見出し画像

あらためて(2024年2月時点の)自己紹介をします

株式会社MIMIGURIで、組織コンサルタント・ファシリテーターをしている矢口泰介です。

ここ数年、noteを書いてきて今更ですが、今のタイミングでの私の自己紹介をしようと思います。「誰が書いてるのか」を明示したほうが、記事の内容やスタンスがわかりやすくなると思ったのと、仕事内容が数年で変わってしまうので、定点観測的に書こうかなと思ったことが理由です。


今の仕事や役割について

私は今(2024年2月現在)、株式会社MIMIGURIにて、組織コンサルタントという肩書をつけております。

MIMIGURIのコンサルティング事業において、クライアントの課題に対し解決策を提案し、プロジェクト化し、デリバリをする、というのがざっくりいうと私の仕事になります。

ここまではわかりやすく「コンサル」になると思います。

が、「組織コンサルタント」という肩書はちょっとくすぐったいところがあります。というのも、その肩書は仕事の実態やケイパビリティを正確に表しているというよりも、半ば「複雑ないろいろがあるけど最大公約数的にわかりやすいから」という便宜的な面もあるからです。

MIMIGURIの仕事について

ここからやや横道に入ってしまい恐縮ですが、私の所属先である株式会社MIMIGURIの話を少しさせて下さい。

MIMIGURIでは「学習観」を大事にしています。詳しくはこちらのMIMIGURI代表の安斎のnoteをご参照ください。

上記noteより抜粋

この記事を読んでいただくとわかるように、MIMIGURIにおいては学習を「変容」としてとらえ、私たちの事業・組織の基盤として大事にしています。

・・・というスタンスを持っていることからして、クライアントとご一緒するプロジェクトは、プロとして解決策の道筋を描きながらも、同時に「教える」「教わる」という上下の関係性ではなく、解決策をともに探索する、というお互いに学び合う関係性になることを求めます。

したがって、ときにMIMIGURIのコンサルタントは、課題を見立て、次につなげるための「問い」を投げかけていく「ファシリテーター」でもあるのです。

私たちが相手にする「課題」とは組織課題、それも、技術的に解決できる課題だけではなく、長年の関係性の固着化や、過去の成功体験、組織文化が、時代において適応不全を起こしていることからくる課題です。つまり、クライアント自身も「課題の一部」であるという複雑な課題です。

当然、一朝一夕で解けるものではなく、誰かに解き方を教われば解決できる、というものでもありません。その複雑さに対し、現実的な実践として

  • クライアントとの、不確実性をともに探索し、学び合える関係性の構築を通して

  • 課題への取り組みを通して、課題を解決しようとしながらも、同時に課題の当事者としての認識を高めるプロセスを経ながら

  • そのプロセスのリフレクションを通して、起きた学習(変容)に自覚的になることで

  • その学習サイクル自体をクライアント側に定着させていく

という「学習」を基盤においたプロジェクト設計を、MIMIGURIは行っています。

そういうスタンスにおいて「組織コンサルタント」という肩書は、わかりやすさもありつつ、その仕事の全てを表しているとは言えないかなと思いつつ、「わかりやすいからいいか!」という便宜的理由で用いているというわけです。

ケイパビリティの変遷について

といっても、私は最初から「組織コンサルタント」という便宜的肩書を保有していたわけではありません。

先日リニューアルされたポッドキャスト・CULTIBASE Radio(#1)でMIMIGURI代表のミナベが語っていたように、私もMIMIGURIの前身であるDONGURIジョイン時は、toC商材の開発に携わっていました。
そのときの肩書は「ディレクター」でした。そして前職はWebディレクターとして、Webサイト制作を行っていました。

肩書だけ見れば「だいぶ変わったな」という印象を持たれるかもしれませんが、私の感覚としてはゆるやかなつながりの感覚があります。
会社のケイパビリティ変化に合わせ、私自身も、相対するプロジェクトや、自身のケイパビリティを変化させてきました。

「今の自分にできることの中で、新しいプロジェクトの課題にアジャストして使えるものを探して使いながら」、結果的にいまのMIMIGURIのプロジェクトに向かい合っている、という実感です。

