスマッチ」だったと思います。

あっ!と言う間に制限字数が尽きました。『ジョーカー』の演技は目新しいことが多すぎて、書きたいことがありすぎる!
ホアキン・フェニックスのジョーカーの演技法と、ヒース・レジャーのジョーカーの演技法、そしてジャック・ニコルソンのジョーカーの演技法の三者三様を比較分析したかったんだけどw。 あとなぜアーサーは司会者マレーを撃ったのかについて・・・『ジョーカー』については久々の前後編にしましょう。 ではまた後編で~☆

小林でび <でびノート☆彡>

↓ 後編:こちら【ホアキンのジョーカー、ヒースのジョーカー、ニコルソンのジョーカーの演技。】

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