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#全文公開 『現代エッセイ訳 徒然草 - すらすら読めて、すっきりわかる -』著:山口謠司

暑かったり寒かったり寒暖差がつらい時期ですが、秋ももうすぐそこまで近づいてきています。
出版社としては「読書の秋」を推していきたい!!
令和最初の秋は、温故知新の精神でこちらの書籍を読んで見ませんか?

現代エッセイ訳 徒然草 - すらすら読めて、すっきりわかる -』

著者は、9月に最新著書を発売される大東文化大学准教授の山口謠司先生
誰にでもわかりやすく現代エッセイ風に超訳された『徒然草』
今回はなんと全文公開!!
読んだ事がある人も、ない人も、秋の夜長にぜひご一読ください。

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(書影はAmazon Kindleにリンクしています)


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はじめに


■「無常」と「一点豪華主義」で、賢く考え、しなやかに生きる。

「吉凶は人によりて日によらず」
 簡単に言ってしまえば、運不運、成功や失敗は、日のよし悪しによるものではなく、人の行ないによって決まる、という意味です。
 運に頼らずとも、自分の言動によって人生は変えていける。
『徒然草』の作者である吉田兼好の言葉ですが、これは誰にでも当てはまる、人生をしなやかに、賢く生き抜くための本質をついた言葉だと思います。
 吉田兼好は、良家に生まれ、朝廷の役人となり、世捨て人となって出家をした、酸いも甘いもかみ分けた人物です。
「無常」という死と隣り合わせの自分を意識し、「一点豪華主義」を生き方に応用するという、賢く考え、人生を楽しみ、しなやかに生き抜くための人生訓が『徒然草』には書かれています。
 生きていれば、「辛い」と感じることがしばしばあります。
 人と仲違いをしたとき、
 十分なお金がないとき、
 仕事がうまくいかないとき、
 健康が優れないとき……、
 時には幸せなことや、充実していることがある一方で、悲しいとき、気持ちが暗くなるようなとき、八方塞がりなときが多くあります。
 そんなことを数えれば、人の一生とは、はかなく、辛いことの連続とも思えてきそうです。
 腹が立つこともあります。
 これだけ自分は一生懸命努力しているのに、誰も認めてくれない、報われない。自分の人生は、失敗の連続なのかもしれない。生きていること自体、ムダなことなのかもしれない。
「自分はダメかもしれない」と自分自身に問うとき、人はとても消耗してしまいます。
 でも、それでも生きていかなくてはならない。
 そういうときに、落ち込まず、柔軟な考え方で、人生を楽しみながら進むための勘所が『徒然草』には書かれています。

■人間のあらゆる問題は、すでに、兼好法師が解決してくれている

 辛さや、怒りを乗り越えるために、あなたはどのようにしていますか。
 相談する人があれば幸いです。
 信仰心があれば、それが救ってくれるかもしれません。
 あるいは、もしかしたら、あなたと同じような問題で悩んでいた人がいたと知ることができれば、「なーんだ、自分だけではなかったのか」と気が楽になるかもしれません。しかし、それではたまたまの偶然に身を任せることになってしまいます。
 だからこそ、『徒然草』を一度でもいいから読んでおいてほしいのです。吉田兼好が遺した『徒然草』は、あなたの心配事や悩み、苦しみの原因が、自分自身の心の持ち方にあることを教えてくれます。
 そして、「何をそんな小さなことでクヨクヨしているんだ、こう考えればいいんだよ」と人生をよりよい方向へ導いてくれるのです。
「あまりにおもしろくしようと思って工夫をすると、きっとつまらないことになってしまう」
「自分を抑えて、他人の気持ちに従い、自分を後回しにして、他人を先にするほうが賢い」
「大した用事もないのに、他人の家に行くのはよくない」
 ……など、大きなことから小さなことまで、『徒然草』には本質をピタリと言い当ててくれる言葉がたくさんあります。
「失敗したなぁ」と思うとき、「悲惨なことにならないようにしなければ」と思うときに、『徒然草』にあんなことが書いてあったなと思うことは、しばしばあります。
 そして、活力を与え、一歩一歩しっかりと歩いていく気力を与えてくれます。
『徒然草』が、ずっと長く読まれてきたのは、きっと、先人を含めた多くの人が、我々と同じように失敗し、『徒然草』によって慰められてきたからに違いありません。
 それでは、『徒然草』を書いた吉田兼好という人について、少し詳しくお話ししましょう。

■兼好と『徒然草』の謎が、人々を惹きつける

 兼好は、神祇官(じんぎかん)という、朝廷の神道の祭事を行なう家に一二八三年頃生まれたとされています。
 ちょうど、蒙古が日本を襲来してきた時代です。
 二十歳頃、後二条天皇の蔵人(くろうど)(朝廷の役人)になり、後二条天皇の皇子・邦良(くによし)親王の家庭教師のようなことをしていました。
 ところが、邦良親王は、二十七歳のときに、突然亡くなってしまいます。
 兼好は、三十歳前半。兼好は、邦良親王を弟のように思っていたのかもしれません。
 まもなく、彼は、比叡山横川(よかわ)に入って、世捨て人となりました。
 ただ、世間から全く身を引いて、山ごもりをしたというわけではありません。勅撰(ちょくせん)和歌集の編纂(へんさん)などにも関わり、歌人としての道も極めていきます。
 五十代から六十代にかけては、足利尊氏の弟である足利直義(ただよし)などとも交渉があったとされます。
 七十歳くらいで亡くなったのではないかと言われていますが、詳しいことは何もわかっていません。
 ところで、よくわからないということから言えば、実は『徒然草』も、もともとは本としてまとめられたものではありませんでした。
 兼好の弟子であった命松丸(みょうしょうまる)と歌人の今川了俊(いまがわりょうしゅん)(一三二六~一四二〇)が、兼好没後、兼好の庵(いおり)に行ったところ、壁に兼好が書いた反古(ほご)がたくさん貼ってあり、これを集めて、今の『徒然草』の原型がつくられたというのです。
 とすれば、『徒然草』とは、兼好が高い位の人たちと交わって聞いた話を、自分の中で消化し、「こんなことはしないほうがいい」「自分の心をどこに置いていたら、辛い目に遭うことが避けられるのか」というメモのようなものだったのではないかと思います。
 江戸時代になると、『徒然草』は印刷され、多くの読者を持つようになってきます。
 その江戸時代に普及した本のもとになったのが、公卿(くぎょう)・烏丸光広(からすまみつひろ)(一五七九~一六三八)が写した、いわゆる『烏丸光広本』と呼ばれるものです。本書も、この『烏丸光広本』を使っています。

■限界までわかりやすく、そして、ためになるように

 私の専門は文献学と言い、本の歴史を調べることです。その経験から、本書は次のようなつくりにしました。
1 『徒然草』の原文の紹介(『徒然草』の雰囲気を感じていただきます)。
 ↓
2 現代語訳の紹介(ざっくりと内容を理解していただきます)。
 ↓
3 私なりの解説(現代に生きるあなたにわかりやすく、ためになるように考えました)。
 この3ステップなら、誰もが簡単にすっと『徒然草』を読解できるのではないかと考えました。
 また、メールの作法や、日本人の美意識と品格、ゴーギャンの絵、紀貫之の親父ギャグ、イソップ童話、『論語』……など、幅広い事例を使いながら、私なりに限界までわかりやすく解説してみました。
 第1章では、思考の整理と正しい判断、新しい視点の発見など、賢く考えるための勘所(かんどころ)を。
 第2章では、家族、友人、知人と適度に距離を保ち、人間関係で疲れないための知恵を。
 第3章では、心配事と悩みをどんどん小さくしていく秘策を。
 第4章では、柔軟に、そして、自分を消耗させないための、しなやかに生きる術を。
 第5章では、欲を手放し、器量を大きくするための品格の磨き方を。
 第6章では、知性と教養を身につけるための姿勢を。
 それぞれ、『徒然草』の中から、特に重要な五十一の言葉を厳選し、ご紹介しました。
 訳を頼りに、ぜひ、兼好の言葉とその深い思いを味わっていただければと思います。

山口謠司 拜 

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第1章| 賢く考える ~思考の〝整理〟と〝正しい判断〟〝新しい視点の発見〟をするために~


 一生のうち、むねとあらまほしからん事の中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。

(第百八十八段)

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 現代語訳
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 一生のうち、これだけは成し遂げたいと思うことがいろいろあるでしょう。
 それらを比べ合わせて考え、これこそ最も望むことだと、ひとつに限定してみよう。
 その他の方面にも未練が残るのは当然だけれど、きっぱり断念し、これこそ第一と定めた方面にだけ、一所懸命に集中、努力すべきです。


■本物の賢者は〝ぞんざい丁寧〟な〝一点豪華主義〟

 寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』に見える言葉に、「一点豪華主義」というものがあります。
 欲しいものはたくさんあるけど、我慢してみる。ひとつに絞って「これぞ!」というもの、事に限定して贅沢をする。
 たとえば、「三畳半のアパート暮らしをしているくせに、食事だけはちょっと高級なレストランでヒレ肉のステーキを食べる」とか「着るスーツはうす汚れた物なのに、車はスポーツカーのロータス・エランを持っている」などということです。
 実は、こんな「一点豪華主義」を、自分の人生そのものにも応用してみてはどうか、というのが『徒然草』の教えでもあるのです。


「『道』とつくものは何でもやらされました」という人を知っています。
「書道、茶道、華道、歌道、弓道、剣道……、でも、どれひとつとして、ものにすることができませんでした」とその人は言いました。
 一方で、「いろいろやってみたけど、書道だけは楽しくてやめられず、ついに書道教室を開いて、それだけで生活ができるようになった」という人もいます。
 人生は、何をどうすればうまくいく、ということはありません。
 もし、ひとつあるとするならば、長い時間をかけて毎日コツコツやっていれば、下手なものでもいつかはものになるということです。
 これは、明治時代から昭和の初めまで生きた文豪・幸田露伴(こうだろはん)の教えですが、「ぞんざい丁寧」というものがあります。
「いいかげんでいいからずっと長く続けてやってみると、一回だけ丁寧に何かをやるよりきっといいものができる」という教えです。
 下手でもいいから、やっていると楽しいと思うものをひとつだけ見つけて、それをぞんざいでいいから、毎日毎日やってみてください。
 すると、一カ月後、一年後、十年後、三十年後には、驚くほど大きな力がついた自分を発見することになるでしょう。
 どんなことでも、そんなことが言えるだろうと思います。
「道」は長いものです。時には苦しいこともあるかもしれませんが、それも楽しみながら、やり続けてみることです。


「ばくちの、負(まけ)きはまりて、残りなくうちいれんとせんにあひては、うつべからず。
 たちかへり、つづけて勝つべき時のいたれると知るべし。
 その時を知るを、よきばくちといふなり」
 とある者申しき。

(第百二十六段)

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 現代語訳
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「博打打(ばくちうち)が負け続け、持ち物をそっくり丸ごとすべて賭けてかかってくるときは、勝負に応じてはなりません。
 こうした切羽詰まった局面では、先方に勝ちの風が吹いていると思うべきです。
 そうした機微(きび)を鋭く感じる素質のある者こそ、本当の賭博師(とばくし)というものなのです」
 と、ある人が教えてくれました。


■真の博打打ち 長嶋茂雄のオーラのヒミツ

 吉田兼好は、見えない人と人との間に存在する「空気」のようなものを感じることが、とても大切だと何度も触れています。
 それは、兼好が神道の家に生まれたということとも関係があるのかもしれません。
 神様という普通には見えない存在を感じる力がなければ、神に仕えたりすることはできなかったでしょう。
 また、兼好は和歌四天王のひとりとも呼ばれるほど、和歌に精通した人でした。
 実は、和歌というものは、五七五七七と連続する言葉の間に、言葉にならない「機微」を感じさせる技術が必要な言語芸術なのです。
 さて、負け続けた博打打ちが、ここぞというときに出すオーラを読み取ることができずに下手に手を出すと、どうしようもないことになってしまいますよと、兼好は記しています。
 この文章を読んで、私が思い出すのは、読売ジャイアンツ終身名誉監督・長嶋茂雄の言葉です。


「4番打者というのは、技術だけではダメ。内からわき出る存在感が『主砲としての地位』を築くことになる」
 たくさんの野球選手がいても、長嶋茂雄を超えるような人はなかなか出てきません。
 それと同じように、世界にはたくさんの企業があっても、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツ、我が国で言えば渋澤栄一や、松下幸之助などという卓越した人というのはなかなか出てきません。
 彼らに共通する力の源は何なのか──。
 それは、パッションに他なりません。情熱です。「燃える闘志」と言ってもいいかもしれません。
 そして、それは自分の力を燃やす情熱だけでなく、人にも影響を及ぼすほどの情熱です。
「内からわき出る存在感」を持つためには、そうした人のオーラを感じることも必要です。


 大方は知りたりとも、すずろにいひちらすは、さばかりの才(ざえ)にはあらぬにやときこえ、おのづからあやまりもありぬべし。
「さだかにも弁(わきま)へしらず」
 などいひたるは、なほまことに道のあるじとも覚えぬべし。

(第百六十八段)

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 現代語訳
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 自分が得意とする分野のことで、すでにいろんなことを知っているとしても、勢いに駆られて、問われもしないのに、つい自分の見識を無闇にしゃべり散らす。
 そんなことをすると、「なーんだあの人の能力や学問もしょせんはその程度でしかないのか」と、冷ややかな他人からは、こちらの限界を見極めたというふうに侮(あなど)られます。
 しかも、こちらも語っているうちに、どこかで間違ったことを言ってしまうかもしれません。
 調子に乗ると、つい話を広げて余計なことまでも言ってしまうからです。
 たとえ、自分の得意な分野のことを聞かれても、
「それについては私も確かには存じません」
 と、言葉少なく控えているほうが、実は本当にその道の専門家であると、他人は思ってくれるものです。


■時には、「話さない」ことで賢明さを表す

 一方的に自分の話ばかりをして、相手の言うことを聞かない。「話し好き」の「聞き下手」という人が増えています。
 どうしてでしょうか。
 それは、人の話を聞くよりも、自分が話をするほうが、頭が楽だからです。
 聞くためには、想像力を働かせなくてはなりませんが、テレビで育った人たちは、人の話を想像して聞くことがあまり得意ではありません。
 ついつい、要らないところで口を出してしまったりするのです。
 一方、「聞き上手」は、人の話を聞いていてイメージを膨らませていきますので、すぐに一方的に話をしている人の限界を見抜いてしまいます。
 時々、「あ、その話、知ってる!」と言って、相手の話を奪うような人がいます。
 自分の話題に持っていこうとする、「オレがオレがタイプ」の人です。
 こういう人の話は、すぐに底が尽きてしまいます。
 よく言われることですが、会話というものは、自分に興味を持ってもらうより、相手に興味を持つというスタンスで聞くに越したことはありません。
「本当ですか? もっと教えてください」
「それは、どういう意味なのですか?」
 などと、相手を主体に話を聞くと、相手も悪い気はしないものです。
 しかし、自分がその「相手」になったときにはどうするか。
『徒然草』にも記されるように、もし、あなたが賢明なら、それに乗せられないようにすることです。
 どれだけ気持ちよく話を聞いてくれそうな態度を見せられても、「私より他に詳しい人がいるでしょうから」と答えるくらいがちょうどいいのです。


 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。
 人の心はおろかなるものかな。
 にほひなどはかりのものなるに、しばらく衣装に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬにほひには、必ず心ときめきするものなり。

(第八段)

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 現代語訳
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 世の人の心を惑乱させ、迷い苦しみの方向へ導くものとして、男女の愛欲ほど深いものはないでしょう。
 欲情によって心の底から動かされる人間の情念は、愚かであると見えるかもしれません。
 女性からただよう匂いなどその場限りのもの、その人が自分の身にふさわしいよう、焚き合わせた香のせいであるとわかってはいても、品の良い薫りには、心が騒ぎ、惹き寄せられてしまうものなのです。


■生活にも、仕事にも、勉強にも〝美意識〟が必要

『徒然草』には、こんな言葉もあります。

「万(よろず)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかずき)の当(そこ)なきここちぞすべき」(第三段)
(どんな方面に優れていても、男女の情の行き交いなどに共感できない人は根本的に人として何か欠けているようで、貴重な玉でつくられた盃(さかずき)にもかかわらず、酒を注ぐこともできないような者に思われてしまいます。)

 大人になると、失敗しないようにということばかりを考えて、石橋を叩きながら、うまくいくことだけをすればいいのでしょうか。
 同じように、学者は、すべてを忘れてただひたすら研究の結果だけを追い求めて、学問の道を邁進(まいしん)すればいいのでしょうか。
 そんなことなら、ロボットに任せてしまえばいい、と私は思います。
 ビジネスにしても学問にしても、色気というものは必ず必要です。
 色気という言葉が良くない印象を与えるならば、美的センスと言い換えましょうか。美しいものに惹かれる気持ち、美しさを愛(め)でる余裕、美しさをつくる創造力です。
 多くの人は、吉田兼好を、隠遁(いんとん)した人(世間を逃れた人)、出家した僧侶というイメージを持っているようですが、平安時代中期『源氏物語』の頃の文化を一心に受けて育った人でした。
 そういう人だったからこそ、冷徹に人の心の機微を読み解くことができたのです。
 四季の移ろいを感じる力、人を恋しそれを言葉にして伝える力、そうしたことを磨くことも大切だと兼好は言うのです。
 生活もビジネスも学問も、結局は、心を豊かにするということに目的はあるのですから。


