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計算機自然〜オススメ映画

 算学神社にお参りする程度に、算数に興味がある時期があった。夏の甲子園観戦のついでに立ち寄ったのだ。お参りしたぐらいで、数学に強くなるということはないのだけど。その頃は、数学関係の本を読み漁ったり、解いてみたい問題を時間制限なく考えるということなどをしていた。意味があるかないかは二の次。  

 その頃、観た映画で痺れたのは、 

 ゲーム理論のジョン・ナッシュを描いたもの。囚人のジレンマに関する探究発表を聞いた後ということもあって、数学と心理とか一心不乱に研究する数学者の偉業と苦悩など、私には心を揺さぶれる作品だった。
その頃、やはり観た邦画がこちら。ほのぼのとしていて数学素人の取っ掛かりとしてはすごく良かった。数に敏感になったのは、この作品の影響が強く大嫌いだった経理が苦痛でなくなったのは数字がイヤという呪縛から解放されたのだと思う。 

リアルタイムで劇場鑑賞したのはこちら。
チューリングマシンのアラン・チューリング。
やはり偉業と苦悩の数学者で切なくなった。 

 この頃には、日常に潜む数理とか日常のことはたいてい数式で表すことが出来るらしいということに無限のロマンを感じるようになっていた。

その流れの中で、森田真生さんを知る。

森田さんに到達する前に図書館にある数学トレビアみたいなものや数学関連の読み物は理解できるかどうかは度外視で、かなり目を通していたが、森田さんの数学と自然、身体が融合した美しい世界観に惹かれる。

それから数年を経て落合陽一(塾長)に出会う。落合さんにのめり込む。理解出来なくても小難しい本を読むことには慣れていた。デジタルネイチャーへの抵抗感もなかった。

ある時のTwitterにハッとする。

 そうか。イミテーシュン・ゲームから巡り巡って、計算機自然や数学的自然へと実は、数学の世界が落合塾へと誘ってくれたのかもしれない。

というと、すべてキレイにまとまったように思えるが、これで終わりではなくてまだ続く。

私はAIにさほど興味がなくて、どちらかというと苦手意識すらあった。世の中がWBCに沸いている時にAI、AIという人たちと分断が起きているかも…という危機感もあった。私の居場所じゃないような。

が、ここにチューリングマシンをイメージさせると私の苦手はロマンへと変換される。

chatGPTは、なぜなぜ質問箱じゃない。
そういうことか。

ということで、私は私のこれからのためにnoteを書く必要があることに気付く。

ざっくり書いて、森田真生さん風に書いてと頼んでもいいわけよね。

さて私が数学に強くなることはないはずだけど、数式が書けるようになるのかな。
日常に潜む数式…。

高校の数学の時間にバロちゃんと言われた私。
私がわかれば、大半は理解しているだろうというバロメーターのバロ。

そんな私が数式を書けたら、その世界は間違いなくおもしろいと思う。

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