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私が理科を嫌いになった経緯…

 私の原体験の中に好きになる要素は少なかったと思う。父は歴史の本が好きなタイプで、母は3人の子育てと仕事とで、わりと手一杯な感じだったから自然に触れさせるような機会をわざわざ作ったりということは少なかった。養老渓谷など自然豊かな親戚の家で過ごす夏休みのひとときや年に一度ぐらい参加させてもらったサマーキャンプで虫を捕まえたりということはあったけれど、せいぜいそんなものだったと思う。母はよく移動図書館から適当に本を見つくろって借りてきてくれたがサイエンス系には全くヒットしなかった。これは自分で選ぶようになっても同じ。

物語に出てくるファンタジーの世界と現実世界の境界がわからないでいたから、レコードというのは人間が小さくなってそのプレーヤーの中に入り込むものだと思っていた。テレビもしかり。

なんで音が出るのかを聞くことはなく別解釈で完結するタイプだった。

1年生になり理科という教科があって「石」の分類だか、とにかく石で私は40点というテストを返された。それがたいそうショックで、ちょっと苦手意識を持ったような気がする。今でも記憶にある40点だから…

虫や花に特別の興味はなかった。まだまだ外遊びはしていたから、花や虫とも遊んだけれど現実と学びがリンクすることはなかったんだと思う。

小学校4年生。担任の先生は新卒だったはず。農業大学を卒業したやる気に満ち溢れた先生だった。
ある時、子豚が教室に運ばれ解剖を見ることになった。先生は間違いなく良かれと思って生の教材を手配してくれたはず。でも私には楽しくない時間だった。以来、学校で行われる実験・解剖は後ろへ後ろへと下がるようになった。(ほぼ手を出していないと思う)高校卒業まで実験はしていないと言っても過言ではない。

※歯科衛生士学校以降、行動変容するがここではそれは省略する

豚のショックに終わらなかった。先生は私たちにいろいろ経験させようとしてくださったので。

孵卵器の登場。卵からひよこが産まれるぐらいまではかわいいけれど、教室の中でひよこはニワトリへと成長を遂げる。その様子がすでに苦手。
(教科書のそうしたのを見るのもイヤだった)
ある時、ニワトリが引き戸ならぬ上に上げて開けるタイプの戸に迫って死んでしまった。誰がやったのかという犯人探しが始まる。これも含めて私には嫌な時間になった。

今じゃ考えにくい授業だと思うけれど、私には忘れられない体験になった。何度も言うけれど以後、どんな実験をしたのか記憶に全く残っていない。

テストのために無理矢理暗記しようとしたって頭になんか入らない。

そのうちにテストのためにどうにかする気力すら失っていく。(40点でショックを受けていた頃がかわいいもの)

高校になると受験教科でないものは切り捨てて考えるようないい加減さを身につける。

ところが現在は、嫌悪していたものほど愛おしいという怪現象。基礎力の欠落が甚だしいものは、取り返しがなかなかつかないけれど、自分の興味は完全にいわゆる理系とくに「生物」にある。
だから、好きだ嫌いだなんて結構いい加減なもので宣言すればするほど逆に向かうということもあるのかもしれないと思う。

なんで…?

を積み重ねるとそのうちにおもしろくなってくる。子豚を連れてきた先生を恨むこともない。ただ、我が子と自然の中でもっと遊びたかったとは思う。子が小さい頃には、まだその楽しさに気づいていなかった。それはちょっとだけ心残り…

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