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数学教育フェス2024 数学嫌い0の未来へ→

数学イベントに初参加。定員が直ぐに埋まるはずだと聞いて本当に秒で埋まるセミナーチケットやサザコーヒーオンライン福袋争奪戦にも勝ち抜いている私。恥ずかしいぐらい早々と購入した。そのうちに完売したと聞いて、猫に小判で申し訳ないので丁重に返品すべきかと悩んだほど…
私は数学教育の人ではない。数学とゆかりがない。ただの好奇心旺盛な変な人。

雪を心配したが電車は通常運転。超満員らしいので、とりあえず早く行って見やすい席を陣取ることにする。絶対後ろじゃ資料が見えないはず。スクリーンが前にいくつも並んでいた。こういうスタイルは珍しい。
学会であればサテライト会場。それが一部屋に押し込まれた感じ。
受付と同時に名札を書かされる。所属なんてない。代ゼミのスネイプ荻野暢也先生からのプレゼント、チロルチョコレートを受け取る。かなり嬉しい。

会場は大半が男性。アウェー感が半端ではない。落合さんとか、まぁいろんな講演に出没はしているけれど、ここまでアウェー感じることは近年あまりなかった。やたらパーコードを読み込む。LINEグループで質疑応答があるらしい。森田真生さん司会の講演でもそんなスタイルだった。数学界隈ではスタンダードなのかしら。

なぜか漫才から始まる。主催者である河合塾の迫田昴輝先生と河合塾、N高校などで教えていらっしゃる小倉悠司先生。
アイスブレイク的な時間。会場にはタカタ先生とか横山明日希さんなど数学エンタメのプロもいらっしゃるのだけど。



登壇お一人目が、

①迫田昂輝先生(教育界の激熱男児)

ワインがお好きらしい。ワインは飲んでみないとわからないそう。授業は料理。先生は調理人だと例える。
典型的数弱な私。パターンを暗記して学生時代を過ごした。
料理でいうとレシピどおりにしか出来ない人。料理に大切なのはなぜそれをするか?
が、わかれば如何様にも世界は広がるというわけ。
数弱者になんでもかんでも教えない。一緒にあるいてあげましょう!と語気を強める。
その上で伝え方テクニックについて。発声、板書、動き、発問。発声についてはかなりトレーニングをされたとのこと。抑揚のつけ方がすごい。胸鎖乳突筋浮き上がってる。歌うように話すということで、それも納得。ジャズシンガーの喉に見惚れた時と同じ。私の気になりポイントはもはや筋肉。プロフェッショナルをいきなり見せつけてられた感じ。その上で模擬授業が大切だとのこと。
自分のプレゼンを顧みた。まだまだ課題だらけ。
トップバッターからすごかった。

②法貴孝哲先生(一方通行/アクセラレータ)

法貴先生の授業は数え切れないぐらい参観していて、イマココのそもそもは法貴先生にある。
5年以上、落合塾にいることもその流れに漂った結果なので、人生のターニングポイントに法貴先生の授業があったと言っても過言ではない。とは言え、このメンバーの中でのご登壇。
なんか身内のように落ち着かずに聞いていたので、要所を聞き逃していたかもしれない。

「今見えている景色がすべてではない」

ideal→real

これは岡潔の話なのか…?(岡潔を巡る旅に今年は出る予定だけど)

「授業が大食い早食いになってませんか?だとするとそれは作業です。」
法貴先生も料理に例える。

参観授業の一斉数学を見て周るのは楽しかった(教員間や生徒構成による比較)。同じ単元を翌年見ると、また違う景色に見えた。
目の前の生徒を思い浮かべ3社の教科書からプリントを作成されているという法貴先生。あー、そういうことかと改めて唸る。生徒が変わると進め方は変わっていたから。

「振り返りからの発展」
が大切だという。これ、いつもいつも私の歯科衛生士の師匠が言ってることそのもので、場づくりの話やハウの話はしてもしょうがないということも含め、いつもいつもそこを口を酸っぱく言われ続け今日にいたる。分野が違えど同じだなぁと思う。

