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S1第5話【アセイルド・ドージョー】

総合目次 シーズン1目次


「ボロブドゥール」「企業のポータルを使う」
「あれは……何者だ……!」「駄目だ、ナラク!」
「王様です」
「ヨグヤカルタに来ている。ちょっとしたビジネス」
「決済できました」
「血を抜くにはやはりボトルネックカットチョップが最も新鮮です」「Wasshoi!」
「あれはサツバツナイト。太古の暗殺術、チャドーの使い手よ」
「スゥーッ……フゥーッ」
「二度触れた者……!」
(怒りが、おれとナラク・ニンジャを繋いでいる)
「こんな事をしたところで、きりがないんだぞ」
「義を見てせざるは勇無きなりです」
「奴がかつてのニンジャスレイヤーだ」


【アセイルド・ドージョー】



1

 タタタタタ……タタタタタ。聞こえてくる銃声は毎夜の事。エンドロが恐れているのは銃声ではない。あの赤い目。だが、それでも心配だった。少年は唾を呑み、深呼吸をした。恐る恐る、あばら家の戸口を覗き込んだ。

「……いない」ザッ。背後で足音。振り返り、目を丸くする。「……いた」

「どうした」フジキドは尋ねた。エンドロは答える。「どこ行ってたんだよ、病人が」「オヌシこそ、何の用だ」「何の用だはねえぞ。心配してンだから」「赤の他人の旅行者に……」「ヘヘッ」エンドロは照れ笑いをした。「カラテカなんだろ、アンタ。だから病気が治ったらさ……」

「ともあれ、丁度良い。エンドロ=サン」フジキドは言い、苦しげに唸った。エンドロが手を差し伸べるが、辞し、肩に手を置いた。「例のウィッチドクターを呼んできてくれ」「わ……わかったよ」「頼んだぞ」「わかった!」少年が走り去るのを見届け、暗い屋内へ倒れ込むように入った。

「スウーッ……ハアーッ……」壁に背をつけて座り、深い呼吸を繰り返す。「スウーッ……ハアーッ」呼吸にあわせ、瞳の赤が明滅する。

(カラテカか)フジキドは少し寂しげに笑った。意識が混濁し、視界が闇に落ちると、彼が見ているのは現在ではなく過去であり、ヨグヤカルタではなく岡山県であった。


◆◆◆


「ウシロアシ!」「イヤーッ!」「ヒノクルマ!」「イヤーッ!」「モウイポン!」「イヤーッ!」

 繰り返される屋外のカラテ・シャウトに耳を傾けながら、フジキドは赤いキモノを着たたおやかな美女と向かい合って座っていた。手入れされたタタミが敷き詰められた、ごく狭い茶室である。

「ドーゾ」泡立てたチャで満たされた器を美女が差し出すと、フジキドは頭を二度下げ、器を受け取った。そのしぐさはいかにも素朴で、美女の奥ゆかしい優雅さからは程遠い。彼は茶器をまわし、啜った。「ケッコウナ・オテマエデ」「ドーモ」美女が頭を下げ、微笑んだ。「茶菓子を」「いただきます」

「サンセイ!」「イヤーッ!」「セッカ!」「イヤーッ!」

 フジキドは外へ視線を向けた。敷き詰められた白砂よりもなお白いニュービー装束に身を包んだ若者たちが、号令にあわせてカラテをふるっている。彼らニュービーニンジャは常人から修行によってニンジャになろうとする、いわばリアルニンジャのタマゴであり、ソウル憑依者と比較すれば余程弱い。

「フジキド。今は何を?」美女は静かで優しい笑みを浮かべ、問うた。フジキドは首を振った。「かわりはなく」「旅ですか」赤い目を覗き込む。「ともあれ健康そうで何より」彼女の名はユカノ。岡山県の人里離れた険しい山の頂付近に弟子達と暮らす、神秘的な「ドラゴン・ドージョー」のセンセイだ。

「少し、増えたか」フジキドはチャを啜り、ニュービーニンジャ達を眺める。「そうですね、何人か。貴方がここを最後に訪れたのは何年前でした?」「およそ二年」「早いものです」「彼は? タイセン=サンか」号令をかける青年を示す。「ええ。立派になったものでしょう。後で見てやってください」

 フジキドは穏やかに固辞する。「俺はセンセイではない。ユカノ」「だがそなたのカラテはなかなかのものであろう、サツバツナイト=サン」ユカノは厳かに言い、それからウインクした。そのバストは豊満である。「タイセンはよくやっていますが、己の力を過信させてはなりません。わからせてやって」

 やがてフジキドは白砂の上に降り、ニュービーニンジャが落ち着かなげに視線をかわす中、タイセンと向かい合う。青年は欠けた歯を見せて笑い、フジキドに力強くアイサツした。その頬には十字の傷がある。「あれから一日だってカラテ鍛錬を欠かしてません。オレ、だいぶ貴方に並びました」「そうか」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 数度の打ち合いを経て、タイセンは白砂に突っ伏していた。ニュービーニンジャが「おお」と声をあげた。フジキドはタイセンを手招きする。「言葉通り、オヌシのカラテの充実が伝わってくるぞ」「ちょっとスリップしただけです」タイセンは口を拭い、スプリング・ジャンプで起き上がった。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「……グワーッ!」

 再び突っ伏したタイセンは果敢に起き上がり、フジキドに再び挑んだ。「カカッテキマス!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」木人拳めいたワン・インチ距離の連打の再開である! フジキドは感銘を受けた。実際、タイセンは二年前よりよほど強くなった。ユカノはよいドージョーを作っている……。

「イヤーッ!」「グワーッ!」フジキドのポン・パンチが、いい入り方をした。タイセンは背中から叩きつけられ、バウンドして、仰向けに倒れた。「……!」悔し気に呻き、起き上がろうとして、果たせず、倒れた。フジキドは歩み寄り、手を差し伸べた。タイセンは手を取った。「オレはもっと強いんです、本当は」「うむ」

「ほほう、成る程、峻厳極まる崖を上った果てに、このような!」

 フジキドとタイセンは振り返り、ニュービーニンジャ達と共に、声の飛んできた正門方向を見た。ドージョーの人間の声ではなかった。声の主……芝居がかった仕草で両手をひろげて見せたのは、彼らの知らぬニンジャであった。然り。一目でニンジャとわかった。

「イヤーッ!」すぐさま、茶室のエンガワから風めいてユカノが飛び来たり、フジキドの前に立って、その者を見据えた。キモノであったユカノの装いは、今やドラゴンの刺繍を施した赤いニンジャ装束である。フジキドはすぐに察し、ユカノと並び立った。

「あれは……?」タイセンが目をすがめた。ユカノは青年を見た。「タイセン。皆を率い、さがりなさい」「ですが……」「すぐにせよ! お前が守るのだ!」「ハイ!」危急を察し、緊張した面持ちで頷くと、どよめくニュービーを連れて奥へ去ってゆく。

「ンンン、剣呑ではないか」ニンジャが嘲った。「まだ何も目的を告げてはおらぬというのに。仮に我々がチャを所望しに参っただけだとすれば、これは大変なシツレイだぞ、ドラゴン・ニンジャ=サン」グルグルと喉を鳴らして笑う。彼の目には異様な迫力があった。

「ああそう、我々だ」彼は強調した。「気のおけぬ仲間がおって……」周囲に立ち込めていた靄が不意に集まり、赤いプレートメイルニンジャ装束に身を包んだ不穏なニンジャの姿を取った。波打つ黒髪を肩まで伸ばし、その瞳はほとんど白目と見分けがつかぬ明るい灰色。ユカノの緊張が倍化する。フジキドは既に橙の火を宿す黒のニンジャ装束姿となっている。

 さらに、メキメキと地面が音を立てて隆起した。その亀裂の中から、不気味な姿が這い出した。「アバー……」怪物……ムカデ……否……一応は人間の姿をしていた。どこの国の衣装ともしれぬ装いであったが、魔術・妖術の類の文化を強く感じさせる服装だった。最初のニンジャは咳払いした。「然り、この三人だ」

 晴れていた空はにわかに曇り、呻き声めいた不気味な風が氷の粒を伴って強く吹き付けた。ニンジャ達の視線が交錯した。「ドーモ。ドラゴン・ニンジャです」まずユカノがアイサツした。そしてフジキドが。「ドーモ。サツバツナイトです」

「サツバツナイト?」赤い鎧のニンジャが目を細めた。「ならば、余も左様名乗るとする」赤い鎧のニンジャがアイサツした。「ドーモ。レッドドラゴンです」

「SHHHH……」奇怪なニンジャが続けてアイサツした。「ムカデ・ニンジャです」最初のニンジャはずっと喉を鳴らして笑い続けていたが、最後に漸くアイサツした。「ケイトー・ニンジャです」

「訊いておこう」ユカノは威厳あるドラゴン・ニンジャとして問うた。「この地に参った理由を」「チャでも飲みながら昔話に花を咲かせたかったのよ」ケイトー・ニンジャが嗤い、すぐに自ら首を振って否定した。そして言った。「いや、貴殿がそれを望まぬであろうな、ハトリの騎士よ。我らの目的は、そうさな……謳歌だ。宝探しでもよい」

 ドラゴン・ニンジャがギリと歯を食いしばる音をサツバツナイトは聞いた。ケイトー・ニンジャが隣のレッドドラゴンを見る。「というわけで……貴殿の所望を言い給え」「ヌンチャク・オブ・デストラクションを」影から無数のコウモリが羽ばたき、背に繋がり、マントを形成した。「ワラキアの我が民に、よき土産となろう」

「あれも、そうか」サツバツナイトがドラゴン・ニンジャに確認した。彼女は頷いた。「然り。経緯はわかりませんが、彼らは皆、かつてありしリアルニンジャ達……私にはわかります」「当然、友好的な訪問では」「ありませんね……!」二者は三者を睨み、ジュー・ジツを構えた!