動機の変化について

前述したように、私はもともとWebディレクターでしたが、さらにさかのぼると、2004年に社会人になったときも、特に目標があったわけではありませんでした。当時は就職氷河期でした(バブル崩壊を発端とした就職氷河期の最後期だったようです)。
100社ほどを受けたうち、なんとか内定をいただいた会社に入社する、という極めて消極的な選択からキャリアを始めています。

そこからナントカカントカ、仕事をがんばってきたのですが、どうも社会人になってから「自分がどうしたいか」ということを、どこか二の次にしていたような気がします。

ただ、それは私だけが特別、というわけではないのではないか、と最近感じているのです。

MIMIGURIで、エグゼクティブ・ファシリテーションをしたり、組織変革プロジェクトに関わっていると、「自分がどうしたいか」という動機の不在を感じます。使命感や責任感のいっぽうで、「自分」を主語とした動機的な語りが少ない気がしているのです。

しかし、ずっと自身の動機を押し殺すことを求められてきた人が、あるとき突然、役割の変化や、経営変革のシーンにおいて「あなたはどうしたいのか」を求められてしまう。

彼らが向かい合っている葛藤は、私と同じように「自身の動機を問わないままでもやってこれた」、あるいは、むしろ「仕事をしていくうえで「自分がどうしたいか」は邪魔でさえあった」、しかし、あるときに「あなたはどうしたいのか」を求められて途方に暮れている、ということなのかもしれない。と、その親しみと葛藤を自分事として感じるようになりました。

この「動機の取り扱い」のアンバランスさが、日本社会における人材育成の不自然さの一端を表しているのではないか、と私は考えるようになりました。

役割がトランジションする瞬間まで、どうしたいのかを考えなくても済んでしまう、というこの事象は、恥ずかしながら自分自身も体験してきて、苦しんできたことでもありますし、「自分ごと」として非常に関心があります。

今の関心について

組織における健全なトランジションとは

私は今、「組織において健全に役割をトランジションするには」ということに関心があります。具体的には、ミドルマネジメント育成やサクセッションプランにおいて、本質的に人を成長させる、というまなざしやプロセスを持つためには?、というテーマです。

日本社会において、組織と個人との結びつきの形は形を変えつつあります。その過渡期にあって、かつての終身雇用を前提にした組織観、育成観が失われつつある結果、「人を育てる」という機能が、企業の中で失われつつあるのではないか?ということに課題感を持っています。

人材版伊藤レポートにおける人的資本の重要性の認識の高まり、またタレントマネジメントやジョブ型雇用の導入検討などがされつつありますが、指標や手法だけでなく、その背後に「どのように人と向き合い、どのような人を育てたいのか」という太い問いがなければ、企業の中だけでなく、社会においても、「人」が育たないのでは、と不遜にも考えている次第です。

個人における健全な成長とは

また、私は翻って「個人がいかに成長できるか」にも課題があると考えています。

これは自身の経験がたぶんに関係しているのですが、スキルだけではなく、垂直の「成長」を志向するためには、自分のポテンシャルを信じ、健全に自己認知を深めることが重要です。
そして、その土台には「自分自身に対する肯定的な信頼」を心理的な資産としてどれだけ持っているか、が鍵を握っていると思うのです。

しかし「自分自身に対する肯定的な信頼」は後天的に獲得しづらく、長期に渡るソーシャルなバックアップがなければ、育むことができません。さらに社会全体で、それが育みにくくなっているような印象も持ちます。

「育成」という観点で、私は、組織コンサルタントとして組織側の目線での課題設定と、また、役割のトランジションに苦しんだ一人の個人としての課題設定との、両面を見たいな、と考えています。

・・・
事程左様に「組織コンサルタント」として語るには、関心のある課題やテーマが少々遠回り、かつ大きくなっているのですが、それもまた年齢のなせるところかな・・・と感じている42歳の春なのです。

ストレングス・ファインダーの読み解きについて

あとは余談ですが、個人的に「ストレングス・ファインダー」の読み解きを趣味としてやっております。

これはまた別機会に書こうと思うのですが、「強みのもと」である資質の順位を診断するストレングス・ファインダーは、多くの企業が導入している一方で、結果を大いに活かせているところは少ないのではないか、と見ております。

これは斯々然々の理由があって・・・というのは長くなるので、また今度にいたしましょう。。

この記事が参加している募集

自己紹介

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?