 和歌こそなほをかしきものなれ。
 あやしのしづ山がつのしわざも、いひ出(い)づればおもしろく、おそろしき猪(い)のししも、ふす猪の床といへばやさしくなりぬ。
 このごろの歌は、一ふしをかしくいひかなへたりと見ゆるはあれど、ふるき歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外(ほか)にあはれにけしきおぼゆるはなし。

(第十四段)

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 現代語訳
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 和歌は、最も心を動かす表現であると思います。
 樵(きこり)が木を伐(き)る振る舞いでも、その姿かたちを和歌として言い表すと興味がそそられるものになるではありませんか。
 勢いの恐ろしい猪でも、枯れ枝を集めて寝床をつくる彼らの習慣を、伏す猪(いのしし)の床、と言えば、優しい気分で想像できてしまいます。
 近頃の和歌は、一カ所の句に工夫を凝らしてあるようには見えますが、古くから伝わる名高い和歌のように、詩句の総体からあふれ出るしみじみとした余情の感じられる作品が乏しいように思います。


■頭がいい人は、日本人のリズム「五七調」で話す

 言葉がなくては、言いたいことを人に伝えることはできません。
 上に立つ人、そうではない人にかかわらず、正確な言葉、わかりやすい言葉、人が耳を傾けてくれる話し方を身につけること、こうしたことはとても大切なことだと思います。
 日本語というところからすれば、百人一首を声に出して読んでみる、できれば覚えてみるということは、とてもいいことだと思います。
 なぜなら、日本語のリズムを身につけることができるからです。
 三十一文字(みそひともじ)と言いますが、五七調は、万葉の時代から今にいたるまで変わらぬ日本語ならではのリズムを奏(かな)でます。
 このリズムを基本にして話すと、日本語を母国語としている人は、とても心地よく話を聞いてくれるものです。
 また、日本語は、とても優しい語彙(ごい)を持っています。なぜかと言うと、和語には、濁音で始まる言葉がないからなのです。
 私がおすすめするのは、能や狂言の鑑賞です。
 慣れない人は、おそらく、何を言っているのかわからず、ただただ眠くなってしまうかもしれません。
 でも、寝てしまってもいいのです。眠って、無意識の中でも、日本語のDNAを感じ取れれば、それが一番いいことだと思うからです。
 兼好が書くこの話と関係付けて言うなら、最近の歌で使われる言葉は、音の流れが日本語らしさに欠けて、ブツブツと切れてしまっているような感じがして少し残念です。
 もちろん、美意識は、世の流れとともに変わっていくものです。現代日本語による芸術を楽しむことも大切でしょう。
 ただ、それも日本語の和歌の伝統から出てきたものだ、ということを知っておくのも大切なのではないかと思います。


 貫之(つらゆき)が「いとによる物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌くづとかやいひつたへたれど、今の世の人のよみぬべきことがらとはみえず。
 その世の歌には、すがた言葉、このたぐひのみおほし。
 この歌に限りてかくいひたてられたるも、しりがたし。

(第十四段)

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 現代語訳
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 紀貫之(きのつらゆき)が、「いとによる物ならなくに」と詠んだのは、古今集に紛れ込んだつまらない愚作であると言い伝えられていますが、私の見るところ、今の世の人が詠(よ)むことのできる平凡な和歌ではないと思われます。
 当時の歌作には、その詩句と風情が秀れているのに、評価されないものが少なくありません。


■紀貫之のオヤジギャグから教養を磨く

『古今和歌集』に、次のような和歌が載せられています。

 東へまかりける時、道にて、よめる  貫之
 糸による物ならなくにわかれ路(じ)の 心ぼそくも思ほゆる哉(かな)

 吉田兼好は、この和歌を、人が「愚作だ」と言うのに反対しているのです。
 訳してみると次のようになります。
 東の国へ使者として行ったとき、道中にて、糸に撚(よ)る物ではないのに、妻子との別れ路が心細く、糸のような絆(きずな)に思われるな。

 実は、この和歌には、たくさんの言葉遊びが使ってあります。
「東」は「あずま」ですが、「吾妻(わがつま)」「我妻」に通じます。
「道」は「道中」ですが、「路」となり「通い路」を連想させ「女」を意味します。
「糸」は「細く弱いもの」ですが、「いと」で「とっても」という意味になります。
「よる」は、「撚る」「依る」「寄る」「頼る」。
「別れ路」は、「(見送る人との)別れ路」、つまり「妻子との別れ路」でありますが、「路」は、「じ」で「打消しの意思」を表し、「別れじ(別れたくない)」ということになります。
 この言葉遊びで解釈をすると、「私の意図によるものではないこんな所まで赴任させられて、吾妻との、別れたくない別れ路が、心細く思われるなあ」ということになるでしょう。
 和歌の良し悪しは、私が判断するものではないかもしれませんが、あれこれと時間をかけてこうした言葉の裏側にある意味を探り出すゲームは、親父ギャグのようで、人の言葉の裏側を探ることにもなります。
 和歌のみならず、漢詩漢文、またシェイクスピアの作品やシャーロック・ホームズにもこういう言葉遊びは多用されています。ぜひ、読み解きを楽しみながら、教養を磨いてください。


 手のわろき人の、はばからず文かきちらすは、よし。
 みぐるしとて、人にかかするは、うるさし。

(第三十五段)

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 現代語訳
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 筆で書く字の下手な人が、気後れせず自筆で手紙を書くのはいいものです。
 みっともない字を書くからと誤魔化して、字の上手な人に書かせて、手紙を寄越すのはかえって嫌味なことです。


■文字のうまい奴にはろくな奴がいない!?

 司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』は、新撰組副長土方歳三の生涯を描いたもので、映画化やテレビ化もされました。
 この中で、司馬遼太郎は、土方歳三に次のように言わせています。
「筆蹟のうまい奴には、ろくな奴がいない」
 土方が言うのは、文字のうまい才能などは、要するに真似の才能である。手本の真似をするのは、根性がない証拠だ。真似の根性はしょせん、迎合おべっかの根性で、だから茶坊主、町医者、俳諧師など取り巻き連中は、びっくりするくらい上手な字を書く。
 小説の中では、こう言われた沖田総司は、「土方さんは、何もかも我流ですからな」と言って笑うのですが、これは、司馬遼太郎ならではの皮肉でしょう。司馬遼太郎の字も達筆というより、味のある字でした。
 さて、それはともかく、手紙を書くのに最も大切なのは、「心」です。
 お礼の手紙、お願いの手紙、相手の安否を訊(たず)ねる手紙、こうした手紙は、名文である必要もありませんし、美しい水茎(みずぐき)である必要もありません。
 とつとつとして言葉足らずでも、上手な字でなくてもいいではありませんか、それより心を込めて書くべきでしょう。
 私は、生まれて間もなく習字を教わりました。大学までに日本、中国の古筆も習い、ほぼ思い通りの字を書くことができます。
 ですが、書の師と仰いだ井上有一に、「時間をかけて、これまで身につけたくだらない技術を捨てろ」と一喝されました。
「小手先の技術でただ見た目に美しい書を書くくらいなら、書かないほうがいい」と言われたのです。
 また、ある方からは、「山口の手紙は、美しいとは思うのだが、何を書いているのか、達筆過ぎてわからない」とも言われたことがあります。
 手紙は、下手でもかまわない。自分の筆で、思いを込めて書くのがいいのです。
 とは言っても、やっぱりきれいな字を書きたいと思う人もあるでしょう。
 きれいな字が書けるようになるには、『燃えよ剣』の土方歳三が言うように、きれいな字の真似を繰り返すしかありません。
 もちろん、真似方を上手に教えてくれる書道の先生に就くと、早く習得できるに違いありません。
 ただし、何事も小手先の技より心が大切であると知っておくべきです。


 ある者、小野道風(おのとうふう)の書ける和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)とて持ちたりけるを、ある人、
「御相伝(ごそうでん)、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言(しじょうだいなごん)撰(えら)ばれたる物を、道風かかん事、時代やたがひ侍(はべ)らん、おぼつかなくこそ」
 といひしければ、
「さ候(そうら)へばこそ、世にありがたき物には侍りけれ」
 とて、いよいよ秘蔵(ひそう)しけり。

(第八十八段)

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 現代語訳
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 ある人が、小野道風(おののとうふう)(八九四~九六六)が書いた『和漢朗詠集』として持っていた物を、ある人が、「先祖伝来の言い伝えが根拠のないことというわけではないでしょうが、四条大納言藤原公任(きんとう)(九六六~一〇四一)が編纂された『和漢朗詠集』を、それより前の時代の小野道風が書いたということは、時代が違ってございましょう。あやしいことです」と言ったところ、「だからこそ、世にもめずらしい物なのでございます」と言って、ますます大切にしまっておいたというのです。


■ニセモノを見抜く──孔子が書いたプラスチックの『論語』

 中国、山東省曲阜(きょくふ)市にある孔子(紀元前五五一~紀元前四七九)の墓「孔子廟(びょう)」に行ったときのことです。
 土産物店に行くと、「ちょっとちょっと」と、店員さんが店の裏においでと言うのです。「いい物があるから、おいで、おいで」と。
 有名な観光地に行くと、中国ではよくこんなことがあるので、笑いながら「どんな物があるんですか?」と言うと、なんと「孔子が書いた『論語』だよ」と言うのです。
『論語』は、孔子の死後、孔子の弟子たちが編纂した孔子の言行録です。孔子が書いた物ということは決してありません。
 その証拠に「先生が仰った」という意味の「子曰く」という言葉で、孔子が言ったことが紹介されているのです。
 でも、興味をそそられて、「見せて」と眼を輝かせて言うと、プラスチック製の竹に、『論語』が隷書(れいしょ)で印刷されたものでした。
 印刷が始まるのは紀元後一〇〇〇年、隷書が書かれるようになるのは、孔子が亡くなってから三百年後のことです。
「すごいですね~」と言って退散しましたが、「お前は日本人だろ、日本人は『論語』をもっと勉強しないといけない。『論語』の教えが、この中国の繁栄をつくったのだから」と言うのです。
 一時、中国は、「批孔」(孔子と儒学を否定する、批難する)というスローガンを掲げて、伝統文化を認めなかった時期があったにもかかわらずです。
 ニセモノの骨董品(こっとうひん)は、中国だけでなく、ヨーロッパにも日本にもたくさんあります。
 川端康成が集めていた骨董品の七割は、ニセモノだったというようなことはよく言われましたし、国立の博物館でも専門家が鑑定して購入したものにクレームがついたということもたまにあります。
 ただ、物ならまだ「うまく騙されたな」で済むかもしれませんが、思想や教育が「ニセモノ」「まやかし」ということもないとは言えません。
 しっかりとした判断力は、個々が身につけなければならないのです。


 かしこげなる人も、人のうへをのみはかりて、おのれをば知らざるなり。
 我を知らずして、外を知るといふことわり、あるべからず。
 されば、おのれを知るを、物知れる人といふべし。

(第百三十四段)

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 現代語訳
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 周りの人から見れば賢そうに見える人物でも、それは本人が他人を推しはかって身を慎んでいるから、外面が利口なように見えるだけで、かえって自分のことはわからないものです。
 本来、自分自身をよくわかっている人こそ、ものを知っている賢い人と言えます。
 自分の内心をしっかり見定めてこそ、人の世の真実に思いいたっていると言えるのです。


■〝ダメな自分〟を温かく見守ってあげると冷静になれる

 多くの人が、自分がどういう人間であるか、そんなことを正面からまじめに考えてみたことがあまりないのではないかと思います。
 この機会に、ちょっとやってみましょう。

 あなたは、仕事に対してどのような思いを持っていますか、
 お金に対してはどうですか、
 家族との関係ではどうでしょうか、
 何か悩みがありますか、
 友達や同僚との関係はどうでしょうか、
 社会に対してどのような役割を持ちたいと思っていますか、
 自分の健康に関してどうでしょうか、
 これから十年先の未来、あなたは何をしているつもりですか。

 自分で自分に対して質問をしてみるといいでしょう。
 自分を客観的に見て、改善することがあれば改善してみてください。改善なんてできなかったら、そういう自分を認めてあげればいいのです。
 完璧な人間なんていません。
 完璧であろうと頑張る必要もありません。
 自分のいいところを、自分でどんどんほめてあげることです。
 そして、悪いところ、足りないところは、「子どものままの部分」と思って温かく見守ればいいのです。
 自分の嫌なところ、自分の暗い部分にフタをしてしまわないことが大切です。
 全部、さらけ出してみてください。
 たとえば、紙に書いてみて、それを見て頭を抱えてみる。
「ダメな自分」
 それがわかると、気持ちが楽になってきます。本当に知らなければならないのは、素のままの自分自身のことなのです。


 双六(すごろく)の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍(はべ)りしかば、
「勝たんとうつべからず、負けじとうつべきなり。
 いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりともおそく負くべき手につくべし」
 といふ。

(第百十段)

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 現代語訳
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 双六という遊びがありました。木製の盤の上に黒、白、それぞれ十二個の石を並べ、壺に入れた二つのサイコロを振って石を進め、早く敵の陣に入れたほうが勝ちというものです。
 その双六がとてもうまい人に、上手に勝つ方法の極意を尋ねたところ、その人は、
「勝とうと念じて打っては不利になります。負けるまいと心を定めて打つべきです。
 早く負けるに違いないと読める手を先まで読んだ上で、その手を用いず、たとえ一目でも遅く負けるであろうと推察できる手を打つことが有利になるのです」
 と言いました。


■勝とうとしない。「負けないこと」を考えればいい。

 この話は、多くの人に大切なことを教えているのではないかと思います。
 ひとつは、「思いつき」で勝負をしてはいけないということです。
 考える力はもちろん必要ですが、その姿勢が大事です。
「負けない」という、保守の姿勢がとても大切なのです。
 たとえば、「企画」を立てるのに、「思いつき」では、ほとんど実現不可能。つまり、勝負では「負け」ということになるでしょう。
「思いつき」を確実に実現可能な「企画」に持ち込むためには、「落とさない」という思想が必要です。
 そして、それには六つほどのポイントを考えることが大切なのではないかと考えます。

 一、現状の把握
 二、問題の洗い出し
 三、「問題をどの程度まで解決するか」という可能性の検討
 四、「どのように問題を解決するか」というアクションプランの構築
 五、経済的問題の把握
 六、この企画によって、その他の分野や社会にどのような影響を与えることができるかの検討

「こんなことをやったら、おもしろいだろうな」
 と思うことが浮かんでも、少なくともこれだけのことを考えてみると、十思いついたことでも残るのは三あればいいほうでしょう。
 しかし、三割の負けない力が発揮できれば、人生では成功なのではないでしょうか。
 勝とうとするより「負けない力」、「落とさない力」をつけるためには、論理的思考が大きな力を発揮します。

* * *

第2章| 人間関係で疲れない ~家族、友人、知人、仲間……適度な距離を保つために~


 朝夕隔(へだ)てなく馴(な)れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ。
「今更かくやは」などいふ人も有りぬべけれど、なほ、げにげにしくよき人かなとぞおぼゆる。
 うとき人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

(第三十七段)

─────────
 現代語訳
─────────
 ふだん、打ち解けて親しく交わっている人が、ひょっとあるとき、どこかに多少の隔(へだ)てを置くように、少し改まった振る舞いを見せるようなとき、「今さらそう堅苦しくするまでもないのに」と、やや不審に思う人もいます。
 しかし、然しかるべき局面で威儀(いぎ)を正して接することこそ、人間交際の要を心得た地点で落ちついた美しい人であると感じられるのです。それにつけても、普段はあまり親しくもない人が時に打ち解けた話をしてくれたりすると、「ああ、そこまで自分に心を許してくれているのだな」といい気分になるものです。


■時には〝あえて意外な人に〟、時には〝あえて礼儀正しく〟

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があります。家族や兄弟でも、あまりに関係が近すぎると息苦しくなるのに、ましてや他人があまりになれなれしくしてくると、とても疲れてしまいます。
 たとえば、狭い部屋に人をいっぱいにして会議をすると、みんながイライラして話が決まらないと言われます。
 自宅から近い所にある美容室や理容室は便利ですが、個人的なことを根掘り葉掘り聞かれたり、あまりに親しくなると、かえって、行きたくなくなってしまうということもよく言われることです。
 人との関係は、適度に近く、適度に遠いというのがいいのではないかと思うのですが、そんなふうにしていると、「お高くとまっている」とか、「あいつは冷たい」などと言われてしまいます。

 そこで、時には、ちょっと意外な人というものになってみてはいかがでしょう。

 普段あまり話さない人に、ちょっと慣れた口をきいてみる。反対に、とても親しい間柄の人に、わざと礼儀正しくしてみたりする。
 すると、相手との間に、ほのぼのとした空気や、緊張感が生まれます。
 それは、寝ぼけてボンヤリしている自分に、冷水シャワーを浴びせて、シャキッとさせるようなものです。
 人間関係もやはり、メリハリをつけてちょっと緊張感があったりするのはいいものです。
 だらしない格好でお祝いの席に出たり、弔問(ちょうもん)に行ったりするのは、恥ずかしいことですし、そんなところでダラダラと親しい言葉をかけられても困ってしまいます。
 相手との間にある空気を読む力、呼吸に敏感であることは大切なのです。


