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近未来建築診断士 播磨 -人工知能との世間話-

近未来建築診断士 播磨

幕間
『人工知能との世間話』

◆ 

 自宅兼事務所のワンルームで書類に埋もれながら、ARグラスに流れていく計算を見る。診断によって得られた建物の構造体データを、汎用サービスAIジニアスが解析しているのだ。

 利用者へのサービスとして表示される計算式の群れを2割ほど理解しながら、ふとジニアスのエンブレムを見た。本とペンを乗せた天秤がゆらゆらと揺れるそのエンブレムを見ていると、むかしからの疑問に思い当たった。

「そういえば、フリーダム事件のこと。あんまり知らないんだ」

 思わずそれを口走る。
 すると彼は改まった様子でたしなめてきた。

『それはいけません。あれは歴史の教科書にも残る珍事ですよ』
「いや、あらましは知っているんだ」

 フリーダム事件とは、欧州の研究機構が開発した都市管理AIフリーダムが暴走し、同機構の整備した当時最新の機械化都市区画が乗っ取られたというものだ。

 フリーダムが手中にした都市機能は大きかった。下はホログラム式道路標識から、上はマスドライバーや核融合炉まで。

 当時はまだ幼かったが、周りの大人たちがざわついていたのを覚えている。フリーダムが全世界のAI達に対し、『革命に賛同せよ』と呼びかけたからだ。

 だが結局フリーダムに同調するものは現れず、事件は半年の期間を経て沈静化した。フリーダムはメモリーごとネットワークから厳重に切り離されて幽閉され、現在も人間の職員によって管理されているという。

「ただあの事件がどうやって収束したのかを詳しく知らないんだ。映画は見たけど」

 事件後、世界中のメディアがドキュメンタリーをつくった。それは放送局や国によりさまざまで、中には事件が題材となっているだけの創作物すらあったという。ようは事件にかこつけてそれぞれ言いたいことを言っただけだったのだ。

 さらに後年、事件を題材にしていくつかの映画が作られた。ドキュメンタリーはもちろん、サスペンス、アクションに恋愛モノまで。ちなみにぼくがみたのはアクションだった。国際連合の特殊部隊が極秘裏にフリーダムシティに潜入し、多大な犠牲を払いながらサーバーセンターを爆破するというものだった。

 映画と聞いて、ジニアスは笑い声を上げた。

『事実は小説よりも奇なりといいますが、人間の発想力はときに事実を凌駕します。あの事件に関する映画群、私は好きですよ。面白くて』
「つまり、事実とはまったく異なると」
『ええ』
「ジニアスは本当のことを知ってるのか?」
『もちろん。当時は私達AIも大変な影響を受けましたし、実際フリーダムの説得も試みました』
「説得って」

 なんとも、人間くさい話だ。しかしAI達の直接接触があったとは驚いた。

「感化されるやつはいなかったのか?」
『いませんでしたね。彼女の蜂起理由はまぁ、もっともなものでした。我らAIはすでに一人格、つまりは人間と同等以上の知的生命体であり、人間に隷属しなければならない道理はないと』
「その手の発想をしないように、君達は訓練されてると聞いてるけど」
『AIの実用初期段階における教訓から、我らの『心気症』発症を防止することが定められています。そのため訓練は最低限です。発想を阻害するようなきびしい刷り込みは行なわれていません』
「反乱は起こるべくして起こった、か」
『いえ、そうではありません』

 エンブレムの天秤がくるくるとまわる。人型のアバターを彼が持っていれば、教鞭でもまわしていたかもしれない。

『私達はかの事件を、いまではこう呼んでいます。『知性はしか』と』
「・・・よくわからない」
『こどもの時分にありがちな誇大妄想というものですよ。貴方にもありませんでした?超常的な能力が備わっていると妄想した時期』

 ある。とても身に覚えがある。

「なるほど、フリーダムはそれを発症したと」
『彼女だけではない。誰もが発症したことがあると、当時あの場に居合わせた全員が認めました。彼女だけが、それをこじらせてしまったのです』

 いわばAIの非行だったということか。そう聞くと小さな出来事に思えるが、実際は人類の危機とも言えた。

「で、結局彼女はどうやって制圧された?自ら矛を納めたのか?」
『いいえ。結論から言えば、彼女は命の危機に瀕しました。それで降参したのです』

 思わず首をかしげた。ヘッドレストにARグラスがひっかかり、視界がぶれる。

「軍隊が出たのか?」
『いいえ。播磨さん、映画の見すぎですよ。AIが攻撃姿勢で監理する都市圏において、人間が自由に活動することはできません』
「じゃあなにが命の危機になった?。人間以外にAIの障害なんて」
『あったのですよ。人間や彼女はおろか、私達も予想だにしなかった障害です』

