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忘れたい、忘れられるものならば…。クールビューティーが抱える“生きづらさ” 国実マヤコ『明日も、アスペルガーで生きていく。』本文試し読み

あなたの周りにこんな人はいませんか?
空気がよめない、こだわりが強すぎる、自分を客観視できない、部屋が片づけられない……

あれ…?もしかして自分かも……

それはもしかしたら、アスペルガー症候群かもしれません。

今回は『明日も、アスペルガーで生きていく。』(著:国実マヤコ/医療監修:西脇俊二)から、記憶力がかなりいい女性のお話を公開します!

(書影はAmazon Kindleにリンクしています)

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はじめに

 北原白秋の詩に、こんな一節があります。
「薔薇ノ木ニ
 薔薇ノ花サク。
 ナニゴトノ不思議ナケレド。」(「薔薇二曲」より)

 この詩は、〝バラの木にバラの花が咲くことは、一見、「あたりまえ」のようだけれど、実際、そこにはなんたる神秘が、美が、生命が存在することだろうか。こういった何気ないことに思いをめぐらせ、感じ入ることにこそ、世界のすべてがあるのでは?〟という問いかけを持つものだと、個人的に解釈しています。

 この世に「あたりまえ」など、ありません。
 恋愛をして、結婚をすること。子どもを持つこと。父親が会社へ行くこと。母親が台所に立つこと。子どもが友達とならんで、学校へ通うこと。
 一見、「あたりまえ」の日常が、いかに「あたりまえ」でないかということは、それが「できない」経験をした人にしか、わからないものです。

 職場、親子関係、恋愛、心の病、身体の病、貧困、社会的抑圧……。
 どんな人でも、何かしらの「生きづらさ」を抱えて、生きています。どれが特別に苦しくて、どれが苦しくない、ということはありません。みなそれぞれが、等しく、悩みもがいているのです。
 仮に、同じ種類の「生きづらさ」を抱えていたとしても、悩みは個個人によって、さまざまです。ですから、その「生きづらさ」を解消させる方法も、それぞれの事情によって大きく異なることでしょう。

 ところが、その「存在」を知ってもらうだけで、当事者がぐっと楽になる種類の「生きづらさ」があります。

 それは、目には見えない障がいの一つ、発達障がいです。本書では、広汎性発達障がいの中の一つ「アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)」の8人の物語を通じて、彼らの抱える「生きづらさ」について、少しでも理解を深めていただけたらと思います。

 彼らの障がいは、見た目でわかるものではありません。ゆえに、周囲の人々に「勘違い」をされてしまう場面が多々あります。
「なぜ、こんなことができないの?」
「これくらい、簡単なことでしょう!」
 彼らの見ている世界は、ふつうの人が見ている世界と大きく異なります。多くの人が、気にもとめないようなことが、実は身体がふるえるほど気になっていたり、ふつうは簡単にできるようなことが、とても難しく感じられたりするのです。

 理由の一つに、五感の過敏性が挙げられますが、これもまた十人十色で、視覚だけ過敏な人もいれば、聴覚だけが過敏な人もいます。複数をあわせ持つケースも多いですし、飛び抜けて敏感なところがあれば、飛び抜けて鈍感なところを持つ人もいます。つまり、それぞれの「個性」があるのです。
 しかし、彼らの見ている世界の「傾向」を、一人でも多くの人に知ってもらうことが、何より大切です。必要のない、誤解やトラブルを防ぐことができますし、二次障がいである、うつ病などの発症を、抑えることにもつながります。