「貴殿はどうだ、ムカデ・ニンジャ=サン?」ケイトー・ニンジャは身内に尋ねた。身構えたドラゴン・ニンジャらを前に、依然くつろいだ様子だ。ただならぬニンジャはヴェールの奥から答えを発する。「……SHHH……メンポ・オブ・ドミネイション……あれをいただこう」「ほう! 何に使う」「国よ」

「国か! アッパレ!」ケイトーは喉を鳴らした。「では俺はブレーサー・オブ・リジェクションにしておけば、ちょうど収まりがよいか?……ほう、ブレーサーは無いか。そうか」ナムサン……ドラゴン・ニンジャの微かな瞳孔の動きから、ケイトーは問いの答えを得てしまった。なんたるニンジャ洞察力か。

「皮算用はそこまでです、盗人ども」ドラゴン・ニンジャが言った。ケイトー・ニンジャは目を光らせる。「なに、拝借するだけだ。よいではないか……見たところ、貴殿らからは我らに比するカラテは感じぬ。だから、仕方がないと思わんかね? 我らは謳歌したいのだ。時経たこの鮮やかな世界をな……」

「宝はどこにある」レッドドラゴンが問い、ムカデ・ニンジャが答える。「霊廟だ……ドラゴン・ニンジャはこの山を深くくり抜き、ハトリの宝を納めておる……宝……SHHHH……」「そう、それを我らが役立ててやる。よかろう?」

「霊廟は宝物殿ではない」ドラゴン・ニンジャが否定した。彼女とサツバツナイトは視線をかわした。霊廟はたしかにこのドージョーにある。遥かな昔に作られた禁断のダンジョンだ。そこには過去のドラゴンニンジャ・クランの者たちがミイラ化していまだ防衛の任につき、強大なシークレット・レリックの拡散を防いでいる。

 ドラゴン・ニンジャはかつてオヒガンのキョート城へ冒険の旅に向かい、様々な苦難を経て、ヌンチャク・オブ・デストラクションとメンポ・オブ・ドミネイションを持ち帰った。ブレーサーはいまだキョート城主のもとにある筈だ。以来、ヌンチャクとメンポは霊廟深部に収められ、封印保管されている。

「ああ、霊廟の防衛や罠の類に気をつけねばならんぞ?」ケイトーが言うと、レッドドラゴンは前へ踏み出した。「どうという事はあるまい。行くとしよう」「SHHH……未熟なニンジャのどもの肉と血……」ムカデ・ニンジャが言った。「瑞々しい命……まずワシはそれを楽しむとして」

「イヤーッ!」ドラゴン・ニンジャが得物のマストダイ・ブレイドを鞘から抜き、ムカデ・ニンジャに仕掛けた。「イヤーッ!」サツバツナイトが跳び、レッドドラゴンの加勢を阻んだ。

「イィー……ヤヤヤヤッ!」ムカデ・ニンジャはドラゴン・ニンジャの打撃とマストダイ・ブレイドの連続攻撃に晒された。「SHHH!」怪しき法衣が斬り裂かれて宙を散ると、長虫めいた影が地を滑った。これはミガワリ・ジツだ! 地面に潜ったのである!

 地面の隆起は稲妻めいた軌道を描いて奥へ逃れてゆく。その先に霊廟が、そしてタイセンたちが避難した洞穴がある……!「おのれ!」追おうとしたドラゴン・ニンジャにケイトー・ニンジャが立ちはだかった。「自由にさせてやらんか! はははは!」

 一方サツバツナイトはレッドドラゴンとワン・インチ距離で向かい合い、木人拳めいて打ち合いを続けていた。サツバツナイトは既に三打を受けている。「イヤーッ!」「グワーッ!」四打。レッドドラゴンの脇腹に蹴りを見舞うが、赤い鎧が衝撃を防ぎ、黒いマントが脚に絡んで投げ飛ばした。「グワーッ!」

 サツバツナイトは空中で回転し、バランスを取る。「イヤーッ!」レッドドラゴンは黒いスリケンを放った。それらはクナイ状に身を尖らせたコウモリたちだ。「イヤーッ!」サツバツナイトはスリケンを連射してコウモリを迎撃した。更に回転の中からフックロープを放った。狙いはレッドドラゴン……否! ケイトー・ニンジャである!

「ハッハハハ……」ケイトー・ニンジャは既にドラゴン・ニンジャに二度打撃を加え、首を切断すべくチョップを振り上げていた。「実に笑止……!」そこにフックロープが絡みついた。ケイトーは一瞥し、緋色の雷光を腕に纏わせ、焼き切った。「イヤーッ!」ドラゴン・ニンジャは刃を繰り出した。ケイトーは指先で刃を挟み、止めた。

 ドラゴン・ニンジャは刃をそのまま手離した。そして奥を目指して走り出した。入れ違いに、サツバツナイトが跳び蹴りでケイトー・ニンジャに挑みかかった。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ケイトーは蹴りを腕で弾き、掌打で顔面を破壊しにゆく。「イヤーッ!」サツバツナイトは側転で躱し、チョップを繰り出す。打ち合う二者を無数のコウモリが包む。レッドドラゴンのヘンゲだ。

「サツバツナイトとやら」打撃を防ぎながらケイトー・ニンジャが問う。「我らは目覚めていまだ日が浅い。今の世のありようを早く知りたいのだ」サツバツナイトは打撃の中でこの者の恐るべき圧力を、そのカラテのほどを測ろうとした。確かに相当の使い手。そして「時の力」とでもいうべき迫力。

「イヤーッ!」身を沈めてチョップを躱したサツバツナイトは、狙いすましたポン・パンチをケイトーの腹に叩き込んだ。「ヌウーン!」殴られながらケイトーは両手をサツバツナイトの腕に当てて威力を殺す。キリモミ回転して吹き飛ばされるも、受け身を取って着地、平然と話し始めた。「故にまずドラゴン・ニンジャを訪ねたのだ。そして……」

 サツバツナイトは背後から胸を貫かれ、心臓を掴みだされる感覚を覚えた。ニンジャ第六感が伝えてきたコンマ数秒後の予兆だ。「イヤーッ!」振り返りながら肘打ちを繰り出すと、背後で凝集して再び人の形を取ったレッドドラゴンが舌打ちして打撃を防いだ。「ンンン……貴様の名は何だ? サツバツナイト=サン」彼は問うた。

 一方、洞穴にニュービーニンジャを潜り込ませたタイセンは、己はイクサに加勢すべく、外から岩戸を閉じようとしていた。ふと振り返ると、今まさに土の隆起が迫って来ていた。「何だ……?」

「イヤーッ!」「グワーッ!?」弧を描いて飛んできたスリケンが肩に突き刺さり、タイセンは倒れ込んだ。スリケンを投げたのはドラゴン・ニンジャである。タイセンは負傷しながら洞穴の中に転げ込んだ。

「岩戸を閉じよ! タイセン=サン!」土の隆起を追って走りくるドラゴン・ニンジャが厳しく命じた。タイセンは……「AAARGH!」土が爆ぜ、無数の関節を持つ禍々しいニンジャが飛び出した! ナムサン!

「瑞々しい! 肉!」「キエーッ!」「グワーッ!」ドラゴン! 間一髪、強烈な跳び蹴りがムカデ・ニンジャを背後から襲い、岩戸の横の岩肌に叩きつけた。タイセンはもはや愚かな考えを抱かなかった。失禁しながら岩戸を内より閉じた。ムカデ・ニンジャは身をよじり、ドラゴン・ニンジャを見た。

「SHHHH……!」「通すものか!」ドラゴン・ニンジャはジュー・ジツを構えた。ムカデ・ニンジャが襲い掛かった。「AAAARGH!」「イヤーッ!」ムカデ・ニンジャは多くの関節を備えた腕を無数に生やしており、これに対処するのは至難であった。ドラゴン・ニンジャは極限状況で太古のイクサの記憶を引き出そうと必死だった。

「AAAARGH!」ムカデの腕がドラゴン・ニンジャを襲う!「ンアーッ!」(なんとぎこちない事か)ドラゴン・ニンジャの主観時間が泥めいて鈍化する。(かつての十全のカラテがあれば……)ソウル・ブロウナウト……ニンジャソウルを直接破壊する極めて強力なカラテ奥義がニューロンをよぎる。だがその記憶は捉えるより早く去った。

 かわりに彼女が記憶の奥底からかろうじて引きずり出したのは……「AAARGH!」ムカデ・ニンジャが彼女をとらえんと、全ての腕を拡げて迫った。彼女は掌を口元に盃めいて添え、息を置いた。「フッ」そして身を引いた。ムカデ・ニンジャが息に触れた。息は凝縮されたカラテであり……爆発した。