授業はギフト。ギフトとは贈り物であり才能。よい授業とは数学を楽しんでいる。互いに成長し合う。愛と希望。それに勇気。

主体的に学び態度が大切でマウントを取ることは負のスパイラルを招く。

数学は見える景色を豊かにする。

「生徒がいるから授業ができる」

自分の高校の今はわからないけれどかなり昭和感があって上から押しつけられることが多かった。それに辟易していた。法貴先生が最初からやりたいことやれる環境にあったかは定かではない。それでも個で出来ることをブレなく継続してきた結果が今のポジションなのかとも思う。だからこそ、学校に捉われない仲間をと呼びかけているのかも。
 楽しさを一方通行ではなく伝える先生との出会いにより私ですら、ちょっと違う景色が見えるようになった気はする。それがあの熱量高いフェスとも言える。改めて感謝です。

何年も前に盗撮した黒板。すごくわかりやすかった。

③荻野暢也先生(代ゼミのスネイプ)

予備校の若手の先生がたは存じ上げなかったけれど、萩野先生はわかる。超有名な方。あの服装のまま、かっ飛んでいる!!
Twitterを昔はよーく見ていた。最近はアカウントをあまり使用していないのでご無沙汰していたけれど。このフェスの主旨に反するかもしれないけれど数学が好きじゃなくても思いやりは与えられるし、文系理系だからといって生徒に対し態度が変わることはないと言い切る。このフェスでは文系理系というワードを幾度か耳にする。今どきは理系だ文系だで括らないというのが私の周囲の在り方。
嫌いをなくすためには成功体験の積み上げ。レベルに合わない教材を使わない。あれもこれも手を出さない。予備校講師としては、落ちた日も勉強だし医学部志望者に現実を伝えなければならない側面もあるという。

救いたい生徒とは生きる力が弱い。よい授業というのは家に帰って生徒が教科書を開く。先生自身が幸せであり、貢献していることが重要。

現在は半数が推薦で大学に行く。親の経済力。小さい頃からの知育、中学受験の影響が大きい。が、フラットな世の中をつくるのが教育であるという。

出立ちに反して愛に溢れている。

「きみは30年後、笑っている」
なんていう声かけもするらしい。
教え子の方も多く来場されていた模様。まぁ大学で人生は決まらないとは私も思う。

この抜いた感じが心地よくもある。

この出立ちがジョジョの吉良?
メモしたものの、アニメはよくわからない。ささっとホワイトボードに描いた顔が吉良だったか。ハンターハンター?

3コマ目ぐらいになると私の集中が切れる頃なはずだけれど、ぶっ飛んだ先生のいいタイミングでの投入により、ますます目が輝いてきた…

④青木慎恵先生(学び続ける数理の女神)

公立の小学校中学校高校、教育委員会を経て現在は高校の教頭先生。小学校でみた児童を中学や高校でもみたという。またSSHで探究活動にも尽力されている。このご経歴は最近の布陣!!
どこで躓くかを熟知されていることでしょう。私も僅かながら小学校に支援に入り算数を一緒に学んだ経験があるので今どきの(と言っても、もう15年ぐらい前)導入とか嫌いな子への支援は経験があるので青木先生の授業には、すごく興味がある。今後は母親に数学の素地を伝えたいという思いがあるとのこと。自分もその素養がないために息子が算数好きであることは見抜いていたけれど伸ばすことは出来なかっただけに、算数の出来ない母親へのアプローチはぜひとも実現していただきたいと思う。長屋子育てをしていたから知育玩具はお下がりをもらえていた。それ止まり…というのが残念なところ。

青木先生からリケジョという言葉への抵抗感が何度か伝えられた。
私の所属する母親アップデートコミュニティのメンバーはリケジョ率が高い。(下記、コミュニティメンバーがお招きいただき出演した番組)

でも、コミュニティ内であえてリケジョとは言わないし文系からのIT企業勤めの方もいたりで、そのあたりはボーダーレスになってきているようにも思う。
ジェンダーの観点からも、女の子だから数学苦手…なんて発言をしたら叩かれそう。(誰も否定しないコミュニティではありますが…)
というわけで青木先生からの、女子は数学出来ないと思っていませんか?という問いに対し、圧倒的多数の男性から頷く声がなかったのはホッとしていいのか、意見をいう勇気がなかったのかよくわからなかった。

⑤小倉 悠司先生(数学の魅力の発信者)

なぜ数学が嫌いになるかを分析されている。否定的体験の末ということになるらしい。パワポがわかりやすいし横に広がる会場を右左へと移動。視覚でも惹きつけるなぁと思った。私は最前列を陣取る数学じゃない人。万一当てられたしまったらどうしようという恐怖は常に持ち続気て挑んでいるが、否定的体験をこんな場でさせられるはずはなく終始和やかに右左と目を動かす。

