かわいそうって言うな

うちの娘たち(6歳、4歳)は弱視だ。いずれも3歳児検診で発覚し、長女のときは相当ショックを受け、なぜうちの子が、どうして気づかなかったのか、でも日常生活に支障はないし、むしろ細かいところによく気が付くし、どうってことないんじゃないか、誤診なんじゃないか、などなど不安や後悔、疑問が頭の中をぐるぐる回った。友人にも片っ端から弱音を吐きまくって、慰めてもらって、でも心は晴れず、暗澹たる気持ちで矯正眼鏡を作ったものだった。かけはじめた初日は不自然に大きな目にかなりの違和感を感じてしまい、写真を撮るために携帯を取り出す気力が湧かなかったような気がする。

でも、そんなふうに落ち込んでいたのなんてほんの数日だった。弱視用の眼鏡はレンズが厚いのでひときわ小柄な長女にはちょっと重かろう(我が家の財政では極薄レンズは高嶺の花)というわずかな心配こそ続いたものの、見た目にコンプレックスを抱くことは一切なかった。その1年半後には次女も眼鏡デビューを果たしたが、結局、うちの娘たちはかわいいので眼鏡をかけてもかわいいことに変わりはなかったのである。親バカ万歳。

そんなわけで、矯正眼鏡に対するネガティブな感情をすっかり忘れて過ごしてきたわけだが、今日、友人からこんな記事のリンクが送られてきて、一時的にものすごく心をかき乱された。

要は、双子の娘を持つオシャレに敏感なママが、娘たちのためにオシャレな矯正眼鏡を作ってオシャレなメガネファッションをSNSに投稿し、メガネ≠かわいそう、という意識改革を起こしたという話。端折りすぎかもしれないけど、とにかく、端的に言えばそういうことだと思う。そして、読みながら強烈な嫌悪感を抱かずにいられなかった。原因は、本文中に繰り返し出てくる「かわいそう」という言葉だった。

「メガネなんてかわいそうに」「“かわいそうな子”って思われちゃうのかな」「子ども達の世界に“かわいそうな子”などのマイナスな言葉が入り込まないように」etc...そしてこのママは、だれが見てもかわいそうじゃない、むしろオシャレでうらやましくなるファッション性の高い矯正眼鏡を探し出し、プロデュースまですることになる。その熱意は素晴らしい。そしてその功績も高く評価されてしかるべきと思う。選択の幅が広がることはよいことだからだ。でも、なんだろう、もやもやする。だって、そんなにかわいそうかわいそう言わなくてもよくない?そもそも、人にかわいそうと思われないように、という発想が気にくわない。大事なのはそこじゃないだろ。子供自身が、自分をかわいそうと思わないように、だろ。オシャレメガネのモチベーションがそこにあったなら、この記事にここまでの不快感を抱くことはなかったと思う。とにかく、終始、親の目、まわりの目からみてどうか、という話であるところに嫌悪感を抱いてしまうのだ。こどもは見世物じゃない。

うちの娘たちは、自身が気に入ったピンクの縁のメガネをかけて、親や身近な大人に「かわいいねぇ」とほめまくられて、メガネに対するネガティブな感覚はほぼ持っていない。むしろ、父とおそろい、姉妹でおそろい(私だけ視力がいいのがこのときばかりはうらめしい)であることに喜びさえ感じながらメガネを愛用している。それでいい。そしてそんな姿がまたかわいくて、私は当初の悲観的な考えなどケロッと忘れてしまっていた。そこに、どっかの無配慮な大人の同情や哀れみが入り込む余地などない。ていうか、そんな人いるの?うちの子たち見て「かわいい」以外の感想あるの?…すいません、言い過ぎました。

とにかくこの記事は、メガネに関するネガティブな感情や情報を全く忘れたまま幸せに過ごしていた私に、いまだに世間にはびこる「メガネ=かわいそう」というカンチガイの存在を思い起こさせ、また子供の弱視が発覚した当初の暗い気持ちを呼び起こし、そしてその頃は自分も傲慢きわまりないカンチガイババアの一員だったということを思い知らせたという意味で、にわかには受け入れがたいものだった。私もちっせぇ人間だな。

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