 KABOOM!「グワーッ!」ドラゴンブレス・イブキ! 炎すら掻き消すナイトロめいた衝撃波を抱き込んだムカデ・ニンジャは苦悶し、痙攣しながら土の上に倒れ込んだ。だが、ドラゴン・ニンジャに追撃は許されなかった。彼女はケイトー・ニンジャが向かって来るのを見た。サツバツナイトが留めきれなかったのだ。ケイトーは霊廟へ……。

「イヤーッ!」ドラゴン・ニンジャは数十メートル離れた参道めがけ、スリケンを投擲した。そこをゆくケイトー・ニンジャが、歩きながらスリケンを指先で挟み取り、捻じり切った。「ゴキゲンヨ!」嘲笑う一瞥を残し、彼は霊廟へ通ずる道へ向かった。この一瞬の判断が明暗を分けた。ドラゴン・ニンジャの背後からムカデが再び襲い掛かった。「ガババババ!」

「イヤーッ!」ドラゴン・ニンジャの振り向き蹴りだ! これに対し、ムカデ・ニンジャは腕三本を切り離して投じた。腕は百足と化し、ドラゴン・ニンジャの身体に巻き付いた。その肢体を締め上げ、牙を立てた。「ンアーッ!」ドラゴン・ニンジャの目が燃えた。ムカデ・ニンジャは間合いを保った。彼女の生命力を吟味しながら。

「ヨギスミカテ……ソルナガバレ!」ムカデ・ニンジャの無数の腕が複雑なサインを描き、牙まみれの口から意味不明の文言が迸る。百足が締め上げる。ドラゴン・ニンジャはそれでもなおジュー・ジツを構えた。岩戸の前に立ちはだかり、決して通すまいと。「ロウ・ワン!」ムカデ・ニンジャが叫んだ。

 ドラゴン・ニンジャは目を見開いた。彼女は呪いに抗おうとした。「スウーッ……」チャドーの呼吸は中途で凍りついた。美しい不老の美女は、岩戸の前でジュー・ジツを構えたまま、灰色の精緻な彫刻めいて石化し、動きを止めた。

 ドクン……「イヤーッ!」「グワーッ!」レッドドラゴンの蹴りを受けて吹き飛ばされたサツバツナイトは、その勢いを利用してフリップジャンプし、側転し、連続側転で岩戸の前へ至った。「ははははは!」レッドドラゴンは哄笑し、連続側転で追い来たった。「逃げてなんとする!」

 ドクン……「イヤーッ!」「グワーッ!」サツバツナイトはムカデ・ニンジャの反撃を受け、ドクン……「イヤーッ!」「グワーッ!」レッドドラゴンのカラテを受けた。ドクン……「ヌウーッ……」サツバツナイトは起き上がろうとする……。

 ドクン……「貴殿の所望のものだ」ケイトー・ニンジャが地面にヌンチャクを投げる。レッドドラゴンが手をかざすと、ヌンチャクが宙に浮き、その手に収まる。「フフフフ……イィーヤヤヤヤヤ!」レッドドラゴンは満足げにヌンチャク・ワークを行う。「ヤヤヤヤッ! ハッハハハハハ! ハハハハハ!」

 ドクン……「そ奴は?」「見ての通りよ」ムカデ・ニンジャが言った。「スウーッ……ハアーッ……」百足が締め上げる。「石にしてやれ」「否、ドラゴン・ニンジャが大儀でな」「そうか」ケイトー・ニンジャはムカデ・ニンジャにメンポを渡した。ドクン……。ドクン……。


◆◆◆


「スウーッ……ハアーッ……」闇の中でフジキドの赤い目が明滅する。ドクン……ドクン……心臓が強く打つ。フジキドは生かされた。タイセンも、ニュービーニンジャ達も、無事であった。三人のニンジャはただ嘲笑い、神器を奪い、去っていったのだ。

「スウーッ……ハアーッ……」かつてのフジキドであれば……ニンジャスレイヤーであれば……ナラクとともにあった頃の彼であれば、どうだったか? そして、その後どう行動したか? 詮無い仮定だ。その目で新たなニンジャスレイヤーを目にした時、それは決定的な実感として彼の心に落ちた。

「スウーッ……ハアーッ!」フジキドはサツバツナイトである。神器を取り戻し、ドラゴン・ニンジャを……ユカノを元に戻さねばならぬ。探索は彼をこのヨグヤカルタの地に導いた。ムカデ・ニンジャの支配する地に。

 フジキドは再度ムカデ・ニンジャに挑み、敗れ、自らもロウ・ワンの呪いを受けた。彼は呪いに縛られ、この地に縛られている。「スウーッ……ハアーッ……」だが、こうして敗れようとも……次こそは……!「スウーッ……ハアーッ!」あばら家の中で彼はチャドーを深める……!


2

「おっさん」エンドロが顔をのぞかせた。「おっさん? 生きてる? フジキド=サン?」「……」「ウィッチドクター、連れて来たぞ」「……」「生きてるか? ちょっと」「……うむ」闇の中に赤い光が灯った。フジキドが片目を開けたのだ。そしてエンドロを押しのけるように皺くちゃの老婆が入って来た。

「生きていた、これはびっくりだ! 逃げ帰ったかえ? ホホーッ!」ウィッチドクターは合掌し、フジキドを拝んだ。「よせ」フジキドは手で制した。そして枕の横の頭陀袋に手を挿し入れ、黒く萎びた物体を取り出した。舌のミイラだった。「引き抜いて暫くすると、こうなった」「ホホーッなんと!」

 手をのばした老婆から反射的に手を引き、フジキドはじっと見た。「"なんと" とは? オヌシが解呪の手段を知っているという話だった……」「そりゃあ驚きますとも! 伝承を知っておるんじゃ。だが、確かな伝承じゃぞ。何を今さら疑うかねこのガキは!」ウィッチドクターはやや怒った。「診ないぞ!」

「そう言うな婆さん」エンドロが老婆に耳打ちした。「おっさん、切羽詰まってるんだ。必死なんだよ」「フン……まあよいわ」老婆は咳払いして、乾いた舌の表面の印に顔を近づけた。「左様、邪悪なムカデの王はな、ずうっと昔にこの地を荒らしに荒したのじゃ。大いなる戦いが幾度も繰り広げられ」

「治療!」エンドロにたしなめられ、老婆は懐から見慣れぬ文字で飾られた布の切れ端を取り出し、床に置いた。「しかし、シャン・ロ…」言いかけて声を潜め、「…その子分が実際この印を身体に持っておったという事は、いよいよ伝承通りという事じゃわいの。還って来たのじゃ」布の上に乾いた舌を置く。

「子供! 香炉に火!」「アイ、アイ」エンドロは老婆の指示に従い、部屋の隅に置かれた香炉を準備する。フジキドは老婆と布を挟んで床にアグラをかいた。眉をしかめ、いまだ強烈な呪いの力に抗い続けている。老婆は不意に突っ伏し、頭の上で黒檀の鎖を擦った。「セノケバタ……ヨグノマ……カ!」

 エンドロは胡散臭げに老婆の祈祷を見ていた。だが、やがて明らかな変化が生じた。香炉から立ち昇る白い煙が蛇めいてうねり、布の上の舌のミイラを囲むように漂うと、フジキドの口の中に吸い込まれていった。メキメキと嫌な音が聞こえた。フジキドが苦悶を押し殺し、呻いた。「……できた!」と老婆。

「できたのか?」エンドロが老婆を見た。老婆はニイーッと歯を見せて笑い、フジキドを見た。「深く吸え! そして吐いてみよ」「スウーッ……ハアーッ……」「どうだ! 平気か! 気持ちよくなったか?」「……」フジキドはムカデの痣をさすった。「……そうだな……うむ」「なんと! 成功だわ!」

 フジキドはその場で立ち上がり、軽く跳ねた。「……確かに。感謝する」「感謝せえよ! ま、邪険にはできんしの」「そうだよ」エンドロが睨んだ。「前金もらってるんだ」「いいか、フジキド=サン。そなたの中のムカデは沈めた。だが、くだしてはおらんぞ。一時しのぎじゃ」老婆が目を細めた。

「わかっている」「ロウ・ワンの呪いを解ききるには、引き続き、子の印を集めよ。いたずらに時を経れば元の木阿弥じゃぞ。ゆえにな……」フジキドは布の上の舌を拾い、懐にしまった。「あ!」老婆が惜しそうにする。

「わかった。すぐに呪物を揃える。それまで私が預かっておく」「ああ、そうかい」「それから、エンドロ=サン」フジキドが少年を見た。「頼んでおいた品は調達できたか」「ああ……うん」エンドロは表からポリタンクと粉末瓶を運び込んだ。「カネは足りたか」「足りた。でも、これ……」「充分だ。感謝する」フジキドは品物をあらため、棚の横のドラム缶を振り返った。

 老婆がそそくさと退出すると、エンドロは商売人めいた目になり、フジキドに笑いかけた。「他に何か入り用かい? カネ、まだあるなら何でも調達するからさ……あとカラテを……」「帰れ」「でもさ」「すぐにだ」フジキドが有無を言わさぬ口調で命じた。エンドロは不服げに振り返りながら出ていった。


◆◆◆


「畜生、あのオッサン」エンドロは銃声轟く夜の町はずれを歩きながら、クチャクチャとガムを噛んだ。「もっと稼げるかと思ったのによ」水溜まり付近の電線がバチバチと火花を散らしており、危険だった。野生化した軍用ハウンドの遠吠えも聞こえてくる。「クワバラ」彼は呟き、メモを取り出す。そこには直通のIRC情報が記されている。