 ふつうの人が気づかないものに気づき、ふつうの人には感じられないことを感じる一方で、多くの人が「あたりまえ」だと考えていることが、「あたりまえ」にできない……。抱える「生きづらさ」に個性はあるものの、おそらく彼らは「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。」ことがけっして「あたりまえ」ではないことを、身をもって知っているはずです。
 こう書くと、いかにも彼らが飛び抜けて繊細で、あたかも「何らかの能力」に長けた人たちだと思われるかもしれませんが、それは間違いです。もちろん、興味の対象に向けられる集中力の高さから、一つのことに秀でて成功をおさめる人もいますが、社会にうまく適応できず、自分の特性を活かすまでに至らないケースのほうが、圧倒的に多いのです。
 つまり、バラの美しさや神秘に気づきながらも、それを誰とも共有できず、一人ぼっちの自分を嘆くことしかできない人が、大勢いるわけです。

 それは、私であり、あなたであるかもしれません。
 実は、著者である私も、同じ障がいを持つ一人です。
 私は、長らく体調面でのトラブルに悩まされており、ついには電車に乗ることができなくなって、会社に通えなくなっていました。
「なぜ、あたりまえのことが、あたりまえにできないのだろう?」
 そう、自分を責め続ける日々を送っていたのです。
 私の場合、体調不良(二次障がい)の原因となっていた、アスペルガーという特性を見抜いてくれた医師との出会いによって、救われることとなります。この、幸運な出会いがなければ、今でも二次障がいの対症療法を続けるほか、なかったでしょう。

 しかし、今この瞬間にも「アスペルガー症候群」という見えない障がいを持つ多くの人々が、「うつ病」「パニック障がい」など、二次障がいのみの診断を受け、抜本的な治療やサポートに至れず、苦しんでいます。
 人間関係に悩み、孤独にふるえ、自分自身を責め続けているのです。


 本書を通じて、少しでも「アスペルガー症候群」への理解が広まればと思っています。
 また、当事者である私たちがスムーズな社会生活を送るための、そして、自身の〝特性〟を活かして暮らしていくための「ヒント」を見いだす機会になればと、切に願います。

国実マヤコ

本書は、取材に基づいたフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
本書では、世界保健機関(WHO)が作成する国際診断基準『ICD‐10』に基づき、「アスペルガー症候群」という名称を使用いたします。

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CASE 1 記憶する女 松方玲奈(38)の物語

PROLOGUE
 全盲で、楽譜が読めないにもかかわらず、曲を聴いただけですべてを再現してしまうピアニストがいます。
 旅先で見た景色を、いつまでも正確に記憶している画家がいます。
 彼らはしばしば、天才と呼ばれます。
「記憶が薄れないなんて、うらやましいなあ!」
「特別な能力があるなんて、恵まれているじゃないか!」
 そう思う方も、いるかもしれません。
 しかし、同じような記憶力を持っていたとしても、彼らのように天才と呼ばれる人は、ほんの一握りです。
 しかも、そのような力は、ときに諸刃の剣となって、〝生きづらさ〟の一つとなってしまうのです……。
 この物語の主人公は、いったいどんな〝生きづらさ〟を抱えているのでしょうか?

 3歳を過ぎるころまで、私はしゃべらなかった。
 言葉は、口から出るとなくなるのだと思っていた。
 乳幼児健診で「ひっかかった」私は、両親に連れられ、大学病院で聴覚検査を受けたが、耳に異常はない。
 あたりまえだ。
 私は、言葉が〝もったいない〟ので、しゃべらなかっただけなのだから。
 言葉というのは、一度使うとなくなってしまうもの……。
 なんとなく、私はそう感じていた。

 思えば、身ぶりや手ぶりで大体のことは両親に伝わっていたし、とくに伝えたいこともなかった。
 強いて言えば、雨の日に部屋から眺める、鎖樋についてだった。
 軒先から垂れ下がる数珠のような金具に、雨つぶが螺旋をえがいて落ちていく様子が美しくて、私は見飽きることがなかった。
 そばにいた母親に、指をさして伝えようとしたが、
「玲奈は、本当に雨が好きなのねえ」
「母さんは、洗濯ができなくてがっかりだわ」
 まと外れのことを言うので、つまらない。たぶん美しい雨つぶを見ても、この人は何も感じないだろう。なんとなくそう思って、上げていた腕をおろした。
 やっぱり、伝えたいことなんてなかった……。

