見出し画像

長屋子育て

 私は長屋子育てを経験している。今となっては生き字引きのような存在かもしれないので、思い出を振り返り記録しておきたいと思う。

長屋子育てを思い出すきっかけは母親アップデートコミュニティのなつみっくすのnote。  子どもが産まれた頃、私は集合住宅に住んでいた。偶然にもお隣りさんと予定日が近かった。予定日が早かった私より先にお隣りさんに男の子誕生。数日後、私も入院。病室のお隣りさんの部屋を真っ先に訪ねた。
入院したもののなかなか産まれない。すると、気配を察したご近所さんが話し相手に病室にやって来てくれた。(コロナ禍の今では考えられないが…)かなりの時間、ご近所さんはいてくれたと思う。夫は通常どおり仕事があったし、心強いことだった。(私は同様に別のご近所さんのお産の付き添いを経験していた。)
いよいよ、分娩室というタイミングでお隣りさんが、沐浴室から手を振ってくれた。無事出産の翌日、ご近所さんがもう1人のご近所さんと駆けつけてくれた。その方は母乳マッサージのスペシャリストだった。お願いしたわけではなかったのに行動してくれるのが長屋の住民。結果的には、これが幸いし完全母乳で育てられたのだと思う。それどころか入院中からよく飲んでよく眠る手のかからない子になった。退院後も親の手を借りずに過ごす私に近所の方がたはよく力を貸してくれた。ちょっと預かってもらうつもりがお風呂に入れてもらい戻ってきたこともあった。同じ歳の子も、上も下もたくさんいたので、うちの子は一人っ子らしからぬ感じで育っていった。

醤油の貸し借りもあった。野菜のおすそ分けもした。

毎日毎日、子どもたちを外で遊ばせた。父親たちが会議で遅くなる日を狙って花火大会をしたりBBQや芋煮会もした。
今と時代が違うのかなと思うのは、母親たちが揃いも揃って専業主婦だったこと。父親は仕事が忙しくワンオペ育児気味の人が多かったこと。だからこそ、助け合ったのかもしれない。また、実家と離れている人も多く親を頼れないという特徴もあったのかも。

発達については先輩ママがいろいろ教えてくれた。こういう遊びはいいよとアドバイスをしてくれたりお下がりの玩具をいただいたりで、お産同様、不安のない毎日だった。

やがて、父親の転職などで少しずつバラバラになっていってしまった。引越しが決まると、料理を持ち寄り送別会を誰かの家でした。そのときに、

「私たちの生活ってまるで長屋だよね。こういうのすごくいいよね。」

と言った人がいた。あれから10数年経って、長屋の子育てについて聞いたのはweeklyochiaiの母親アップデート回だったと思う。私は、これを経験している…。

自分が楽しかっただけではなく、子どもたちの成長にも有益なことが多かったはず。「社会」を知る最初の場だったと思う。みんなに育てられた。


今、私は母親アップデートコミュニティの中で長屋のときにみんなに言ってもらっていたように「大丈夫、大丈夫」と伝えている。
発達はそれぞれだし、1人目で余裕がないのなんか当たり前だし、2人、3人と育てているなんてそれで充分、すごいことをしてるって思うから。お母さんが楽しくラクになって欲しいと願っている。
このオンラインご近所システムは自分が積極的に関わりたければ、必ず誰かが反応をしてくれて、忙しいからROMだけという関わりを望めば、それを無理に巻き込むような煩わしさが全くなくて、心地よい。今は2周年に向けて地域の方たちと交流が持てている。オフラインご近所メンバーがみつかる日も来るかも。
リアルに楽しむのももちろんよし。オンラインだけでもよし。
長屋では成人の子がいる母親と新生児の母親との交流なんてことはさすがになかった。
オンラインはそれもあり。もちろん、そこに上下はなし。だから、あだ名で呼んでもらえるのも嬉しい。

(長屋はすっかりバラバラになってしまい、お隣りさんは虹の向こうで私たちを見守ってくれている。子どもたちは今も親友。1人だけでは出来なかった子育て。仲間がいるって素晴らしい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?