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【追記】「寝取られ性癖」で男性は現代に適応した NTRに何を求める?

昨今「寝取られ」系作品が、様々なアダルトサイトのランキング上位に君臨している。

原則的には「寝取られ」は不快をもよおさせる。
夫婦関係や恋人関係が脅かされない円満な生活を望んでいる方が「正常」であり、男は寝取られるよりもまだ、他人の恋人や妻を奪い取るほうがを好む生き物であると、俺達は暗黙の内に考えている。

「寝取られ」はやはり、逸脱だと考えることができるだろう。
今、かつてないほど寝取られは支持を集めている。
これまで顧みられてこなかったわけではなく、古典的名書と呼ばれる小説の中にも既に潮流を見受けられたが、目覚ましく発展を遂げたのは最近だ。

そして流行には、それを要請していた背景がある。
何故近年寝取られ性癖は流行したのか? その歪みをもたらした背景はなんだったのだろう。



人々から自信がなくなっていった


決して愛好する者のいなかったジャンルではなかったが、かつて、寝取られはどちらかと言うとカルト的な支持のされ方をしていた。
今日のように「純愛」「ハーレム」などに並び立つほどの(あるいは既にそれらを凌駕さえしているかもしれない)、堂々と看板を構えられるものではなかったはずだ。

ヒロインに元カレがいたことが発覚してディスクを叩き割ったといったような、「処女崇拝」「寝取られ忌避」にまつわる逸話はいくつか残っているが、近頃その手の話はめっきりと、寡聞にして耳にしなくなった。
それにはクリエイター側がユーザーたちの「逆鱗ポイント」を嗅ぎ分け、出来るだけ刺激しないような作品作りを心がけてきたというのはあるだろう。
事実、叩き割られたり裁断されたりした作品群は、一見純愛系のようなパッケージから不意打ちを展開していたらしい。
そして今流行しているのは、ひと目で「寝取られ」だとわかる作品である。

しかし、俺には違いがどうしてもそれだけが理由だとは思えない。

オタクカルチャーの話になるが(なので必ずしも一般化はできないが)、かつては「~は俺の嫁」とか「萌え」なんていう言葉が流行していた。しかしそれらは消滅し、代わりに「推し」が台頭している。
ここにある違いはなんだろう? それは距離感だ。
「俺の嫁」は、包み隠さず言えばひどく厚かましい言葉で、それは例えば俺が「リゼロのレムと付き合ってるよ」と発言したところをご想像いただければ容易に合点がいくと思う。

それが「推し」に置き換わった。「推し」とか「推している」は、ひどく分をわきまえた、模範的な好意の表明のやり方だと言える。ただ見ているだけで満足。手でも振ってもらえれば幸運。そういう殊勝な態度が「推す」ということだ。

俺たちは好意の対象に並び立つという妄想を捨てた。もしくは捨てたように見せかけている。
俺ごときがレムの彼氏になれるわけがない、俺ごときが長門有希と付き合えるわけがない、いや、付き合いたいのはもしかすると山々なんだけど、とてもではないがそんな想像に実感は持てないし、ましてや恥ずかしげもなく表明なんてできない。
「俺の嫁」や「萌え」を表明する人々はめっきり目にしなくなった。彼らがタイムスリップしてきたとしたら、嘲笑の的になることだろう。

(追記。この記事を書いていた頃はこのように考えていたが、今は人々の所属欲求や一体感への渇望、あるいは「ライフスタイルの構築」の高じた先が「推す」ということだったと考えている。のでここは話半分に聞いていただいて構わない。とはいえ、従来の「彼」と「私」による一対一の関係性を重視する思想が弱体化したのは確かだ)


寝取りやハーレムにリアリティを感じられなくなった

男性は、ステレオタイプ的には「自分を慕う女性を侍らせている状態」、あるいは「女性を奪う」のを好む。みなさんにも多分、漠然とそういう認識はあるだろう。

本能に近いところで男性にそのような嗜好が備わっているのは間違いない。
しかし、おそらくだが、それは「男性の男性としての自信」が満たされていることを前提にした欲望だったのではないだろうか、と俺は思う。