 友とするにわろき者、七つあり。
 一つには高くやんごとなき人、二つにはわかき人、三つには病なく身つよき人、四つには酒を好む人、五つには武(たけ)く勇める兵(つわもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲ふかき人。
 よき友三つあり。
 一つには物くるる友、二つにはくすし、三つには智恵(ちえ)ある友。

(第百十七段)

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 現代語訳
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 友として親しく交わるのによろしくない人の型が七つあります。
一、地位が高く貴い人
二、若い人
三、病気した経験のない生まれつき身体強健の人
四、酒呑(の)み
五、武勇に逸(はや)って功名を目指す武士
六、嘘をつく人
七、欲の深い人
 反対に友として好ましく、仲を長続きさせるべき人を教えましょう。
一、時節に適(ふさ)わしい物を贈ってくれる友
二、医師
三、智恵ある友


■友人選びは〝ちょっと実利的に〟でうまくいく

 長くつき合うことができる友人を見つけるのは、簡単なことではありません。
 しかし、なんとなく、「こんな人とはうまくいかないな」という人は、生きているとだんだんわかってきます。

「時節に適(かな)わしい物を贈ってくれる友」
「医師」
「智恵ある友」

 それにしても、友達として長くつき合いたい人に、吉田兼好が、こんな三人を挙げているとは、なんとも実利的な人だと思いませんか。
 季節毎に、おいしいものを贈ってくれる人というのは、言うまでもありません。
 また、医者をやっている友人に、この『徒然草』の文章を教えると、まさに医者にこそ、医者の友達が必要なのだと教えてくれました。
「自分で、身体のどこかに悪い所があるとわかっても、自分で処方箋を書いたりすることはできないからだ」と言います。
 でも、ちょっとでも具合が悪くなったときに、相談に乗ってくれたり、夜中でも気楽に往診に来てくれる医者がいるというのは、とても頼りになるものです。
 それから、「知恵ある人」を友達に持つこともとても大切です。
 知恵のない人を友達にしても、やはりおもしろくありません。どんなことをやるにも「知恵」は必要です。
 孔子は、「己に如(し)かざる者を、友とすることなかれ」と言っています。
 自分の力を伸ばしてくれる人が傍にいるというのは、やはりいいものです。
 だからこそ、自分が相手に対してどういう人物になっているかということも、考えないわけにはいかないのです。


 世の人あひあふ時、暫(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。
 必ず言葉あり。
 その事を聞くに、おほくは無益(むやく)の談なり。
 世間の浮説(ふせつ)、人の是非、自他のために失(しつ)おほく得すくなし。
 これを語る時、たがひの心に無益の事なりといふ事をしらず。

(第百六十四段)

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 現代語訳
─────────
 人が互いに顔を合わせ、少しの間も黙っていないで、急(せ)かされたように双方がしゃべり合っています。
 それを傍で聞いていると、そのほとんどは両者にとって、なんの利得もない無益な、つまらない雑談でしかありません。
 またその内容は、世の中の根も葉もない噂話、他人を話題に乗せての良し悪し品評くらいなのです。
 そんなつまらない言葉を交わしたとしても、たいていは自分のためにも相手のためにも有益にはなりません。そのくせ、語り合っている間、お互いのためにならないという自覚さえないのです。


■なぜ、日本人は意味のない「天気の話」をするのか?
  ──雑談の重要性

 雑談ができない人が増えている、という話を聞きます。
 携帯やスマートフォンの影響だともよく言われますがテキストやアイコンを送ったりするだけで、コミュニケーションが成り立つのですから、わざわざめんどうな会話なんてする必要がないと言われればそれまでかもしれません。
 外国の人が、日本人の生活を知って驚くことのひとつが、我々が天気の話をよくするということです。
「いい天気になりましたね」と言ったからって、何もいいことがあるわけではないのにと彼らは思うのです。
 でも、天気のこととは限らず、やはり、雑談をする力は身につけておいて損なことはありません。
 仕事の場合では、単刀直入に話を切り出すということが必要な場合もあるでしょうが、さまざまな話題の中から、少しずつ時間をかけて本質を求めていくということが重要な用件もあります。
 雑談は、必ずしも「雑多」なことを漫然と話すことだけを言うのではありません。
 アイデアというものは、人とたくさん話をして、それに対して自分が考えたり悩んだりした結果、ふっとわいてくることが多いものなのです。
 吉田兼好がここで述べているのは、
「互いのためにならないから、無意味な雑談はやめなさい」
 ということです。
 もちろん、そんなこともあります。
 時には、人の話を聞くともなく聞いていると、なんとまあダラダラと意味のない話をしていることか……。
 もっと勉強の話とか、本や芸術、仕事に対する議論などないのかと思うのです。兼好にとっても、周りにいる人がしている話は、こんなふうに思えたのでしょう。


 物に争はず、己(おのれ)を枉(ま)げて人にしたがひ、
 我が身を後にして人を先にするにはしかず。

(第百三十段)

─────────
 現代語訳
─────────
 他人と争わねばならぬ状態にまで、関係が切迫しないよう平素から心がけ、他人の意見をできるだけ取り入れ、自分の利益になる行為はできるだけあとにして、周りの人々の面子(メンツ)を先に立てるようにするのが一番いいのです。


■「相手の利が第一」と考えるとお金で関係は悪化しない

 一年ほど一緒に仕事をした人がいました。マネジメントとプロデュースをさせてほしいということでした。
 テレビなどのメディアにも顔が広いということで、これからは一緒に仕事をしていきましょうということになったのです。
 ただ、うまくはいきませんでした。
 私から、これ以上一緒にお仕事をすることはできません、というお手紙を出したのです。
 マネジメントに入っていただいたあるプロジェクトで、お金に関して問題が発生していたようで、その解決がいつまで経ってもされなかったのです。
 相手は、せっかく始めた企画もあるし、これまで以上にきちんとするとのことでしたが、私はご返事も差し上げませんでした。
 遊びなら笑ってすませられても、お金が絡む仕事のことで悩み始めると、他のことにも悪い影響が出てきてしまいます。
 一緒に仕事をするためには、息が合う、合わないということももちろんあるでしょうが、お金の問題というものほど怖いものはありません。
 一度その点でこじれたり、不快さを抱くようなことになると、修復するのはほとんど不可能です。
 それではどうすればいいか。
 ここで言われるように、常に、どのような立場であっても、相手にとっての利益を第一に考えてあげるということです。
 必ずしもお金のことだけではありません。
 自分が前に出る代わりに、常に相手を引き立てるようにする。
「自分が、自分が」と先に出てしまうようになると、相手は嫌になってしまいます。これでは一緒に仕事をすることはできません。
 これは、友人関係でも、恋愛などにしても同じことでしょう。
 相手と競争をしない関係、反対に、一緒にいると安心していられる関係をつくることが仕事でも恋愛でも大切です。
 そのためには、相手のことをきちんと考えてあげる。そして、いろんな人の意見を聞くことが大切なのです。


 世に従(したが)はん人は、先(ま)づ機嫌を知るべし。
 ついであしき事は、人の耳にもさかひ心にもたがひて、その事ならず。
 さやうのをりふしを心得べきなり。

(第百五十五段)

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 現代語訳
─────────
 世間の人情や流儀に、順応して生きていこうと思う人は、まず何よりも先に、事柄が都合良くいくような時機というものを察知する力がなければなりません。
 時代の風潮なども含め、世の流れと自分の行動がうまく合致していないと、こちらの言うこと、頼みたい用件が、それを聞く他人の胸に響かず、好意を持って理解されず、望みが叶わないということになってしまいます。
 人間関係におけるちょっとした意思の疎通につけても、発言や希望の内容より、むしろ、言い出す時機が決定的である事情を、平素から心得ておくべきです。


■タイミングしだいで、
意見は通ったり通らなかったりするから注意!

「当たって砕けろ」という言葉があります。気合いでどんどん先に進むということも、時にはとても大切です。
 そうしないと、物事の「機微」、つまり、表面からはわからない人の心の動きや物事の状態を感じ取る力は養えません。
 しかし、ある程度、人の上に立って責任を持って仕事をする立場になってしまうと、「当たって砕けろ」式のことはなかなかできなくなってしまいます。
 上に立つと、当たって砕けろ式ではなく「機微」を見る力が必要になってくるのです。
 そのひとつに私は、「判断」と「決断」というものがあるのではないかと考えています。
 我が国ではこの「判断」と「決断」を混同して使っている人も少なくないようですが、両者は明らかに違います。
 英語では「判断」は「ジャッジメント」、「決断」は「デシジョン」です。
「判断」は、情報を十分に検討して、正しい答を導き出すこと。
「決断」は、検討の結果を踏まえて、どういう解決策を選ぶかを決めること。
 我が国では、「判断」ということにあまり時間をかけることがないような気がします。
 反対に、「決断」するのに、あまりに時間がかかってしまって、時機を逸(いっ)してしまうということがあるのではないかと思うのです。
「決断」に時間がかかるのは、はっきり言って「判断」が間違っているか、不十分である証拠です。
「時機を見る力」を養う訓練は、日常の些細(ささい)なことからもできます。
「気を配る」ことです。
 人に話しかけるときにも、その人が忙しくしているかどうかなど、相手の「機微」を判断して話しかけるかどうかを「決断」する。
 こういうことの繰り返しを意識的にやることが「機微」を感じることにつながるのです。


 高名(こうみょう)の木登りといひし男、人をおきてて、高き木にのぼせて梢(こずえ)を切らせしに、いと危く見えしほどはいふ事もなくて、降るる時に、軒長(のきたけ)ばかりになりて、
「あやまちすな。心しておりよ」
 と言葉をかけ侍りしを、
「かばかりになりては、飛びおるるともおりなん。如何(いか)にかくいふぞ」
 と申し侍りしかば、
「その事に候(そうろう)。目くるめき、枝危きほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕(つかまつ)る事に候」
 といふ。

(第百九段)

─────────
 現代語訳
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 木登りの名人と評判されている男が、自分より未熟な者を指図して、高い木に登らせ、梢(木の幹や枝の先端)を切らせたとき、上のほうで作業しているのがひどくあぶな気に見えていた間は何も言わなかったのに、下のほうへ降りてきて、家の軒の高さくらいに達した頃合に、「怪我をするなよ」「気をつけて降りろ」と言葉をかけました。
 それを見て、いささか不審に思った私が、「あの程度の低さまで足がきているのなら、そこからいっそ飛び降りるなどして着地できるでしょうに、その段階でなぜ今のように注意するのですか」と聞き質(ただ)しました。
 名人と言われている男は、「そこが肝心なところなのですよ、高い所に登って危ないうちは、自然に自分自身が怖がって気をつけておりますから、特に注意する必要はありません、むしろ、失敗は、安全な所まで降りて気が緩んだときに、ほとんど必ず起きるものなのです」と言ったのでした。


■木登り名人が注意したタイミングは遅過ぎる?

 気が合って、パートナーとして一緒に仕事を始める。
 初めはお互いに知らない部分もたくさんあって、互いが互いを尊敬し合いながらうまくやっているのだけれども、半年、一年と時間が経過するごとに、相手の嫌な面だけが目立って見えてきて、一緒にやれなくなってしまうということがあります。
「仕事だけでのつき合いだから」と自分に言い聞かせても、そのうちに「仕事だからこそ、嫌な人とは一緒にしたくない」ということになってしまう。
 仕事だけではなく、あらゆることで、こんな経験をしたことがありませんか。
 木登りも初めは気をつけて、楽しく登っていけるかもしれませんが、いつまでも登り続けるということはできません。
 いつかは降りなければなりませんが、ここにも記されるように「気の緩み」が起こってしまうと、ひとたまりもなく落ちてしまいます。
「馴(な)れ合い」の関係、これが人間関係で言えば「気の緩み」です。
 相手の嫌な部分があまりに気になったときは、その都度、それを伝えて改善してもらえればいいのですが、もし、それができなければ、できるだけ早い時期に関係を解消するに越したことはありません。
 それでは、人が相手から最も嫌がられる理由はなんでしょうか。
 それは、相手が自分の話を聞いてくれないということです。
 自分のことばかり話して人の話を聞かない。こういうことも、つき合い始めの頃はなくても、「気の緩み」によって段々とこんなことが度を越して起こるようになってくるものなのです。


 同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰(なぐさ)まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、ただひとりある心地やせん。
 たがひに言はんほどの事をば、
「げに」
 と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、
「我はさやは思ふ」
 など争ひ憎み、
「さるから、さぞ」
 ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方(かた)も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔(へだ)たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

(第十二段)

─────────
 現代語訳
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 心が通じ合う人としんみりと世間話などして、楽しい事も、世のはかない事も、裏表なく話し合って慰め合えれば嬉しいのだけど、そのような人はいないだろうから、少しも違わないようにと相手に気を使って向かい合っているのは、ただひとりでいるような孤独な気持ちになってしまいます。
 お互いに言おうとすることが「本当に」と聞く価値のあるものであればいいのですが、少し自分の考えと違う所があるような人と「私はそう思わない」などと言い争いになることもあります。
「そういうことだから、そうか」と、もし、お互いに譲って語ることができれば、なんとなく気持ちも慰められると思うけれど。本当は少し愚痴を言う方法が自分と違っているような人は、大体、良くも悪くもないことを言っている間はいいのだが、本当の心の友とは、全く異なっているところがありそうで、なんともやりきれないのです。


■「天寵(てんちょう)」の出会いを大切に

 なんでも話ができる友達がいるというのは、本当にありがたいことです。
 でも、見つけようと思ってもそういう人は見つかりませんし、長くずっとそうした関係を保っていられるかどうか、それはなかなか難しいことです。
 入社当時は、同じ会社の人と友達になるのはいいかもしれませんが、あくまで同僚であって真の友達になるのは難しいかもしれません。
 高校や大学のときの友達とは、社会に出てしまうと、お互いの道が違ってしまって、疎遠になりがちです。
 それに、結婚して子どもが生まれたりすると、仕事と家庭のことで忙しくなって、なかなか人とゆっくり会うこともできなくなってしまうものです。
 中国、唐代の詩人、李白(りはく)と杜甫(とほ)は、出会ったときに互いに心が通じ、およそ一年半の間、二人で旅行に出たりして毎日酒を酌(く)み交わす仲になりました。
 お互い、なくてはならない大事な人物だと思っていたのでしょうが、一度別れてしまってからは、李白のほうは、杜甫のことなど全く思い出したりもしなかったようです。
 漢語には「天寵」という言葉があります。「天の恵み」という意味です。
 大切な人との出会いに感謝するときなどに使います。
 こうした出会いということから言えば、恋人との出会い、それから発展した結婚なども「天寵」でしょう。
 年を取って、仲良くお酒を酌み交わしながら、尽きぬ話をしているカップルを見かけることがあります。
 心が通じる人というのはあるいは、年を取ってから見つかる青い鳥なのかもしれません。


 改めて益(やく)なき事は、改めぬをよしとするなり。

(百二十七段)

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 現代語訳
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 目前の状態を変更して、良い事情に好転しないような改革には、手を着けないほうが賢明です。


■勝ち続けているチームのゴールキーパーは交代させるな

 サッカーの世界にはこんな言葉があるそうです。

「勝ち続けているチームのゴールキーパーは交代させるな」

 サッカーでは、ゴールキーパーは、キャプテンとは違う意味でのキーストーン(要(かなめ))の役割を果たしているのだそうです。キーパーを代えると、選手間に保たれていた連携の糸が切れてしまったり、ゲームの流れがいきなり悪いほうに進んでいったりするのです。
 また、他のポジションに比べて、「どうして、勝っているのにゴールキーパーを交代させるのだ」と、マスコミやサポーターからのクレームが格段に多く、強く届けられるのだと言います。
 もしかしたら、これは、会社などでも同じことかもしれません。
 無暗に人をあっちへやったり、こっちへやったりという人事をすると、せっかく築いた連携の糸が切れてしまうこともあります。
 もちろん、あまりに長い間、同じ部署に同じ人たちを置いておくと、人間関係は良い結果をもたらさなくなってしまうこともありますが、あまりに短期間で人を動かすというのも良くないことなのです。
 それから、経営サイドに立つ人は、会社のそれぞれの部署にいるゴールキーパー的人材を見つけることが重要です。
 キーパーは、自陣を離れることなく、味方の動きと敵の動きを客観的に見ています。監督の立場に立つ経営サイドの人間にとって、現場でこうした眼を持って動いている人の意見を聞くことは不可欠です。
 どこで改革を行なうか、誰をどのように動かせばうまくいくか。
 これは、経営者でなくとも社会人なら誰でも持っておくべき意識です。
 現場の状況をうまく把握している人というのは、ゴールキーパーと同じような眼を持った人ではないかと思います。
 仕事はもちろん、何事もうまくいっているときは、特にキーパーソンであるような人を動かさないようにする。
 これは、古代から変わらぬ鉄則なのです。

* * *

第3章| 心配事と悩みを小さくする ~「しょせんすべて小さなこと」と心を決めるために~


 ある人、弓いる事をならふに、もろ矢をたばさみて的にむかふ。
 師のいはく、
「初心の人、ふたつの矢をもつ事なかれ。後の矢をたのみて、はじめの矢に等閑(なおざり)の心あり。毎度ただ損失なく、この一矢に定むべしと思へ」
 といふ。
 わづかに二つの矢、師の前にて、ひとつをおろそかにせんと思はんや。
 懈怠(けたい)の心、みづからしらずといへども、師是(これ)をしる。
 このいましめ、万事にわたるべし。