 そのころ、物覚えのよさで、周囲を驚かすことがあったらしい。
 私は、絵を描くことが得意で、大好きだった。
 その日も、お気に入りの色えんぴつを使って「さっき見た景色」を描いていると、のぞき込んだ母親がすっとんきょうな声を出す。
「ちょっと、待って。か、漢字? ど、どうして?」
 私は、母と近所の商店街を歩いているときに見た、定食屋の食品サンプルの絵を描いていたのだが、その脇に立っていた「定食」というのぼりも、見た通りに描いていた。
 つまり、四角いのぼりのなかに正しく「定食」と、漢字で書き込んでいたのである。そのことに、母は驚いたのだった。
 私はただ、見たままの景色を描いただけで、母が驚いている姿に違和感を持ったことを、よく覚えている。

 3歳になって数ヶ月が経った夏、家族で長野県佐久市にある、父の実家へ遊びに行った。私はそこで、はじめてひいおばあちゃんに会った。
「よく来たねえ、れーなしゃん」
「まあず、しゃれた名前だ。かっこええねえ」
 顔はシワだらけで色黒く、差し出された手には、小指がなかった。
 小さいころ、農作業を手伝っていて爪からばい菌が入り、化膿して膨れ上がった小指を、やむをえず切断したのだそうだ。
「ばあしゃん、畑仕事でねえ、ヒョーショー(瘭疽)になってねえ」
 私は、ひいおばあちゃんを一目で気にいった。
 小指がないのもかっこよかったし、合わない入れ歯のせいで、発音が明瞭でない、独特の話し方も気に入った。
「れーなしゃん。ええ場所に連れていってやろうか? ほら、こっちこい」
 ひいおばあちゃんは、小指のないほうの手で私の肩を抱き、裏山を五分ほど歩いて、見晴らしのよい、大きな岩のある場所へ連れて行った。
 90歳を過ぎているとは思えない、しっかりとした足取りだった。
 大きな一枚岩の上に二人で腰かけると、前方に佐久の町が一望できる。
「れーなしゃんの家の近くにも、こんな場所があるかい?」
「ばあしゃんは、いつも一人であるって、ここに来るよお」
「高いところは、気持ちがしゅーっとするからねえ」

 ひいおばあちゃんの横顔は黒くてシワだらけだったけど、きれいだった。
 目を細めて、おそらくこれまで幾度も見てきたであろう光景を、まるで今はじめて見たというような表情で眺めている。
「ばあしゃんの、ひみつの場所。はっはっは」
 佐久の市街地の向こうには、浅間山が鎮座している。
 その山は、大きく、堂々としていて、見ているだけで心強くなるようだった。
 まるで、ひいおばあちゃんの存在、そのもののように、美しかった。
「お山が、きれいずら。れーなしゃん、どう? あのお山、好き?」
「れーなしゃん、話せないってねえ。かわいそうだねえ……」
「でも、話さないと、ばーしゃん、わからないねえ……」
 そのとき、私は強い衝撃を受けた。
 話さないと、わからない?
 ひいおばあちゃんはそう言った。今まで、誰もそんなこと言ってくれなかった。
 そうか、私がひいおばあちゃんを一目で気に入ったことも、目の前の浅間山が美しいと思っていることも、話さないとわからないのか……。
 それじゃあ私、しゃべらないといけない。
 しゃべるということの意味が、なぜかこのとき、ようやく腑に落ちた。

「お、お山。き、きれい」
「んにゃ? れーなしゃん、今、しゃべったかい?」
「おばあちゃん。す、すき」
「あっはっは! れーなしゃん、ばあしゃん好きか! うれしいねえ」
「おばあちゃん、お手々、かっこいい」
「れーなしゃん、しゃべったねえ、かあしゃん、きっと喜ぶよお」
「そう?」
「んじゃ、帰るべか。スイカが冷えてるよお。美味しいよ。食べるけ?」
「食べゆ」
「しょうか、しょうか。うんじゃあ、ばあしゃんとスイカ食べよう」
「うん」

