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フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生まれた。

ArtDailyは2020年03月13日に、フランスのバロック様式の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour/1593 - 1652)が、ロレーヌ公国(Duché de Lorraine)の小さなカトリックの町モーゼル県ヴィック=シュル=セーユ(Vic-sur-Seille, Vic-sur-Seille, Moselle)で、1593年03月13日にパン屋のジーン・デ・ラ・ツアー(Jean de La Tour/? - ?)とシビル・デ・ラ・ツアー(Civil de la Tour)の息子として生まれたと言われていると報告した。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの妻はダイアン・デ・ラ・トゥール(Diane de La Tour/? - 1652)で、二人の間には息子のエティエンヌ・ド・ラ・トゥール(Étienne de La Tour/1621 - 1652)がいた。

ロレーヌ公国は現在のフランスのロレーヌ(Lorraine)地方北東部、ルクセンブルク(Luxembourg)およびドイツの一部からなる歴史的公国である。

そのため、ロレーヌ公国は、ドイツ語でロートリンゲン公国(Herzogtum Lothringen)とも書かれる。

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彼は、ほとんどの生涯をロレーヌ公国で過ごし、1641年から1648年までは、フランスに吸収されていた時期であった。

1617年に彼は小貴族のダイアン・ル・ネルフ(Diane Le Nerf)と結婚し、同じロレーヌ地方の町リュネヴィル(Lunéville)に移住して活動した。1620年には弟子がいたことがわかっており、この頃にはすでに、画家としての地位を確立していたようである。

この頃の画家の多くは、イタリアなどの外国を遍歴し、修行したが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが、イタリア等に滞在したという確かな証拠は、現在も見つかっていない。

しかし、彼は、「夜の画家」と呼ばれ、ろうそくの明りを描くのを得意として、明暗の対比を強調することから、カラヴァッジョの影響があるとも言われている。

この時代は、ヨーロッパ・バロック美術の全盛期であり、フランス画壇では古典主義の大家ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin/1594 - 1665)が活動していたが、ロレーヌのような地方では、パリやローマのような都会とは異なった独自の画風をもった画家たちが存在していたことが明らかになっている。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品には、聖書に題材をとったものも多く、それらは、夜の情景を描いたものが多い。画面のかなりの部分を闇で占め、人物を照らす光はろうそく、たいまつなどの単一の光源から光が差し、「明」と「暗」の対照が見られる作品になってる。

また同時にいかさま師や女占い師のような風俗画系統のものも多い。

彼は、1638年にはパリに出て、フランス王ルイ13世(Louis XIII/1601 - 1643)から「国王付画家(Painter to the King)」の称号を得ている。

今回公開された絵画は、彼が、ろうそくの明りにより明るくされた宗教の明暗法現場を描いた。

生前は、著名な画家で、ロレーヌ公爵のために働き、地元のブルジョアジーが主な市場を提供し、ある程度の豊かさを達成したが、1652年01月15日に妻のダイアン・デ・ラ・トゥールが死に、1652年01月22日に息子のエティエンヌ・ド・ラ・トゥールも死に、画家本人も1652年01月30日に後を追うようにルネヴィル(Lunéville/古い地名はルナエ=ヴィラ/Lunae-villaと言われ、月を意味するlunaが含まれ、最初にこの定住地として歴史に登場したのは10世紀といわれている)で亡くなった後、1915年にドイツの学者であるヘルマン・ヴォス(Hermann Voss)によって再発見されるまで、ラトゥールの作品は忘れられていた。

ラトゥールの作品の一部は、19世紀に再発見されたたとき、実際にはオランダの芸術家フェルメール(Vermeer)と混同されていた。

そして、ピーター・グリーナウェイ監督(Director Peter Greenaway)は、ラ・トゥールの作品が彼の1982年の映画「ドラフトマンの契約(The Draughtsman's Contract)」で主要な影響を与えたと説明している。

また、ラ・トゥールの妻は、2003年のフランシス・ヴェーバー(Francis Veber)の映画「ル・ディナードゥ・コン(Le Dîner de Cons)」に登場している。

ラトゥールによるとされる作品への言及は、2003年のマーチャント・アイボリー(Merchant Ivory)の映画「 Le Divorce 」で顕著に取り上げられている。

さらに、「マグダラの煙の炎(Magdalene with the Smoking Flame)」は、ディズニーの1989年の映画(Disney's 1989 film)「リトルマーメイド(The Little Mermaid)」で「 世界の一部(Part of Your World)」を歌いながら、火について知りたいと切望するアリエルの洞窟(Ariel's grotto)の絵で使われている。

20世紀になって、17世紀フランスのバロック画家の中で最も高く評価される画家の一人になった。

Wikimedia Commonsは一時、「マグダラの煙の炎(Magdalene with the Smoking Flame)」を「懺悔するマグダラ(Penitent Magdalene)」と、間違えて表記していた時期があった。

モーゼル県ヴィック=シュル=セーユ(Vic-sur-Seille, Vic-sur-Seille, Moselle)の緯度、経度

48°46'56.2"N 6°31'47.5"E

または、

48.782267, 6.529864

ルネヴィル(Lunéville)の緯度、経度

48°35'27.6"N 6°30'03.1"E

または、

48.590992, 6.500856

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