おまけ文 マイベスト本郷'sバトル

個人的名勝負~蕎麦屋の軍師~

(ここからお読みになる方へ)これはツイッターに投稿した、『食の軍師』勝率統計のまとめです。コチラにありますので、よろしければこちらからお読みください。

これまで『食の軍師』既刊7巻までの全97回の合戦について、各話ひとことレビューと全体のまとめを書きましたが、ここで私がとくに好きな回についてじっくり語りたいと思います。
それは第1巻4話の『蕎麦屋の軍師』です。
この回はこの作品が開始してまだ4話目ですが、作品の骨子と言える要素が詰まっている決定版と言っていいと思います。
実際の『蕎麦屋の軍師』をテキストにしながら見ていきましょう。
4話の開始はコミックスの47頁からです。まず最初の本郷のセリフが、「(前略)白昼堂々と酒が飲める場所 それが…蕎麦屋だ!!」と小躍り気味に街を歩いています。蕎麦が好きとかではなくあくまで酒に心を奪われているところが後々まで昼の酒で失敗する本郷の性格がよく現れています。
入店した本郷は先客の、昼酒を楽しむおじさんを見て苦笑い気味に「まだ2時だぞオッサン」と心の中で語りかけますが、それは本郷が一番言う資格のない言葉でしょう。

ここで注目する点は、この本郷の「お前が言うな」的発言より、この先客のおじさんです。
彼が描かれているのはたった2コマだけです。まず1コマ目で酒をとっくりから注いでいます。2コマ目で「クイ」と盃を傾けていますが、このときの何とも言えない笑顔が幸福感満点です。よほど嬉しいことでもあったのかと見ている読者もこの蕎麦屋が酒飲みにとって楽園であることがここで強く
明示されます。

本郷という男、軍師としては戦下手ですが、店選びに関しての才能は抜きんでていると言って良いでしょう。『食の軍師』作中でも基本的に名店ばかりを引いています。しかしながら本郷にとってその才能は、幸と不幸が表裏一体となったものと言えます。彼の行く先には常に力石が先んじているから
です。この蕎麦屋でも力石が先に入店しており、ビールで一杯やっています。電撃が走るように緊張する本郷。ですがまだこの頃の本郷は力石何するものぞ、という気迫と自信に満ちています。その証拠に、着席しながら力石を観察する次のコマで、店員に喫煙の有無を聞かれ、穏やかな表情で「いや」と喫煙しないことを伝えています。そして次のコマでは「俺は、蕎麦者として 勝つ!!」と叫んでいます。このときにはかなり余裕があったことが分かります。最新刊あたりだと力石を見た時点で動揺し、店員に喫煙の有無を聞かれてもまともに答えられなかったでしょう。
まず本郷は蕎麦味噌、焼きのりと冷酒で戦の火ぶたを切ります。
このとき、午後二時を回った時間帯。このあと本郷が頼んだ量を考えると昼食は抜き、もしくは朝昼兼用で早めに食べたのか。空きっ腹に冷酒は震えるほどウマイのは皆さんご存じの通りです。
話は逸れますが、空きっ腹に酒を飲むと、酔いが回りやすいと言いますがこれはなぜなのでしょうか。
飲んだアルコールは胃で吸収されると思われがちですが、実は8割が小腸上部で吸収されます。
胃が空っぽの状態でアルコールを飲むと、そのまますぐ腸へと流れていくため、あっという間に酔ってしまうということなのです。そのため、食べ物や他の飲み物と一緒にお酒を飲むことで、お酒が胃にとどまる時間が長くなり、泥酔を避けられる可能性が上がります(以上厚労省のサイトより)。
本郷が泥酔するパターンではまずいきなり酒から入るので、彼はまずペース配分を考えるのが軍師としてレベルアップする第一条件であると言えますね。先にバナナなんか食べとくといいと思います。
余談続きですが、二日酔いの予防というのいつの世も酒飲みの気になるところ。酒好きで知られるロシアでは宴会の前に、じゃがいも一個とオリーブオイルをスプーン一杯飲んでおくという予防法があるそうな。まず腹に何かを入れておく、油分で胃をコーティングするのは、アルコールの分解を遅ら
せるには有効と言えます。 僕がたまに行くバーのマスターは、とにかく飲酒後に水を飲むことをオススメしていました。

さて話を戻しますると。本郷は、一足先にビールを傾けている力石を見て、「ビールに板ワサという お決まりの戦法で来るとみた」と推察します。それに対して後攻の本郷はビールをすっ飛ばし、いきなり冷酒に蕎麦味噌焼きのりで緒戦に挑みます。
先述の通り、おそらく本郷は空きっ腹でしょう「五臓六腑に染み渡れりなう!」と快哉を叫びます。
一方の力石はどうしているか。横目で観察するとなんと本郷の予想通りビールに板ワサです。これを見た本郷は「ぷーーっダッセ!!超凡庸蕎麦男!!」と凄まじい罵倒しながら机を叩いて笑います。
ここまでは本郷のペース(なにがこの勝負において優劣を決めるのか、私にも分からなくなってきました)ですが、その次の頁で本郷軍は強烈な奇襲攻撃を受けます。
なんと力石は天ざるそばを燗酒でやり始めたのです。
ここに、今回の戦での落とし穴があるのです。
本郷はこの時点で、1回目注文(冷酒など3品)→2回目注文(だし巻き玉子と焼き鳥)と2度の注文をしていますが、その内容はどちらも酒の肴です。それに対して力石の注文は、
1回目注文(ビールと板ワサ)→2回目注文(燗酒と天ざるそば)となっています。2回目の注文で彼の蕎麦屋呑みは完結したのです。本郷が中小の城や砦を攻略している間に力石は残りの兵力を結集し大都市を陥したのです。これはまさに官渡の戦いにおける曹操と袁紹の戦ぶりに酷似しています。 大兵力でもってじわりじわりと曹操軍陣営へ攻め込む袁紹に対し、一気呵成に官渡を攻め落とした曹操。本郷は力石の注文した天ざるを五虎大将軍と劉備に例えていますが、それを采配した力石がさしずめ曹操と言えましょう。絶対勝てないですよ。関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超と劉備、それを力石の曹操が指揮してるんですもの。