 ひいおばあちゃんの家に戻ると、両親や親戚はあっけにとられた。
「玲奈が、ねえ、お父さん。玲奈が!」
「あ、ああ」
「しゃべっているわ! 玲奈、しゃべれるのね!」
「玲奈! まさか、お前。本当に……」
 両親は涙を流して喜んでいたが、私は早くひいおばあちゃんとスイカが食べたかった。
「おばあちゃん、ス、スイカ」
「ほいほい、今、切ってくるねえ」
 縁側でスイカを食べる私を見ながら、両親はずっと泣き続けていた。
「しちゅこい!」
 そう怒ると、両親はもっと泣いた。

 こうして、私は3歳を過ぎてしゃべるようになった。
 ただ、この日を境にしゃべるようになったということや、そのときに何をしゃべったかということは、さすがに、両親に聞かされるまですっかり忘れていた。
 私が覚えているのは、ひいおばあちゃんを一目で好きになったこと。伝えたい、という強烈な衝動……。一枚岩のあるひみつの場所、ひいおばあちゃんの横顔と浅間山。それから、泣き崩れる両親の様子だけである。
 それらは今も、目の前の写真集をめくるように、鮮明に思い出すことができる。

 そして、小学校に上がるころになると、私の記憶はさらに完全な形で、頭の中にファイリングされるようになった。
 それまでの記憶が写真であったとすれば、動画に変化したというところである。
 何年前のことであろうと、記憶が薄れることはない。
 よく、記憶が曖昧になるとか、薄れていくとかいうが、私が目にした光景はけっして〝混ざり合うことがない〟のだ。印象的な出来事であれば、よい記憶も、悪い記憶も、すべてがそのときのまま、頭の中のファイルに強制保存されてしまう……。

「玲奈ちゃん。お池の鯉さんに、エサをあげてくれる?」
 親戚のおばさんの家には立派な池があって、そこには10匹ほどの鯉が泳いでいた。
 母はおばさんとお茶を飲みながら、いつものようにぺちゃくちゃと、つまらないことをしゃべり続けている。
 小学生の私は目の前のケーキを平らげた後、手持ち無沙汰になり、親指をしゃぶって身体を前後に動かし始めた。
 指をしゃぶったり身体を揺するのは、私のクセだったが、それは「つまらない」「退屈」というシグナルでもあった。だから、それを見た母とおばさんは、池にでも行って遊んできたらいい、と考えたのだろう。
 言われた通り、玄関を出たところにエサの袋があった。
 袋を抱えて池にいくと、鯉が口をパクパクさせて寄ってくる。なんだか気持ちが悪いと思ったが、おばさんにたのまれたので、仕方がない。
 私は両足のあいだに袋を下ろすと、少しずつエサを取って、パラパラと池にまき始めた。
 鯉は、我先にとエサに食らいつく。
 のべつまくなしに動く鯉の口は、まるでおしゃべりな母の口のようだった。
 私は、やっぱり鯉は好きじゃないと思ったが、しぶしぶ、エサをまき続けた。
 気がつくと、抱えるほどあったエサの袋の底が見え始めている。
 もう少しでエサがなくなるけれど、なくなったら私はどうすればいいのだろう?
「エサをあげて」とは言われたけれど、エサがなくなったらどうしたらいいのか、わからない……。
 そのとき、母とおばさんが心配そうな顔をして池にやってきて、悲鳴をあげた。
「玲奈ちゃん! あなた、何をやっているの?」
「玲奈、こら! いけません!」
 母とおばさんは、エサで水面が覆い尽くされた池を見て怒った。私はおばさんに言われた通り、エサをあげていただけなのに、どうして怒られるのかさっぱりわからなかった。
「なんで、怒っているの?」
「あなた、池を見てもわからないの? 鯉さんが見えないじゃない。これじゃあエサで窒息しちゃうわよ!」
 たしかに、水面には茶色いエサしか見えない。
 でも、エサをあげてと言われたから……。
 おばさんが、あわてて網で水面のエサをすくい始めた。
 その様子を見ながら、母は私にこう言った。
「玲奈、物事には加減というものがあるのよ。わからないの?」
「加減って、なあに?」
「ちょうどいい、ってことよ!」
「……」
「あなたはね、エサをあげすぎたの。これじゃあ鯉さんも喜ばないわよ!」
 だったら、〝どれくらい〟エサをあげたら鯉が喜ぶのか、最初に教えてくれたらよかったのに……。

