図1

「読解力を高める授業」から

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3点に注目したい。
 1.読解力養成から、「伝達力」養成へ
 2.グローバル言語であるロジックを、学習すべき
 3.伝達力視点で行動し、質問力を磨くべき

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A 小学校や中学校の「国語の授業」というと、受験を含めて、「読解」側に重点が置かれていると感じる。特に日本のようなハイコンテクスト文化が強い場合、「行間をよむ」という傾向も強い。


B 日本語の成り立ちは非常に重要だが、「読解」が「テクニック」による傾向がつよく、日本語の成り立ちという本質に触れる重要な機会が非常に少ないと感じる。ここについては、リカレント教育として自己研鑽含め、ぜひ大人になってから日本語を改めて学習して欲しいと思う。


A 「読解」に力点が置かれるというのは、文化的なハイコンテクスト風潮といったバックグラウンドに寄るだけでなく、「理解できない人が悪い」という文化的側面にも繋がっていると考えられる。日本にいてよく感じるのは、「間違い=間違った人が悪い」であったり、「理解できない方が悪い」という構造である。


B モノは考え方次第である。誰かのプレゼンが「分からない」のは、聞いている方の知識や理解力が足りないからだろうか。角度を変えれば、「伝え方が下手だから」相手が理解できない、という見方ができる。後者の思考を自然とできれば、「無知(やレベルの低いと感じる質問)が恥ずかしい」などと思うことはなくなるし、「伝わるように構成する」ということを強く意識するようになる。

 
A 言葉や文章は、「読み解く」と「伝える」という2つの側面から成立している。相手が「読み解きやすいように」「伝える」ということを考えた時のグローバルルールが、ロジック(論理)である。帰納や演繹などがそれに該当するが、言葉として知っていても、これを使いこなせる日本人は実は少ない。論理が破綻していないケースに出会う方が難しいくらいだ。


B 国語の授業にて強化すべくは、「伝える」側である。「ロジック」というグローバル言語を習得すべきである。


A 「伝える」ためのロジックを学ぶ学習の中で、互いに分からないことを(当然という態度で)質問し議論する癖をつけると非常によい。


B 分からないことを徹底して質問し議論する癖を積算させ、ロジック力を磨いていくことで、本質的な質問する力も身についてくる。この質問する力は、議論する力や成長する力の根底にあるものであり、重要である


A ロジックに片寄ると日本語としての良さがなくなる…といった批判が必ずおこるのだが、論点がズレている。自国語とは別に英語を必修言語に設定し、人財基盤を厚くすることで経済成長を遂げた国も多い。自国語を蔑ろにすることと、他の言語やルールを学ぶことは、イコールではない。


B 日本の場合、コンテクストのレベルでみると標準英語との乖離が大きいため、一度、日本語ベースでロジックを完全にマスターする方が、英語の「使いこなし」が楽になる。


A 英語の学習において「しゃべる順番」や「文章の構成順」で悩む人も多いようであるが、ロジックベースで考えれば、何ら不自然さはない。また、コミュニケーションも楽になる。


B ロジックという観点で日本語ルールを改めて学習し直すのは、非常に面白く、有意義である。大人になってからの学習が流行っているが、「こくご」はポジショニングやマーケティング次第では面白いビジネスになりうる。

 

/2018.01.04 JK

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