否定的体験が積み重なるとこれ以上したくないになるらしい。
小学校中学校とパターン暗記で乗り切ってはきたが高校で壊滅的に嫌になったのは間違いない。
振り返ると1年で2人の先生から習ったが柔道部とボクシング部の体育界系な先生。その横柄な感じにムリだと早々と離脱。行きたい大学が国立にあったけれど早々とついていかれなくなり、ますます不貞腐れる。柔道部からはバロちゃんと命名される。私がわかれば先に進んでOKというバロメーターのバロ。それに傷つくほど繊細ではなく、悔しいと奮起するわけでもなく…。足掻くために塾に行ってはみたが、何の解決にもならずアッという間にやめた。さらなる追い討ちは公式の丸暗記チェック。平家物語の暗記チェックは苦にならなかったけど、公式は耐え難かった。そうこうして、学び合い学習が始まった。わからない上にわからない人から習う。順番でわからない私が教えることすらある。これに何の意味があるのかまるでわからないし楽しくもなかった。

宿題が出れば解答を写すわけだし、自分で考えて解けた達成感なんてほぼなかったかもしれない。
それでも若手の先生がいて、基本理系の先生だから習っていなかったんだけど、勉強合宿の時はすがるような思いで習ったという記憶は残っている。

そのあたりを小倉先生は見事に言語化。それもステップに分けて今日はここまで話すと明確にされる。伝わる表現が基礎時点での教師の役割。

ん〜。私、悪くないじゃん!!

【頭で話せば頭に入る。
心で話せば心に入る。
数学の説明は、頭で考えて伝える。
心に火をつけるときは、心で思っている事をダイレクトに伝える。】

ん〜。心に沁みる。中学ぐらいでお会いしたかった。
予備校の先生の伝える力ってすごい。その実際を知るだけでお得感満載。

⑥竹内英人先生(愛あるお節介で公教育と私教育を結ぶ達人)

たけちゃん先生は始めに数学教員じゃない方!と問われた。1番前でしっかり挙手したので目が合う。
やがて、それがプレッシャーに繋がる。当てられたらどうしよう問題。おまけに私、数学どころか教育現場にいない。教育に関心があるただの人…

たけちゃん先生はコロナ禍にiPadを使うようになって、その先生としてタカタ先生が登場。ジャーン!!確かにその世代になると、得意ではないことも出てくるとは思うけど、コロナ禍にも学びをストップさせたくなかったであろう先生がたの思いが伝わる。

で、いきなりアミダくじを言語化してください!との課題に頭を捻る。いきなりわからない。ディスカッションタイムもあったが、お隣の方はかなりマイペースでやりたそうでもない。こういう時、chat GPTはないよな〜と思いながら、これ当てられたらどーすんのよ…と焦る。たけちゃん先生は子ども向けにも教えていらっしゃるそうで子どもの考え方を披露してくださった。

たけちゃん先生は評価が目的ではないと神のようなことをおっしゃる。

問題の音読は大事。出来ない人はだいたい読んでいないと、weeklyochiaiでも最近聞いたようなセリフが出た。

続いて、四色の箸問題とお金の問題。聞いたことをイメージ化するのはかなり難しい。

そう言えば私は数が苦だった。
数に馴染みや執着が全くなくて経理の整合性を合わせるのにとても苦労した。それが、いつの間にか数楽に思えるようになってきて、そうしたら合わせることが自然と出来るようになった。あれはただの心の問題だったのか…

たけちゃん先生は、生徒の学力を向上させるということにコミットした上で、よい教師というと、独自の学力向上のノウハウを確立している先生(学習科学に基く)とされている。
これも痺れる。

出来ることが好きに繋がるというわけで…この部分はかなり重要。スポーツと同じ。

生徒にやらせるなら、まずは自分でやってみる。指導者自身が妥協しない。

この言葉、すべて生徒を患者さんに置き換えて自分に落とし込みたい。

⑦秋山仁先生(数学の伝導師)

学生スタッフさんから十字のリボンが配られた。あれか!って思う。となるとワクワクを思い出す。ハートが並ぶメビウスの輪。

ところが秋山先生の指示の下、会場で作るが失敗。リボンを隠したくなる。隣りの学生スタッフさんはハートになっていた。
もう一組持ち帰り分があったので解説を読みながら丁寧に試みる…