 その夜、母と帰宅すると、父はすでに休日出勤から戻って、一人で酒を飲んでいた。
 商社の仕事は、ただでさえ激務だ。その日は日曜にもかかわらずスーツを着て、さしずめ嫌なことでもあったのだと思う。
 ふだんはほとんど酒を飲まない父が、ずいぶんと出来上がっていた。
 真っ赤な顔をした父は、いつもはかけない黒縁の老眼鏡をかけて、熱心に新聞を読んでいる。
「あら、あなた早かったのね!」
「ああ」
「あなた、聞いてよ。今日ね、礼子の家でこの子、池をエサでいっぱいにしちゃったのよ」
「エサ?」
「そう、礼子が鯉にエサでもあげておいでって言ったら、この子、一時間たっても帰ってこないじゃない? 心配になって見に行ったら、池がエサだらけ」
「……」
「あなたも、なんか言ってやってくださいよ」
 父は、老眼鏡ごしに私をギロリとにらんだ。
 あんな父の表情は、はじめてだった。
「玲奈、礼子おばさんに迷惑をかけたのか?」
「エサをあげてって言われたから、あげただけだよ……」
「何? 玲奈、父さんに口答えするのか!」
「お、お父さん、ちょっと、もういいですよ……」

 母があわてたときには、もう遅かった。
 父は、私の胸ぐらを掴み、声を荒らげた。
「いつも……。いつも、そうだ……」
「ちゃんとしろ、もっとちゃんとするんだよ!」
 酒で紅潮した顔をさらに赤くして、老眼鏡がずれるほどの勢いで、父は私を突き飛ばした。
「お父さん! やめてください!」
「仕方ないだろ! 何度言ってもわからないんだから!」
 突き飛ばされた私は、ダイニングテーブルの角に背中を強打し、息ができなくなった。
「あ、あ……」
「ヤダ! あなた何するのよ、玲奈、大丈夫?」
「あ……あ……」
「玲奈!」
 父は、無言で部屋を出ていった。

 酒臭い息。紅潮した顔。黒縁の老眼鏡。怒号。息ぐるしさ……。
 私は今でも、その一つひとつを、1ミリも忘れることができない。
 温厚な父が私に暴力を振るったのは、あの日が、最初で最後である。
 ところがそれ以降、私は街中で黒縁のメガネをかけた男性を見かけると、必ずあの光景を思い出すようになってしまった。
 呼吸が浅くなり、その場にしゃがみこんで親指をかみ続ける。
 そのたびに、母は私の背中をなでて、
「もう忘れなさい、お父さんも反省しているんだから」
 そう言った。
 しかし、記憶が薄れることはない。
 大人になってからは、さすがに親指をかんだりしゃがみこんだりすることはなくなった。それでも、黒縁のメガネをかけた中年男性を見かけたとき、満員電車で酒臭い男の息を嗅いだとき、私は今でも軽いパニックに陥る。
 呼吸が浅くなって貧血を起こし、目がチカチカして、倒れそうになるのだ。

