図1

「ゴーンとホリエモンと善悪の区別」から

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三点に注目したい
  1.個人の軸(美的感覚)は、世の中を美しく形作る参照点 
  2.理念が全ての土台であり、経営・HR戦略と整合する必要がある
  3.グレーゾーンを狙うのは、美しくない。

関連代表記事 アゴラ  2018年12月10日 20:30
 http://agora-web.jp/archives/2036095.html
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A 日産ゴーンさんに対しては、多くの見方がある。違法性の問題。けち臭さの問題。攻撃・捜査妥当性の問題。なぜルノーではなく日産でなのか?という問題。マクロンの描く自動車帝国構想問題…etc。堀江さんのTVメディア買収との類似性をつくのは面白く、近年多発している企業不祥事との関連も考察できる。


B 不祥事ニュースが次々と報道され、最近では驚かない人も増えたのではないだろうか。日本企業としてブランディング化してきたJapanese Qualityはどこにいったのか。プロダクト自体への瑕疵がなくとも、QA(Quality Assuarance)に不備が生じていたり、或いは、経営層同士のみっともないイザコザであったり、社会に対して態度の悪い従業員…なども、Japanese Qualityを毀損する要因である

A 違反というのは面白くて、「ばれなければ違反ではない」とも表現できる。或いは、「ルールに違反はしていない」という状況もある。このような表現に対して、さして違和感を感じないのであれば、もっと、自らの内面を磨いた方がよい。基礎的人間力が不足している。


B 経営効率を追求し、P/L主義を貫いて売上至上主義や利益至上主義を通す。このような流れは企業経営に対して幾ばくかの割合で存在している。科学経営を取り入れ進めてきた歴史を振り返れば、このような思想というか経営スタイルが蔓延るのも、必然的である。


A 別の記事( https://note.mu/dialogue_of_j/n/n8c0796702e1d )でも述べたが、特に現在のような高速で量子的に変化する超複雑系の社会においては、論理や科学だけでは立ち向かえない。従来通りにこれらのみに頼ると、速度(納期、回転率、顧客対応、歩留…)を追求し、コストを徹底的に下げる方向性に動く。何がおきるか? 例えば、現場がパンクする。


B パンクした現場があっても、例えば、「明確なKPI」で評価される管理職は、そのKPIを達成すべくさらに現場に無理を強いる。限界を超えるあたりで、隠蔽・不正に走る。これが企業文化として醸成される場合もある。評価系が、不具合の方向に圧力をかけるケースは非常に多い。


A 重要なことは、理念との整合性であり、理念そのものの凛々しさである。それは、企業理念でもそうであるし、個人としての理念もそうである。自分の中のブレナイ/譲れない筋(軸)を作ることが重要である。企業理念は、組織という法人に対する「軸」である。何が「いい」のか、何が「悪い」のか。これを明確に定義することはできない。当然、組織体として仕組みで「良さを維持」するわけだが、最後のよりどころであり底力となるのは、「理念」である。これに照らして、良し悪しを判断していく。


B 法律に抵触していないから、売上さえあがればよい、検査項目をいじっても問題ないしばれない、旅費をごまかそう、一部を現金でもらおうか……。個人の持つ「軸」は本当に重要である。世の中を美しく形づくる参照点でもある。自分の中の一本の芯(感性、美意識など)に照らして、「正しいこと」「美しいこと」「気持ちいいこと」を定義し、そこからは逸脱しない。このような人間的な軸を作ることが、企業経営にも個人キャリア形成にも、社会をより美しくするためにも、必用となる。


A 日本の教育は戦略的に、「詰込み・暗記・2択」になってきたのだろう。時代的に、決まった枠の中での効率を最大化することが重要であったためである。これの行き着く先は、情報処理は得意でも、創造性が欠如する世界である。言ってしまえば、人間味が欠如してく。有名大学を出てエリートコースを突き進んでいる方が、哲学や文学、或いはアートなどに対して、何も持論をもっていないというのは、どうなのだろうか。それは即ち、自分の中の軸が、時代的トレンドであった合理性・効率といった方向に(無意識的に)強制された状態であり、自己としての個性を欠如したような状態でもある。


B オトナも子供も、基本的な思考力はつけるべきである。それは、別の記事( https://note.mu/dialogue_of_j/n/n8c0796702e1d )でも述べた通り、論理的・科学的思考力であり、時代を生きる入場料である。そして例えば、時代を見通して「言語」「統計」等を学ぶといった姿勢は、いいだろう。しかし、これらはツールであって、本質的な力ではないことには留意する必要がある。ここまでは多くの人が動き始めているし、今後より大きな流れになるものと思われる。そして足りないのが、感性や美意識を鍛える場である。


A 直感でこのような領域が重要と感じている人は増加しているのだろう。自然に子供を触れさせる機会を戦略的に設ける親御さんも増えている。いいことである。この流れで大人も子供も、もっと文学を「考察し」、もっ と自然・伝統を観察し、もっとアートを感じ、もっと詩から学び、もっと哲学し、もっと議論するとよい。このような蓄積から、きれいな感性が磨かれ、それが強固な軸と化していく。


B 強い美意識があれば、企業体や個人キャリアに対して、凛々く美しい理念を掲げることができる。これをビジュアル化したビジョンは、人々の心を叩き、イキイキとワクワクとさせる。それは即ち、従来のようなリジッドな管理機構を解放しても、理念を実現するために、それを遥かにこえる効率でグングンと能動的に人財が活動することを意味する。このような強烈で美しい理念が、現在のような高速で量子的に変化する超複雑系の社会に対しては重要である。


A 繰り返しになるが重要なことは、理念との整合性である。強く美しい理念があって、これと「整合するように」、HR戦略と経営戦略が構築される。経営戦略とHR戦略はワンセットであり、別々で論じるべきものではない。理念にピシャリと整合するHR(Human Resource)戦略を中心においてみると、HR戦略⇔経営戦略、HR戦略⇔HRM(Human Resource Management)システム、HR戦略⇔組織デザインがそれぞれ整合する。補足だが、HR戦略も経営戦略も当然、外部環境に対して整合する。


B 全ての土台に揺るがない璃々とした理念があり、これに各戦略が整合している様は、それこそ美しいと感じる。このような組織のメリットは、第一に、働いていて気持ちいいことである。違和感がなく、イキイキと能動的に人財が活躍する。そして、外乱に強い。突発的な不具合であったり、大きな負のトレンドが来た場合でも、それに対して、理念という軸に対して誠実に行動可能であり、迅速にフレキシブルに変化しながら対応できる。


A 理念とか、思いとか、感性…というと、どうも「ごまかしている感」が漂うが、それは「明確な説明(責任)」という風習(当たり前、常識)に毒されているためである。理念をフルサポートするように、科学的・論理的な思考や仕組をデザインし取り入れるのが、よいだろう。


/2018.12.12 JK

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