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銘管「たちばな」「玄笛」「鬼一文字」および一噌の十六管について

国立能楽堂パンフレット令和二年七・八月号に一噌庸二師のインタビューが掲載されている。能楽囃子研究の第一人者である高桑いづみ氏リードのもと、師の生い立ちや師匠である藤田大五郎師のこと、これからの一噌流のことなど語られており、能笛を稽古されている人なら一噌流でなくとも必見の内容となっている。このインタビューの中でなかなか他では語られない「銘管」についても言及されているので、今回は言及のあったものについて補足情報を加えたい。

(公開から1週間経過したため有料公開に変更しました)

たちばな

一噌師が先代より受け継いだ笛であり、最初に持った笛とのことである。
先代観世左近師由来らしいが、ここでいう先代は二十四世観世左近であろう。
この笛は全く聞いたことがなかったので、この話を読めただけでも十分元が取れた。

鬼一文字

これは仙台市博物館の収蔵品目録で以前見かけて気になっていた。修理が必要だが規則で持ち出せないらしく非常に残念である。観世文庫蔵の楽器考証にも「中村之笛也」(中村は一噌の祖)とある。

玄笛

玄笛は由良家蔵能楽関係文書目録に記録があったため、由良家にかつて伝わっていたことまでは掴んでいたが、今から約40年前の文献であるため、現在の所在について心配していた。それが今回のインタビューで萩の博物館にあることがわかった(もちろんすぐ問い合わせた、あった、とても嬉しい)
詳細については由良家蔵能楽関係文書目録を確認されたい。

一噌の十六管

一噌の十六管については、雑誌「能楽」10巻1号において当時の一噌流宗家一噌又六郎の談話の中で語られている。このことは今回のインタビューでも言及されていた。
また、能楽書林から出版されている「能楽対談」で藤田大五郎師も語っている。
記事から抜粋した情報を以下に示す。

蝉折:井伊家にあり。豊公拝領。
高麗笛:所在不明。豊公拝領。
霜夜:徳山毛利家
一文字:一噌流の祖中村氏より伝わる
小布袋:所在不明・九州大友家より
象牙笛筒:所在不明・九州大友家より
大布袋 浅草加藤家にあり
牛尾:番町安藤家にあり
大獅子:肥前中村家に贈った
小獅子:浅草某家にあったが火災で焼ける
例石:奥州中村の佐藤氏に贈る(相馬家の家中)
千鳥:薩州税所七左衛門に贈る
向兎:徳山毛利家
麒麟鳳凰:所在不明
小夜嵐:所在不明
翁:現に所持す

記事中では向兎は白兎と表記されているが、藤田大五郎師、一噌庸二師ともに向兎と表記しているのでこちらが正しい銘だろう。

十六管のうち、所有者について伝聞も含め記したい。一文字は藤田大五郎師が愛用していたことで有名だった。翁は先年亡くなった一噌仙幸師が用いていた。大獅子はやはりこれも一噌流の杉山立枝師が使っていたと聞く。なお最近の記録だと寺井家の銘管図録に大獅子が記載されていた。蝉折は現在徳川美術館に所蔵されている。小布袋は広島の素人の家にあると聞いたことがある。小獅子は三井記念美術館に同銘のものがある。(ちなみに私の家にも一噌十六管にある獅子二管のうちの一管であると書付のある笛があるがこれは怪しい)

なお、インタビューの中で宮内庁に二管納めたとあったのでこれはいずれ確認したい。

小夜嵐については少し長くなるので次項で説明する。

小夜嵐

小夜嵐は明治45年時点では所在不明となっているが、今回のインタビューの中で小夜嵐は現在一噌師が保有されているとのことだった。http://www.newstokyo.jp/index.php?id=1266

2019年の国立能楽堂企画展「囃子方と楽器」で展示されていた小夜嵐は一噌師からの提供であろう。図録を見ると、笛の頭金は抱き茗荷、筒はすすきと秋草があしらわれた梨地である。

ちなみに銘管にはよくあることだが、小夜嵐も同銘の笛の記録がある。
昭和27年6月28日の山形新聞夕刊の記事に、山形在住の柴田勝男氏が同銘の笛を保有しているという記事がある。記事のタイトルは「かくれていた重要美術品 名笛小夜嵐と定家の歌切れ」である。上杉謙信が幼時から愛用しており、川中島の合戦でも吹いたとの逸話が掲載されている。この笛は「笛の底には水晶をつけている」という外見で筒は「まき絵の初期の貴重なもの、絵師楽阿弥喜介の名が入れてある」とある。ここでいう笛の底とは頭金のことを指すのであろう。水晶とは珍しいが、残念ながら一噌師が保有するものとは異なるように思う。

最後に

今回は一噌庸二師のインタビューに触発されて、記事中で言及されている銘管についていくつか補足情報を添えた。森田流奥義録に掲載されている七十種銘管録をはじめ、いくつか有名な銘管録が現存しているが今後折に触れてそちらも紹介していきたい。



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