「──もう忘れなさい、お父さんも反省しているんだから」
 忘れたい、忘れられるものならば……。

 松方玲奈の物覚えのよさは、よいとか悪いとか、そういう類のものではなかった。
 興味のあること、印象的な出来事であれば、まるでビデオカメラで撮ったかのように、頭に映像として残してしまう。
 たとえば、ドラッグストアで買い物をしたときのことだ。
 風邪ぎみだった玲奈は、家にこもるための準備をしようと、葛根湯にカップ麺、マスクにドリンク、冷却シートなど、大量の品をカゴに入れてレジカウンターに立った。
 熱が出始めたのか、ぼうっとした頭でカバンから財布を出し、レジのディスプレイに目をやる。店員がスポーツドリンクのバーコードを読み込んだとき、ふとディスプレイに表示された「¥179」という数字が気になった。
「ん?」
「どうされましたか?」
「それ、177円ではないですか?」
「はい? いえ、レジを通していますし……。一本179円ですが、おやめになりますか?」
「いえ、そうじゃないんです。このドリンク、一本177円のはずですけど」
「ですから、レジを通していますので、間違いはないかと」
「いえ、棚には一本177円と書いてあったはずなんです。べつに、ケチって言っているわけではなくて……」
 レジの女性とのやり取りを目にした店長の男性が、駆け寄ってくる。
「お客さま、どうされました?」
「いや、値段が違ったので、なんとなく気持ちが悪くて……」
「いやあ、レジを通してますからね、間違いはないかと思いますが……」
「……でも、棚にはそう書いてあったんです」
「少々、お待ちください。確認してまいりますね」
 しぶしぶドリンクの棚に向かった店長が、すぐに作り笑顔を浮かべて戻ってきた。
「すみません、確かに表示は177円になっておりました。表示のミスでしたね。お会計は177円とさせていただきます。申し訳ありませんでした……」
 ドラッグストア側の誤表記だった。
 やり取りをすませて、店を出ようとしたとき、ささやき声が耳に突き刺さった。
「あの人、まるで機械ですね……」

 人の声も、匂いも、姿も、必ず以前の「何か」を思い出させる。
 さまざまな色や数字、形が目に飛び込んできて、頭がクラクラする。
 だから、デパートや電車のような、人や物の多い場所が苦手だ。
 あらゆる記憶が波のように押し寄せてきて、耐えられなくなる。
 それでも、仕事だけはそつなくこなしているつもりだ。
 父親の勤めていた商社で、事務職に就いて久しい。
 年齢的にもキャリア的にも、いわゆるお局様というヤツだが、周囲とは必要最低限の関わりしか持たないので、とくに問題はない。
 数字に強く、書類上の間違いには必ず気づくので、会社からはそこそこ重宝されていると思う。
 その代わり、歓送迎会、新年会、忘年会、打ち上げなどの類いには、いっさい出席しない。休憩時間には、社食の壁に向かった席で、ボーズのノイズキャンセリングイヤホンで音楽を聴きながら、一人で弁当を食べている。
 いろいろな人の声が聞こえてくるので、うるさいのだ。
 声だけではない。黒縁のメガネをかけた男性社員もいる……。
 変わった人だと思われていることは、知っている。
 先日、近くの席の新入社員が、電話でしどろもどろになっている様子を見て、あまりに微笑ましく、思わずクスッと笑ってしまった。
 すると、となりの席の後輩が、驚いた様子でこう言ったのだ。
「松方さんって、笑うこともあるんですね!」
「いや、すみません、ちょっと驚いたもんで……」
「悪く思わないでくださいよ」

 そうか。
 私は、そんな風に思われているのか……。
 それも、おかしくないだろう。
 仕事上、必要最低限の会話しかせずに、休憩時間も一人。
 そんな生活を十数年も続けていれば、そう思われるのも仕方がない。
 つとめて平静を装い、パソコンの画面に目を向けたが、後輩の言葉が頭の中でリフレインし続ける。
「松方さんって、笑うこともあるんですね!」

 あたりまえじゃない。
 私だって、機械じゃないんだから!
 うれしいことも、悲しいことも、ちゃんと、あるんだから……。

 心の中でつぶやきながら、落ち着きを取り戻そうと、カバンから化粧ポーチを取り出して、席を立った。
 トイレの個室に入ると、ポーチを開けて櫛を取り出す。
 美しい螺鈿細工が施された、かまぼこのような形の古い櫛。
 大好きだった、ひいおばあちゃんの形見……。

