見出し画像

自己認識を定期メンテナンスしよう


MIMIGURI Advent calendar企画、4日目の矢口です。大久保さんからバトンを受け取りました!「余談をゆるす」最高でしたね〜

何も書くことがない!と毎度焦る

さて今年は何を書こうかなと迷ってあれこれ考えたのですが、「あれ、書くことが何もないやんけ!自分空っぽやんけ!」と去年に続いてめちゃくちゃ焦ったのですね。焦るな焦るなまだあわてるような時間じゃないと自分をなだめた結果、書く時間がなくなってしまい、そしてますます焦ってしまい、何かないか、何かあるはずだ、何もないということが許されていいのか、神も仏もないものか、何かないとおかしいゾ、とポケットというポケットをひっくり返してまさぐったところ、「俺は一体何をしているんだ」とふと我に返り、この「自分に何もないと思っている状況」自体を振り返って書くことにしました。

今回のテーマで言うなら?

MIMIGURI Advent calendar 2023のテーマ

上のテーマで言うなら?まあ強いて言うなら?「自己実現と社会的価値」に?カテゴライズ?されるかもしれない?されなくもない?的な?話なのかな?そんな大層な話なのかな?などなど、自己疑念が拭えないんですが、これでやらせていただきます!苦情は受け付けません!

自分の価値は意外と自分ではわからない

という醜態をさらしてしまったことはすばやく脇に置きつつ、自分自身もそうなのですが、思った以上に、人は自分の経験の意味や価値に気づいていないことが多いのではないかと思います。

ときおり
「自分がまったく成長していない気がする」
とか
「ここまで何も積み上げていないんじゃないか」
と絶望感に打ちひしがれた声を聞くことがあります。人から聞くこともあるし、自分自身で思うこともあります。

ただこれは、面白いもので(?)人のことだと、そうした発言に違和感があるわけです。「いやいや、何を言っちゃってるの!あなためちゃくちゃすごいじゃない!」と思うのですね。現に、その人のいま出しているパフォーマンスや、積み上げている経験は本当にすごいのです。ただ、そう言っても、当人だけがピンときていないのです。

これは自分にも言えるのですが、マジでピンとこないんですよね。自分のことは思いの外、わからないものなのです。面白いですね。

なぜ自分の成長に気がつかないのか?

これは、どういうことなんだろう?と考えると、おそらく以下のような塩梅なのではないでしょうか?

  • すでに自分は以前に比べて成長しているのに

  • 自己認知がアップデートできていないため

  • 「成長した」「変化した」という部分がすっ飛ばされて

  • すでにセットされた「新たな目標」に対するGAPだけが見えているため

  • 「全然ゴールに届かない。なんて自分は無力なのだろう」と思ってしまう

ということかもな?と、私は仮説を持っています。ちゃんと「成長した」「変化した」というポイントを自己認知しないといけないわけですね。

リフレクションを大事にするMIMIGURI

研究機関でもあるMIMIGURIでは、リフレクション/ナレッジマネジメントの実践・研究も積極的に行われています。

最近でいうと瀧さんがあげてくれた「KMT(Keep/Moyamoya/Try)」のフレームワークや、

個人の探究学習を推進する「Quest」が存在します。

それ以外にも、MIMIGURIには普段からプロジェクトやチーム単位でのリフレクション機会が多く存在しています。

MIMIGURIがリフレクションに力を入れているのは、リフレクションには大きな価値があるからなのはもちろんなのですが、外的環境への適応に対し、自己認知のアップデートに思いのほか時間がかかるから、だと思います。

外部環境の変化に適応しようとすると、自分はどんどん成長・変化していきます。できることが広がったり、変化したりします。俗に言うと「ケイパビリティの拡張」というやつですが、これが「自分でも気づかないうちに」起きてしまうのです。

環境への変化適応に対して自己認知が追いつかないと、「自分は成長・変化している」という認識が抜けてしまうため、正しく健全なアイデンティティが持ちづらくなってしまいます。

なので、定期的に「経験に意味づけをしていく」、「自己認知を少しずつメンテしていく」ことが求められると思うのです。自己認知をアップデートし続けるためには、定期的にリフレクションをする必要があるのですね。

などとエラソーなことを言っていますが、かくいう私も「自己認知アップデートするの苦手民」の一人であり、リフレクションの価値がよく分かってなかった民であったことをここに告白いたします・・・。

自分クレドを書いたら自己認知がひっくり返った

私の経験を少し開陳すると、今年は自己認知あらためて見直すことがありました。きっかけは「自分クレド」を書いてみたことです。

「自分クレド」は書いて字のごとく自分にとっての「クレド」です。自分の人生を振り返って、自分自身の価値観を明らかにし、人に開いていきます。
私は幼少期から今までの自分の遍歴を思い出しながら少しずつしたためていったのですが、人生の中で自己認知が大きく転換していたことに気が付きました。

というのも、私はこれまで自分のことを「クリエイティブではない人間」と認識していたのですが、自分クレドのために経験を思い出しながら書き出してみたところ、人生の前半には自分のことを「クリエイティブな人間」だと自己認識していた、ということを思い出したのです。

社会人生活を続けて、クリエイティブな衝動に蓋をしているうちに、自己認識が真逆に変わってしまっていたのです!これはけっこう衝撃でした。そうした自己認識を持っていたことをまったく忘れていたので。

こうした経験もあり、あらためて自分の中のクリエイティブな衝動を自分自身に許してもいいかなと思いました。今年私は機会あって、Forbesに小説を載せてもらうことになったり

MIMIGURIの同僚である湯川さん、押田さんと一緒に往復書簡を作って、文学フリマに出展することもしました(作った本は完売しました!)。楽しかったです。

文学フリマのマッチ売りのおじさんこと私

また、今年はより自身の衝動に対してアンテナを立て、敏感になっていたように思います。プロジェクトにおいても、チーム運営においても、「なぜ自分がやりたいのか?」「自分はどうしたいのか?」といった自身の作品性を問う問いを投げかけることが多くなりました。

自分自身への優しいまなざしも大事かも

「自分とは何者なのか」という自分のアイデンティティーを常に一貫した目で見る事は、やはりとても難しいと思います。変化が大きい環境の中にいるとなおさらです。
また、自己の一貫性を意識しすぎるあまり、自分自身の変化・成長に気づかない、ということもあると思います。私のように知らず知らずのうちに自己認識が変化してしまうこともあります。

だからこそ定期的なリフレクションが大事だし、他者の視点をもらうことも大事だよね、という話なのですが。

もっと思うのは、前提として「自分の経験にはちゃんと価値があるはずだ」という優しいまなざしを自分自身に向けることが、けっこう大事な気がします。
自分自身(の経験)に価値があると思えると、リフレクションをする動機も生まれますし、自分自身に対しても「いやいや、何を言っちゃってるの!あなためちゃくちゃすごいじゃない!」と言えたら、自己認識のアップデートももっと進むんじゃないかな、と最近思う次第です。

ということで、ポケットをひっくり返してこんな感じになりました。ご清聴ありがとうございました。

明日は、私のリフレクションを毎度助けてくれているCULTIBASEのコンテンツ開発を担っている、さとゆかさんこと佐藤由佳さんです!お楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?