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音を捲る音

小学校時代の夏休みの宿題の定番と言えば、なんと言っても読書感想文と何かしら植物や動物の観察日記だった。
殆どのクラスメイトが8月31日の一夜漬けで宿題を仕上げるか、或いは両親のどちらかに手伝って貰って実際には観察等していない筈の野菜の成長日記等を付けたふりをして、シレっとした顔で翌日 9月1日に教室に現れた。


私は無難な路線を選び、大抵読書感想文で夏休みに物凄く勉学に勤しんだふりをしていたが、実際には読書ではなく音楽のイベントのあれやこれやで大人顔負けに忙殺されていた。
音楽コンクール等にエントリーした夏は最悪だった。朝7時とか8時には毎日叩き起こされ、父親が会社に行くのだから一緒に学校があるつもりで起床しろと母親にまくし立てられたものだった。

渋々レッスン室に行ったところで土台渋々なのだから、当然やる気だって起きる筈もない。仕方なくこっそりとラジオのスイッチを入れてイヤホンを差して、曲を練習する合間に文化放送だとかFMだとかで流れるヒットソングを聴きながら死ぬような思いで午前中の3時間半を消化すると、リビングでは母親が誰かと爆笑しながら電話で話している声がして、ランチは軽く13時を回るのが常だった。
その間水も飲まず(飲ませて貰えず)にただがむしゃらに鍵盤を睨みつけ、呪いでもかけるように鍵盤を叩きまくった。



読書感想文に何を書いたか… なんて、もう思い出せない程の遠い話である。

ただ一つ記憶している事があり、それは当時の担任の意向に沿わない読書感想文を書いて落第点を付けられたことだったか。
往々にして読書感想文にはその書籍を読んで目も眩む程の感動を得たか、或いは作者の生き方に心酔したかのような文章を要求された。それに応えた児童だけが高得点を得られ、そうではない児童は放課後の居残り族として迎え入れられ、日が暮れるまで延々本を読まねばならなかった。


いずれにせよ私は家に帰るよりはましだと思い、意図的に教師の目に留まる程の批判的な読書感想文を提出し、帰りたくない族のサラリーマンの如く粛々と本を読んでいるふりをしながらバッハのイギリス組曲の譜面を思い描いてそれを暗譜することに集中しながら、目の前の書物は軽く読み流していた、そんな一見いい加減な秋の始まりを定期的に過ごしたものだった(笑)。


そもそも大人が読むような本を小学生で読まされるのだから、感動も何もない。一冊だけとても共感したのは、星の王子さまだったか…。
文字よりも挿絵が可愛くて、それを捲って行く時間が至福の時だった。



大人になってSNSが流行り出して、最近では余り積極的に本を読まなくなった。それもこれも欲しい情報の大半が、Twitterやブログ等で吸収出来てしまうので、わざわざ長い時間を掛けて誰かの書いたものを読む時間を割く必要がなくなってしまったのかもしれない。

唯一長い時間を割くことがあるとしたら、それは音楽鑑賞だろう。

音楽にも人の人生や念は宿るのだ。
それは文字で描かれた劇的なストーリーよりも生々しいことが多く、現に私は今も目眩がする程険しい音楽を聴きながらこの記事を書いている。


日本は丁度お盆の終盤に近づいている。送り盆を済ませた家々の玄関先には、先端を大通りに向けた茄子や胡瓜を箸で支えたオブジェのようなものが置かれており、街じゅうにはそこはかとなくものが焼かれる時のあの匂いが立ち込めている。

私の魂まで焼かれそうな程、狂おしく煙の匂いが部屋の隅々まで立ち込めている。




記事末の動画は、最近好きで度々聴いている韓国のパンソリ歌手 イ・ヒムン氏の現代音楽的パンソリ。
映像も美しい。必見・必聴。


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