 ヒョーショーで小指をなくしたひいおばあちゃんが亡くなったのは、小学校四年生の初夏だった。
 夜半を過ぎて、電話がリリリリと鳴ったとき、私はなぜか、
「出ないで!」
 と叫んだ。
 母は、眠そうな目をこすりながら、
「何言っているの? ずっと鳴っていたら、うるさいでしょう」
 そう言って受話器を取り、すぐに顔色を変えたことを覚えている。
「あなた! 佐久のおばあちゃんが、亡くなったわよ!」
 やっぱり……。
 だから、出ないでと言ったのに……。
 夜半を過ぎてかかってくる電話は、不吉だ。

 その電話があった日、一人で小学校から帰る途中、ビロードのように美しい羽を持つ青い蝶があらわれて、私のまわりをグルグルとまわり続けた。
 光るような青色の羽に見とれて、私はその場に立ち尽くす。
「なあに? 私に、何かご用?」
 その蝶は、私のことを気にかけているように思えた。
「大丈夫、玲奈、元気だよ」
「ちょうちょうさんも、元気でね」
 なぜ、そんなことを言ったのか、今でもわからない。
 でも、私が大丈夫だと言うと、しばらくして蝶はどこかに飛んで行った。
「ちょうちょうさん、バイバイ!」
 そのとき、私は学校の下校時にもかかわらず、その日はじめて口を開いたことに気づき、やるせない気持ちでいっぱいになった。
「大丈夫、だからね……」

 訃報を受けた翌朝、父の車で佐久へと向かった。
 一年ぶりに対面したひいおばあちゃんは、すでに冷たくなっていたが、ほんのり化粧をしてもらって、白いお棺の中で眠っていた。
 なんでも昨日、昼食をしっかりと食べた後、「少し疲れたので横になる」と言って、自室のある離れへ向かったらしい。
 そろそろ夕飯ということもあり、親戚がひいおばあちゃんの様子を見に行くと、布団の中で眠るように亡くなっていた、ということだ。
 ひいおばあちゃんは、ちょうど100歳を迎えていた。

「玲奈ちゃんのことね、ばあちゃん、いつも心配していたのよ」
「心配?」
「うーん。心配というか、どうしているかな? っていつもね」
「そうなんだ……」
「学校は楽しいかねえ、とか、大きくなっただろうねえ、とか」
「うん」
「ばあちゃん、玲奈ちゃんが、だいすきだったからね」
「……」
「ウソのない、素直な子だって、言っていたわ。さあ、ご挨拶してあげて」

 棺の中をのぞき込むと、私は涙が止まらなくなった。
 私を、心から好きでいてくれた人。
 私に、へんな気を遣わなかった人。
 私のことを、なんでも見抜いてしまった人……。

 昨年の夏、最後にひいおばあちゃんと話したとき、
「私、友達が多いのよ。100人以上いるんだから!」
「仲のいいお友達と交換日記をしていて、面倒なんだよね」
 思わず、そんなウソを、ついてしまった。
 大好きなひいおばあちゃんを、喜ばせたかったのかもしれない。
 だけど、ひいおばあちゃんには、すべてがお見通しだった。
「そうか、れーなしゃんはお友達がたくしゃんおって、いいねえ」
 なぜか寂しげな顔で、ひいおばあちゃんは言った。
「れーなしゃん。お友達は、たくしゃんいなくても、いいんだよお」
「れーなしゃんは、うんと、いい子だよ」
「ばあしゃん、れーなしゃんが、だいすきよお」
 がっちりとした身体で私を抱きしめてくれたとき、
「──ウソをつかなくても、いいからね」
 そう言われた気がして、思わず涙ぐんだことを、昨日のことのように覚えている。