 エンドロは周囲の様子をキョロキョロと窺い、そののち、薄明りに照らされたIRC専用デッキ・ボックスに滑り込んだ。トークンをスロットに投入し、金属のボタンをガシガシと押すと、狭い液晶画面にアドレスが入力されてゆく……。


◆◆◆


 タタタタン……タタタタン。30分が経過しても銃声は止まない。街はずれを進むニンジャ、セストーダルは、その音に足を止め、フンと鼻を鳴らした。今宵は反抗勢力が一際調子づいている。どのみち、最終的にはカロウシタイの無慈悲な武力が勝つであろう。彼らはシャン・ロア王の恩寵により、眠らぬ兵士として生まれ変わった者たちなのだ。

 グレイウィルムを殺して逃走したサツバツナイトの居場所が特定できた。高額の報奨金を提示し、密告ネットワークに情報を収集させたのだ。先程、通報者からのタレコミの裏付けが取れた。当初はサツバツナイトにカネで雇われ、仮宿を提供したものの、財布の紐が思いのほか固く、失望したのだという。

(これがヨグヤカルタのルールだ、サツバツナイト=サン)歩きながらセストーダルはほくそ笑んだ。(貴様は何度でも裏切られ、何度でも罠にかかる。のこのこと、この国へやって来てロウ・ワンの呪いを受けたあの日が、貴様の災難の終わりではないぞ)

 随行のカロウシタイは用意していない。残念ながらこの地域にはいまだシャン・ロアの支配を良しとしない勢力が無視できぬ規模で潜伏している。無謀なゲリラ市民を呼び寄せ、くだらぬ小競り合いが起これば、肝心のサツバツナイトを取り逃がす事にもなる。相手は手負いのニンジャ一匹、支障無し。

 セストーダルは民家の屋根へひらりと跳びあがって身を沈め、プロゴ川を背にしたボロ家から漏れる弱々しい明かりを見た。あの建物に相違無し。「SHHHH……」細めた目が妖しく光り、平たい舌がヴェールの中でのたうつ。

 彼は耳を澄ませ、ニンジャ聴力を最大に発揮した。……息遣いが確かにある。セストーダルはもはや躊躇しなかった。身を沈めたまま、彼は奇怪な条虫めいた動きで匍匐前進し、稲妻めいた速度であばら家に至った。

「SHHHH!」彼は室内へ染み入るように入り込んだ!「トッタリ!」盛り上がったフートンを引き剥がすと、ピン、ピンピン……。何らかのワイヤーが撥ねた。

 セストーダルのニューロンにニンジャアドレナリンが注ぎ込まれ、主観時間が泥めいて鈍化した。ワイヤーがゆっくりと剥がれてゆくと、部屋の中に置かれた不穏なドラム缶の付近で火花が生じた。火花はドラム缶の中から引き出された濡れた紐に引火し……視界が白く染まる……。


◆◆◆


 KRA-TOOOOOM!

 「アイエッ!」エンドロは外へ飛び出し、梯子から屋根に上がって、フジキドの仮宿の方角、油っぽい黒煙が炎に照らし出されているさまを見やった。「マ……マジでやりやがった! オッサン!」密告用ホットラインのIDはフジキドに予め渡されたものだ。「マジで!」驚愕はやがて笑顔に変わった。

 父がある日突然徴発された夜の事を彼は決して忘れない。エンドロの父は今も王国のどこかで名前も奪われ、カロウシタイの一員として働いている筈だ。二度とは帰ってこないのだ。エンドロは運命を許さない。ボロブドゥール王を許さない。「メナキュブカン! メナキュブカン!」エンドロは手を叩いた。

「アダ・アパ!?」「アダアパ!?」口々に叫びながら、人々が爆発を見に飛び出してくる。「メナキュブカン!」エンドロはひとしきり笑い、涙をぬぐった。そして呟いた。「だけどおっさん、俺にこんな事までさせて……人遣い荒いんだよ。もっとカネをくれてもいいんだ」


◆◆◆


「グワーッ!」焼け出され、火中のクラッカーじみて回転ジャンプで脱出したセストーダルは、草地を転がり、燃えながらプロゴ川へ走った。その装束と表皮は焼け爛れ、発火薬品の影響でひどいありさまだった。「おのれ……コシャクな……!」「イヤーッ!」目の前の草むらから飛び出す影!

 闇の中、ジェット・ブラックの装束を縁取る橙色の火が、極限状態のセストーダルの視界に焼き付いた。メンポには恐るべき字体で「殺」「伐」のカンジが刻まれている。

「ドーモ。セストーダル=サン。サツバツナイトです」行く手を阻んだニンジャが力強くアイサツした。「このまま……殺す!」「ドーモ……サツバツナイト=サン」セストーダルはサツバツナイトのアイサツに応じた。背中が黒く焦げ、煙を吹いている。風が醜怪なにおいを含んだ。「セストーダルです。おのれ……たばかりおったな……!」

「この状況なりのイクサがある」サツバツナイトが言った。「悠長にはせぬぞ!」「SHHHH!」セストーダルは関節を軋ませ、変形を試みた。長虫めいた姿に転じ、並のニンジャでは追い切れぬ速度と変幻自在の動きで敵を幻惑し、回避不可能な死角からの毒攻撃で一撃のもとに仕留めるのが彼のカラテだ。

 だが、ナムサン。「オゴッ……」変形は果たせず、黒い血を吐いて呻くばかり。あばら家を吹き飛ばすほどの爆発の中心にいたセストーダルの関節や神経は損傷し、微細な肉体コントロールを要するヘンゲワーム・ジツはもはや不可能だった。ニンジャといえど高熱爆発に呑まれれば無事ではない。「よかろう、ハンデだ。これも我が慢心が招いた罰……」セストーダルは身体を軋ませた。

「だが貴様とて万全ではあるまい。ロウ・ワンの呪いが貴様を縛っておるからには!」妖しく目を光らせ、うねるようなカラテで襲い掛かる!「イヤーッ!」「グワーッ!?」サツバツナイトは間一髪、異様に伸びるチョップを躱して懐へもぐりこみ、ローキックでセストーダルの脛を破壊した。

「イヤーッ!」「グワーッ!」うつ伏せに倒れ込んだセストーダルの背に踵落しを食らわせ、脊椎を破壊。頭を掴んで仰け反らせた。イクサの決着は既についているのだ……!「オヌシの印は……左目であったな。覚えているぞ」「オゴーッ! 口惜しや!」「イヤーッ!」「アバーッ!」眼球を引き抜く!

 二人のニンジャを包む世界が吹き飛び、ただ闇が広がった。サツバツナイトのニューロンに、あの日の屈辱的光景がフラッシュバックした。冷たく濡れた石の広間、トライアングル状にサツバツナイトを包囲する三人のニンジャ。一人は舌を、一人は左目を、一人は右掌を用いて、サツバツナイトを縛った。シャン・ロアが付与した邪気の印。ロウ・ワンの秘儀。

 広間の奥、奇怪な法衣を纏ったボロブドゥールの王、シャン・ロアが、鮮血のプールで囲まれた祭壇に物憂げに座して、余興めいてそのさまを眺めていた。サツバツナイトは必死でチャドー呼吸を維持し、勝機を探った。ほんの一瞬の隙をついて、彼は宮殿を逃走した。シャン・ロアは触れさえしなかった。 

 サツバツナイトの燃える視界は、苦悶するセストーダルの魂の形を捉えていた。「アバーッ……!」「もはや勝負あった。セストーダル=サン」サツバツナイトは厳かに言った。「眠れ」カイシャクのチョップを振り下ろし、首を刎ねて、ムカデニンジャ・クランのソウル憑依者の命を閉じた。「サヨナラ!」セストーダルは爆発四散した。

 プロゴ川の風が彼の灰をさらっていった。サツバツナイトはセストーダルの眼球をあらためる。裏側に確かにグレイウィルムと同様の印が刻まれている。彼はそれを懐におさめた。顔を上げれば、川の向こう岸、かつて遺跡であったボロブドゥールは邪悪な金の光を帯びて……。


◆◆◆


「……!」ゲオフィルスはアグラ・メディテーションを解き、眉間に皺寄せて立ち上がった。言い知れぬ感傷が突然沸き起こり、脳の奥と右掌が焼けるように痛んだ。同じ感覚をつい先頃も味わった。後になって、それがグレイウィルムが死した瞬間とわかった。つまりそれと同様……きょうだいの死だ。

「セストーダル=サン……!?」ゲオフィルスは胸壁上に仁王立ちとなり、川向うを注視する。風が彼のドレッドヘアーめいた髪を……ムカデそのものの髪を揺らす。瞳のない黒一色の目が怒りに吊り上がり、巨体が怒りに震える。「返り討ちにあったか……!」彼のニンジャ視力は遠い黒煙を捉える。

 ボロブドゥール。太古の昔はブッダを祀る巨大な寺院であり、それそのものが宇宙を象徴するマンダラであった。シャン・ロアはそこを自らの宮殿に変え、現地の人々を使役して、石の胸壁で囲み、神秘的な城郭とした。ゲオフィルスらは彼の飛ばす夢に囚われ、集められたニンジャソウル憑依者だ。

