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戦後混乱期MSの制服制定について

こんにちは。久しぶりの投稿となってしまいました。
カトリック女子校の制服の中で戦後すぐに制定された制服はジャンパースカートが多いのでその背景について調べてみました。

①大阪信愛女学院の場合 「平和の象徴」


創立後、1922年に採用された制服はセーラー服でした。地元でも大変目立った憧れの制服だったそうです。
戦後、1947年信愛グループの代名詞だったジャンパースカート制服が制定されました。
記念誌によるとジャンパースカートが採用された背景は全国的にカトリック校で流行していたのとジャンパースカート制服が「平和の象徴」と記載がありました。
ジャンパースカート制服が採用された理由の一つが「平和の象徴」なのは戦後ならではかと思います。

②南山女子部の場合 「質素・清貧・修道士」


戦後すぐに南山高校は女子部を創設しました。
入学式では制服は無く1948年10月現行制服とほぼ同じ制服が決定されました。そのジャンパースカートのベルトはバックルでなく「結ぶ」様式であるのは「修道女(士)が用いる質素・清貧を守るべくわが身を引き締めるための縄」であるとの事です。(出典:南山アーカイブズ常設展示図録)
元ネタの縄は今も神父様の祭服で見られます。男性である修道士のモチーフが取り入れられているのは全国見渡しても南山女子部だけではないでしょうか。
物が乏しい時代だったため入学時に制服が無く、制服が決定したら学校から型紙が配布され自宅で仕立てたそうです。
仕立てやすさもジャンパースカートが採用された一因かもしれません。


③聖霊中学高校の場合 「シスター対策」


聖霊も戦後すぐに創設され、入学式では物資不足の為様々なセーラー服で出席したとの事です。
1949年10月に生徒の意見を取り入れながら現行とほぼ同じ制服が決定されました。
1期生の談話によると「先生方に混ざって生徒も制服を作るお話がありました。当時のシスターは本当に厳しく、プリーツスカートにしたら毎日の様に注意されるのではと思い、1期生同士話し合って今の形(フレアースカート)になりました。そしてヒダが目立たない様にウエストゴムにしました。」(公式facebookより)
と、シスターの修道服を原型とした制服なのにシスター方への対策も取り入れたジャンパースカートが誕生しました。
聖霊も南山女子部と同様、型紙が学校から配布され自宅で仕立てたそうです。
現在も生徒手帳には、個人で仕立てる場合は学校へ型紙等問い合わせる事と記載されております。(当時の名残でしょうか・・・?)

上記三校の共通点は制服のデザインに修道服を取り入れられている点です。当時の創立者は全て外国人の聖職者である事もあり、「女学生=セーラー服」との考えに囚われず、他校と一味違う制服が制定されやすい土壌もあったと思います。
そして平和の願いを制服に込めたり物資不足の影響を受けたりと戦争の影響を強く受けている制服達です。戦後80年近く経過して遠い昔の事ですが今も制定され続けることによって当時の思いが生き続けて行くと思います。
引き続き、他の学校についても調べていきたいと思います。(続く)



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