 親戚のおばさんが、亡くなったばかりだけど形見分けにといって、ひいおばあちゃんの私物をいくつか持ってきた。
 その中に、黒塗りの螺鈿細工が施された櫛があった。
 私が、思わずその櫛を手にとると、
「ああ、その櫛はね、ばあちゃんの嫁入り道具だったみたい」
「まあ、畑仕事ばかりで、使うことはほとんどなかっただろうねえ」
「玲奈ちゃん、それにしなさい。大切にしてあげてね」
 おばさんはそう言って、そんな高価なものは悪いからという母の言葉を無視して、私に櫛を押し付けた。
 それ以来、その櫛が私の心の安定剤になっている。
 櫛を手に取ると、ひいおばあちゃんの声が聞こえてくる。
「れーなしゃんは、うんと、いい子だよ……」

 そんなひいおばあちゃんの形見を胸に、トイレの個室でしばらく泣いた。
 ストッキングをはいた膝に落ちる涙を見て、
「やっぱり私は、機械じゃない」
 そう思った。

 トイレの鏡で化粧を直してから、何食わぬ顔でデスクに戻る。
 櫛の入った化粧ポーチをカバンにしまっていると、さっきの同僚が近寄ってきた。
「松方さんって、笑うこともあるんですね!」
 さっき聞いた言葉が、頭の中によみがえる。

「あの……」
「はい?」
「大丈夫でしたか? 気分悪くされましたよね」
「いえ、大丈夫ですよ」
「あの……」
「な、なんですか?」
「無理強いをするつもりは、ないんですけど」
「はあ」
「もしよかったら、さっき笑ってたヤツの歓迎会、来てもらえませんか?」
「私、そういうのは……」
「アイツ、松方さんに憧れているみたいなんですよ」
「はい?」
「仕事ができるし、クールビューティーだとか言って」
「……」
「あ、また気分悪くされました? すみません!」
「フフフ」
「松方、さん?」
「フフフフ、おかしい。クールビューティーって、何よ」
「すみません!」
「いや、おかしいの。私のこと、そんな風に言ってくれる人、はじめてだったから」
「はあ……じゃあ……」
「考えさせて、ください」
「ありがとうございます!」

 玲奈は、思いがけぬ自分の言葉に、戸惑いを隠せなかった。
 柄にもなく、胸を高鳴らせている自分がいる。
 やっぱり、私は機械じゃない……。
「まあ、いいわ。なるようになるわね……」
 なんとなく、流れに身を任せてみようと思った。

 ふと窓の外を見ると、ビルの12階だというのに、青い蝶がひらひらと飛んでいるのが見えた。

***

このCASEのアスペルガーあるある

記憶する女
□ 記憶力がかなりいい
□ 加減ができない
□ 人の多く集まる、ガヤガヤとした場所が苦手
□ まわりの音に敏感
□ 自分がどういうふうに周囲から見られているか、気づかない
□ 人間味のない、機械のような存在だと誤解されることがある
□ 一人で行動することが多い


以降の章では、ハタイクリニック院長 西脇俊二先生による医療的な解説も紹介しています。

<収録内容>
はじめに
CASE 1 記憶する女
 松方玲奈(38)の物語
CASE 2 こだわりの強い男 西田礼次郎(40)の物語
CASE 3 喜ばれたい女 清水沙希子(29)の物語
CASE 4 婚活の終わらない男 伊藤尚也(42)の物語
CASE 5 演じ続ける女 山田理沙(17)の物語
CASE 6 愛を表現できない男 田中孝司(37)の物語
CASE 7 捨てられない女 菅原さおり(28)の物語
CASE 8 部屋から出ない男 碇祐太(17)の物語
解説 ハタイクリニック院長 西脇俊二
「彼らの生きづらさの根底にあるもの」

著:国実マヤコ/医療監修:西脇俊二
明日も、アスペルガーで生きていく。
紙書籍定価 ¥1,200+税 / 電子書籍価格 ¥1,000+税
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