が撃沈…
ねじり方向は間違えていないはず
なのに…

秋山先生は80歳近いとのこと。
一つ一つの言葉選びに重みがあって、レジェンド。

現在はドミニカやハイチで数学を教えているらしい。分数が出来ない子どもたち。指導者も不足しているとのこと。数学リテラシーが低いのでぜひ、みなさんも行って欲しいとのお言葉。
秋山先生、眼力がものすごい。
最前列だし目が合うんだけど、決して逸らさずに訴えかける。
講演、セミナーはライフワークとしてかなり出向いているが、ちょっとレベルが違い過ぎる。引き寄せる言霊。

数学は思考力を育てる。知識と技能も必要。主役は生徒。まず好きになること。好きであれば努力が継続できる。好奇心も大切。
メンデルは分類、整理、場合分けに長けている。南方熊楠も。

NHKに出演した際は苦情が殺到した。服装がけしからんと。

授業ネタは五感に訴えるもの。

未知のものは既知のものに帰着せよ。

体外衝撃波結石破砕術(ESWL:extracorporeal shock wave lithotripsy)

尿路結石を外科手術をせずに体の外より衝撃波をあて、体に傷をつけることなく結石を粉々に砕き、体の外に流しだす治療法です。多少身体に負担はありますが、良好な治療効果が期待できます。また、衝撃波の照準を結石に合わせるために、放射線もしくは超音波を用いています。 1回の治療で結石がなくなる場合もあれば、数回必要となる場合もあります。

総合病院聖隷浜松病院HP

この手術を風船を用いて説明してくださった。医学にも数学が用いられている。

「数学を学ぶ動機付けを中間試験や期末試験にするよりも、人類にとって大切なものだから学ぶ。」

言葉一つ一つに重みと温かさがあって、なんで数学をやるのか?って私も高校時代思っていたら気がするけど、それをそのままあの時の自分に言い聞かせたい。

五感を使う数学。
秋山先生のご講演は一生のうちに何度も出会わないであろう素晴らしいものだった。



さまざまな現場の先生がたから、数学嫌い0の未来へ…というご講演を聞いた。あちら側の方に嫌いな方はいないはず。こちら側を振り返るとさまざまな要因が蓄積された結果、嫌いになっていったことは明らか。

私が考えない算数と出会った第一歩が繰り下がり引き算の減加法。これを先取りで教え込まれた。以後そのまま高校入試の公立問題ぐらいまではそれでさほど困らずに進んだ。大学では教育に力を入れて学んだが、それを実践する場がないまま何十年の時を経て小学校で教員補助を行う。就学前からさらに小さな子どもを集めて先生ごっこをしていたので夢の実現とも言えた時間。
算数にも入る。ここで減減法でも教えていることを知る。そして繰り下がり引き算に躓く児童が多いこと、家庭で遊びの経験が不足していて、おはじきを使うことお金でイメージすることがかなり難しいことを知る。家庭でのフォローはさらに難しそうだし、何度かしたくて休み時間に延長してしまうこともあったり。
あの手この手を試してみたが、じっとやりたくないのという目で訴えられて自分の力不足を実感した。嫌いにするのが最悪だという気持ちもあった。こうしたことが引き算だけでなくかけ算でも続いた。思考重視に授業が変化している。かけ算は暗記。音声による響き…であった自分は響きが似ていると間違えるタイプだった。

閃きはないけどコツコツタイプだったので、おもしろさはなかっだけれどどうにかついていかれた中学数学。それが塾に行くようになって大苦戦。難易度が上がり溺れ始めた。
授業も宿題も苦痛に感じる。

高校に至っては難波船で大航海に出たのと同じ。ただ沈没ではなく座礁だった。

奇跡的に息を吹き返す。
その先に見える景色は今までと違う。

計算機自然(デジタルネイチャー)。そしてそれにより教育、社会課題を解決。

秋山先生がおっしゃる数学を学ぶ意味はその土台なのかなと思っている。

開催された迫田先生、小倉先生には改めて感謝いたします。登壇された先生がたから、たくさんの刺激とワクワクをいただきました。全国から集まった先生がたの熱量と愛は日本の未来に繋がるものと思います。

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