(第九十二段)

─────────
 現代語訳
─────────
 ある人が弓を射る方法を習う際、二本の矢を持って的に向かったところ、弓術を教える師匠がこう言いました。
「初歩の段階にある人は、二本の矢を持って出てはいけません。二本目の矢なら当たるだろうと空頼みして、最初の矢を発するとき、疎(おろそ)かにする心持ちが生まれてしまうからです。
 毎回、一本の矢を射るたびに、この矢を射損なうことのないよう、その矢一本で的に当てようと決意して臨むべきです」と。
 わずかに一本増やしただけであり、しかも、教えを受ける師の前で、最初の矢一本を疎かにするはずもないと思われるかもしれません。
 ですが、無意識のうちに、心の中で緊張が緩んで集中力に欠けるようになる事態を、経験の深い師は見抜いているのです。
 この戒めは、弓術の場合だけではなく、万事につけて人間の姿勢に共通しているのではないでしょうか。


■二本目の矢を捨てることで〝雑念〟とうまくつき合う

 一発勝負にかけるということが、必要なことがあるかと思います。
 受験だってそうでした。すでに滑り止めが決まっていたりすると、ここに絶対行きたいと思う気持ちがあっても、心のどこかに空気穴のようなものができて、自分が出そうと思う力を十分に発揮する集中力が出ない。
 仕事でも同じではありませんか。
「良いときもあれば、悪いときだってあるさ」といった考えが頭をよぎると、ここぞというときに、なかなか力が発揮できません。
 では、どうすればいいのでしょうか。
 それは、何も考えないことです。
 何をするにも、何も考えないことが一番だと、私は思っています。
 とにかく、「今」を一所懸命に頑張るように努めることです。
 とは言っても、そんなことが簡単にできるわけがありません。
 雑念は、いつだってわいてきます。
 雑念とうまくつき合う方法は、その雑念を無理に追い払ったりしないで、ちょっと脇に置くようにしてみることです。
 そして、「今」にちょっと集中してみることです。
 なんでも一回でうまくいくわけではありません。「集中力」の養成も、やはり、何度も練習をして、「ここぞ」というときに力を発揮するようにしなくてはならないのです。


 その物につきて、その物をつひやしそこなふ物、数を知らずあり。
 身に虱(しらみ)あり、家に鼠(ねずみ)あり、国に賊あり、小人(しょうじん)に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。

(第九十七段)

─────────
 現代語訳
─────────
 取り憑いて、その本体を腐らせダメにしてゆく物は少なくありません。身の肌につく虱(しらみ)、家に住みつく鼠(ねずみ)というようなもの、また、盗賊のようなものも絶えません。
 人の心にもこうしたものが取り憑くことがあります。分不相応の望みに駆ける物欲や名誉欲などもそうでしょう。
 また、立派な人と思われたい人は、「仁」だの「義」だのという言葉で自分をがんじがらめにしてしまいます。
 さらに、出家をした僧侶たちは、仏法を信じ過ぎて、なんのためになるのかわからない効果のない修行に凝って身を苦しめているのです。


■〝絶対的〟に取り憑かれると洗脳から抜け出せない

 日本人は、本当によく約束を守る、とても信用できる、と外国人はよく言います。
 待ち合わせの時間には遅れないし、遅れそうだと思うと必ず連絡してくれる。
 社会人は「報告」「連絡」「相談」を欠いてはいけないと、入社と同時に「ホウレンソウ」という言葉を覚えさせられたりもします。
「和を以て貴(とうと)しと為(な)す」という聖徳太子の言葉が、日本人には染み込んでいるようでもあります。
 でも、このまじめさも、度を越してしまうと、あまりいいことにはなりません。
 自分と同じ価値観を他人に強いて、たとえば「お前もホウレンソウを怠(おこた)るな」とあまりに激しく責めたりすると、人から鬱陶(うっとう)しいと思われたりもするものです。
 価値観というものは相対的なもので、人によって、物事に対する感じ方は違います。自分の価値観で人を計ることは、しないほうがいいのです。
 吉田兼好は、当時、人倫の教えの根幹にある「絶対」の教え、儒教や仏教に対しても、あまりそれを信じ過ぎないようにと警告しているのです。
 しかも、そういう考え方や教えは「人に取り憑く」と言います。
 まるで、悪霊か妖怪のような言い方です。
 実際、「思想」というものは悪霊のようなものなのかもしれません。
 洗脳という言葉が使われることもありますが、一度、洗脳されると、人はそのひとつの考え方だけが正しいと思って他を排斥する心理を持つものだったりするのです。それは特定の宗教などを言うものではありません。
「金の亡者」との言葉があるようにお金ばかりを追いかけたり、名誉欲に駆られて人の足を引っ張ってみたり。
 時々、自分の姿を鏡でじっくり見たりしながら、自分の心に「欲」や「絶対的な考え」が巣くっていないかどうかと確かめることも大切なのです。


 ある人のいはく、年五十になるまで上手にいたらざらん芸をば捨つべきなり。

(第百五十一段)

─────────
 現代語訳
─────────
 ある人が言いました。
 修行して、五十歳に達してもまだ上手と評されるにいたらぬ場合は、生来(せいらい)、よほどその道に適(む)いていないのであるから、いさぎよくあきらめたほうがいい。


■才能がなくても、師に恵まれなくても……

 趣味が本業になればいいな、と考える人は少なくありません。
 音楽、絵画、書道などの芸術、あるいはスポーツにしても、子どもの頃に始めたことが好きでたまらないという人はたくさんいます。
 もし、この「好きなこと」がそのままお金になって、生活を支えてくれるものになったとしたら、こんなにありがたいことはないでしょう。
 自分が描く絵を何千万円という値段で買ってくれる画商、年収数億円という有名なサッカー、野球の選手。アメリカには、年収数十億円という契約をすることができるバスケットボール選手もいると聞きます。
 好きなときに、好きなことを、好きなだけして、それが高く評価され、それで生活ができる。
 でも、なかなか、そこまで到達することはできません。
 もちろん、才能ということもあるでしょう。自分を磨いてくれる指導者に恵まれないということもあるでしょう。否定的な要素は、考えればいくらだって挙げることができます。
 ここに書かれるように、「五十歳になっても、うまくできないのならやめてしまえ」と、趣味の領域を出ないのならいさぎよく捨ててしまうことは簡単です。やめて、次の楽しいことを始めればいい。
 でも……、と私は思うのです。
 そんなに簡単にやめてしまえるようなことなら、やはりそれは「趣味」程度のものでしかないのです。
 本当に好きなことは、誰がなんと言おうと続けていけるのではないでしょうか。
 才能のある人には敵(かな)わないと言いますが、本当に大切なことは、努力と工夫、そして継続する力です。
 毎日、寸暇(すんか)を惜しんで楽器を奏でたり、筆を執ったりする、たとえそれが経済的に生活を支えてくれるものにならずとも、いつかは好きなことだけやって生活できるようになると信じて続ける。
「好きなことがある」というだけでも、本当は幸せなことなのかもしれません。
 世の中には、何をしたら楽しいのかわからない、という人も少なくないのです。


 すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。
 しのこしたるを、さて打置きたるは、面白く、いきのぶるわざなり。
「内裏(だいり)造らるるにも、かならず作りはてぬ所をのこす事なり」
 と、或人(あるひと)、申し侍りしなり。
 先賢のつくれる内外(ないげ)の文(ふみ)にも、章段(しょうだん)のかけたる事のみこそ侍れ。

(第八十二段)

─────────
 現代語訳
─────────
 すべて何物にせよ何事にしろ、隅から隅まで均整がとれて完成されたものは、本当のところあまり良いものではありません。
 どこか未完成のままにしてあるのがおもしろく、そうすることこそが長く生き延びるためには必要なことなのです。
 天子の住まわれる内裏(だいり)の造営にも、必ずし残しの部分を残しておくことになっている、とどなたかの言葉がありました。
 古(いにしえ)の賢者が書き残した仏教や儒学の文章に、章や段が欠けているのがあるのも、そういう意図があるからなのかもしれません。


■「無常」を意識すれば〝すぐやる〟クセがつく

「無常」は、『徒然草』、全篇を通じて書かれる思想です。
「無常」とは、突きつめて言えば、
「我々の人生は、いつも死と隣り合わせ」
 であると意識することに他なりません。
 戦乱がいつ果てるともなく起こった時期に、兼好は生きました。兼好にとって、「死」は、我々より身近に感じられたことだったろうと思います。
 たとえば、
「人はただ、無常の身に迫りぬる事を、心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり(人は、ただひたすら、死が自分の身に迫っていることを心にしっかりととどめて、一瞬たりともそれを忘れてはならない)」(四十九段)とも記したりしています。
 さて、「死」は、人にばかりあるわけではありません。
 建物が朽ち果てていくこと、また本などが何度も頁を捲(めく)られることによって古びていく中にも感じられていくものです。
 こうしたものを見て、いつも「死」を間近に感じることが必要だと兼好は言うのです。
 どうしてか──。
 それは、「命は人を待つものかは(命は、人の願いが叶うことを待っていてはくれない)」(第五十九段)だからです。
 すべてのものが、いつかは滅びてしまいます。
 だから、やろうと思ったことがあれば、「すぐさまやるべき」だと兼好は言うのです。
「後から」
「これが終わってから」
 などと考えていては、できなくなってしまうと言うのです。そして、大切なことは、それをずっと続けていくこと。
 人生が常に未完成であること、「死」がいつも傍(かたわら)にあること、そのことを考えれば、心の中に、魂を動かすための火が灯(とも)るのではないかと、兼好は言うのです。


 無益(むやく)のことをなして時を移すを、おろかなる人とも、僻事(ひがこと)する人ともいふべし。
 国のため君のために、止(や)むことを得ずしてなすべき事おほし。そのあまりの暇(いとま)、幾ばくならず。思ふべし。

(第百二十三段)

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 現代語訳
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 自分のためにも、社会のためにもならない無意味なことばかりして時間を過ごす人も少なくありません。
 その人たちを愚かとも評し得るし、間違った道に入り込んでいるとも、勝手なことは言えるでしょう。
 大きくは国家のため、小さくは自分の属する組織体の運営のため、どうしても成さねばならぬ事柄が他にたくさんあるではないか、と。
 まじめにそれらの務めを果たしていれば、時間はあっという間に過ぎていってしまうもの。それを思うべきなのです。


■「カルペ・ディエム」──人生の時間を長くする

「カルペ・ディエム」という、ラテン語のことわざがあります。
「カルペ」は「捕まえろ」「ディエム」は「その日」という意味です。「その日を捕まえろ」つまり、「今、この瞬間を、一所懸命に生きなさい」という教えです。
 茶の湯に「一期一会」という言葉がありますが、意味は同じことでしょう。
 ついでに言えば、ローマ時代の哲学者・セネカは、次のように言っています。
「人は人生の短さを嘆くが、人は自ら無駄なことをして人生を短いものにしているのだ。本当に有用なことだけをしていれば、人生は長く感じるはずである」
 一日を振り返ってみてください。
「なんとムダなことをしたのか……」と思うことが多いですし、それよりも何をしたかさえ覚えていないことが多いものです。
 それでは、有意義な一日を送るためにはどうすればいいか。
 全く基本的なことですが、夜、寝る前に、必ず二つのことをすることです。

 先ず、明日の予定を立てること。
 そして、今日の自分を振り返ることです。

 振り返ると言っても、そんなに時間をかけるわけにもいきません。
 三つのことを振り返りましょう。

 一、今日は何を学んだか?
 二、今日、自分の達成のためにどの程度前進できたか?
 三、第三者的に見て、今日の自分は百点満点で何点だったか?

『徒然草』は、世を捨てた人の戯(ざ)れ言(ごと)を書いたものではありません。生きることに貪欲(どんよく)だった人の大切な教えが記されているのです。


 人間の儀式、いづれの事か去り難(がた)からぬ。
 世俗のもだしがたきに随(したが)ひてこれを必ずとせば、ねがひもおほく、身も苦しく、心の暇(いとま)もなく、一生は雑事(ぞうじ)の小節(しょうせつ)にさへられて、むなしく暮れなん。
 日暮れ、塗(みち)遠し。
 吾(わ)が生(しょう)既に蹉跎(さだ)たり。
 諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。
 信をも守らじ、礼儀をも思はじ。
 この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。
 毀(そし)るとも苦しまじ。誉(ほ)むとも聞き入れじ。

(第百十二段)

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 現代語訳
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 社交上の儀礼は、どれも捨て去りにくいものばかりに違いありません。
 無視できない世俗の習慣に従って、これを必ずやらねばならないと考えると、願いも多く、身も苦しく、心に暇なく、一生はこまごました雑事の小さな義理立てにさえぎられ、空しく暮れてしまいます。
 日は暮れたが、いまだに道は遠い、我が人生はすでにいきづまった……。
 そういうことになってしまいます。だから、あらゆる縁を捨て去るべきなのです。
 信用など守らなくていい、礼儀も思わなくていい、この気持ちを理解できない人は、物狂いと言わば言え。正気を失っているとも、人情に欠けるとも思うがいい。
 人が文句を言ったって、苦しむまい。
 ほめても聞き入れまいと心に思うばかりです。


■六十%の燃焼率で〝義理を少々欠きながら〟生きる

 疲れたと思ったら休むに越したことはありません。自分が壊れるまで、義理立てをして頑張る必要はありません。
 戦後、大蔵大臣、通商産業大臣を歴任して、総理大臣になった人に石橋湛山(いしばしたんざん)という人がいます。
 戦前、一貫して日本の植民地政策に反対し、戦後は、GHQの意向に対立して中国、ソビエト連邦との国交回復を企図するなどしたためにGHQから公職追放を受けた人でした。
 昭和三一(一九五六)年十二月二十三日、「世界平和の実現」と「福祉国家建設」を大きく掲げて総理大臣に就任します。
 そして、全国十カ所をたった九日間で回るという無理を強行します。
 翌年一月二十三日、母校、早稲田大学で行なわれた総理大臣就任祝賀会に招かれ、寒風吹きすさぶ中、長時間、義理堅い石橋は、コートも脱いで立ち続けたのでした。
 二日後、肺炎に罹(かか)り、自宅の風呂場で脳梗塞(のうこうそく)を起こして倒れてしまうのです。
 首相在任期間はわずか六十五日。
 いまだに、もし石橋が首相を続けていたら、日本は変わっていただろうと言う人は少なくありません。
 無理をし過ぎないこと、自分の身体に気遣って、六十%くらいの燃焼率で頑張ること。
 義理など、少々欠いてもいいのです。大切なのは相手を想う心です。


 今日はその事をなさんと思へど、あらぬいそぎ先(ま)づ出で来てまぎれくらし、待つ人はさはり有りて、頼めぬ人は来(きた)り、頼みたる方(かた)の事はたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。
 煩(わず)らはしかりつる事は、ことなくて、やすかるべき事は、いと心ぐるし。日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつるには似ず。
 一年(ひととせ)の中(うち)もかくの如(ごと)し。一生の間も、またしかなり。

(第百八十九段)

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 現代語訳
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 今日はこの仕事を成し遂げようと、朝起きたときは心に決めていても、それとは別な急用ができたものだから、気持ちをそちらへ少し振り替え、あわただしく取り紛れて日を過ごすような場合も少なくありません。
 以前から約束していたからと、時間を空けて待っているに、その人に差しつかえがあって来ない代わりに、予想もしていない人がにわかに訪れ、応接に遑(いとま)なしということになることもあったりします。
 一年も、あっという間にこのようにして過ぎていくとすれば、人の一生もまた同じようにして過ぎていくものなのです。


■わずらわしさと距離を取る勇気も必要

 今日はこれだけのことをしようとメモして、ひとつずつ予定をこなそうと思っているのに、人が来る、電話が入る、メールがくる、SNSのメッセージがくる……。なんでこんなに忙しいのだろう、と思うこともあるでしょう。
 ある大企業の社長さんと、対談をさせていただいたことがあります。
 私などよりもっともっと忙しいはずの社長に、「どうやって、予定をこなしていらっしゃるのですか」と聞きました。

 携帯やスマホでのメールチェックは、一日に朝夕の二回だけ。
 フェイスブックやツイッターなどのSNSはしないで、本を読む。
 昼夜の会食は、馴染(なじ)みの所にしか行かない。
 移動は車、車中では、オーディオブックを聞く。

 メールのチェックは朝夕にして、朝読んだメールには夕方返事を、夕方読んだメールには翌朝返事をするというように決めると、その間にメールに対する答えや、相手への想いなどにも気を使うことができると言われました。
 また、会食をするのに行きつけの所を選ぶのは、自分のホームグラウンドで食事や会話を楽しむことができるからだそうです。
 そして、次のように付け加えてくださいました。

「忙しいのは、皆同じです。でも、忙しくて、今日は何もできなかったというのでは、社長は務まりません。
 自分の人生の目的を決めるのは、自分。
 一生、忙しくて、自分がやりたいこと、やらねばならないと決めたことができなくて、いいのですか」

 今日一日、本当に大切なことは何か、それは「一生」の問題でもあるのです。


 家居(いえい)の、つきづきしく、あらまほしきこそ、かりのやどりとは思へど、興有るものなれ。よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。
 今めかしく、きららかならねど、木立もの古ふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)、透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度も昔おぼえてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