 彼は眠らぬカロウシタイを与えられ、近衛隊長としてこの城を守護している。シャン・ロアの近習を繋ぐのはロウ・ワンの印だ。身体のどこかに印が刻まれ、超自然の加護が与えられている。カラテが向上し、過去に非ニンジャであった頃の欲望は、よりニンジャ的なものに変質している。

 シャン・ロア王がゲオフィルスの新たな人生を規定した。力は得たが、なにひとつ幸せは得ていない。人の幸せとはなんと儚いものだろう。今の彼は太古の闇の深さを背後に感じながら、なるべくそれを見ぬように努め、最後の正気を保ちながら、ただ不興をかわぬよう、そればかりを考えている。

 太古の闇。然り。シャン・ロアは幾らでも新たなきょうだいを連れてくるだろう。印で縛り、使役するだろう。きょうだいがカロウシタイを使うように。サツバツナイト。愚かな男だ。シャン・ロアは一騎打ちに応ずると見せて、敢えて三人にアンブッシュさせた。

 彼が呪いに屈するさまは快かった。何故ならそれは、シャン・ロアの悪意が確実に他者に向いている瞬間だったからだ。シャン・ロアはサツバツナイトを恐れて罠にはめたのではない。ただ侮辱したかったのだ。そして、ゲオフィルスらの恐怖と高揚を楽しみたかったのだ。ゲオフィルスは最も主人に近い位置で日々を過ごす。ゆえにわかる。

 奴は最終的にシャン・ロアへ再び挑む腹積もりであろうか? その可能性を思い巡らすだけで背筋が粟立ち、怒りが湧いてくる。奴は何故さよう愚かな真似を? 王を試すなど、万人の不幸にしかならない。

 さいわい、王は今、例の神殿広間で血を愉しんでいる。王が気分を変える前に、自身の手で必ずサツバツナイトを仕留めねば!

 ゲオフィルスはハンドヘルドIRC端末を操作し、爆発現場付近のカロウシタイ三隊に指令を下した。もはやレジスタンス組織との突発戦や、それがヨグヤカルタの観光地としての価値に及ぼすネガティヴな影響を慮っていられる段階は過ぎた。高官が二人殺されたのだ!「ドーモ。ゲオフィルス=サン」

「……」声は横から飛んできた。ゲオフィルスは首を巡らせた。胸壁上を彼のもとへツカツカと歩いてくるニンジャの姿がある。ゲオフィルスはその者を見、それから反射的に川を、川向こうのヨグヤカルタの夜景を見、また視線を戻した。ニンジャはゲオフィルスにオジギした。「サツバツナイトです」

「ドーモ」ゲオフィルスは驚愕を呑み込み、アイサツを返す。「ゲオフィルスです。貴様、セストーダル=サンを殺したか」「殺した」サツバツナイトはジュー・ジツを構えた。「次はオヌシだ。オヌシの右手をもらう」「貴様が彼を殺したのはつい今しがた……!」「"火より早く攻めよ"」彼は引用めいて言った。

「セストーダル=サンは私の第二の標的であり、同時に陽動でもあった。これはイクサだ。あらかじめ練り上げた攻め手、侵攻ルートだ」ジェット・ブラックの装束がブスブスと音を立て、橙色の火がくすぶった。「この機は逃さぬ」サツバツナイトの後ろでは数名のカロウシタイが死んで横たわる。

「オヌシのセンセイに伝えるか? サツバツナイトが来たと……ドージョーを破りに来たと!」「笑止!」ゲオフィルスは黒い目を見開き、ムカデの髪をざわつかせた。「ならばこの私が相手だ。このゲオフィルスが!」睨み合う二者の間の空気が陽炎めいて歪んだ。城郭が不穏に鳴動を開始した。

 ゲオフィルスはサツバツナイトのジュー・ジツを吟味する。ニンジャ第六感が警告している。ただならぬアトモスフィア。打ちかかれば返される兆しが放射されている。そして、どこか奇妙だ。己とは異質なものを感じた。むしろシャン・ロア王に似た印象だ。王の強大さに比するべくもないが、不可解であった。

 その不可解感は、正確にはゲオフィルスに憑依融合したムカデニンジャ・クランのソウルがもたらしている感覚かもしれない。強さの感覚とは軸の違うなにかだ。ゲオフィルスは慎重に間合いを調節する。サツバツナイトも安易な牽制を仕掛けてはこない。ゲオフィルスのカラテを感じているのだ。

 ゲオフィルスは武芸に長けるニンジャであり、赤道直下で海賊を殺しては賞金を稼いで暮らしていた。海賊の中にはニンジャもいたが、彼が勝ってきた。記憶にある相手と眼前のサツバツナイトを引き比べると、なかなかの強敵とわかる。だが最強の相手ではない。「「イヤーッ!」」二者が同時に動いた。

 両者の蹴りがぶつかり合い、更にチョップがかち合った。間合いを離し、サツバツナイトがスリケンを投擲する。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ゲオフィルスは首を動かし、ムカデの髪を鞭めいて打ち振った。ムカデの顎がスリケンをとらえ、噛み砕く! さらに無数のムカデのうち数匹が関節を伸ばし、顎を鳴らしてサツバツナイトに直接襲い掛かった。「ブザザーッ!」

「イヤーッ!」「アバーッ!」サツバツナイトは襲い来たムカデの顔面に瞬間的なジャブを当てて砕いた。素早く引き戻す拳は他のムカデに絡まれる事がない。「イヤーッ!」「アバーッ!」見えぬほどの軽く速いジャブがムカデ攻撃を打ち払い、紫の体液が胸壁に撥ねる。

「イヤーッ!」「アバーッ!」更に数匹のムカデが地面を張って足下に到達しようとしていたのを、サツバツナイトは意識的にフットワークを用いて踏み潰し、攻撃を未然に防いだ。それらはゲオフィルスの頭から抜け落ちたムカデどもだ。注意力が僅かに奪われたその隙を突いて、重い蹴りが飛んできた。

「イヤーッ!」「グワーッ!」ヤリめいたミドルキックを胸に受け、サツバツナイトは回転しながら吹き飛び、三点で着地する。その姿勢のままタタミ三枚分後ろに滑った。石床についた指が摩擦で橙の火を発し、燃える痕をひいた。

 彼は向かってくるゲオフィルスを睨み据えた。ゲオフィルス。強力なニンジャだ。しかしシャン・ロアに魅入られ、もはや奴隷めいた立場に身を堕としている。サツバツナイトの目に橙の火が閃き、装束の縁がブスブスと音をたてた。

 スゴイタカイ・ビル屋上でダークニンジャをかろうじて退け、その後、約十年。長いようで短いものだ。ダークニンジャの痕跡を求めた旅は報われず、年月のなかで、やがて世界そのものを巡る旅、彼自身の修行の旅に変質していった。彼はカラテの欠落を鍛錬で徐々に補い、克服せねばならなかった。

 旅の中で様々なタツジンに出遭い、様々な景色と出遭った。旧知の者と思いがけず出遭い、別れた。サツバツナイトはゲオフィルスを注視する。血中カラテの高まりに敏感に反応し、マフラーめいた布の先端部が橙色の火を伴って爆ぜる。

「イヤーッ!」ゲオフィルスがスリケンを複数投擲した。それらはただのスリケンではない。丸まったムカデだ。防御すれば四肢にそのまま巻きついて動きを封じ、ジャブで撃ち落とせばその隙をついてゲオフィルスが必殺のカラテを叩き込む。ゲオフィルスは地面スレスレまで身をかがめ、スリケンからやや遅れて突進してきている。

 前蹴りで迎え撃つか? 飛び越えて回避するか? 或いは? 無数の選択肢の中から行動を選び取ると、彼は石床を蹴って跳んだ。「イヤーッ!」膝を抱えた回転ジャンプ。豆粒めいて小さく丸まった姿勢を空中で解き放ち、狙いすました蹴りを放つ!「アバーッ!」ムカデスリケンを蹴り潰し、反動で更に跳ねる!

 トライアングル・リープした先、もうひとつのムカデスリケンがある。「イヤーッ!」「アバーッ!」それを蹴って潰し、反動で彼は更に跳ねた。その直線状に、ゲオフィルスの身体がある。ゲオフィルスが黒い瞳を見開いた。この間、コンマ何秒であろう。サツバツナイトは襲い掛かった。

「イイイイ……」回転しながら振り上げた拳は溶鉄めいて橙色に燃えていた。鍛冶場で打ち据えられるカタナめいて燃えるチョップを、彼はゲオフィルスの延髄に叩き込みにいった。「……イヤーッ!」「GGGRRR!」ゲオフィルスのムカデの髪が食らいついた。溶鉄のチョップはそれを焼き切りながら迫る!

「ヌウーッ!」やむなくゲオフィルスは腕を首に添わせてチョップを防いだ。チョップは手甲に阻まれたが、サツバツナイトの回転の勢いは衰えない。彼は手甲を中心に遠心力を発揮、さながら彼自身が炎のマフラーめいてゲオフィルスの頭と手首の周りを旋回した!

