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母からの突然のSOS…新潟行きの新幹線に駆け込んだ〈介護幸福論 #1〉

独身中年息子による介護奮闘記。BEST T!MESでも好評を博した「母への詫び状」が、ペンネームだった著者が実名を明らかにし、「介護幸福論」として再スタート。著者は“王様”として業界に名を轟かす競馬ライターの田端到さん。記憶の糸をたどりながら6年間の日々、そこで見つけた“小さな幸せ”を綴っていきます。

■続・母への詫び状

 父親が認知症になった。ひとりで外出して迷子になり、警察のご厄介になったという。

 母親が重い病気になった。ひとりで父の面倒を見てきたが、今すぐ入院しなければいけない病状だという。

 田舎で二人暮らしだった父と母。こんなとき、子供はどうするべきなのか。

 幸いにと言うべきか、不幸にと言うべきか、この家族には東京でぷらぷらしながら毎日を過ごしていたフリーライターの息子がいた。50歳も近いのに独身のままで、子供もいない。忙しく仕事に飛び回っているわけでもない。地位はなくても、身軽さだけはある。

 こうして自由業の息子は急遽、実家へ帰り、両親の世話をすることになった。突然の介護生活の始まり。ぼくのことだ。

 介護の話はこれまで別の媒体で、ペンネームを使い、エッセイのような形で書いてきた。実録記ではなくエッセイにしたのは、まだ記憶が生々しすぎて、断片的にしか振り返ることができなかったため。ペンネームにしたのは、親の承諾を得ずに親の話を書くのだから、身バレしないほうがいいだろうと思ったからだ。

 また、ぼく自身が競馬やスポーツのライターという、介護からかけ離れた分野を生業にしているため、「ギャンブルを語っているヤツが、親の介護の話をしてちゃダメだろう(笑)」という気持ちもあり、それも本名を伏せた理由のひとつだった。

 しかし、予想以上に反響が大きく、時間も経過したことで、覚悟は決まった。当連載では本名をさらした上で、これまで書いたものをまとめ直しながら、実録記に近い形で、介護の日々について綴ってみようと思う。

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■母のSOS

 始まりは、母からの1本の電話だった。

「忙しいときに悪いねえ。ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかね」

 18歳で親元を離れてひとり暮らしすること、約30年。母から昼間に電話がかかってくることは珍しい。おそらく、いい話ではないのだろうとすぐに察知した。

「おとうちゃんの調子があまり良くなくてね……。このあいだも飲み会の後、自分の家がわからなくなって、大騒ぎになってしまって……」

 ああ、やっぱり父のことか。

 父は数年前から認知症の症状が出ているらしく、専門の医者にも診てもらったと聞いている。特に酒が入ってしまうと症状が悪化するようで、とうとう外出先から帰宅できないという事態を引き起こしたらしい。それも「パトカーのご厄介になった」と聞いては、穏やかではない。

 ところが、母の話を聞いていると、どうも要領を得ない。

「なんか具合が悪くてさ……。肺炎だって言われてね……。でも、お父ちゃんがこんなだしねえ……」

 時々、ゴホゴホと咳き込みながら、話が違う方向へ進む。
 え、どういうこと? 誰の話をしてるの? 主語がないから、よくわからない。ゆっくり、くわしく聞いて、やっと事態がつかめた。

 母はこのところ咳が止まらず、病院へ行ったら、肺炎と診断された。それもかなり重い肺炎のようで、すぐに入院するように言われたという。しかし、認知症の父をひとりで家に置いたまま、自分が入院するわけにはいかない。だからどうしたらいいのだろうと、東京で離れて暮らす息子に相談してきたのだ。

 いつもと違う時間帯の電話は、自分自身の病気が発覚した母からのSOSの電話だった。何事においても家族を優先し、自分のことを二の次にする母は、こんな緊急時ですら一番大事な報告を後回しにしてしまう。

「すぐ入院って医者に言われたんだろ。じゃあ、入院しなきゃダメじゃん」
「でも、おとうちゃんがいるからねえ」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

 とりあえず、ぼくがやるべきことは今すぐ実家に帰ることだ。3、4年に一度しか親に顔を見せない不義理のバカ息子でも、その程度はできる。こんな時くらいは昼間からゴロゴロしているフリーライターの特権を活かさなくてはならない。

 取り急ぎ、当座のお金だけ銀行からおろして、実家へ向かう新幹線に駆け込んだ。いったい何年ぶりの帰郷だろうかと思い出そうとしたが、記憶をうまく手繰れない。

 そのくらい久しぶりに乗る新潟行きの上越新幹線だった。 

 陽射しの強い7月の上旬。背中を這う汗が、じっとりとTシャツに染み付き、不快な夏の始まりを予感させた。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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