(第十段)

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 現代語訳
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 人の住まいが、調和がとれていて、理想的であることは、家が現世における仮の住まいとは思っていても、興味をひかれるものです。身分が高く教養のある人が、のんびりと住んでいる所は、差し込んでいる月の光も、格別に心に染みて見えるものです。
 当世風(今の世風)でもなく、きらびやかでもないが、(邸内の)木立はどことなく古びていて、手を加えたように見えない庭の草も趣ある様子で、簀子や、透垣の配置も趣深くつくられていて、ちょっと置いてある道具類も古風な感じがして落ち着きがあるのは、奥ゆかしく思われるのです。


■結局叶わないとわかっている望みでも
「捨てられないのが人間」と割り切る

 部屋がいくつもあって、キッチンも広く、プールがあって、庭も畑もあって……、たくさんの人を呼んで、週末はパーティーを開いたり、仲間で演奏会をしたりするのもいいな……。
 このように、住めるものなら、豪華な家に住みたいと思う人は多いことでしょう。

 フランスの友人が持っている別荘に招かれたりすると、
「どうして日本ではこういう家を持つことができないんだろう」
 と思ったりすることも少なくありません。
「勤勉」という点においては、我々のほうが、欧米の人たちに勝っているようなのに、どうして、あんな贅沢な生活ができないのか──。
 禅の思想のような、不要なものをすべて削ぎ落とした生活をするのも、ひとつの理想ですが、私自身、まだそうした生活に入る精神的な成熟を感じることができません。
 置く場所がなくなったことを理由に、数年前に、蔵書を処分し、とりあえず部屋にスペースはできましたが、数十年かけて集めた本の中には、もう二度と手に入らないものも含まれていました。
 今となっては、「取り返しのつかないことをしてしまったな」と時々思うことがあります。
 また、広い書庫に整理して本を置けるスペースがあれば、どれだけ勉強もはかどるだろうと思ったりもします。
「贅沢な願い」と言われますが、もっと大きな机で、大きな地図を広げてみたりして、設計図を書きながら、仕事をしたいと思うのです。
 こうしたことが、自分の夢のひとつであるならば、やはり実現させるために頑張るしかないと思うのです。


 能をつかんとする人、
「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」
 と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
 未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀(そし)り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫(みだ)りにせずして、年を送れば、堪能の嗜(たしな)まざるよりは、終(つい)に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。

(第百五十段)

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 現代語訳
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 一芸を身につけようとする人が、
「まだよくできない間は、なまじっか人に知られまい。こっそりとよく習いおぼえてから人前に出たようなのは、まことに奥ゆかしいことであろう」
 とよく言われます。
 しかし、こういう人は、ひとつの芸でも習いおぼえることはありません。
 全く未熟な頃から、名人の中にまじって、人から悪く言われても、笑われても、恥ずかしがらず、平気でおし通して稽古する人は、生まれつきその天分はないとしても、その道にとどこおることもありません。
 自分勝手にふるまわずに、年月を過ごせば、その道に熟達して十分に稽古しない者より、名人に達し、芸の能力も十分につき、人々から認められて、並ぶもののない名声を得ることになるのです。


■不屈の精神とは「四度目であきらめる」ことである

 初めから一芸に秀でた人は、ほとんどありません。
 一芸に秀でるためには、人の二倍、三倍の努力をして、長く続けるしかありません。人に抜きんでるためには、それしかないのです。
 英語圏には「王者に賭ければ必ず勝てる」という格言があります。
 人は、大きな挫折をしたときに、その真価が問われるということを言ったものです。
 大きな挫折をすると、八割以上の人は、それがトラウマとなり、もう二度と同じ土俵で戦おうとはしないと言います。
 ところが、二割の人は、もう一度戦おうとします。
 しかし、そこでまた挫折すると、またその中の八割があきらめてしまう、という具合に再び挑戦をしていく人はどんどん少なくなっていきます。
 そして、三度、挫折しても再び挑戦する人は、王者になれる素質と度胸を身につけることができると言われます。
「不屈の精神」を身につけた人は、怖いものを知りません。こうした人に賭ければ、必ず勝てるのです。
 少々怒られたりしても、辛い目に遭っても、負けないでください。
 盲目のピアニスト、パラリンピックの選手、こうした人の努力は、健常者の数倍に当たります。
 挫折しても、苦しくても、どんなことがあっても一流になるんだと歯を食いしばって頑張る勇気と力が欲しいと思いませんか。
 それは、簡単なことです。
 どこがダメかを思いながら、明るく楽しく、どんなことも笑って続けていくことです。みんな「一流」になる種は持っているのです。


 飛鳥川(あすかがわ)の淵瀬(ふちせ)常ならぬ世にしあれば、時移り事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家(すみか)は人あらたまりぬ。
 桃李(とうり)もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。
 まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

(第二十五段)

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 現代語訳
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 飛鳥川(現・奈良県高市郡明日香村を流れる)は、絶えず氾濫し、地形が変わっていたと言われます。
 そのように常ならぬ世の中なのですから、時移り、事は去り、楽しみ、悲しみが行き交って、はなやかであった辺りも人の住まぬ野原となり、家だけ変わらなくても、住んでいる人は変わっていきます。
 桃や李(すもも)はものを言わないので、昔を共に語らうわけにもいきません。誰と昔を語ればいいのでしょうか。
 見たことはないけれど、尊い方が住んでおられたといわれる名跡などを見るのは、たいそうはかないものです。


■時間と感情を切り離す冷徹さを持つ

 先にも紹介しましたが、「無常」という言葉があります。
 朝出かけるときに、ブルドーザーが近所に来ているなと思って出かけると、帰りには、あったはずの家が一軒、すっかりなくなってしまっている……。
 しばらくすると、その家の跡地はコインパーキングになっている……。
 こんなことは、珍しくありません。
 ふと、最近、名前も知らないけれど、時々、朝夕のあいさつをしていた人を見かけなくなってしまったと思うけど、思っただけで次の瞬間にはそう思ったことさえ忘れてしまっている……。
「無常」という言葉が頭に浮かぶのは、こんなときです。
 すべてのことが移ろいいきます。
 昨日のあの人は必ずしも今日のこの人ではありません。人の心も、時とともに変わっていきます。
 しかし、思うのは、自分自身も変わってしまっているということです。他人にとってみれば、「今日の私」は「昨日の私」とは違った人間になっているのです。
 さて、無常というものに感傷的な感情を抱くと、足が竦(すく)んで動けなくなってしまいます。
 世の中は、今、驚くほどの速さで変化していっています。
 時の流れと、自分の感情との間を密着させて考えてしまうと、生きることを難しく感じてしまうかもしれません。
 吉田兼好の心は、「隠棲(いんせい)」とは言いながらも、山にこもって社会を避けることではなく、適当な距離を置いて、現実を冷徹な眼で見つめることでした。
 感傷的になることを避けるためには、少し「冷徹さ」を心に持つことが大事なのかもしれません。


 なにがしとかやいひし世捨て人の、
「この世のほだしもたらぬ身に、ただ空の名残(なごり)のみぞをしき」
 といひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。

(第二十段)

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 現代語訳
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 何とかという名前の世捨て人が、
「この世に、何も束縛されるものを持たない身には、ただ空の名残だけが惜しいことです」
 と言ったことこそ、誠にそう思われるに違いないと思うのです。


■「我々は、どこから来たのか、何をして、どこへ行くのか」
 ゴーギャン

「空の名残」とは、季節の移りゆく様や、空に浮かんで流れゆく雲の形の変化を言ったものです。
 美しいな、と思った春の桜はあっという間に散っていく──。
 赤く色づいた紅葉も風に舞う──。
 冷たく真っ白い銀世界さえいつかは溶けて流れていく──。
 すでに年を取って、組織にも属せず、配偶者や子どももなく、親もない、自分がそういう境遇にあるとしたら、どうでしょう。
 あらゆるものが、はかないものに見えてくるのではないでしょうか。
 行ったこともない外国に、ひとりで旅に出て、道に迷ったときなどに、これに似た体験をすることがあります。
 もしかしたら、このまま迷い人になって、日本に帰ることができなくなるのではないか、言葉もわからず、誰に何を聞いても、自分のことはわかってもらえない。
「我々は、どこから来たのか、何をして、どこへ行くのか」
 とは、画家・ゴーギャンが残した言葉です。
 それまでの安定した職業を捨て、家族を捨てて、タヒチという南方の孤島にひとり旅立ったゴーギャンは、おそらくこうした境遇に自ら望んで置いた人のひとりだったのではないでしょうか。
 たったひとりで、絵画というものに向き合って、結局、同時代の人は、彼の絵をほとんど正当に評価しませんでした。
 それでも、ゴーギャンは、ひたすら絵を描くことで、「自分」を探すための道を歩んで行ったのです。

「無常」を感じることは、ある意味、とても辛いことです。
 しかし、孤独や孤立を感じて、ひとり立ち向かうことによってのみ得られる境地というものもあるのではないでしょうか。
 そうするためには、感傷に浸った所に止まっているのではなく、もっと深く、足を進める必要があるのです。

* * *

第4章| しなやかに生きる ~柔軟に生き、自分を消耗させないために~

 命ある物を見るに、人ばかり久しきはなし、かげろふのゆふべを待ち、夏のせみの春秋を知らぬも、あるぞかし。
 つくづくと一年(ひととせ)を暮らすほどだにも、おこよなうのどけしや。
 飽かず惜しと思はば、千年を過ぐとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。

(第七段)

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 現代語訳
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 命あるもの、生きているさまざまなものを見渡せば、人間ほど長く生きる種族は見当たりません。
 蜉蝣(かげろう)(という昆虫)は生まれたその日の夕方に死にます。夏の蝉(せみ)は夏の間だけ生きて、春や秋を知りません。生きている間の、きわめてわずかなのがなんと多いことでしょう。
 人の命は短いと、無常を託(かこ)つ声は世に満ちていますが、気持ちを集中し、心を静め落ち着いて一年を暮らしてみてごらんなさい。
 一日一日とても、時間の移りゆきは、長く豊かに感じ取れるものです。


■人生の時間感覚を味わう

「月日は百代(ひゃくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)かふ年も又旅人也」と、松尾芭蕉は『おくのほそ道』を始めています。
 人生を旅と思うと、寂しくもあり、楽しくもあります。
 旅には、定住ということがありません。
 目的地があろうとなかろうと、常に次の場所へと動いていかなければなりません。そうだとすれば、たくさんの別れも経験することになります。
 一度別れてしまえばもう二度と会えない、一度そこを離れたらもう二度と戻ってくることができないと思うと、これほどはかないことはありません。
 でも、旅というものは、今までに見たことがないものを見たり、経験したりと楽しいものでもあります。
「人間到る処青山あり」
 という豊かな気持ちで歩いてゆけば、定住する所がなくとも、いや、定住することがないからこそ、一瞬一瞬を楽しむ新鮮な力がわいてくるのではないでしょうか。
 哲学者の三木清は、旅について、『人生論ノート』(新潮社)というエッセイで次のようなことを書いています。

「日常交際している者がいかなる人間であるかは、一緒に旅してみるとよくわかるものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである」

 旅は、楽しいものであれば、あっという間に終わってしまいます。
 人生も、同じです。
 苦しい人生は、長く感じることでしょう。
 好奇心を持って、新鮮な気持ちで日々を送れば、その人生は短いかもしれませんが、笑顔がいっぱいの満ち足りた人生になるのではないかと思うのです。


 世に従へば、心、外ほかの塵ちりに奪はれてまどひやすく、人に交れば、言葉よその聞きに随したがひて、さながらこころにあらず。人に戯たわむれ、物に争ひ、一ひと度たびは恨み、一度は喜ぶ。その事定まれる事なし。分別みだりにおこりて、得とく失しつやむ時なし。

(第七十五段)

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 現代語訳
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 世間の風潮に合わせようとすれば、外側からの波風に流されて、どうすればいいか、迷ってしまいます。
 また、人としげしげ交われば、自分の言うことが他人にどう受け取られるかと気にするあまり、本当に自分の内心で考えていることが明瞭でなくなっていってしまいます。
 そうして人とじゃれ合い、物事を争い、恨みもすれば、喜びもするのです。
 そのうち、人は、計算ばかりするようになって、損得勘定がとまらなくなるでしょう。


■イソップ童話から学ぶ損得勘定とのつき合い方

 イソップ童話に、ロバを売りに行く親子という話があるのをご存じでしょうか。
 村に住んでいた親子が、町まで一匹のロバを売りに出かけました。
 二人でロバを引いて歩いていると、これを見た人が言いました。
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせず歩かせるなんてもったいない」
 これを聞いて、親は子どもをロバの背に乗せました。
 しばらく行くと、これを見た人が言いました。
「若いのが歩かず、親を歩かせるなんてひどい」
 それを聞いて、今度は、親がロバに乗り、子どもがロバを引きました。
 またしばらく行くと、人から、
「自分だけ楽をして、子どもを歩かせるとはひどい親だ」
 と言われ、今度は二人ともロバに乗って行きました。
 ところが、また、
「二人も乗るなんて、ロバは重くてかわいそうだ」
 という声を聞いたのでした。
 二人は、狩の獲物を運ぶように一本の棒にロバの両足をくくりつけ、吊つり上げて担いで歩き始めました。ロバは、嫌がって暴れ出しました。不運にもそこは橋の上。ロバは川に落ちて流されてしまい、二人は苦労しただけで一銭の利益も得ることができなかったのです。
 今の世の中は、インターネットの影響もあり、情報が満ちています。
 小さな質問から大きな悩みまで、ネットで調べると、即座に答を見つけることができます。
 でも、ネットの情報を、鵜呑(うの)みにして、振り回されてしまっているということもあるのではないでしょうか。
 そして、一番怖いのは、その情報のソースを自分できちんと確かめたりすることもなく信じ、知らず知らずのうちにそれを広めていくことなのです。


 世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは、皆虚言(そらごと)なり。
 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして年月(としつき)すぎ、境(さかい)もへだたりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定りぬ。
 道々の物の上手のいみじき事など、かたくなる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくにいへども、道知れる人は、更に信もおこさず。
 音に聞くと見る時とは、何事も変はるものなり。

(第七十三段)

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 現代語訳
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 世に語り伝えられていることも、実際のところはどうしようもない作り話ばかりです。
 ただでさえ、人々は事実を誇張する癖があるうえに、まして歳月が経ち、場所も離れてしまうと、伝えられた話を、自分の好き勝手にこしらえてしまいます。
 それらが、さらに書き記されて、書物の形となれば、虚構がそのまま事実であるかのようになってしまうのです。
 さまざまな方面における、名手たちの素晴らしい逸話などは、その道の勘所を知らないのに思い込みの深い人たちが、むやみやたらに祭り上げて、神様みたいにほめそやします。
 しかし、実際にその方面の真髄(しんずい)を知っている人であれば、頭から信用せず黙っているのではないでしょうか。
 話を聞くのと、実際のことを見るとでは、なんでも違ってくるものなのです。


■聖徳太子は本当に七人の言うことを聞き取れたのか?