「イヤーッ!」「グワーッ!」ゲオフィルスが怯んだ! 炎のマフラーはギュルギュルと空気を裂いてゲオフィルスに巻き付き、やがて回転が収まると、サツバツナイトはゲオフィルスの背中におぶさるようにして組み付き、首筋をガッチリとロックしていた。「ヌウーッ!」もがくゲオフィルスの右手首に橙色の筋が光った。ナムサン……右手は焼き切れていた。手首の先がボトリと脱落した。

 勝負あったか。さながらイアイ抜きじみた両者のイクサであった。ゲオフィルスが食らわせたミドルキックは強烈だった。そののちムカデスリケンを投擲してきた瞬間の判断を誤れば、こうなっていたのはサツバツナイトの方であったやもしれぬ。薄氷を踏むような判断の応酬の果てに、絶対の結果がもたらされる。

「右手は頂く」サツバツナイトは締め上げた。ゲオフィルスは血涙を迸らせ、なおも抗う。「オゴッ……笑止……! 主君のもとには決してゆかせはせぬ……命に代えてもな……! SHHHHH!」ムカデの髪がメデューサめいてざわめき、後ろのサツバツナイトに一斉に食らいついた。「GGGRRR!」「イヤーッ!」

 ボギン。サツバツナイトの腕に力が籠り、ゲオフィルスの首がへし折れる音が響いた。ムカデがサツバツナイトを喰らい尽くすよりも、ゲオフィルスの命の終わりは早かった。「サヨナラ!」ゲオフィルスは爆発四散した。サツバツナイトはザンシンしたのち、ズタズタに崩れたニンジャ頭巾を振り払った。

 彼はゲオフィルスの右手を拾うと、グレイウィルムの舌、セストーダルの眼球と同様、それも懐のキンチャク袋にしまい込んだ。これらをウィッチドクターのもとへもたらせば、彼のロウ・ワンの呪いは除去される筈だ。だが……まだ体は十全に動く。彼は胸壁からプロゴ川を背に、城郭の方角を見やった。


3

 壁づたいの柱に燃えている炎は、柱の切れ目に流れる油を燃やす奇妙な灯だ。それが大広間の広大な闇を照らす多少の光源である。玉座に王の姿は無く、だがその玉座の前にある正方形のプールに邪悪で強大な存在の気配が確かにあった。その気配にわけもわからず触れるだけで発狂する者もいよう。

 やがてプールの赤い水面が泡立つと、血に濡れたヴェールをはりつかせた頭部がゆっくりとせり上がり、首が、鎖骨が、胸が、腰が現れた。その者は幾つもの腕を生やしていた。「ンンン……」その者は恍惚めいて身をそらせて呻くと、目を光らせ、真正面から入場して来た者を見据えた。「なんとな」 

「ドーモ。シャン・ロア=サン」入場者は階段を前に謁見者めいて進み出たが、跪きはしなかった。彼は挑戦しに来たのだ。アイサツする彼の黒い装束を、橙色の輪郭が縁取っていた。「あるいは。ムカデ・ニンジャ=サン」「……」王の目が細まった。王は首を傾げた。「名乗れ。サツバツナイト=サン」

 腕の一つを長く伸ばし、シャン・ロア王、すなわちムカデ・ニンジャはサツバツナイトを指し示した。「名乗りを許す。カイデンのニンジャよ」サツバツナイトは怯まず見返した。拳を合わせ、オジギした。そして名乗った。「ダイ・ニンジャです」

「そのような名のニンジャは知らぬ。SHHHH……ダイ(DAI)とな。だが、そうか」ムカデは歯を軋らせた。「新参者……我が子らに挑み、そして殺したな? ダイ・ニンジャ=サン」「然り」サツバツナイトは認めた。「オヌシの呪いはこれで無効だ」「ふむ……執念深い男のようだ」

「メンポを返してもらう」サツバツナイトは言った。ムカデ・ニンジャはゆらゆらと身体を揺らす。「あれを他人にやるつもりはない。ダイ・ニンジャ=サン。何故拘る? あれがほしいのか? 見たところ貴様はドラゴン・ニンジャからカイデンされたわけでもないようだが」「返さぬなら力づくでいただく」

「ち、力づく!」ムカデ・ニンジャは声をつまらせ、震え、爆笑した。「グワラグワラ! 力づくとな! メンポ・オブ・ドミネイションを? 力づくで? グワラグワラグワラ!」「一騎打ちを阻ませる姑息な手段も今回は使えぬぞ。全て殺した」サツバツナイトは一歩前に出た。ムカデ・ニンジャが笑いを止めた。「よかろう」

 ムカデ・ニンジャはアシュラブッダ像じみた複数の腕を動かし、サツバツナイトを手招きする。「……だが、ワシとイクサを構えたくば、恭しく階段を上がってまいれ。そしてワシに挑戦の権利を希うがよい」

「イヤーッ!」サツバツナイトはスリケンを投擲した。二枚のスリケンは橙色の軌跡を残して放物線を描き、ムカデ・ニンジャに襲い掛かった。「SHHHH!」ムカデ・ニンジャはスリケンを腕二本で迎え撃ち、指先で挟み取り、投げ返す。サツバツナイトは階段を駆け上がる。スリケンが顔をかすめる。

 遥か後方、投げ返されたスリケンが石の床を跳ね、橙の火が散った。その時すでにサツバツナイトは血のプールのムカデ・ニンジャのタタミ1枚距離にまで接近していた。ハヤイ!「イヤーッ!」彼は上体を下げ、そのまま逆立ちしながら踵でムカデ・ニンジャの脳天を攻めた。まるでサソリの尾だ!

「SHHHH!」ムカデ・ニンジャが腕二本をクロスしてガードすると、サツバツナイトは反動で後方へクルクルと回転しながら跳び、階段の半ばに着地した。「どうだ。階段を上がり、そして頭を下げたぞ」サツバツナイトは挑戦的に言った。

 ムカデ・ニンジャが哄笑した。「グワラグワラ! ポエット!」異形のリアルニンジャは眼光を妖しく輝かせ、ズルズルと音を立てて血のプールから這い出す。だがその腰から下はいつまで経っても終わる事が無かった。ムカデなのだ!「ならば参れ!」ムカデ・スリケン投擲!「イヤーッ!」サツバツナイトはスリケンを投げ返しながら横へ跳ぶ!

 サツバツナイトのスリケンはムカデ・スリケンと衝突し、その勢いを殺した。ムカデ・スリケンは空中で圧縮を解かれてほどけ、それぞれが人ひとりほどの長さのあるムカデと化して床の上に落下。広間に着地したサツバツナイトのもとへ迫り来る!「SHHHH!」さらにムカデ・ニンジャ本体ものたうちながら階段を降りてくる!

「スウーッ……ハアーッ……!」サツバツナイトが赤い瞳に橙の火を宿すと、呼応してマフラー布が燻ぶった。ギチギチと鳴きながら巨大なムカデが襲い掛かる。「イヤーッ!」「アバーッ!」まず一匹の頭を掴んで止め、石に叩きつけて殺すと、二匹目にその死体をムチめいて叩きつけた。「アバーッ!」

「スウーッ……ハアーッ!」サツバツナイトはチャドーの呼吸を繰り返す。身体に受けたロウ・ワンの呪いの疼きは決して消えてはいない。だがウィッチドクターのもとへ取って返すわけにはいかなかった。「子ら」が斃された事を知れば、ムカデ・ニンジャは他の手先を呼び戻し、新たな罠を張る。

 さらなるムカデ・スリケンが立て続けに落下すると、たちまち圧縮されていた身体が元来の長さを取り戻し、ギチギチと鳴きながら襲い来る。三匹目、四匹目。「イヤーッ!」サツバツナイトは鞭めいて死体を叩きつけて殺す。「GGGRRR!」ムカデ・ニンジャはその周囲を大きく旋回し、斜め後ろから襲い掛かった。「SHHHH!」

「イヤーッ!」サツバツナイトは振り向きざまの拳をムカデ・ニンジャの手に叩きつけ、弾き返した。「GGGG!」別の手が掴みに来る。左手でそれを殴り返す。「イヤーッ!」「GGGGG!」また別の手が襲い来る。右手で殴り返す。「イヤーッ!」別の手を左手で殴り返す!「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」

「GRRRRRR!」ムカデ・ニンジャが顎を大きく開き、サツバツナイトの頭を齧り取りに来た。サツバツナイトは再び赤い瞳を橙の光で満たした。マフラー布が爆ぜ、掲げた左腕のブレーサーに同色の熱が灯った。それでムカデ・ニンジャの顎を受けた。「GRRR!」噛みちぎられる事は無い!

