月面サナトリウム

心象の世界で呼吸する。

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  • モノローグロム

    日々の記録。

  • 徒然日記。

    感情整理の日記。整えられてないので、あまり綺麗な文章ではありません。

  • 25時ごろ、待ち合わせ。

    今日はどんな日でしたか。 25時頃、大切な今日を想って書く文章です。 2019.7.8〜2019.12.31

  • ◇ 夏の片道切符

    今年の夏の記録。 散文詩、自由詩。

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    お散歩の記録。 自分のための、丁寧な時間。

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恋愛音楽

季節感の乏しい夏。 朝、マスクをして駅までの短い時間空を見上げる。 ワイヤレスイヤフォンを耳に押し込んで、8月の私は今日も音楽と一緒だ。 外側だけが非常に夏っぽい。ように見える。 子供の頃の原風景のような、真っ白い入道雲と高発色の青い空。 * 相も変わらず、大人になった今でも音楽に恋をしている。音の為に生まれてくる、言葉の感触も同様に。心の内側を見つめ続けるような、それを季節や幻想に投影するような、そんな音楽が好きだった。長い時間、心を守ってくれたのは、そういう音楽だ。

    • 作り変わる青。

      あの頃の原風景のような場所に仕事の移動で通りかかった。 バスの一番後ろの席に座って、あの頃と少しも差異のない心の私がいた。 大切なものは日々のあれこれで簡単に後回しになってしまう。 変わってしまうのは仕方がないことだから、 あの頃と同じ熱量でいられない自分を後ろめたく感じている言い訳のように。 変化、変化、変化する。 でも今日、原風景のような車窓の外の景色を目にした途端、耳の奥で音楽が鳴った。 感傷的なギターのリフから始まるその音楽。 一音一音をなぞるように、滑らかに音が

      • 夏至のよる。

        どうして春になるとindigo la Endが聴きたくなるんだろうと、ふと思う夜。 春の空気で満たされた肺は桃色だった。 何はなくとも日々はちょっとだけ感情過多に沈んでいくのです。 あっという間に季節が傾いて、夏至を迎えた6月。 一周回って全部分かってるような、きっと正しくない全知全能感。 哲学めいた自問自答を繰り返すたび、 そんなことはとっくに分かっている、どうすべきかも知ってる。 でもそれがどういうわけかできないんだ、と。 その先へ行けるはずの切符を、心と体のどこかに

        • さよなら2022年。

          空を見上げることと、呼吸すること、私の言葉を紡ぐことはなんだか似ている。 心に余裕が持てない日々の中ではどれも忘れてしまいがちなこと。 年の瀬の冷たい空気に肺が凍りそう。 暮れてゆく向こうの空はとても美しかった。 当たり前のどれもが実は贅沢な嗜好品のような気がしてくる。 安心して眠りにつける部屋、心を包んでくれる誰かの存在、夢や理想がこの手の中にあること。 嘆いてはいけない、捨ててもいけない。 ただひたすら抱えたまま時間が過ぎるのを待っていた。 いつか誰かが何とかしてくれ

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        記事

          小説 by the window

          *こちらの小説は#2022クリスマスアドベントカレンダーをつくろうに寄せて執筆した作品です。 † † †  ここは、アンダーグラウンドなサブカル好きが夜な夜な集まるライブハウス〝under gallery〟 住宅街を縫うように進み、螺旋階段を下へ降りると、クラシカルなダークブラウンの扉が現れる。 12月に入ったばかりの或る日の昼下がり。ギターでも弾こうかとネックに指を伸ばしたところ、スマートフォンからトークアプリの軽快な効果音が聞こえてきた。一瞬の沈黙。浮かしていた腰を

          小説 by the window

          ピレネ

          色んなものがどんどん便利になって、少し前までの〝当たり前〟の呼び名はレトロ。 流行っては廃れていくのを横目にみながら、どれもこれも私には上手くなじまない。 歳を重ねるごとに流行とはかけ離れていくの? いいえ、私はいつだってそういうものに疎い。興味を持つのがいつもタイムリーではないようだ。 当たり前に使っているApple Musicのサブスクも最初はすごく抵抗があった。音楽は大好き。でも私は本当に大好きな音楽だけを一日中聴いていたかった。CDを買って、PCに読み込んで、ipo

          【手書き自由詩】四月の記録。

          2021年4月。 Twitterにて春の自由詩を毎日更新していました。 「四月。春爛漫の、窓辺から。」 これはその記録です。少し長いけれど、よかったら読んでくださるとうれしいです。 ********* 4月31日、 窓辺から記憶を解いたら来年へ。 春そのものになった体で 目覚めた世界の息吹をなでる。 ************ 《八月。曹達水とロマネスク。》 《十二月。奏者の指は、物語をめくる。》

          【手書き自由詩】四月の記録。

          uka.