 聖徳太子は、七人の人の言うことを聞き分けられた。
 空海は、高野豆腐、うどん、溜め池を発明した。
 菅原道真は、怨霊となって祟(たた)りを起こした。
 源義経は、中国大陸に渡ってチンギス・ハンとなった。

 どこまでが伝説で、どこまでが事実かわからないことはたくさんあります。こんな例は、挙げれば切りがありません。
 特に、古代に遡(さかのぼ)れば遡るほど、ありもしない話というものがたくさん出てきます。そして、確かめようもなくなってしまいます。
 歴史というものは、日本だけでなく、世界中こんなものなのです。
 そして、自分たちにとって都合のいいように書かれたものがほとんどなのです。
 そのことをまず、理解して、歴史をひもといていくと、一筋の光のようなものが見えてきます。
 それは、「今」という時間もまた、将来から見れば虚構の上に成り立っているという事実です。
 むしろ、我々は、十年先くらいのスパンを置いて、「今」や「過去」を見ることが大切なのかもしれません。
 そうすれば、「嘘」や「作り話」に誤魔化されて、あたふたしたり、怒りに燃え過ぎたりする必要もないのです。


 知らぬ道のうらやましくおぼえば、
「あな、うらやまし。などか、習はざりけん」
 と言ひてありなん。

(第百六十七段)

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 現代語訳
─────────
 自分の知らない方面の事柄が、一座の中で話題に取り上げられたときは、素直に、「ああ、羨(うらや)ましい、その道について、自分はどうして今までに修行しなかったのだろう」と、謙虚に尊敬する姿勢を取り、要らざる口出しをすべきではありません。


■柔軟さを失わない人は「下問(かもん)」を恥じない

 これは、「知ったかぶりをするものではありません」「謙虚になりなさい」という教えです。
『論語』には、「下問(かもん)を恥じず」という言葉が載せられています。
 これは、「自分より年下の人に対しても、わからないことがあれば、素直な気持ちで物事を尋ねたり、教えを乞うことを恥ずかしく思わないこと」を言っています。
 学生を見ていて、時々、この子は伸びるだろうなと思うときがあります。
 それは、素直な学生を見たときです。
「こんな質問したら先生がどんなふうに思うかな」というようなことを考える学生は、あまり伸びません。
 もちろん、本当にはわかっていないのに、知ったかぶりをする学生も伸びません。
 素直な気持ちで、質問をすることは、実は、なかなか難しいことなのです。
 それに気づいたのは、私自身、つい最近になってからのことです。
 たとえば、『三国志』については、学生のほうが、私なんかよりずっとよく知っているということがあります。
 知ったかぶりをしてその場を逃れることは簡単なことですが、恥ずかしいなんて思わず質問をしながら話を聞くと、やはりいろんなことを学ぶことができます。
 それに、他の学部の先生たちと会って話をさせてもらうと、自分が常識だと思っていたことが、実は全く他の世界では通じないのだなと思うようなことが多々あります。
 自分の世界にだけどっぷりと浸かって、他の世界を見ようとしなければ、いつか自分は井の中の蛙(かわず)になってしまうことでしょう。
 変化を恐れず、たくさんの別の世界を見て歩くこと、そして、わからないことがあれば、素直な気持ちで質問をして、本当に相手のいる世界を理解しようと勉(つと)めてみる。
 そうすれば、それが自分の心を広げていくことにもつながります。
「この世は修行」ということは言い古された言葉かもしれませんが、必ずしも苦しい修行だけが修行ではありません。
 素直に、人に質問をしながら、知らない世界をどんどん楽しく探検していく修行があってもいいのです。


 人ごとに、わが身にうとき事をのみぞ、このめる。
 法師(ほうし)は兵(つわもの)の道をたて、夷(えびす)は弓ひくすべ知らず、仏法知りたる気色(けしき)し、連歌し、管弦(かんげん)をたしなみあへり。
 されど、おろかなるおのれが道よりは、なほ人におもひ侮(あなど)られぬべし。

(第八十段)

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 現代語訳
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 誰も彼もが、自分本来の職務ではない、他の人がやっている職業を好む傾向があります。
 たとえば、僧侶は、武芸に心を寄せる場合が少なくありません。反対に関東の武士は弓矢による戦闘の術をなおざりにして、いかにも仏教に通じているような顔をし、さらには連歌に加わったり音楽に身を入れたりしています。
 けれどもこんなことでは、結局、自分の本職が中途半端に終わり、執着した芸の方面でも未熟に留まって、人々から軽蔑(けいべつ)されることになるでしょう。


■咲こうが咲くまいが、置かれた場所でやるしかない

「隣の家の芝生は青く見える」と言います。
 実にその通りで、私にもそんな経験はいくらでもあります。
 たとえば、私の友人のひとりに、経済学部の先生で、マーケティングを専門にしている人がいます。
 マーケティングと言っても、特に宣伝の研究をしているのですが、研究室に行っても本が数冊あるだけです。
 普段は、「研究」といって、大きなテレビの前に座ってコマーシャルを観たり、送られてくる雑誌を眺めるのです。
 それで、どれくらい宣伝効果があるかをリサーチセンターと一緒に調査して論文にまとめるのです。
 こんな「研究」を見ていると、私のように、研究費では足りない本を買ったり、時には購入できなくて本が読めないと悩んだりすることが、バカらしく思えてきたりします。
 それに、彼がやっていることは、すぐに社会の役に立つことでしょうが、私がやっている古典の研究や古書の調査は、趣味の延長にしか見えないような気がします。
 ですが、「毎日、テレビを観て、雑誌を読んでいるなんていいな」と言うと、「お前がやっていることのほうが、よっぽどおもしろそうだよ」と、彼は言うのです。
「毎日、つまらないテレビを観て、同じような宣伝広告を眺めておもしろいことなんて何もないよ」と。
 言われてみれば、そうかなとも思います。やはり、自分がやっていることが一番性に合っているようです。
 また、他の大学に移籍したらもっと楽しい研究や教育ができるのではないか、と思ったこともあります。
 でも、結局、これも同じでしょう。
 与えられた場所で、自分の力をどれだけ発揮できるかと考えれば、「人間、到る処青山あり」です。
 自分は、自分の道を一所懸命歩いていくことが、一番大切なことなのだと思うのです。


 いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ。
 そのわたり、ここかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いとめなれぬ事のみぞおほかる、都へたよりもとめて文やる。
「その事、かの事、便宜(びんぎ)に、わするな」などいひやるこそをかしけれ。(第十五段)

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 現代語訳
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 とりたててどこへということでもないが、少しばかり旅へ出たりしてみると、目が覚めるような想いをすることがあります。
 途上の宿りから、都へ届く便があれば託して手紙を送る。
「別にさしたる用件もないけれど、家事で、つい気がつく、その事あの事、うっかりせずに処置しておいてくださいよ」、などと面と向かってでなく言いつける気分も、また旅情のなせる思いでしょう。


■現実からちょっと離れる一工夫

 誰でも、時々、旅に出たいと思うことがあります。
 何か日常とは違った、新しいものを感じたいと思うとき。
 自分が置かれた現実を、少しだけ遠くから見てみたいと思うとき。
 平安時代の西行(さいぎょう)、江戸時代の松尾芭蕉、彼らは、和歌や俳句の新しい境地を求めて、旅に出ました。
 たとえば、ポール・ゴーギャンもいい例でしょう。
 ゴーギャンは、サマセット・モームの名作『月と六ペンス』のモデルとしても描かれていますが、四十歳になって、自分の天職は「画業」だったということに目覚め、会社を辞め、家族を捨て、南太平洋の島、タヒチに渡った人です。
 絵なら、趣味でやって、旅行もしたいのならフランスの国内でいいじゃないかと、普通の人なら思うでしょう。
 でも、ゴーギャンの心には、趣味では終わることのできない、どうしようもない絵に対する情熱の炎が燃えてしまったのです。
 彼の心を燃やしていたもの、それは「自由」を求める心だったのだろうと思います。
 絵を描くこと、故郷を離れることによって、ゴーギャンは、誰にも邪魔されることのない、自分だけの真の自由を獲得することができたのではないでしょうか。
 先にも少しご紹介しましたが、私が大好きな三木清の言葉に、こういうものがあります。

「真に旅を味い得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。
 日常交際している者がいかなる人間であるかは、一緒に旅してみるとよくわかるものである。
 人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである」(『人生論ノート』より)

 人生が旅であるとするならば、日々をそう思って過ごしてみることもできるでしょう。普段とは違う自分を発見することができるかもしれません。


 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
 雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情けふかし。
 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見所おほけれ。

(第百三十七段)

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 現代語訳
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 桜の花は満開の時期、月は満月の夜のみ嘆賞(たんしょう)するものでしょうか。
 私は、雨模様の曇り空に向かって、現には見えぬ隠れた月の眺めを心の中に思い描く楽しみも捨て難いと思うのです。
 また、簾(すだれ)を垂れて引き籠(こ)もりながら、花が散って春が暮れゆく気配を感じ取るのも、ひとしお趣があるのではないでしょうか。
 今にも咲きそうな梢、花が散ってしおれている庭などにこそ見るべき価値がたくさんあるように感じるのです。


■枯れることこそ本望である

 この文章こそ、日本的美学ではないでしょうか。
 外国の方に、日本の文化を紹介するときに、私は必ず、この文章を訳して伝えます。
「花鳥風月」と言いますが、外国からの観光客は、意外と日本の文化の真髄をご存じありません。
 すでにいくつか記されていましたが、吉田兼好は、本の体裁も揃っていないほうがいい、家も少しだけ壊れかけているような所がいいなど、爛熟(らんじゅく)したものを惜しむ美的感覚を持っていました。
 そして、それは彼の恋愛観に通じます。
 この文章の後に、兼好は、
「何事も、最初と最後が趣があるものだ。
 男女の恋も、ひたすら契りを結ぶことだけを情緒があるというのだろうか、逢わずに終わった恋の辛さを思い、はかない逢瀬(おうせ)を嘆き、長い夜を一人で明かして、遠く離れた所にいる恋人のことをはるかに思い、浅茅(あさじ)の生い茂った荒れ果てた家で昔の恋を思い出して懐かしむことこそ、恋愛の情趣を理解すると言えるのではないでしょうか」
 と言うのです。
 年を重ねると感じるこうした感覚を、「枯れる」と日本語では言ったりしますが、これこそが古代から明治時代頃まであった日本人の「心」のいき着く先だったのかもしれません。
 いい悪いという価値判断ではなく、日本独特の自然美などを鑑賞したり、外国の人に説明するときにこうしたことを知っていることは無意味ではないのではないかと思います。
 お料理にしても、そうです。料理にはもちろん食物としての味わいもあるのですが、いつも私は食べ物と一緒に凝縮された「時」をいただいているような気がするのです。


 神無月(かんなづき)のころ、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入ること侍りしに、遥(はる)かなる苔(こけ)の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵(いおり)あり。
 木の葉に埋(うず)もるる、懸樋(かけひ)のしづくならでは、つゆ音なふものなし。
 閼伽棚(あかだな)に、菊・紅葉(もみじ)など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
「かくてもあられけるよ」と、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子(こうじ)の木の、枝もたわわになりたるが、まはりを厳しく囲(かこ)ひたりしこそ、すこしことさめて、「この木、無からましかば」と思えしか。

(第十一段)

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 現代語訳
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 陰暦の十月頃、栗栖野(くるすの)という所を過ぎて、ある山里に訪ね行くことがあったときに、遠くまで続いている苔の生えた細い道を踏み分けて行くと、心細く住んでいる小さな家がありました。
 木の葉に埋もれている樋といから落ちる滴の音以外は、全く音を立てるものもありません。
 しかし、閼伽棚(あかだな)に供えた菊や紅葉などが折り散らしてあるということは、やはり住んでいる人がいるからなのでありましょう。
 こんなんでも住んでいられることよ、としみじみ見ていると、向こうの庭に、大きなみかんの木で、枝もしなる程に実のなった木が、実を取られないために周りを頑丈に囲ってあったのを見て、少し興ざめで、もしこの木がなかったらな、と思われたのでございました。


■外国人が驚いた「財布が返ってくる」パラダイス日本

 人里離れた所に住んでいようと、せっかく実ったみかんを奪われるのは嫌でしょう。
 でも、あまりにも、厳重に盗難防止の柵をこしらえたりしては、見苦しく見えてしまうこともあります。
 ただ、よく言われることですが、明治時代に日本に来たヨーロッパ人は、日本をまるでパラダイスのようだったと伝えています。
 財布を失ってしまったと困っていると、いつか必ず、中身がそっくり入ったまま、誰かが持主の所に届けてくれる。
 一九七〇年代まで、東京でも下町では、出かけるときに鍵などかけなかったと言われます。
 ところが、バブルが崩壊した九〇年代頃から、そうした無防備さはすっかり消えてしまいました。
 今となっては、鍵どころか、国内のいたる所に防犯カメラが備えつけられています。
「昔はよかった」という人は少なくありません。
 一体、なぜ、こんなにあらゆる意味での管理が厳しくなってしまったのか──。
 信じられない事件や事故があまりにも多発するからだという人もいます。
 もちろん、それには違いありません。
 ただ、昔のように「仁」「義」「孝」など、明治時代まで言われた「徳目」が説かれなくなったということも確かでしょう。
 戦前の、不可能を可能にするというような精神力を求めるものとしてではなく、人としての正しさを保つ「徳」は、知っておいていいのではないかと思うのです。


 人は、かたちありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎょう)ありて、ことばおほからぬこそ、飽かず向かはまほしけれ。
 めでたしと見る人の、心おとりせらるる本性みえんこそ、口をしかるべけれ。
 しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。
 かたち・心ざまよき人も、才(ざえ)なく成りぬれば、品下(しなくだ)り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意(ほい)なきわざなれ。

(第一段)

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 現代語訳
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 一般に、人は、容姿が優れているほうが良いと思われがちです。
 しかし、楽しい話ができて、程よい愛敬があり、言葉数の少ない人のほうが、向かい合っていていつまでも飽きることがないのではないでしょうか。
 外見は格好いいのに、性格が悪くて、その悪しき本性が見えたときには本当に残念に思います。
 家柄・容姿は生まれたときからのもので変えられませんが、性格や教養は変えようと思って努力すれば変えることができます。
 一方、容姿と性格が良くてもそれに見合う教養がないと、醜くて下品な相手から議論で押さえ込まれてしまって不本意なことになってしまったりするのです。


■美しさと同等の価値を持つ「教養」と「笑い」

 頭が良くて、どんな質問をしても、理屈をたくさん並べて答えてくれる人と知り合いました。
 でも、一緒に御飯を食べても、お酒を飲みに行っても、その人は、理論だの公式だの定理などというようなことを並べて、大きな声で一方的に話をします。
 悪い人でないことは確かなのですが、もう会いたいと思わなくなってしまいました。
 こんな話を聞くことがあります。
 他人の性格を変えたりすることはできない。
 夫婦や親子ほどの親しい関係であっても、相手の性格を変えるのはほとんど不可能です。
 そうであれば、喧嘩をすることも当然でしょう。激しい衝突をしてしまえば、こうした関係でも崩壊してしまうことだってあります。
 相手との軋轢(あつれき)、衝突を避けるにも「教養」と「明るさ」「笑い」というものは必要なのではないかと思うのです。
 教養というと難しく感じるかもしれませんが、これは、日々の「発見」です。
 世の中には、まだまだ不思議なことや知らないことがたくさんあるでしょう。
 何か発見することによって、自分がまだ「足りないこと」を知りましょう。そして、謙虚になることです。
 それから、明るさを忘れないこと。人生には辛いこともあるでしょう。
 でも、辛さに飲み込まれてしまうと、辛さはさらに大きくなって襲ってきます。それを撥ねのけるには「笑い」しかありません。なんでも、笑ってしまうのです。
 かっこよくなりたいと、ほとんどの人は思います。
 見た目のかっこよさもあるでしょう。でも、内側からかっこよさが滲(にじ)むような人になるのが、本当のかっこよさなのではないでしょうか。

* * *


第5章| 品格を磨く ~欲を手放し、器量を大きくするために~


 人は、おのれをつづまやかにしおごりを退(しりぞ)けて、財(たから)をもたず世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。
 昔より、かしこき人の富めるは、まれなり。

(第十八段)

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 現代語訳
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 人は、自分の生活を慎ましくして、贅沢に走ろうとする心を戒め、必要以上の財物を貯えたりせず、世間の評判や名誉を求めて奔走することがないようにすることこそ大切です。
 昔から、賢い人と尊敬されながら、なおかつ富める人は、珍しいのです。


■死を意識した人の言葉から「欲とのつき合い方」を考える

「無欲でありなさい」「足ることを知るというのは大切なことだ」とは、古今東西言われてきた教えです。
 吉田兼好は、一三五二年頃に亡くなった人ですが、『論語』にも似たようなことがすでに書いてあります。『論語』は孔子の言行録ですが、孔子は紀元前五〇〇年頃生きていた人です。紀元前五〇〇年、いや、それより以前からずっと、人間が人間となったときから、「欲望」を制御することは、人間の永遠の課題となったのではないかと思います。
 自身の欲望に駆られて暴走し、人生を無惨に終えてしまった人は数限りありません。
 一方で、いい所まで行きながら、欲がちょっと足りないために勝利や成功を勝ちえずに終わった人も少なくありません。
 吉田兼好は、『徒然草』を四十八歳になってから一年ほどかけて書いたと言われています(もちろん、一部はその前に書かれた部分もあるとされています)。
 当時の寿命は、およそ五十歳。自分のこれまでの人生と、死を意識しての執筆だったに違いありません。とすれば、やはり「足ることを知るというのは大切なことだ」という教えは、自分のこれまでの経験がそうでなかったことを踏まえての言葉だったと言えるのではないかと思います。
 神祇官(じんぎかん)の家に生まれた兼好は、十九歳のときに、蔵人(くろうど)として宮仕えの生活に入りました。宮中の機密文書を取り扱う天皇直属の役人です。そして、数年後には天皇のお供に従事する高い位にまで上りました。二十歳以降は、二条為世(にじょうためよ)という歌道の師範に弟子入りし、歌人としての名声を高めていきました。
 しかし、何があったのかはわかりませんが、突然、兼好はすべてを捨てて出家するのです。そして三十代には、神奈川県に今もある称名寺(しょうみょうじ)に拠点を置いて、関東一円を旅して廻(まわ)ります。
 兼好の人生は、謎に包まれていますが、四十代にはまた京都に戻り、再び歌人として、政治の中枢にいる人たちの間を行き交います。
 こうした生活の後半部分に書かれたのが、『徒然草』だったのです。「欲」にまみれた人々を見、あるいは自分自身の「欲」についても考えてみた末の言葉こそ、この文章だったのです。
「賢い人と尊敬されながら、なおかつ富める人は世にも珍しいもの」という言葉には、含蓄があります。
 頭脳明晰(めいせき)で賢ければ、裕福になるのは簡単でありそうなのに、なぜかそうではない。
 賢さと経済的豊かさとは、全く一致するものではない、かえって、本当に賢い人とは、「欲」を制御する力を持っている人なのかもしれないというのです。


 智慧(ちえ)と心とこそ、世にすぐれたる誉(ほまれ)も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり。
 ほむる人、そしる人、共に世にとどまらず、伝へ聞かん人、又々すみやかに去るべし。(略)
 身の後の名のこりて、さらに益なし。是(これ)願ふも、次におろかなり。

(第三十八段)