 この機逃すべからず。サツバツナイトは右手に力を込め、決断的なチョップ突きでムカデ・ニンジャの目を狙った。「イヤーッ!」間一髪、ムカデ・ニンジャはかろうじて顔を動かし、眼球破壊を免れる。チョップ突きはムカデ・ニンジャの頬の装甲を抉り取った。「グワーッ! コシャク!」

 しかし、これはムカデ・ニンジャにとって好機でもあった。多腕でサツバツナイトを抱え込む。死の抱擁だ!「ヌウーッ!」メキメキと音が鳴った。ムカデ・ニンジャは目を細めた。やがて……「イヤーッ!」

 SMASH! サツバツナイトは勢いよく大の字に両手足をひろげ、多腕を跳ね返した。すかさず身体をひねり、ムカデ・ニンジャの胸を蹴る。反動で再び間合いを離したサツバツナイトに、ムカデ・ニンジャが突進をかけた。サツバツナイトは走った。複数のムカデが回り込む。ときに避け、ときに踏み殺し、彼は広間の端まで駆けた。

「イヤーッ!」ムカデ・ニンジャが追いすがる。サツバツナイトは跳んだ。KRAAASH……ムカデ・ニンジャの体当たりを受けて石柱が砕け、石を降らせながらゆっくりと傾いでゆく。サツバツナイトはパルクールめいて壁を走り、ムカデ・ニンジャの更なる体当たりから逃れる。壁を背にしたブッダウォリアー像の腕にすがりつき、肩へ跳びあがる。

「GRRRR!」食らいつくムカデ・ニンジャを、サツバツナイトは間一髪で躱す。KRAAAASH! 強烈な体当たりがブッダウォリアー像の肩から上を粉々に砕いた。「イヤーッ!」跳躍で逃れようとしたサツバツナイトの足首を、ムカデ・ニンジャの手が掴んだ。アブナイ!「イヤーッ!」床に叩きつける!「グワーッ!」

 KRAAASH! 石床が亀裂を生ずる。「イヤーッ!」ムカデ・ニンジャはサツバツナイトの足首を掴んだまま更に振り上げ、叩きつける! KRAAAASH!「グワーッ!」「イヤーッ!」KRAAAASH!「グワーッ!」サツバツナイトはなかば床にめり込み、白目を剥いて不規則に震えた。

「その生命力、褒めて遣わす」ムカデ・ニンジャは鎌首めいて上半身をもたげた。多腕を複雑に動かし、彼はサツバツナイトを睨みながら、ロウ・ワンのチャントを唱える。「ヨギスミカテ……ソルナガバレ……」サツバツナイトの身体がメキメキと嫌な軋みを発した。もの欲しそうに周囲のムカデが這い寄ってきた。

 ロウ・ワンの石化の呪いを放つムカデ・ニンジャは、しかし眉間に皺寄せ、望んだ速度で力が及ばぬ事を訝しんだ。すぐに彼は察した。サツバツナイトはムカデ・ニンジャの「子ら」の身体の一部を採取し、力の印を集めている。いまもそれを携えている。そのせいだ。彼は逡巡した。ならば即座に処刑するか? だが、己に挑んだニンジャを石像として飾り辱める欲望には抗いがたい。

「ヨギスミカテ……ソルナガバレ……!」ムカデ・ニンジャはチャントの継続を選択した。白目を剥いていたサツバツナイトが意識を取り戻し、燃える目がムカデ・ニンジャを見返した。彼は素早く寝返りを打ち、石床の上の何かを掴んだ。「イヤーッ!」起き上がりながら、ムカデ・ニンジャに投げた!

「グワーッ!?」ムカデ・ニンジャの肩を貫いたのは、破壊されたブッダウォリアー像が携えていた儀礼短剣であった。ムカデ・ニンジャは怒りに目を見開き、短剣をすぐさま引き抜いた。ムカデたちがサツバツナイトに襲い掛かった。だがサツバツナイトは既に跳んでいた。「イヤーッ!」 

「イヤーッ!」ムカデ・ニンジャは儀礼短剣を激しく振り、空中のサツバツナイトを攻撃した。マフラーめいた布が斬り裂かれ、燃えながら散った。ムカデ・ニンジャは首を180度後ろに向けた。サツバツナイトに、はなから攻撃の意志はなかったのだ。彼は飛び越え、着地した……伸びるムカデ下半身の背に!

「SHHHHH! 何を!」「イイイヤアアーッ!」サツバツナイトは全速力でムカデ・ニンジャの背を走りだした。ムカデ・ニンジャは下半身をうねらせ、降り落そうとした。だがサツバツナイトは走り続ける。なんたるニンジャ平衡感覚か……! 

 彼は何故あえてムカデの背を走るのか? 狙いは何か? 彼はムカデ・ニンジャの尾の端を目指す! 然り。読者諸氏よ、もはやイクサの中心から外れた階段上をご覧いただきたい。サツバツナイトを追う中で、無限とも思われたムカデ・ニンジャの尾は血のプールから離れ、今や外気に触れている。サツバツナイトは駆けた……駆けた……そして尾の先に到達した。ムカデ・ニンジャが吠えた。「よせ!」

 甲殻に覆われた尾がうねり、跳ねた。サツバツナイトは回転しながら垂直跳躍した。「……イヤーッ!」そのまま、恐るべき回転の勢いを乗せた踵落しを、尾の先に叩きつけた。「グワーッ!」ムカデ・ニンジャが苦悶した。体液が噴き出した。先端部が砕け、ちぎれた。

 ちぎれた先はたちまち溶解した。酸性の臭気を放つ体液の中に転がり出たものを、サツバツナイトは素早く拾い上げた。間違いなし。それは奪われし神器、メンポ・オブ・ドミネイションであった。この怪物的ニンジャは神器を呑み込み、尾の中に取り込んでいたのである! 次の瞬間、怒り狂うムカデの尾が鞭めいて彼を打ち据え、弾き飛ばした。「グワーッ!」だが彼はメンポを抱きかかえ、決して離さぬ。

 サツバツナイトは受け身を取って下に着地し、ムカデ・ニンジャを見た。「返してもらうと言ったはずだ」彼は宣言した。「ゴアア……ゴアアオオン」ムカデ・ニンジャは怒りに吠えた。上半身が天井近くまで持ち上がった。その表皮が音たてて剥がれる。脱皮めいて、真の姿が中から現れた……。

 もはやそれは人の姿を僅かなりとも留めていなかった。カイジュウめいて巨大なムカデが、酸の涎をまき散らし、巨大な眼の光を凄まじく点滅させ、柱やブッダウォリアー像を薙ぎ倒し始めた。サツバツナイトは状況判断し、出口を目指して疾走した。KRAAASH! KRAASH! ムカデが襲い来る!

「イヤーッ!」ボロブドゥール寺院城郭から夜空の下に飛び出したサツバツナイトは四連続でフリップジャンプし、振り返ってジュー・ジツを構え、警戒した。入口付近の石壁を突き破り、ムカデの頭が飛び出した。「GRRRR……ダイ……ニンジャ……」ムカデは不明瞭な人語を発した。 

 サツバツナイトは睨み返した。二人のリアルニンジャの凝視がぶつかり合い、破壊のビジョンがニューロンに閃いた。それはむごたらしい景色だった。どちらかが死ぬまでこのイクサを続ければ、このボロブドゥールの城のみならず、塀の向こう、川向こうのヨグヤカルタすらも戦場となろう。

「……マダ、ヤルカ」巨大なムカデが問うた。サツバツナイトは深く息を吸った。橙の火が鎮まり、赤い瞳が古代の怪物を見据えた。彼は首を振った。「オヌシはどうだ、ムカデ・ニンジャ=サン」怪物は顎を軋らせ、不快げに呟いた。「モハヤ……ドウデモヨイ……ツマラヌ……ドコナリト……ユケ」

「ドラゴン・ニンジャ=サンを呪ったのはオヌシだ」サツバツナイトは言った。「呪いを解け」「SHHHH。クダラヌ」ムカデ・ニンジャは息を吐いた。「聞キ届ケル……理由ナド……ナイ……」「ならばイクサを続けねばならんぞ」「SHHHH……コワッパ。調子ニ……ノルナ……!」

 剣呑な沈黙だった。サツバツナイトは譲らず、目を逸らしもしなかった。やがてムカデ・ニンジャは言った。「メンポ……ヲ……使ウガイイ」サツバツナイトは手の中のメンポ・オブ・ドミネイションを見た。「クダラヌ……頼ミノ……タメニ……ドラゴン・ドージョーマデ……イクノハ……面倒デ……カナワヌ」

「この期に及んで謀るようであれば、再び戻って来る」サツバツナイトは言った。ムカデ・ニンジャは睨み返した。「調子ニ……ノルナ。何ノ……脅シ……ニモ……ナラヌワ」この怪物がサツバツナイトよりも強大な存在である事に疑いはない。だがその怪物は今、心底辟易しているようだった。

「……」サツバツナイトはムカデ・ニンジャと睨み合ったまま、己のメンポを外し、メンポ・オブ・ドミネイションを装束で拭うと、おもむろに装着した。「スウーッ……ハアーッ……」彼自身、畏怖を覚えるほどの強烈な血中カラテの流れを覚えた。世界と繋がる奇怪な感覚が訪れ、目から出血が始まる。

 メンポで増幅したチャドーの力が呪いを洗う。キンチャクに収められたムカデニンジャ・ミニオンの三部位が、己の身体の一部めいて感じられた。ムカデ・ニンジャは彼らミニオンのソウルをアンテナめいて経由し、サツバツナイトを呪った。故にこの三部位にムカデ・ニンジャのアイデンティティが残っているのだろう。

「スウーッ……ハアーッ」サツバツナイトはチャドーを深めた。身体に刻まれたムカデの痣が蠢き、溶け、瘴気と化して、その背から立ち昇った。瘴気はムカデ・ニンジャの体内へ吸い込まれていった。「嘘はないようだな」サツバツナイトは言った。ムカデ・ニンジャはもはや無言。闇の中へ後退を始めた。

 サツバツナイトももはや追わず、一歩後退した。ムカデ・ニンジャは城の闇に消えた。恐るべき古代のニンジャは広間に横たわり、しばし、イクサで傷ついた身体を癒す事につとめるだろう。そののち再びボロブドゥールの王として君臨するだろう。市民は恐怖によって統治されるだろう。これからも。

