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帰ってきたけど、もしかしてオレ、お呼びじゃない?〈介護幸福論 #2〉

ベテラン競馬ライター田端到さんが綴る自身の介護奮闘記。シリアスな日々の中にあった幸福をえがいていきます。新連載「介護幸福論」第2回。母から1本の電話を受け、数年ぶりに長岡に帰郷。そこで待ち受けていた現実、不安と難題とは。

#1はコチラ↓

■「黄色ずん」だ母と「クモの巣」

 実家へ帰ってみて、事態の深刻さをあらためて知ることになる。

 久しぶりに会った母の顔は、黄色ずんでいた。日本語としては「黄ばむ」のほうが正しいのかも知れないが、ぼくの印象は「黄色ずむ」だ。医師の診断書には「具合が悪くなったら、救急車を呼んで病院へ来るように」との注意書きがされていた。これは軽い肺炎ではない。

 こんなとき、普通ならネットで「肺炎 黄疸」などと入れて検索するところだろう。しかし、70代後半のおじいちゃんとおばあちゃんが二人で暮らす田舎の家に、パソコンやインターネットという便利な文明は開通しておらず、あるのは母の「らくらくホン」(中高年向けのシンプル機能のケータイ)くらい。

 ぼくも当時はガラケーしか持っていなかったから、欲しい情報がすぐには得られない。毎日、当たり前にネットを使っていた人間がネットのない環境へ行くと、言葉にしろ地図にしろ、こんなにも不便なのかと実家に着いて数時間で気付いた。グーグル帝国のありがたみは、グーグルのない海へ放り込まれればわかる。

 もうひとつ深刻だったのは、想像以上の父のボケっぷりである。
 母がこれだけ重篤な病気にかかっているというのに、状況をまるで理解していない。数年ぶりに帰ってきた息子にも「おお、どうした、何しに来た?」と、きょとんとしている。最初から息子と判別できていたのかすら、あやしい。
 ふと見上げると、居間の天井の隅にはクモの巣が張っていた。父がまともなら、こんなことはありえない。
 4、5年ぶりの帰省には、なつかしさとか、敷居の高さとか、その種の感情がわいてくる隙間もなかった。

 母については、その日のうちに入院の手続きをとった。家から遠くない場所に大きな総合病院があり、日頃からかかりつけの近所のお医者さんの紹介状などもあってスムーズに入院することができた。

 ひとまず母は病院に任せるしかない。あとは医師や看護師にゆだねて快復を願うのみだ。

 問題は父である。認知症が進んでしまった父の処遇をどうするか。そこへケアマネジャーと呼ばれる推定40代の女性が現れた。

 ケアマネジャー、通称ケアマネ。正式には「介護支援専門員」と呼ばれる資格職で、介護や支援の必要な人のケアプランを作成したり、介護サービス事業者との連絡や調整をしてくれる。数ヶ月前から父の担当に付いている人で、母があらかじめ呼んでおいてくれた。

■「トクヨウ」って徳用?得用?

 ケアマネジャーさんが、聞き慣れない単語を多数まじえながら説明する。
「お父さまは、ショートステイでしばらく見てもらうしかないと思うんですね。ただ私もあちこちあたってみたんですけども、なにぶん急な話でしょう、どこのトクヨウも空きがなくて、うちの関連施設はあそことあそこにあるんですけども、どこもいっぱいで、すぐには難しいんですね」

 ショートステイ? トクヨウ? どうにか理解しようとするが、意味がわからない。
 ショートステイはたぶん「短期滞在」だろう。でも、トクヨウってなんだ? 徳用? 得用? 箱売りのチョコレートや業務用サランラップばかり浮かんでしまい、頭の中をクエスチョン・マークが駆けめぐる。

 ケアマネさんの説明は続く。
「でも、週末になりますと、ショートステイに空きが出るところがあります。ですから、週末だけそこにお願いして、しばらくの間、お父さまを預かってもらえるよう手配しておきましたので、それでよろしいでしょうか」

 それまでは介護にまつわるニュースをテレビや新聞で目にしても、ずっと他人事だと思っていた。
「介護疲れの末に、80歳の夫が認知症の妻を絞殺」なんていう悲しすぎる事件を聞いても、それを身近な出来事として取り込むこともなく「大変だねえ」で済ませていた。だから、この種の福祉・介護関連の単語や仕組みが全然わからない。

■つのる不安。父とは長年不仲だった

 病気の母の手助けをするため、仕事もほっぽり出して実家へ帰ってきたのに、ひょっとしたら自分は何の役にも立たないのではないだろうか。
 もしかして、オレ、お呼びじゃない? ケアマネジャーの話を聞いているうちに、どんどん不安になっていく。

 ショートステイは「施設の短期入所」で合っている。トクヨウは「特養」、特別養護老人ホームの略称だ。

 ケアマネの話を要約すると、父は週末だけ介護施設に預かってもらえることになった、あとはあなたが面倒を見てあげてください、それで良いでしょうかという提案だった。

 ただし、きわめて個人的な難題も存在した。母が入院している間、ぼくが父の世話をしながら、ひとつ屋根の下で暮らすという、その恐ろしいミッションである。

 ぼくがほとんど実家に帰らなかった理由。父の現状をろくに知らず、介護のニュースも身近に感じられなかった理由。

 それはぼくと父親が長年、折り合いが悪く、はっきり言えば不仲だったからだ。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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