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#建築(という概念)をスキになった話

noteを初めてあと少しで1ヶ月。最初は自分の記事を書くことに精一杯でしたが、最近は少しずつ記事を書くことにも慣れ、いろんな方が投稿されている記事を読むことも増えました。

読んでいると本当に凄い方が多いなと感心します。また、あらゆる人がクリエイティビティを発揮できるnoteというプラットフォームに感謝します。

私が凄いと思ったクリエイターの一人にロンロ・ボナペティさんがいます。

建築の大学院を卒業して、設計の道を諦めて、建築編集のお仕事をされているということで、境遇が似ていた(私はデベロッパーになりましたが)ため、かなり親近感を感じてしまいます。記事を読んでいて分かるのですが、ロンロさんは物凄く建築が好きです。そして建築の面白さを本気で全人類に広めようと考えている。そして物凄く頭がいい。そんなロンロさんの企画 #建築をスキになった話 を私も投稿させていただきたいと思います。

ハッシュタグの主旨に反してしまいますが、私にとって建築は「スキ」という気持ちと「キライ」という気持ちが共存する複雑な対象です。両方について書きたいと思います。きっかけはどちらも大学時代です。

「スキ」
父親が設計事務所を営んでいたこともあり、何も考えずに大学で建築学科に進んだ私は、入学してすぐに「建築の社会的責任」という考えを教えられました。建築には「不特定多数の人が利用する」、「一度世の中に出ると長期間世の中に存在し続ける」という性質があります。要は生半可なデザインでは世の中に出せないということです。

設計の授業では著名な大学教授や実際に建築設計業務を行なっているスーパーゼネコンの設計部長などが講師として招かれ、学生が考える建築の「コンセプト」が世の中に出すに相応しいものか、という議論が行われます。建物なんて機能を満たしていればいいと思っていた私は大学の設計の授業に少なからず驚きました。

「世の中に出すに相応しい建物は何か」という問いに答えはありません。私は「建物」という物質そのものではなく、「建築」という概念のその奥深さに魅力を感じていくようになりました。(それには自身の絶望的な造形的センスのなさも深く影響しています。よろしければ下記リンクの記事もご覧下さい。)

「建築家」と呼ばれる人達が何を考えて建物のデザインをしているのか。建築理論を勉強することは自身の思考力と知識を鍛える事に他ならず、建築設計の道を諦めた私の人生の糧となってくれました。

私の好きな建築家に「レム・コールハース」がいます。著書「錯乱のニューヨーク」は一風変わった書き口で、建築理論の本であるにも関わらず、コールハースの「建築とはこうあるべきだ」という理論はほとんど語られていません。20世紀初頭のニューヨークに起きた事象をゴーストライターとして記述しているだけです。でも不思議なことに、最後まで読むとコールハースの建築理論が何となく分かってくる。コールハースは資本主義による建物の過密スケールアウトという状況を否定せず、あくまでもジャーナリスティックな態度で自身の建築にも落とし込んでいます。建築家はともすると自身の建築理論のエゴイズムに陥ってしまい、「それって本当に建物を使う人にとっていいのか?」と思ってしまうような「作品」を作ってしまいかねません。その点、コールハースのやり方は否定のしようがない、と思ったものです。この「概念的な建築」が私の「スキ」です。

「キライ」
一方で、建築は造形物です。思考力よりも手が動く「デザインセンス」が勝つのは揺るぎない事実。そして造るには莫大なお金がかかります。学生時代は、設計の授業でCADで図面を描くたびに、「自分は大学に来てまで現実味のないお絵描きをしている」と虚しさを感じたものです。情報系の学部を専攻している学生は自らの力でプログラムを駆使して、ネットを駆使して価値を生み出すことができる。でも建築の学生がやっているのは所詮屁理屈をこねたお絵描きをしているだけに過ぎないのではないかと・・・

実際、建築家の考えを懸命に勉強しても世の中街を見渡せば面白くないビルばかり。お金の出し主である建築主(=クライアント)に理解がないと建築家が自身の創作性を発揮するのは限りなく難しいのです。そして、そのような創作性を発揮できる建築家(クライアントの方からぜひ先生にお願いしたいです!とお願いされる有名建築家)はごくわずかです。学生時代に色々と面白いコンセプトを考えて設計をしていた人も、実際サラリーマン設計者になったばっかりにやりたくもないデザインをして日々を過ごしている方も少なからずいらっしゃるはずです。

世の中経済合理性で出来上がる建物が大半で、本当に良い建築に携われる機会なんてほんの一握り。私はそんな思いで、自ら経済合理性が先立つ「デベロッパー」という職種を選んだのでした。「建築」はコンセプチュアルな概念であると同時に超即物的な存在でもある。その現実を見つめないとしょうがないと。


「キライ」では少し後ろ暗い話もしてしまいましたが、そんな経済合理性だけでない、そこで過ごしていて本当に気持ちいいと思える建築があることもこれまた事実です。学生の時には上記のような鬱屈とした気持ちを抱えていましたが、社会に出て、また東京という都市に来て、実際に教科書で学んだ色んな建築を訪れることで「キライ」の気持ちはだんだん薄れている気がします。最後に私が好きな都内で見れる建築をいくつかご紹介します。ご興味があれば是非足を運んでみてください。

●フランクロイド・ライト 自由学園明日館(池袋)

●竹山聖 瑠璃光院白蓮華堂(新宿)

●マリオ・ボッタ ワタリウム美術館(渋谷)

●丹下健三 東京都庁(新宿)

今後もロンロ・ボナペティさんの活動を応援しています。

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