 ムカデ・ニンジャの支配がいつまで続くか。それは強固か。あるいは、脆いのか。ゲリラ活動を行う市民の運命は彼ら自身に委ねられている。サツバツナイトは踵を返した。まずはドラゴン・ニンジャの……ユカノの呪いを解く。そして。


4

「成る程。呪いによる石化」僧服姿の中年ボンズは、神妙な顔つきのタイセンと、精緻な彫像めいたユカノを交互に見た。その後ろでは山頂まで案内してきた現地民の男が所在なさげに見守っている。ボンズは眉間に皺寄せ、厳かに頷く。「フーッ。これは非常に強力な呪いだ。ですが、やってみましょう」

「頼みます」「フーッ……」中年ボンズは琥珀色の数珠を取り出し、ジャラジャラと鳴らした。108のボンノを象徴する108の石を繋いだ聖なるブッダ・タリスマンである。ボンズはチャントを唱える。「イーヤアイ! イーヤアイ! イーヤアイ!」額に脂汗が浮き上がり、数珠を振る手は狂おしく……。

「センセイ……!」タイセンは目を閉じ、ひたむきに祈った。もはや彼自身の手では打つ手なし……!「イーヤアイ! イーヤアイ!」ボンズの頭に血管が浮き上がり、声はなお大きく。「アアッ! こ、これは強大な……アバーッ!?」ボンズが痙攣し、白目を剥いた。そして口からムカデを吐いた。コワイ!

「アババババーッ!」「ああッ……!」タイセンは駆け寄り、ボンズを支えた。ボンズはひとしきり苦悶したのち、動かなくなった。「ダメか……!」タイセンは目に涙を浮かべ、悔しげにかぶりを振った。「アイエエエーッ!」現地民が失禁し、脱兎のごとく駆け去った。

 走り去る現地民とすれ違うように、一人の影がドラゴン・ドージョーにエントリーした。タイセンはその姿を見、息を呑んだ。「ア……フ…フジキド=サン!?」「ドーモ。タイセン=サン」旅姿のフジキドはアイサツした。「これは……そうか」フジキドはその場で起こった出来事を把握し、目を伏せた。

 ニュービーニンジャ達が駆け寄り、中年ボンズを抱えて行った。タイセンは呻いた。「スミマセン。俺が無能なせいで」「否」フジキドは首を振り、這い逃げようとするムカデを注意深く踏み殺すと、石化したユカノに向き直った。彼は懐から干からびた三部位を取り出し、ユカノの足元三方に配置した。

 固唾をのんでタイセンが見守るなか、フジキドは粛々と準備を進めた。彼はメンポ・オブ・ドミネイションを手にした。「それは……? まさか!」タイセンが驚愕した。「神器! で、では、奪われたものを……あの者らから!?」「まだこれだけだ」フジキドは言った。「だが、まずユカノを解呪する」

 それはムカデ・ニンジャの言葉と己の経験、ウィッチドクターの助言に基づくプロトコルだった。フジキドはメンポ・オブ・ドミネイションをユカノの顔に注意深く当てた。「ユカノは生きている」フジキドは言った。「呼吸を……チャドーをしているのだ」

 空がにわかにかき曇り、ドロドロという雷鳴が遠く聞こえてきた。「スウーッ……ハアーッ……」フジキドはユカノにメンポ・オブ・ドミネイションを当てたままチャドーを深めた。タイセンは耳を澄ました。やがて、確かに聞いた。フジキドのチャドー呼吸に重なる息吹を。(スウーッ……ハアーッ……)

「スウーッ……」(スウーッ……)「ハアーッ……」(ハアーッ……)共振めいて、サツバツナイトと石のユカノはチャドー呼吸を響かせた。「スウーッ……ハアーッ……」タイセンも思わず続いた。「スウーッ……ハアーッ……」「スウーッ……ハアーッ!」石のユカノが震動し、遠雷が轟いた! 

「嗚呼!」タイセンが感嘆の呻きをもらした。ユカノの身体に力の波が走った。「スウーッ! ハアーッ!」今や、ユカノのチャドーは力強かった。超自然の苦しげな呻き声とともに、ユカノの背からムカデ状の瘴気が身をもたげ、気化して散っていった。

 そこには……ゴウランガ……生身のユカノがいた。

「フジキド」ユカノはメンポ・オブ・ドミネイションを受け取り、下ろした。弱々しく微笑んだ。「わたしの不甲斐なさゆえに、世話をかけましたね」「どうという事はない」フジキドは頷いた。「ゴウランガ……」タイセンは涙を拭った。黒雲が去り、美しい水色の空が広がった。

 彼女は石にされながらなお、ロウ・ワンの呪いの力に抗い続けていた。己の内なるチャドーによって。「神器を手にするまでにいかなる冒険を?」冗談めかしてユカノが言った。精一杯の陽気である。「次はヌンチャクだ」フジキドが答えた。「レッドドラゴンとやらの手から取り返す。奴の居場所は、ワラキアだったな」

「フジキド。そこまでの骨折りは……そなたは今やドラゴン・ドージョーの内弟子ではなく、わたしが問題を解決するべきで……」「このドージョーを育てねばなるまい。ドラゴン=センセイ」フジキドが言った。ユカノは食い下がった。「レッドドラゴンは即ちブラド・ニンジャ。大変に手ごわい者です」

「方法がある筈だ」フジキドは穏やかに、だが決断的に言った。ユカノは肩を落とした。「わかりました。命を捨てる真似は、なりませんよ」「心得ている」「フジキド=サン……俺が、もっともっと強ければ」タイセンが歯噛みした。「オヌシは強い。精進せよ」フジキドは言った。

「心苦しいですが、頼みます。フジキド」ユカノが言った。「神器は万が一の時に、カツ・ワンソーへの数少ない対抗手段となる筈のもの。平時にあって、極力、散逸を避けるべきものなのです」「任せておけ」とフジキド。そして……そのとき彼がふと思いを馳せたのは、ワラキアの地ではなかった。

 ヨグヤカルタの地で出遭った赤黒のニンジャ。ニンジャスレイヤー。あれが間違いなくニンジャスレイヤーそのものであると、当然、彼にはひと目でわかった。そして彼のニューロンにフラッシュバックするのは、ずっと昔の記憶だ。ドラゴン・ゲンドーソーの存在無くば、フジキドは悪鬼となり果て……。

 フジキドはセンセイではない。だが彼はニンジャスレイヤーがもたらすものを誰よりも知る存在だ。やがて迫られるのは、いかなる選択か。「ユカノ。通信手段を借りられるか」彼は建物の側のワータヌキ像を指さした。ワータヌキの頭にIRC通信機が設置されている。「構いませんが……どうしました」

「ニンジャスレイヤーをこの目で見た。ヨグヤカルタの地で」「なんと!?」ユカノが目を見開いた。フジキドは続けた。「ただの一目だ。その為にヌンチャクの件を先延べする事はできぬ。しかし看過は到底できぬ。さいわい、信頼に足る相手はいる」彼はワータヌキ像のもとへ歩いた。

 岡山県の山頂ゆえか、通信の確立には時間を要した。だが無事に繋がった。「モシモシ」女の声が応えた。「アー……モシモシ?」「モシモシ。聞こえるか。フジキドです」「声が遠い……フジキド=サン……え!? フジキド=サン? そこ、どこッスか? ドーモ、シキベです。そこ、どこです?」


◆◆◆


 ヨグヤカルタの最高級料亭「ペラサーン・スカ・シータ」は、先日、政府高官とコウ・タイ・シュメイ社エージェントの暗殺事件の舞台となったばかり。それから諸々の後始末をつけ、営業再開にこぎつけた矢先の出来事であった。もはやこの店は廃業の運命を免れぬだろう。

 客。従業員。警備員。一人を除き、残らず命を奪われ、横たわる。生きて歩いているのは唯一人だ。

「ンッ……ンンーッ……さて始めるか」リラックスした様子で庭に進み出、伸びをしたニンジャの両手は真っ赤だった。彼が他のすべての者を殺めたのだ。調べものをするのに邪魔だからという理由である。彼は首をボキボキと鳴らし、おもむろにその場にしゃがみ込んだ。地面に手を触れ、ニューロンを輝かせた。 

 ジツが開始された。完成には多少の時間を要する。高級料亭の庭でこんなことをやっていれば見咎められ、カロウシタイを呼ばれるなり、面倒に巻き込まれてしまう。その点、全員死体になっていれば人目を気にする必要もない。この開放感はジツのコンセントレーションにもってこいだ。

「ンンー……来たか」やがて彼は立ち上がった。庭には奇妙なビジョンが焼きついている。人型の輪郭をもった複数の砂嵐ノイズだ。それら一つ一つがストップモーションめいている。カラテのストップモーションだ。「おお、ロングゲイト=サン。ここか」バンブー林付近の姿に眉をひそめる。「サラバ」

 彼は庭を歩き回った。ロングゲイトと戦闘する者の存在痕跡を、彼は吟味した。「アラバマオトシ……フーン……破られて……残念な事だ」彼は一際強く精神集中した。じわりじわりと輪郭が定まり、その者の名が浮かび上がった。「ニンジャスレイヤー……というのか」彼は呟いた。「成る程な」


【アセイルド・ドージョー】終わり

第6話に続く


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