本郷はこのあと挽回を狙います。官渡の戦いでの曹操と袁紹に二人を例えましたが、奇妙なことにこのあとの本郷の采配も袁紹に似た戦術になります。援軍や残存兵力でもって数で押して勝利を狙うのです。次に到着したのは、だし巻き玉子と焼き鳥。さらに2杯目の冷酒を注文しています。
本郷のお得意戦術、困ったときは物量か酒で押し切る計略です。軍師を気取りながらの猪武者ぶりはこの1巻より顕著でした。このときすでに力石は 燗酒と天ぷらを食べ終わり、残った蕎麦でシメに入ります。その鮮やかな ムーヴに「敵も順調な御様子」「畜生、イイ音たてやがる」と本郷は心を
奪われますが、満を持して本郷が動きます。かけそばの注文です。
力石の燗酒とざるそばという熱い飲み物と冷たい食べ物のカップリングに対してのアンチテーゼなのか、ここでは逆に冷酒に熱い蕎麦というコンビネーションで挑んだようです。
熱い蕎麦を食い、冷たい日本酒で追っかける本郷の食い方はなかなか食欲をそそる名シーンです。
自身の采配にご満悦の本郷、そば湯で最後のシメにいく力石を尻目に「こちとら祭りはこれからでぇ!」とさらに注文を続けます。ニシンの棒煮をつまみながら熱燗を飲み、最後にもり蕎麦でフィニッシュとしゃれ込みます。

絶対の勝利を確信した本郷です。ですが次の頁で、帰り際の力石に「へへっ蕎麦屋で満腹セットかい」の強烈なdisを受け、その瞬間に脳内が沸騰、「あの野郎!!」「おお、そうじゃ蕎麦屋で長居は無用じゃ! 腹いっぱいにしたけりゃそこらの駄蕎麦でいいんじゃ ああそうじゃ知っとるわい!!」と憤死します。
この敗戦処理でも本郷はやはり「バキューム喰い!」と早食いで終わらせるのも、のちの悪癖の萌芽が出ていると言えます。
屈辱にまみれた本郷、「試合に勝って勝負に負けた…」と泣きますが、どこが試合に勝ったと思っているのか全然分かりません。
このように本郷の蕎麦屋での戦は見るも無惨な敗北。それも自滅に終わります。それだけならこの他の戦にも多々あります。ですが『食の軍師』という、このあと最終8巻まで発刊するこの作品において、本郷という軍師の 基本形がこの蕎麦屋の戦いで誕生したと言えるのではないでしょうか。  しかし、最後の力石の小馬鹿にしたような煽り文句と退店、まるで狙っていたかのようです。
ひょっとすると本郷はずっと独り言を言い続けていたのかも知れません。そのときの店内の雰囲気、いかばかりか。

最後に2点、述べたいところがあります。まず最後の「駄蕎麦」という表現ですが、私はラジオ番組の『伊集院光 深夜の馬鹿力』で同氏がそのフレーズを使っていたのが駄蕎麦という単語の初めてだったのですが、本郷が使っていることに驚きました。
案外一般的なんですね、あるいは本郷もリスナー?と、思って検索したら小麦粉を多く使っている蕎麦のことをそう言うらしい です。知りませんでした。

これで終わりです。この蕎麦屋において本郷は結局、6品食べて3杯飲んでいます。さすがに力石でなくとも「こいつどれだけ飲んで食うんだよ」と思いますが、気になるのはその会計です。
蕎麦屋呑みは格好いいし粋の代名詞とも言えますが、じつは結構高くつくんですよね。
本郷が行ったこの店のモデルが分からなかったため、私の地元の蕎麦屋の価格で計算してみました。
なお、日本酒は銘柄不明のため、その店で一番低価格なものと仮定します。

  1,冷酒¥470  2,蕎麦味噌¥200  3,焼きのり¥550  4,だし巻き玉子¥620 5,焼き鳥¥780  6,冷酒¥470         7,かけそば580  8,ニシンの棒煮※¥520   5,焼き鳥¥780  6,冷酒¥470 7,かけそば80  8,ニシンの棒煮※¥520  
9,熱燗¥550  10,もり蕎麦¥580

 合計 ¥5,320 です。

※ 参考とした店にはニシンの棒煮の単体メニューはないため、ニシン蕎麦から蕎麦の分を引いた。

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