図1

「D&G、上海ショー中止」から

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三点に注目したい 
 1.相手がどう思うか
 2.思考のレベル
 3.自分の思考レベルと相手のそれとの、乖離

関連代表記事 BBC 2018年11月22日
https://www.bbc.com/japanese/46301811
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A 「軽率なビデオ内容」…と言うだけなら簡単であるが、歴史を振り返れば一流と呼ばれる企業が「軽率な」行動やプロモーションで炎上するケースは後を絶たない。更に問題発生後のトップの対応が、火に油を注ぐケースも無数に散見される。本件を経営としてみるのであれば、「そもそも、なぜあのような広告ビデオを作ったのか」という点と「事後処理」の2つについて考えることが有益だろう。前者について、探ってみたい。


B 社内でプレゼンするのであれば「誰に対して」説明するのかを明確にしておく必要がある。新しい製品を作るのであれば、顧客の顔を明確にする必要がある。効果的に営業成果を上げるの出れば、相手が世間話のような時間を「無駄」と考えるのか、コミュニケーションの一環で「好む」のかを把握する必要がる。共通するのは、「相手の思考レベル」であって、「相手がどう感じるか」という点である。


A デジタル革命は多くの利便性を提供したが、場合によっては経営リスクを高めることとなった。例えば、従前の環境では、フォーカスしたメインセグメントとの対話という形で世界がクローズしていたが、現在ではそんなことはない。自分たちが真剣に主顧客と対峙していたとしても、第三者がそのやり取りの中から「不平等」「差別」「偏見」…を取り出し、SNSで拡散させることができる。それを「不平等」と思う人は確率的に少なくとも、SNS上に載れば大きな規模がついてくるため、自然と絶対数が大きくなり、拡散・炎上が始まることとなる。


B 「相手がどう思うか」。自社顧客・顧客候補は当然として、自社ステークホルダーも当然。しかしこれでは不十分。一般社会通念的な「ただしさ」という観点で、世間一般という像が思う事、を常に考えないといけない。これらのマクロな像は些細なキッカケに飛びつき急成長することもある。自社としてはサプライチェーン全体の健全性や社会に対する公明正大な姿勢という対応が必用にもなってくる。表現の自由度という観点でみれば狭まり窮屈な感を受けるが、「受け入れられる」ことを前提とすれば、ここは従わざるを得ないし、むしろ自社の武器にでもすべき部分である。


A 視線を落とせば、Xハラスメントも同様である。「相手がどう思うか」が論点になるためその輪郭が不鮮明になる。しかし、1人のバリューではなくチーム全体としてのバリューであったり、社会全体でのバリューの最適化を考えれば、「相手がどう思うか」の部分に自ら積極的に思考を巡らせ行動を起こすのは必要であり、重要なスキルとなる。共感(empathy)とか思いやりとか言われることも増えた。これらが常に正しいと言うつもりもないし、行き過ぎればデメリットが強くでてくることも事実だろう。すべてはバランスであるが、それでも、「相手がどう思うか」をケアする必要がある。


B 例えば、セクハラ防止は重要。社会と女性との関係を起点に「セクハラ」に対する指摘や改善活動が増えてきている。これはいいことであるし、必用であり、セクハラレスの組織体を経営者として構築するために、頭を足を使う必要がある。一方、例えばだが、よく「おやじ臭」と男性を揶揄する女性を見かけるが、ある時を境におやじ軍団が、「それはセクハラだ」と言い出したら、それはセクハラになる。つまり、例えば、セクハラレスの組織体を構築するのであれば、女性が…男性が…ではなく、「相手がどう思うか」を思考し行動できる人財を育て、組織としてこのような思考での自浄作用が機能するように文化を構築することが、最も有益と考えられる。


A 菊川さんの出ている「ハズキルーペのCM」は考察の余地が深い。中止に追い込まれるCMが無数に存在する中、なぜ、セーフなのだろうか。「相手がどう思うか」という言葉にも実はフェーズがある。単なる表層の気持ちとして「嫌」と思うのか、深層的に「いや」と思うのか。D&Gの広告ビデオは、どうだろうか。時代としては、中国の人びとが、ビジネスや旅行でグローバルに活動を開始しているフェーズである。中国の経済規模は非常に大きくグローバル中核メンバであることは間違いないが、「中国差別・偏見」は世界的にはびこっているフェーズである。中国国内の自国差別・偏見に対する感度が上がっているのは、まず、間違いないだろう。その上で「箸でモノを食べる」という行為を、D&Gが自分たちと対等に扱わず、下方に位置し表現しているように見えるのが、問題である。


B ガッバーナ氏とドメニコドルチェ氏が謝罪をしているが*1、本当に中国文化を敬っているのであれば、中国文化に対する表現の視線はもっと上向くのかと思われる。経営でも全く同じであり、例えば、BOPビジネスとして新興国に出ていく時に、その地の風習、衛生面、環境、文化…を「見下す」ような思考や些細なそぶりを少しでも見せると、深い強いエコシステムは形成できない。「相手がどう思うか」というのは、「相手を認める」ということであり、「優劣ではなく、相手と自分の差異を受け止めること(興味を持つこと)」である。本質的にこのようなマインドセットができると、言葉1つ1つの表現や行動など、本当に些細な部分にも違いがでてくる。

 

A 経営として、社会的な炎上を起こさない仕組作りは重要である。審議会を段階的に儲けるといったプロセス要素も必要だが、より本質的には、自社従業員が、「相手がどう思うか」を思考の根底に常にセットできている状態を構築することが重要である。そのためには経営幹部が、「相手を認める」ことを言葉と行動で常に公明正大に示していることが重要であり、組織体として「優劣ではなく、相手と自分の差異を受け止めること(興味を持つこと)」を、日々のPDCAや会議などに要素として入れ込んでいく必要がある。そして、このような「相手がどう思うか」という点での考課を加えるといった仕組と連動させ、「相手がどう思うか」という考え方が組織の中を循環し続けるようにデザインしていく必要がある。


*1 CBC Dolce&Gabbana founders apologize to China after ad, Instagram fiasco
https://www.cbc.ca/news/entertainment/dolce-gabbana-apology-china-backlash-1.4917653


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