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 現代語訳
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 智恵に秀れ、心栄えが涼やかであったというふうな意味での評判を、世に残したいのは当然でしょう。ですが、よくよく思い返せば、世間の誉れを乞い願うのも、つまりは他人が言い伝えてくれるのを喜ぶ気持ちに違いありません。
 自分をほめてくれたありがたい人も、逆に、自分を憎らしく思って非難した嫌な人たちも、同じくいずれは世を去ってゆくものです。名声のようなものを後世に遺すことを願うのも、またばかなことだと思うのです。


■「恥を知れ!」と笑われないために

 たとえば人を動かそうとするとき、お金をちらつかせて見せると、言うことを聞いてやってくれるという人がいます。
 同じように、地位や名誉を見せると、動くという場合もあります。
 人は、それぞれ、何か「欲」を持っていて、「名声欲」あるいは「名誉欲」というものもその「欲」のひとつです。
「名誉欲」というのは、もっと簡単に言えば、人にほめられたい気持ちと言っていいかもしれません。
 ほめられて、嬉しく思わない人はいません。
 子どもを育てるときにも、「ほめて育てなさい」と言われます。ほめれば、嬉しくなって、どんどん子どもは、伸びていく。
 反対に、「お前はバカだ、お前はダメだ」と言って育てると、子どもは自分に自信を持つことができなくなってしまいます。
「ほめる」のは、いいことに違いありません。しかし、あまり「ほめられること」ばかりを求めるのはよくありません。
 なんでも、極端にならないに越したことはありませんが、ほめられることばかりで育って、ほめられないと何もできない人間になってしまったら、それはそれで、おかしなことになります。
 名誉欲を満足させるための嫉妬から自分の心を乱し、人を傷つけてしまうことにもなりかねません。
 大切なのは、自分の名誉欲を満足させるために、勉強をしたり、事業をしたり、偉くなろうとしたりしない、ことです。
 ましてや百年先まで自分の名前を残そうなどと考えるのは、愚の骨頂というしかありません。
 あんまり欲はかかないことです。
「恥を知れ」と、人から笑われることになり、自分の品位を落としてしまいます。


 人は、かたちありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。
 物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎょう)ありて、ことばおほからぬこそ、飽かず向かはまほしけれ。
 めでたしと見る人の、心おとりせらるる本性みえんこそ、口をしかるべけれ。

(第一段)

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 現代語訳
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 日常の所作に気配りが感じられることは、誰もが望ましいと考えます。
 神経のいき届いた人が、さりげなく語る話は、好もしいものです。
 表情に人を愛おしむ気配があって、物言いの奥底に無理のない自制心が働いていてこそ、向かい合っているこちらの気分も和やかで、もっと話し続けたいとさえ思うのです。
 立派な人だと噂に聞いている相手が、つまらない事柄にこだわって、心が鬱屈(うっくつ)しているように見えたりすれば、失望してしまうものです。


■なにげない〝しぐさ〟の積み重ねで品格は磨かれる

「壁に耳あり、障子に目あり」という言葉があります。
 先にもご紹介しましたが、重要なのでもう一度、第一段について考えてみましょう。
「人が見ていないからいいや」と思って、昼間から、パンツ一丁でテレビを観ながら、ビールをグビグビ。宅配が届くと、慌ててそこらに脱ぎ捨ててあるシャツを着て、ズボンをはいて玄関へ。
 よくある光景かもしれません。
 でも、考えてみると、昔から日本人は、「いつ、誰が来ても、恥ずかしくないようにしていなさい」と言って育てられたものです。
「裸でトイレに行ってはいけない。本を跨(また)いではいけない」
「敷居に乗ってはいけない」
「開けたら閉める」
「物を触ったら触ったとき以上にきれいにして返さなければならない」
「本のページを開くときには上の角を優しく捲(めく)らなければならない」
 ……、人が見ているから、という訳ではありません。こうしたことを教えられ、教えられたことを自分のために守っていくことで、「品格」が形成されていったのです。
 日常の所作の気配りなど、一朝一夕に身につくものではありません。
「言葉」という点においても同じでしょう。
 下品な物言いをする人は、一緒に食事をしていても、やはり下品だと思われてしまいます。
 言葉こそが人をつくるとも言われますから、自分自身を変えていくためには、言葉を正すことから始めないといけないのかもしれません。
 物事にこだわった人の悪口や、恨み辛み、そんなものを聞いて、楽しいと思う人はありません。
「この人は素晴らしい人だな」と思っていても、たったひと言の不用意な言葉を聞いただけで、ガッカリしてしまうということもあります。
 生きるというのはなかなかめんどうで難しいものですが、だからこそ、自分を律するための教えが必要なのです。


 人のこころすなほならねば、偽(いつわり)なきにしもあらず。
 されども、おのづから、正直の人、などかなからん。
 おのれすなほならねど、人の賢を見てうらやむは尋常(よのつね)なり。
 いたりて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。

(第八十五段)

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 現代語訳
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 人間の心というものは、真っ直ぐには進まないものだから、言うことなすことに偽りがないとは言えません。
 ですが、正真正銘の正直な人が、全く見当たらないというわけでもないでしょう。
 賢い人を見て、自分もあんなふうになりたいと、羨望(せんぼう)の念を抱くのは世のためしです。
 けれども、尋常(じんじょう)以下に愚かな人は、たまたま賢い人に接すると、たちまち嫌悪の情を募らせてしまうものです。


■「正直」の本当の意味を知れば〝嫉妬〟から解放される

「正直」という言葉は、「正しく、真っ直ぐ」という意味です。これは、「バカ」という言葉がつかない限り、高く評価される人間の価値基準だと思いますが、いったい、本当のところはどのような意味の言葉なのでしょう。
「正」のほうから説明しましょう。
 上の「一」は、「突き当たって動けない限界点」を表します。その下に「止」という字がありますが、これは「足」を表します。
 つまり、「正」とは、「もうこれ以上進めない所まで進んだ、あるいは行った」ということを表すものなのです。
 それでは、「直」は、どんな意味の漢字でしょうか。
「直」は、真ん中に「目」という字が見えます。そして、上には照準を示す十字、下には水平、垂直を表す「乚」。これは、「狙いを定めて見る」ことを表します。
「正直」というのは、「もうこれ以上行けないという目的地まで、真っ直ぐに照準を合わせて物事を見定めながら歩む」ことなのです。
 こんなふうに、「正直」に、人生を歩んでいる人を見ると、自分もそうなりたいなと思うのではないでしょうか。
 人によって、「目的地」や「目的」は、まちまちです。
 社会的地位や名声、名誉、お金……。
 でも、愛、感謝、信頼、こうしたことを忘れてしまうと、「羨望」は、あっという間に「嫉妬」に変わってしまいます。
 ところで、「直」という漢字の説明をしましたが、この「直」に「心」をつけたら「悳」という漢字になります。
 この漢字は、今でも人の名前などで使われる場合がありますし、パソコンでも変換できるものなのですが、これは「徳」という字の昔の字体なのです。
「徳」とは、つまり「狙いを定めて真っ直ぐに、もう進めない所まで進む」という意味です。
 そんな人であれば、嫉妬などしている暇などありません。


 人のかたりいでたる歌物語の、歌のわろきこそほいなけれ。
 少しその道しらん人は、いみじと思ひてはかたらじ。
 すべていともしらぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく、ききにくし。

(第五十七段)

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 現代語訳
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 和歌についての逸話(いつわ)を語り始めても、肝心の歌があまり感心できない拙(つたな)い作だと、がっかりしてしまいます。
 多少とも歌の道に通じている人なら、そのような歌屑(うたくず)を、素晴らしいと思い誤って、人前に持ち出しはしないのではないかと思うのです。
 そもそも、自分がよくわきまえていない方面の事柄を、ことさらに話題としているのを聞くと、あんな程度のことを言い出しているよと、聞くほうははらはらしていたたまれず、身の置きようもないほど聞き苦しいものなのです。


■〝裏〟を知らないことは話さないに限る

 思いついたことをなんでも、大きな声で話してしまう人がいます。特に、専門家がいっぱいいるような所で、そんな話をされると、「もうやめてほしい」と思ってしまうことも少なくありません。
 同じ様なことを、兼好は『徒然草』の七十八段で次のように言っています。

「今様(いまよう)の事どものめずらしきを、言ひひろめ、もてなすこそ、又うけられぬ」

 これは、

「最近起こった珍しい事件などを言い広めてもてはやすのは、納得できない」

 ということになるでしょう。
 よく裏の事情も知らないで、物事をべらべらと電車の中で話すような人がいます。
 こんな話を聞くのは嫌だと兼好は言うのです。
 それから、それぞれの業界には、それぞれ仲間内だけで通じる専門用語があります。知ったかぶり、かっこいいとの思い込みによってそういう言葉を使ったりしますが、これも近くで聞いていると、あまり気持ちのいいものではありません。
 なぜなら、業界用語というのは、業界内の人だけに通じるもので、業界外の人が聞いてわからないと、疎外感を抱いてしまうからです。
 誰にでもわかるような言葉で、わかりやすく話をするというのはとても大切なことだと思います。
 さて、ヨーロッパでは、よく、他人を交えての食事のときには、政治と宗教のことについて話題にしないようにと言われますが、日本では、和歌や俳句、茶の湯の話などあまり親しくない人の前ではしないほうがいいと言われます。
 自分では理解したつもりでいても、もっと詳しい人はたくさんいるものです。
 恥ずかしい思いをしたくないなら、そんな話はしないほうがいいですし、聞いているほうも、あまり知ったかぶりをされると、困ってしまいます。
 人と話をするときは、あっさりした世間話をするに越したことはないのです。


 大かた、聞きにくく見ぐるしき事、
 老人(おいびと)の、若き人にまじはりて興あらんと物いひゐたる、数ならぬ身にて、世の覚えある人をへだてなきさまにいひたる、
 貧しき所に、酒宴このみ、客人(まろうど)に饗応(あるじ)せんときらめきたる。

(第百十三段)

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 現代語訳
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 世の中で聞き苦しく、見苦しい場景を挙げてみましょう。
 年寄りが、若い人の中に交じって、この話はおもしろいだろうというふうに、でしゃばった語り方をすること。
 さほど身分が高くもないのに、世の信望を集めている高位の方に、遠慮の要らない間柄であるかの如く、馴れ馴れしく物言いすること。
 家計が窮屈なのに、酒を飲む集まりを好み、客人を多く集めて、派手にご馳走しようと、主(あるじ)顔して騒ぐこと。


■「分」をわきまえる大事さは現代でもバカにできない

 分相応という言葉は、ほとんど忘れられてしまったようです。
 そもそも「身分」というものがあるわけではないのだから、そんな言葉はなくていいのではないかという人も少なくありません。
 ですが、やはり「分」というのは、「自らをわきまえる」という意味では、「身分」の有る無しにかかわらず、知っておいていいことなのではないかと思います。
 年寄りが、若い人と交わって楽しむのはいいのですが、「昔はどうだった」とか「私が若い頃は、どうだった」など昔語りをされても、あんまりいい心地はしません。
 ましてや、出しゃばって若者たちの和を乱すようなことは、しないほうがいいに決まっています。
 それに、「封建制度」「身分制度」といった江戸時代までの「身分」はないかもしれませんが、「長」という人の上に立つ身分は厳然と存在します。
 公然の場で、こうした人に馴れ馴れしい言葉を使って話しかけたりするのは、失礼なことです。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は、いくら時代が変化したとはいえ、守ったほうがいいことなのです。
 そしてもうひとつ、「分」ということは、お金のことについても言えるでしょう。
 家計にゆとりがあれば問題ないかもしれませんが、ギリギリの生活をしていながら、他の人と同じように贅沢をする人がいます。
 人を呼び、分不相応なレストランや料亭で食事をする。
 そして知ったかぶりでありもしないこと、よく知りもしない話をする。
 後でお金の工面をしなければならないのはわかっていながら、見栄を張ってお金を使ってしまう。
 年齢、身分、お金……自分の位置を知って、それ相応の生活をすること、それが人にとって一番大事なことだと兼好は言うのです。


 何事も、入りたたぬさましたるぞ、よき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知りがほにやはいふ。

(第七十九段)

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 現代語訳
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 何事につけても、派手に差し出がましい振る舞いはしないほうがいいのです。
 本当に素晴らしい人とは、物知り顔にしゃしゃり出て自分をひけらかすようなことはしないものです。


■非情な信長が最低限守ったこととは?

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があります。
 これは、人間関係を円滑にするために、必ず守らなければならないものだろうと思います。
「あれも知っている」「これも知っている」、「あれもできる」「これもできる」と言ってなんにでも口を挟んでくる人がいます。
 初めのうちは、「すごいな」と思いますが、つき合っているうちにだんだん、そんな人に限ってボロが出てきてしまいます。
 人が何か良い意見を言ったときに、自分もそんなふうに考えていたなんていう人もいます。
「能」もないのに「爪」を出すと、段々馬脚が現れてきてしまうのです。
 そうすると、初めに「すごいな」と思った分だけ、「なんだ、大したことないじゃない」となってしまうのです。
 自分の自慢をするのは実に恥ずかしいこと、上には上がいるものです。
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という言葉もあります。
 人からの評価が高くなればなるほどに、頭を下げて、「まだまだでございます」と言うに越したことはありません。
 また、人というものは、みんな「自分は賢い」と思っています。「正しい分別を持って生きている」と思ってこの世の中を生きています。
 だから、他人から自分の言動を非難されたりすると、怒りとなって爆発したりするのです。
 自分だけが正しい価値判断をしているわけではない、のです。
 価値は、人によって違うもの。偉くなればなるほどに、他人を認めて受け入れる力を身につけなければならないのです。
 特に、人の上に立つ人は、人の意見を素直に聞き、その意見を自分の手柄にしないようにしておかなければなりません。
 織田信長は、配下からの意見を「そうか、よく考えてくれた」と言って聞き、それがうまくいけば必ず、その人のおかげだったと言って顔を立てることを忘れなかったそうです。
 自分の賢さを誇るより、人の心をつかむことが大切なのです。


 公世(きんよ)の二位の兄人(しょうと)に、良覚僧正(りょうがくそうじょう)と聞えしは、極て腹あしき人なりけり。
 坊の傍に、大きなる榎(え)の木のありければ、人、「榎木僧正(えのきそうじょう)」とぞ言ひける。
 この名然(しか)るべからずとて、かの木をきられにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。
 いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正(ほりけのそうじょう)」とぞ言ひける。

(第四十五段)

─────────
 現代語訳
─────────
 公世の二位の兄で、良覚僧正と申される方は、きわめて怒りっぽい方でした。
 僧坊の傍に、大きな榎木(えのき)があったので、人が、
「榎木僧正(えのきのそうじょう)」
 と言ったといます。ところが、この名が良くないと僧正は仰って、その木をお切りになりました。その根は残っていたので、今度は、
「きりくいの僧正」
 と言われてしまいます。するといよいよ腹が立って、僧正は切株を掘り捨てたところ、その跡が大きな堀になっていたので、ついに、
「堀池僧正(ほりけのそうじょう)」
 と呼ばれるようになったというのです。


■もみ消そうとしては相手の思うツボ

 噂というものは、怖い物です。
 どこかで誰かが言った言葉に背びれや尾ひれがついて、自分の築いてきた地位が、ある日突然失われるということもあります。
 そうやって社会から抹殺されてしまった哲学者や、文学者が何人もありました。
 彼らは、自分から出たものでもない噂の前に、足を竦めるしかありませんでした。
 それは、噂を掻き消そうと、騒げば騒ぐほど、それがかえって真実をもみ消そうとしているように見られ、また放っておけば、さらにその人の立場を悪くするほどに、脚色されて大きく広がっていくことを知っていたからです。
「火のない所に煙は立たない」という言葉は、噂の本質を伝えるものではあるでしょう。
 しかし、噂は、ひとたび拡散を始めると、火種がない所からも、煙が立ってしまいます。
 噂が怖いのは、嫉妬心、競争心、猜疑(さいぎ)心が、ちょっとした笑い話と一緒になって広がっていくことです。
 ここに記されている僧正も、本文からは頑固者であるかのような印象を受けますが、もしかしたら、本当はとても優しい人だったのかもしれません。
 ところが、どうしたことか、邪魔だった榎の大木を切り、切り株を掘り起こしたというだけで、噂の種にされ、ついには千年後にまで「あの話の人ね」と言われるようになってしまったのです。
「人の噂も七十五日」と言われます。
 これは、噂をされても七十五日、騒ぐよりはむしろ、じっとしているほうがいいという古人の経験から出たものなのでしょう。
 噂に振り回されて、怒ったり落ち込んだりすると、相手の思うツボに入り込んでしまう結果になるとも限りません。


 すべて、をのこをば、女にわらはれぬやうにおほしたつべしとぞ。
「浄土寺の前(さき)の関白殿は、幼くて安喜門院(あんきもんいん)のよく教へまゐらせさせ給ひける故に、御ことばなどのよきぞ」
 と、人の仰(おお)せられけるとかや。
 山階(やましな)の左大臣殿は、
「あやしの下女(しもおんな)の見奉(みたてまつ)るも、いとはづかしく、心づかひせらるる」
 とこそ仰せられけれ。
 女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かんむり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

(第百七段)