          晴れた日に空を見上げることを随分と忘れていた 空の下に閉じ込められた私たちは 見上げることで光合成 感性を伸ばしいつか心は空に届きまた海へ還る この目に映るもの この手に触れるもの  確かに受け取った愛の類 贅沢じゃないか 何にもなれなくても与えられた光がある 気に食わないのはいつまでも眠ったまま羽化しない自分の弱さ 唯一の美しさを兼ね備えていながら 歪で汚らしいとそれを嫌う覚悟の足りなさ 私がわたしのままで美しいなんて 生まれ落ちる前から決まっている覆らない真理

          師走の徒然。

          思い出すのは遠い日の青。 *** 忙しない12月。 心を亡くすとかいて「忙」なんだと国語の先生が言っていた。毎年思い出す。 相も変わらず12月の私の心は行方不明。 感動も安らぎも、私の心には無縁のように通り過ぎていく。 人と違うと気づいたのは大人になってからかもしれない。 特別な才があるとか、ずば抜けた美的感覚があるとかそういうことじゃなくて、私はいつもどこかが変で普通の外側を生きているみたい。 自分の過敏で緻密な性質は、きっと誰にも分かってもらえないんだろうなと感じる

          COLDSLEEP

          私の中から言葉がなくなって、どのくらいの時間が経っただろう。 上の空を撫でていくだけの表面上の言葉に囲まれて、丁寧に整えられた感情はもう私の物ではなくなった。 目を閉じると、途端に切り離される世界。生きているならなによりじゃないか。宇宙の彼方から俯瞰してみたら、大概のことはどうだってよくなってしまう。神様が気まぐれに指を弾いただけで、私という人間は消えてしまうんだから。 teenageを共にした全てがまるでリバイバルみたいに日常に現れる。誰もが知っているあの子はお母さん

          雑記。

          こんばんは。今日は満月らしいですね。 夜に外へ出てみたけれど、月が高くてまん丸なのかよくわかりませんでした。 最近は言葉になんだかうまく向き合えず、少しだけ憂鬱な毎日です。書こうとしては手が止まり、時間だけが過ぎて行ってしまう。 本当の気持ち100%で誰かと話をすることはできますか? 私にはできません。嘘はほとんどつかないけれど、言いたいことの半分だって言えないのです。 気持ちを尊重し合う時、50%ずつ綺麗に譲り合う事なんてできないでしょう? いつだってどちらかが

          10月だね。

          気が付けば10月になっていました。今年の夏はもう記憶の中へかえってしまって、どこかよそよそしいような静かな時間がここに横たわっている。 幸せでいるためにはどんな努力をしたらいいですか。 時間を無駄にしない生き方と、生き急ぐことはイコールではないんでしょう? たまに頭の中が更地のようになって、感情や出来事の一切が私の中からなくなってしまう。体は確かにここにあるのに、心や感情は遠くへ行ってしまって、ここでどんな風に過ごしたらいいのか分からなくなってしまう。 何者でもない。

          今夜、よるの中で。

          久しぶりに夜のお散歩をしながらnoteを書いてみる。 ここに引っ越してきて一年が経った。 隣の区に引っ越しただけなので何が大きく変わるわけではないけれど、 生まれてからずっと過ごしてきた街を離れるのは不思議な気持ちだった。 前はオフィス街のような場所に住んでいて、 今は住宅街に住んでいる。 田舎に引っ越したわけでもないのに、夜がこんなに静かなことに驚いたのがつい昨日のことみたい。 独特な空気。 この夜の中を歩いていたら、 どこまでだっていけそうな心地よさがあった。 悲し

          今夜、よるの中で。

          不器用な包みをほどいて。

          7月生まれの私には、毎年包みをほどいて眺めるだけのプレゼントが、1つだけある。 *** 私には5歳年下の妹がいる。 子供の頃の妹は、三姉妹の末っ子気質が強くワガママで、父が〝前世はどこかのお姫様だな〟とのたまうくらい女の子らしい女の子だった。欲しいものは欲しいと言って自己主張する。思い通りにならないと泣いたり怒ったり感情を強く前に出して、両親の手を焼かせた。私とはまるで真逆だった。 物分かりの良さを拗らせた私の横で、妹はどんどん〝自分らしく〟なっていく。自分を押し殺し

          不器用な包みをほどいて。

          ゆめをひらいて。

          夏が暮れてゆくのを、なんとなく横目で見ている。今年はあんなに好きだった夏の心象を、ひとつも拾いにゆかなかった。 目を閉じれば波の音がする。素足に絡む乾いた白い砂。笑い声が響いていたあの海岸は、もう随分と昔の景色のような気がする。 元気にしているかなあ。多分もう、会うこともないのだろうけど。 大事にしていた物の形が少しずつ変わっていく。記憶の中に風が吹いている。同じでいられないのは当たり前のことだった。 夜の生き物だったのに、夜の過ごし方を忘れてしまう。心をどこかに置き

          ゆめをひらいて。

          知らない感情を教えて。

          〝思い込みの怖さ〟は手を変え品を変え、世の中の教訓的な物の中に幾らでも溢れている。 ちょっと角度は違うけど〝人前で咳をするときは手で押さえましょう〟とか〝電車内で大声で通話するのは周りの人に迷惑です〟とか、考えるまでもないようなことが守られないことはいくらだってあって。 雨の日の朝、降車駅の階段を昇っている時、傘を後ろに振って昇っていく人が必ずいる。日常の中で〝危ない思いをした〟と色々な人が言っているのを聞く割に、未だに守られる気配すらない。 無自覚ゆえの関心のなさ。

          知らない感情を教えて。