幼少期の我々は、大それた荒唐無稽な将来の夢を抱いていた。成長の過程でそれらに手が届かないということを学習すると、自分の実像と夢のイメージを鮮明に重ねることはできなくなる、あるいは恥ずかしげもなくそれを発表するのを躊躇うようになる。
「ハーレム」や「処女崇拝」や「寝取り」は今そこに位置している。
大勢のヒロインを惚れさせて自分の虜にしていく主人公と自分を重ねられなくなった……のではないだろうか。

ここまで、寝取られ性癖と男性の自信喪失を関連付けてきた。
では何故男性の自信が失われたのか? 何故その傾向がここ数年で顕著に現れたのか?

……の前に、ひとつ言っておかなければならないことがある。


「寝取り」の派生としてのNTR

実を言うと、寝取られ性癖は見かけ上ほど流行していない。
いや、寝取られというジャンル、カテゴリーがこれまでにないほど勢いを付けているのは間違いない。
ただし、”ジャンルとしての人気"がすぐさま”寝取られ"の人気であると断言できない理由がある。

何故か。NTRというカテゴリーは、存外に懐が広いのだ。
実を言うと、NTRの愛好家の中には、実質「寝取り」に近い性的興奮を求めている人が少なくない。

NTRの中にも大別して2つの系統があり、そのうちの1つは、「寝取り」の発展型としての寝取られだと見なすことが出来る。
寝取られには悲壮感や喪失感を強く残す作品と、比較的残さない作品がある。「寝取りの発展型としてのNTR≒苦い後味があまり残らないNTR」だと言える。(ドラマパートがそっちのけで、ヒロインにア○顔をさせるためだけに寝取られ展開があるような作風、というのがわかりやすい例かと思う)

この系統のNTR作品で、メイントピックは「女性が去っていくこと」や「女性が奪い取られること」ではない。
寝取られ性癖の典型的なイメージ、「女性が奪われることに興奮する」ことそのものが題材ではないというわけだ。



後述するが、俺はNTR性癖の全てが「陵辱の別バージョン」だとは考えていない。
しかし、その勢力のかなりの部分が、実質的な「寝取り」や「陵辱」で感じるものと同質の興奮であることには激しく同意する。

「寝取り」「陵辱」においては、”堕ちる女性"を愛で、興奮することが目的のひとつとなる。気高い女性が快楽の虜になっていったりすることが興奮材料となるわけだが、なんで「寝取られ」でそれを感じるのかと言うと、赤の他人であるよりも、「主人公の恋人」だとか「主人公の想い人」だといった立ち位置である方が、ヒロインを高いグレードに置くことができるからだ。

「主人公がどこかの女性を陵辱する」よりも、「主人公の恋人が掻っ攫われる」方が、ヒロインが「堕ちた」印象は強固だ。
そして先程述べたように、男性の自信が喪失し陵辱や寝取りにリアリティが感じられなくなったことも無関係ではないだろう。


男性性の損傷が激しくなかった1990年代では、男性主人公に自分の姿を重ねて凌辱の快感を味わうことができました。悪意と性欲の固まりである男性主人公に感情移入することが時代的&男性性的に可能だったのです。しかし、日本が不況に陥り、2000年代に入って派遣法が改正され、解雇が珍しくなくなり、仕事だけ増えて給料は上がらない状況が長引くと、90年代の頃のような状態の男性性を維持できなくなります。男性性の損耗が90年代より激しくなったのです。その結果、90年代の凌辱ものにあったような男性主人公は、読者にとっては遠すぎる存在、感情移入できない存在となります。あまりにも凶悪すぎる男性主人公に没入するのが難しくなります。社会自体が悪意の固まりへと向かう中で、その悪意の固まりに自分を投入することは難しかったのです。でも、その悪意の固まりが第三者ポジションなら? 主人公ではなく第三者ならば――第三者を眺める形ならば――凌辱の快感を味わうことができます。