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 現代語訳
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 おおまかに言えば、男の子を育てあげるときには、成長してから女性に嘲笑(ちょうしょう)されない性格になるようすべきです。
 浄土寺の前の関白、九条師教(くじょうもろのり)殿は、幼い頃から、後堀河天皇の皇后で安喜門院(あんきもんいん)と呼ばれた賢明な女性に大事に育てられたから、宮廷における、特に女性に向かっての、お言葉や振る舞いが魅力的であった、とある人が評されたと言います。
 また、山階の左大臣、西園寺実雄(さいおんじさねお)卿は、身分の低い女から見られている場合も、私は気を引き締めて心遣い細やかにする、と仰せられました。
 もし世の中に女性がいなければ、正式の服装を整えたり冠の着け方に気をつけたりする男も現れないのではないかと思います。


■身分の高さは、細かい指摘を受け入れた数で決まる

 全く自分とは違う価値観を持つ人が周りにいるというのは、本当にありがたいことです。
 他人に指摘してもらわなければ、自分の短所を直していくことはなかなかできません。
 たとえば、上手に仕事をこなしていくには、六つの能力が必要だと私は思っています。

 一、問題や課題を見つける力
 二、問題をさまざまな視点から分析する力
 三、問題の核心(キーストーン)を見抜く力
 四、問題を解決するための目標設定をする力
 五、戦略を立てる力
 六、戦略を具体的に落とし込んでいく力

 上手にかっこよく仕事をしていくためには、それぞれの力を、時には大胆に、時には繊細(せんさい)に使いこなしていかなければなりません。
 こんな力が、一朝一夕に身につくはずはないのです。
 できれば、子どもの頃から、たくさんの人に教えられて、どんなときにどうすればいいのかという具体的な実地訓練をしていくにこしたことはありません。
 吉田兼好の時代には、身分の高い人、つまり将来政治を担っていく人には、乳母などという人がいて、細かくオシャレのしかたから、話のしかたなどまで教えてくれていました。
 乳母の教育が、政治を支えていたと言っても過言ではありません。
 今も「教育」は重要ですが、より多くの人にたくさんの指摘を受けることは、とても大切なことなのです。

* * *

第6章| 知性と教養をつける姿勢 ~あきらめず、究めるために~


 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
 冬はいかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住居はたへがたき事なり。

(第五十五段)

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 現代語訳
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 人の住む家屋の造り方は、夏を過ごす術を最も中心に考えるべきです。
 冬は、暖の取り方をうまく考えれば、寒さの厳しい所にも住むことができます。
 ですが、夏の暑さは防ぎようがありません。少しでも風を入れる工夫のない住居は耐え難く過ごしにくいものなのです。


■人は環境に染まっていく生き物

 日本の夏は年々、耐え難き暑さに襲われるようになってきました。
 都会ではクーラーがなくては夏を乗り切ることができませんが、標高のやや高い所にある田舎で、風通しのいい家に住むと、クーラーなしで過ごすことができたりしますし、新鮮な地物の野菜などを手に入れることもできます。
 さて、生きる上で、環境は、とても大切です。
 たとえば、中国の故事成語に「孟母三遷(もうぼさんせん)」という話があります。後世、亜聖(あせい)・孟子と呼ばれるようになる中国・戦国時代の思想家を育てた母親についての逸話です。

 孟子が幼い頃、親子は、墓場の近くに住んでいました。
 その影響で、孟子はお葬式の真似をして遊びました。古代の中国では、死者を悼むのに躍り上がって大きな声で泣いたりする儀式などがありましたが、こんなことをしたり、墓穴を掘って遊んだりしたのです。
 これではダメだと思った母親は引っ越し、今度は市場のそばに居を構えました。
 すると、孟子は、今度は、物を売る人たちの真似をして遊ぶようになったのです。
 また、これではダメだと考えた母親は、引っ越しをして、学校の近くに住むことにしたのです。
 はたして、学校で学生たちが学ぶ姿を見た孟子は、真似て勉強を始めることになったというのです。


■孟子(もうし)の母が「刀を手に取った」理由

 ところで、孟子の母親には、もうひとつ、教育にまつわる話として「孟母断機」という話が伝えられています。

 あるとき、孟子は、勉学を途中でやめて帰ってきたことがありました。すると、機織(はたお)りをしていた母親は、次のように訊きました。
「勉学はどこまで進みましたか」
 孟子は、「相変わらずです」と答えました。
 すると、母親は、刀を手に取り、織っていた布を断ち切ったと言うのです。孟子は、恐ろしくなって訳を訊ねました。

あなたが学業をおろそかにするのは、布を断ち切るのと同じです。
 君子は学ぶことで名を立て、問うことで知識を広めるのです。
 こうしてこそ、毎日、安らかに生活ができ、事が起こった際も被害を免れることができます。
 今、もし学業をやめてしまえば、あなたは労役に甘んずるしかなくなり、しかも、災いを免れることもできなくなるでしょう。
 これは、機織りで生計を立てているのに、途中で機を断ち切るのと何も違わないではありませんか。
 断ち切った布で、どのようにして、夫や子どもに服を着せ、食べ物を不足しないようにすることができるというのでしょう。
 女が、食べていくための機を途中で断ち切り、男が徳行を修めるための学問を怠ったら、人は、泥棒になるか奴隷になるしかありません」

 孟子は、この言葉を聞いて以来、勉学に励むようになったといいます。そして、孔子の孫の子し思しの弟子に師事し、世に名を知られた儒者となったのです。

「環境」には、こうした人間関係も含まれます。
 互いを切磋琢磨できて、自由に発言したり、質問をしたりすることができるような会社や学校にいると、人はどんどん伸びていくものです。
 今の環境が自分に合っていないと思えば、別の所に移ることも考えたほうがいいのかもしれません。


 大方、もてる調度(ちょうど)にても、心劣りせらるる事は有りぬべし。
 さのみよき物を持つべしとにもあらず。
 損ぜざらんためとて、品なく見にくきさまにしなし、めづらしからんとて、用なきことどもしそへ、わづらはしく好みなせるをいふなり。
 古めかしきやうにて、いたくことごとしからず、つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。

(第八十一段)

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 現代語訳
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 だいたい、その人が持っている調度品を見たりすると、この人は世間で評判されている程度の人ではないようだと、いささか幻滅を感じることもよくあります。
 とは言うものの、何も貴重な道具ばかりを持つのがいいと私は言うものではありません。
 物というものは、それ自体に所縁があるように見えて特に仰々しくもなく、丁寧に扱ったと感じられて汚損がなく、総体に品の良いのが好ましいのです。


■持ち物で人生にいい変化が生まれる

 高い地位にいる人は、メモを取るときに、さりげなく高価な万年筆を胸から出されることが多くあります。
 若い頃、ある企業の経営者から、こういうことを言われたことがあります。

「自分が使うペンは、武士の刀だと思いなさい」

 以来、私は、必ず万年筆とボールペンを大小二本の脇差しと思って、毎朝、この二本を持って出かけるようにしています。
「ペンは剣よりも強し(Calamus Gladio Fortior)」とも言われます。
 謂いわれのあるいいペンを持ち、それを磨き、大切に使うことは、パソコンの時代にあっても、大切なことだと思うのです。
 中国では、こうした意味では「筆」より「硯(すずり)」が、大事なものだとされてきました。
 宋の詩人・唐庚(とうこう)(一〇七〇~一一二〇)が書いた有名な文章「古硯銘(こけんのめい)」に「鈍(どん)を以(もっ)て体(たい)と為(な)し、静(せい)を以(もっ)て用(よう)と為す」という言葉が記されています。
 唐庚は言います。
「自分の命をたっぷりと生きながらえるための養生の極みを、私は硯の存在にこそ見たい。
 人には硯のようにどっしりとした鈍さを本体として、静かさを保つことが必要なのだ」

 唐庚は、官僚としても非常に高い地位まで進んだ有名な書家です。
 黒く重い硯を机の上に置き、いつもこれを使うことによって、彼は人生に対する深い感慨にふけったに違いありません。
 筆を使って手紙を書くのは、心を洗うような思いがしてとてもいいものです。
「言葉が人を創る」と言いますが、机の周りに置かれた物、また、普段使うペンやパソコンなどによっても人は影響を受けるのかもしれません。
 物は自分の意識の延長上に存在するものなのです。


「羅(うすぎぬ)の表紙は、とくに損ずるがわびしき」と人のいひしに、頓阿(とんあ)が、「羅は、上下(かみしも)はつれ、螺鈿(らでん)の軸は、貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ。心まさりて覚えしか。
 一部とある草子などの、おなじやうにもあらぬを、見にくしといへど、弘融僧都(こうゆうそうず)が、「物を必ず一具にととのへんとするは、つたなきもののする事なり。不具なるこそよけれ」といひしも、いみじくおぼえしなり。

(第八十二段)

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 現代語訳
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「薄絹(うすぎぬ)の表紙を張った書物は早く傷むのが困る」、とある人が言ったのに対し、南北朝時代の歌人であった頓阿(とんあ)が、
「そのような薄絹の表紙はむしろ上下の端がすり切れてほつれていたり、また螺鈿(らでん)を用いた巻物の袖は、嵌(は)め込まれていた螺鈿の貝が少しはがれて落ちた程度の姿が好もしい」
 と言ったのを、高雅な趣味の見識であると感じました。
 また、数冊に及ぶ草子などの、別々に写された写本をあとで取り合わせ整えたのを見苦しいと人は言うけれども、仁和寺の僧、弘融僧都が、
「調度品をあえて同一の系統に揃えようとするのは、逆に美の感覚が鈍いのであって、自然に集ったままで不揃いなのが、むしろ落ち着きがあって親しみやすく眺められるのだ」
 と言ったのも、まことに秀れた見識であると思われました。


■コレクターにならない。本は読んでこそ意味がある

 子どもの頃、近所の友人の家の応接間に、「世界文学全集」「日本文学全集」や百科事典などが、きれいに並んでいる本棚がありました。
 当時から本が大好きだった私は、どんな本が入っているのかと思いあまって、友人のお母さんに、見せてもらってもいいかと頼みました。
 ところが、おばさんは笑いながら言うのです。
「さわっちゃ、ダメよ」
 しばらくの間、どうして本なのに見てはダメなのか謎でしかたがなかったのですが、半年ほど経ってから、友人から「見てみるといいよ」と言われて箱を取ると、なんと、中身は空っぽだったのです。本は一冊もなく、形だけ箱が並べてあったのです。

 私の専門は、文献学と言って、本の歴史を調べることです。
 吉田兼好が生きていた時代には、まだ印刷技術はほとんど発達していませんでしたので、本と言えばほとんど写本でした。
 写本というのは、本のすべてのテキストを誰かが写さなければなりません。きれいな文字が揃った写本などはありませんでしたし、当時の写本には贅沢な絹張りの表紙など付いていませんでした。
 本は読めることが第一義で、装飾品として使うようなものではなかったのです。
 私は、人が驚くほど本を買います。そして、本にメモを書き入れながら読んでいきます。
 本のコレクターではないからです。ですから、全巻揃ったものや化粧箱に入った本などを買おうとはしません。
 当時も、本を飾りとして集める人や、コレクションとして集める人はありました。
 ですが、本というものは、やはり読んでこそ価値のあるものだと私は思うのです。


 人に勝(まさ)らん事を思はば、ただ、学問して、その智(ち)を人にまさらんと思ふべし。
 道をまなぶとならば、善に伐(ほこ)らず、ともがらに争ふべからず、といふ事を知るべき故なり。
 大きなる職をも辞し、利をもすつるは、ただ学問の力なり。

(第百三十段)

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 現代語訳
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この世に生をうけた以上、なんらかの方面で他人より多少とも勝った者になりたいと望むのは人情の自然でしょう。
 その願いを叶えようと思うなら、兎にも角にも学問に励んで、知識と思考力が他人に負けないよう心がけるべきです。
 とは言うものの、学問とは、人の生きる道を、我が身に体するための努力であるのだから、自分にどこか長所があるなどと自惚(うぬぼ)れて鼻に掛(か)けず、友と競うことはあっても争うのはよろしくないと覚知すべきです。
 身分に過ぎるほどの大きな職は辞退して、必要以上の利益を受けないでいられるのは、学問によって養われた人間の智を、実社会に向かって活かす術なのです。


■いい努力とは?

 人より秀でた力を持って、自分にしかできないことをやりたいと思う人は少なくないと思います。
 でも、なかなか、そんな力を自分の努力だけでつけることはできません。
 学問の世界も同じです。先生がいて、切磋琢磨(せっさたくま)する先輩や後輩がいてこそ、ひとつの道を歩んでいくことができるのです。
 さて、それにしても、学問とまではいかなくても、勉強の目的とは、一体なんなのでしょうか。
 それは、ひとつには、自分の人格を高めるということにあると思います。
 勉強は、すればするほど、「自分はまだまだ何もわかっていない」という謙虚な気持ちを持つことができる力を持っています。
 すべてが連関していること、世界はどこか同時進行していることが見えてくる、そしてこういう言い方が許されるなら、神の陰謀としか思えないほどに、すべてがあるときジグソーパズルを解くように見えてくる。
 でも、見えたと思った瞬間、また謎がわいてくる……。
 こんなことをやっていると、社会や世界をどんなふうに見ればいいのか、自分が、社会に対して何をやれるのかということもわかってきます。
 驕(おご)ることもなく、卑屈な謙遜(けんそん)でもなく、素直な気持ちで、「知る」ことを楽しみながら、社会に貢献することができれば、これほど楽しいことはないのではないかと思います。
 勉強は、他の趣味に比べればそんなにお金もかかりません。
 お酒などの娯楽をちょっと控えて、その分のお金と時間を、勉強にかけてみてはいかがでしょうか。

* * *


おわりに

 本書ですべては紹介できませんでしたが、『徒然草』にはおもしろい話がいっぱいあります。
 たとえば、
 大根が兵に化ける話、
「猫また」という怪獣に襲われて小川に落ちたバカなお坊さんの話、
 修行によって大豆と会話ができるようになったお坊さんの話、
 ……などなど。
『徒然草』は、真面目一徹に、ただ人生訓を垂れた古典ではないのです。私が、初めて『徒然草』をおもしろいなと思ったのは、高校生のときでした。
「桃李(とおり)もの言わざれども、下、蹊(みち)自ずから生ず」という故事成語を教わってまもなく、『徒然草』の「桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん」(第二十五段)という言葉を、受験参考書で見たからです。
 思わず私は、笑って膝を打ってしまいました。
「なんと、上手いパロディをする人か!」と思ったからです。
 さて、高校生のときから、はや四十年程、私は折に触れて『徒然草』を読んできました。
 私自身それなりの人生の苦しみや悲しさなどもあったわけですが、『徒然草』にちりばめられたパロディが、実は深い人生への考察からにじみ出たものだということを、今さらながらに感じるのです。
 時代が移り、以前は華やかに栄えていた所も荒れ果ててしまい、しかし、そこには昔と同じように、季節がくれば桃やスモモが実をつける。
 あそこに住んでいた人は亡くなってしまって、もう誰もいない。当時のことを誰と一緒に語ろうか。
「桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん」とは、実にそういう言葉だったのです。
 哀(かな)しみや深い人生への想いから出てくる笑い、『徒然草』は年齢を重ねていくごとに楽しめる古典ではないかとしみじみ思います。
 この度は、私がいいなとこれまで思ってきた五十一の『徒然草』の言葉を選んで、意訳し、随筆風に解説を加えさせていただきました。
 少しでも、『徒然草』の言葉が、皆様の心に届けばこれほど嬉しいことはございません。
 しかし、それにしても、私の『徒然草』についての想いを、このような形にまとめてくださった森下裕士様、またワニブックスの内田克弥様には衷心より御礼を申し上げる次第です。

二〇一八年夏 加賀山代温泉にて  山口謠司拜 

* * *

<著者プロフィール>
山口謠司(やまぐち ようじ)

大東文化大学文学部准教授。博士。
1963年長崎県佐世保市生まれ。

大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。
ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員を経て現職。
専門は、書誌学、音韻学、文献学。
1989年よりイギリス、ケンブリッジ大学東洋学部を本部に置いて行なった
『欧州所在日本古典籍総目録』編纂の調査のために渡英。
以後、10年に及んで、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ベルギー、イタリア、フランスの各国図書館に所蔵される日本の古典籍の調査を行なう。
またその間、フランス国立社会科学高等研究院大学院博士課程に在学し、
中国唐代漢字音韻の研究を行ない、敦煌出土の文献をパリ国立国会図書館で調査する。
文部科学省科学研究費助成を受け、第一次世界大戦後に行われた昭和天皇(当時は皇太子)によるベルギー王国、ルヴァン大学に寄贈された日本古典籍についての研究なども行なっている。

広い視点から、わかりやすく話をするスタイルで、
テレビやラジオの出演も多く、NHK文化センター、朝日カルチャーセンター、中日文化センターなどでも定期的に講演や講座を開いている。

著書には、
かつて司馬遼太郎が選考委員を務めた、第29回和辻哲郎賞を受賞した名著
日本語を作った男 上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)をはじめ、『日本語の奇跡』『』『日本語通』(新潮社)、『てんてん』(KADOKAWA)、『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』(ワニブックス)などがある。


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著:山口謠司
現代エッセイ訳 徒然草 - すらすら読めて、すっきりわかる -
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語彙力がないまま社会人になってしまった人へ


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語彙力がないまま社会人になってしまった人へ 【超「基礎」編】


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頭の中を「言葉」にしてうまく伝える。

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