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銘管「千鳥」について

前回の記事で銘管のうち一噌の十六管の一つとして、千鳥を紹介した。
千鳥はシテ方観世流や笛方森田流のモチーフとして使われることから、よく聞く銘の一つである。今回は各種文献等に残る「千鳥」という笛についてご紹介したい。

(公開から1週間経過したため有料公開に変更しました)

一噌の十六管の千鳥(および春日流の遅櫻について)

一噌の十六管における千鳥は前回記事の一噌又六郎の談話を見ると「薩州税所七左衛門に贈る」とある。税所七右衛門(税所敦朝)は殉教者として有名なようだが「七左衛門」について単に検索エンジンにかけても情報は見当たらない。一方で、「武家手猿楽の系譜:能が武士の芸能になるまで」には薩摩島津藩お抱えの笛役者として税所入道一和についての記述がある。ここには「本藩人物志」を引いて「(前略)その傍ら、彼は中村七郎左衛門(一噌)の弟子として笛を嗜み、天正17年(1589年)には北条氏直の招きに応じて、師匠の名代として関東に下向するなど、笛役者としても活動した」とある。せっかくなので引用元である「本藩人物誌」に当たってみよう。これは鹿児島県立図書館によりPDFが公開されている。ここで先の税所入道一和について確認すると、先述のエピソードに加えて上野双林寺において「遅櫻」という銘管を贈られたとあるのみである。千鳥が贈られた税所七左衛門が誰の別名なのかは文献を紐解く必要がありそうである。

余談だが、先の「遅櫻」という笛は春日流伝来の笛の一つである。春日家伝来笛目録を見ると、別名を晩櫻・鳳凰丸ともいい、作者は野田冝竹とある。春日家三代目及び七代目が吹いていたらしい。春日家伝来の銘管も色々と記録が残っているのでまた別の機会に紹介したい。

その他文献上の千鳥

銘管の記録といえば森田流奥義録掲載の「七十種銘管録」が有名だが、ここに千鳥は記載されていない。その他の文献上の記録として能楽タイムズ昭和39年6月号の寺井政数師の談話がある。ここでは千鳥について、一番町の三井にあったが震災の時に焼けてしまったとある。これが先の一噌の十六管の税所家のものであれば大変残念なことだが、記録も残っておらず真偽は不明である。余談だが三井家は梅若家のパトロンとして有名であり、三井記念美術館には森田流が徳川家から拝領した「紫葛」などの銘管が収蔵されている。

また藤田流には始祖藤田清兵衛に伝わった五管があり、その中に千鳥が含まれていたようである(野々村戒三「近畿能楽記」p205)。他の四管は青海波、諏訪丸、瓦落、鷲である。この中で現存が公にされているのは瓦落のみである。瓦落は現在徳川美術館に収蔵されており、webでも写真を確認できる


現存する千鳥

現存かつ公開されているものでは国立博物館収蔵のものがある。写真も公開されているのでぜひご覧いただきたい。国立博物館に確認したところ、「千原鐵弥献品・昭和14年蔵」とのことだった。また、ここで名前は出さないが千鳥を舞台で吹かれている方もいらっしゃるという。話を伺うことができれば追記していきたい。

まとめ

今回は千鳥という銘を持つ笛について紹介した。よくある銘としては千鳥の他に獅子丸などもある。機会を見つけて紹介していきたい。

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