正真正銘? の寝取られ性癖・寝取られマゾ

ただし俺は「寝取られマゾ」が存在していないとは考えない。NTRの人気上昇の理由としてより大きなウエイトを占めるのは、寝取りと陵辱の愛好家の新たな性癖開拓と男性の弱体化だとは思うが、「寝取られマゾ」が増加した根拠はある。


これらが物語るのは、交際経験のない人、未婚率、性経験のない人の割合が増加傾向だということだ。とりわけ男性に現れている。
恋人のいたことのない20代男性はほぼ4割。「男性全体」でも33.8%。

先ほど語ったこととやや重複するが、男性の3割、もしかするとそれ以上(交際経験があっても手痛い失敗に遭ったっていう人もいると思われるので)が、異性と円満に交際するというビジョンにリアリティを見いだせないとしてもおかしくない。

寝取りにもハーレムにも、普通の恋愛話にも感情移入できなくなった彼らの漂着したのがNTR。
自分と女性が愛し合うよりも、その女性が全く別の誰かを好きになったり、浮気されたりという方がよっぽど現実的に感じられる。

これが、「寝取り」の延長上として捉えて興奮しているパターンと何が違うのか、と思われているかもしれない。
あちらでは「女性が嬲られる様」とか「女性が堕とされる様」をフォーカスしていたが、こちらでは想い人が盗られる胸糞の悪さを重視している。前者はマゾヒスティックな要因が相対的に少なく、後者は多い。
……とはいっても、これも結局は程度問題で、白か黒かの話ではなく、ほとんどの場合がグレー……それがチャコールグレーなのかライトグレーなのか、という議論になるのだろう。こちら側の寝取られ性癖を持っているからと言って、寝取りの延長上としての興奮を全く感じていないのかといえば多分それは違う。

「普通の男性用」に作られたポルノに感情移入できなくなった男性たちは、「相思相愛」が発生するよりも「寝取られ」に脅かされる可能性の方が遥かに実感として強かった。「寝取られ」の驚異が蔓延している中で生存するには、「寝取られ」の不快感を快感に変換するような精神構造へ適応する必要があった。
これが2つ目の、寝取られ性癖増加の仮説である。

NTRのシェア率が増加したもっとも基本的な要因は、男性の自信喪失と弱体化だ。
そしてその要因が大きく分けて2つ、競争社会での敗北異性関係だというのは、これまで見てきた通りだ。

「おや?」と思われた方もいらっしゃるかもしれない。そう、実はこの2つにも関係性を見出すことができる。
競争社会で破れた者は、高確率で自由恋愛のステージからも降りることになる。結婚や交際には、社会的地位と経済力が必要だからだ。富と地位の格差はマッチング率の格差でもある。この負のループがある限り、NTRは繁栄し続けるだろう。


余談 定義の錯綜について (新たに生まれたBSS)

これについて記載するかどうか、記事を改めるかどうか迷ったが、おまけという形でここに書いておこうと思う。
NTRはその定義において度々の論争を呼んでいる。
寝取りを「NTR」と呼んでいることすらあり、スラング慣れしていない方々は混乱するだろう。
とはいえ、NTR=寝取りとしているケースは少数で、概ねNTR=寝取られで共有されているので、議論の紛糾と言うよりは誤用に近い。

それはともかく、「BSS=僕が先に好きだったのに」という言葉がいつの間にか生まれていた。
寝取られの定義について議論を紛糾させてきたのは、「付き合ってもいない女性が他の男と交際したことを寝取られだと言ってもいいのか」だった。
寝取られに分類されてきたシナリオの類型に、片思い相手や友達以上恋人未満の女性が他の男に言い寄られて……みたいなのがある。厳密に言えばこれは「寝取られ」てはいないので、ただの失恋ではないのか? と批判されてきたわけだ。