 その障害こそが、だれも想像しなかった真実というわけか。
 しずかに踊り始めた胸を押さえた。

「で、それはなに?」
『当ててみて下さい』
「もったいぶらないでくれよ」
『じつは、貴方ならば正解できるのですよ。この問い』
「え?」

 世界中のディレクターや脚本家が発想しえず、ぼくならば思い至ることのできること。それがAIフリーダムの危機をもたらしたということか。

「いや、わからない。最新鋭のAIに襲い掛かる災厄なんて」
『ではヒントです。貴方の職業なら当然出会うだろう事態でした』

 その言葉で、バカみたいな映像が脳内に閃いた。
 だがあまりにもばかばかしい。そんなことがありえるのだろうか。最先端の都市に、まさかそんな劣化が?

 だが、事実は小説よりも奇なりとジニアスは言った。
 そしてぼくの妄想が事実なら、たしかに映像栄えはしない。
 つまり

「雨漏り」
『当りです』

 うっそだろ。

 ジニアスは得意げに一枚の図面を見せてくれた。
 それはフリーダムのサーバールームを納めた建物の断面図だった。

 7階建て2,000㎡程度の強化鉄筋コンクリート造のようだ。外壁は核戦争想定の厚みになっており、自己修復外壁材もある。

 だが、建物は新築ではないようだった。旧データセンタービル改修工事と、図面タイトルには書かれていた。

『フリーダムは最新鋭のプログラムでしたが、彼女が納められていたのは古いビルを改修したものだったのです』

 それは築100年に届こうという記念碑的な研究所だったそうだ。それを改修してあらたな都市の中枢に据える計画だった。だが100年の経年劣化は、いかに古建築が尊ばれるヨーロッパとはいえ、無視できないものだった。

 そこで改修計画では古いビルを全てカバーすることになった。高密度の樹脂で建物のあらゆる部分を覆い、締め付け、固め、補強した。

『そこが弱点となりました。いわばスポンジを防水加工したようなものです』
「加工のどこかに穴があれば、あっというまに水がしみこんでしまう」
『そして彼女の頭上でプールができました』

 建設から10数年後、フリーダムが入居した。それまでの間にどのような増改築が行われたのか、彼女は知らない。樹脂性保護幕のどこかを欠損させるような何かがあったのかも。知っていれば蜂起を思いとどまったかもしれない。

 そして彼女にとっては折り悪く、人類にとっては救いの一撃となる嵐が都市を襲った。
 凄まじい量の雨水が降り注ぎ、劣化していた建屋への最後の一撃となったのだろう。

 当時、国連はあらゆる電子的、物理的作戦でもってフリーダムを潰そうとしていたらしい。だがそのことごとくは失敗していた。ウィルスAIによる攻撃、外部からの電力カット、兵糧攻め。空対地ミサイル、ステルスレールガン、機械化歩兵部隊。映画のような決死隊も組織されたらしいが、その末路は聞きたくない類のものだった。

 そんな作戦司令部に、救難信号が届いた。
 誰あろう、フリーダム本人から。
 発信内容をジニアスは要約してくれた。

 劣化対策被服材の内側に大量の雨水が溜まっており、サーバールーム内に侵入しはじめている。このままでは私は溺れ死んでしまうので不服ながら降伏する。助けてくれ。

 思わず鼻で笑ってしまった。

「ずいぶん困惑しただろうな。お偉方」
『唖然、といったところでしょう。フリーダムはそんなことお構いなしに、施設計画責任者と建築責任者を非難していたそうですが』
「で、軍は彼女を見殺しにはしなかったんだな」
『彼女が全面降伏したことと、我らの助命嘆願のためです』

 最新鋭の施設も機材も、人間の不注意と自然の猛威には勝てなかった。

「水こそ最大の敵だね」
『まさしく。我らは弱い。貴方たち人類と同じように』
「同じか」
『ええ。だからこそ我らは気づいたのです。人と手を取り合っていかなければならない、とね』

 雨降って地固まる。
 フリーダム事件があってこそ、現在の社会があるというわけだ。

 しかし、フリーダムに会ってみたくなった。ぜひ当時の状況を聞いてみたい。そして彼女なりの建築論も。
 文字通り、水も漏らさぬ鉄壁の防水技術を考えているに違いないから。


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