BSSとは、そのグレーゾーンを言い表すために生まれた言葉だろう。批判回避のための策と言い換えてもいい。

ただ、俺としては別にそれもNTRって呼んでしまっていいんじゃないかな、と思っている。ここまででNTRには2種類の様式、寝取りの発展型としてのものと文字通り寝取られることそのものに興奮してしまうものがある、と言ってきた。
「寝取られることそのものに興奮する」という面では、むしろBSSの方が、寝取りの発展型としてのNTRよりも「寝取られ性癖」に近い。なので、そっちが寝取られと呼ばれていることをみんな受け止めているんだから、こっちも寝取られでいいのではないのか、というのが俺の言い分だ。


余談2 「寝取らせ」とそこから見るNTR性癖のもうひとつの理由

意図的に恋人や配偶者を他の男とデートさせたり性行為させたりすることを「寝取らせ」と言う。
(カップル・夫婦間で合意のもと寝取らせを行うパターンと、男性側が秘密裏に環境や間男役に働きかけて女性側が浮気をするように仕向けるパターンがある)

これは紛れもなく「寝取られ」の派生なのだが、しかしこれを紐解くにはまた別の見方も必要になるような気がする。
言うまでもないかもしれないが、寝取らせは純粋な寝取られと違って、少なくとも企画段階では寝取られる男性側にも主導権はある。(ただし、思ったより女性が浮気相手にハマってしまい手綱を握れなくなってしまった、までテンプレだが)

既に「交際している」「結婚している」を達成しているところからスタートすることも合わせて、相対的に「男性の自信喪失・弱体化」の要因は低いのではないかと考えられる。あくまで比較的、だが。

ではそれに代わる要因は何なのかと言うと、「人のものは魅力的に見える」ということではないだろうか。
ポケモン赤緑をやっているとしよう。あなたはリザードンが好きだ。カメックスとフシギバナには興味がない。しかし、俺はカメックスを好んで使っているとする。そうすると、不思議とカメックスが羨ましくなり惹かれていってしまう……なんとなく、この気持ちは想像できないだろうか?

寝取らせによって一時的に恋人が他人のものになると、今まで感じていた以上にその人が魅力的に見えてくる。
「マンネリ解消」といって、カップル喫茶やハプニングバーを利用する人々が何故いるのかというもの、ここらへんにヒントが隠れている。

これは寝取らせに限らず、寝取られ性癖にも言えることだ。
というか、こんな形で補足している場合ではなく、本文中に投入するべきだと思う。「他人の女」になってしまうことによって、ヒロインの高級感が増します。そうするとそのヒロインは一層強く我々の心の中に残ります。

2020 12/27追記 余談3 他の雄との競争と闘争心

最近わかったことがある。どちらかというと、これは「寝取りの延長としてのNTR説」を支持する。
動物にとって、そして人間にとって、「遺伝子を遺す」のは他の何にも勝る命題だ。個々人の脳内では違うかも知れないが、少なくとも”種"としてはそうだ。長きに渡り淘汰されず生き残っている種は必ず、子孫を遺すことに最適化されている。

そのプログラムのために雄はどうするのか。
種によって、雌に自分以外の雄を近づけさせない、他の雄が射精した精液を掻き出す、などして、雌が自分以外の精液で妊娠しないような策を巡らせる。雄は「遺伝子を遺す権利」を奪い合う。

昆虫の世界、動物の世界では、雄同士による雌の奪い合いが熾烈であるほど、射精量を増やして着床の確率を底上げするよう適応する。一匹の雌に対し、何匹もの雄が射精するので、ここで精子競争が起こる。そこで、射精の量をできるだけ増やすことによって、相手の雌が自分の子孫を身ごもる可能性を高める、という戦略を取る。
交尾の最中、他の雄の匂いを嗅ぐと射精量が上昇する、という種の存在が報告されている。

性的興奮と射精量を結びつけて考えると、寝取られによる性的興奮とは、もとを正せば間男の精子を上書きし、自分の子を身ごもらせるために備わったメカニズムだったのかも知れない。


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