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日本の画家で、彫刻家の村上隆(Takashi Murakami)が生まれた。

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ArtDailyは2022年02月01日に、日本の現代アーティストである村上隆(Takashi Murakami/1962 - )が、タクシー運転手で画家、福岡県出身の父親村上福壽郎とその妻の子として東京都板橋区で1962年02月01日に生まれた。

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村上隆は、カイカイキキ株式会社の創設者兼社長であり、それを通して数人の若いアーティストを使い、年2回のアートフェアGeisaiの創設者で主催者である。

カイカイキキはアーティスト村上隆個人の作品制作スタジオから端を発し、アートを中心に派生する事業のマネジメント、ギャラリー運営まで規模が拡大し、現在は日本国外の支社社員も含め、常時スタッフ250名前後、専属外注業者100名前後で構成される。

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カイカイキキ創業者の村上隆は、「東京芸術大学大学院博士課程研究発表展:村上隆展」を1991年に開催した。基本的には大学の校舎内の制作教室が制作所であったが、現代美術的作品を制作し始めてからは、素材業者、アッセンブル業者を探し、合体し、ランドセル、バルーン、巨大オブジェ等、レディーメイド的な作品を制作していた。

そのため、アパートの一室で連絡をし、1日の大半は外回りをして作品の完成は展示会場で初めて見る、という形式となっていた。細かい作業は外注出来ないため、予備校の教え子達をボランティアスタッフとして、集団制作を開始した。

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これは、「芸術家=孤高の個人主義者」という認識が大多数を占める日本美術界では特殊と受け取られ、多くの反発を生み、今もその逆風にさらされている。

https://time-az.com/main/detail/63086

彼は子供の頃からアニメやマンガが大好きで、アニメーション業界で働くことを望んで、東京藝術大学に通い、アニメーターになるために必要な製図技術を習得したが、最終的には日本画を専攻した。

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しかし、日本画の世界は、孤立した非常に政治的な世界に幻滅し、より現代的な芸

術スタイル、メディア、戦略を探求し始めた。

彼は、日本の現代美術の現状に「西洋のトレンドを深く流用している。」と不満を持っていたので、彼の初期の仕事の多くは、社会批評と風刺の精神で行われた。

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悪名高い彫刻「My LonesomeCowboy」は、金髪のとがった髪の裸のアニメキャラクターの彫刻で、彼を取り巻く精液のらせん状の跡がある作品は、2008年にSothbyeのニューヨークオークションでUS$13,500,000で販売され、村上隆の作品でこれまでで最も高価になった。

1994年、村上はアジアン・カルチュラル・カウンシル(Asian Cultural Council)からフェローシップを受け、ニューヨーク市で開催されたPS1インターナショナル・スタジオ・プログラム(PS1 International Studio Program in New York City)に1年間参加した。

アメリカの美術状況を理解し、独自の作品を造るにはレディメイド的な作風であるとアメリカの作家に見劣りすることを感じ、手作業での細かい作業も大事であるとし、ハンドメイドな絵画作品を制作し始めた。

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滞在中、彼は西洋の現代アーティスト、アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)、ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)などのアーティストのシミュレーションに触れ、非常に刺激を受け、彼は小さなスタジオを設立し、ヒロポンファクトリー(Hiropon Factory)と共に彼の会社カイカイキキの前身となった。

彼は、戦後の日本に信頼できる持続可能なアート市場がないことへの不満を早い段階から表明してきたことから、まず西洋美術の世界に身を置き、日本に帰国後、彼は彼の芸術的実践の背後にあるコアコンセプトとして、新しいタイプの美術市場を構築するという戦略を策定し、ヨーロッパとアメリカの主要なギャラリーや機関で定期的に展示を始めた。

彼自身の日本の文化と歴史に根ざしているが、それでも国際的に新鮮で有効なものを作るために、彼は「ユニークな日本人」と見なすことができる何かを探し始めた。

「ハイ」アートの要素はせいぜい混乱していると結論付けた後、彼は日本の「ロー」文化、特にアニメやマンガ、そしてオタクのより大きなサブ・カルチャーに焦点を合わせ始めた。

しかし、既に膨大な数の漫画家が日本にはいたが、ところが、漫画をアートにした人がいなかったことに気がついた。

さらに、それを大きな視点でのアートにした人も皆無であった。

彼はそれに気がついた。

私は、彼がすごいと思うのは、そこに気がついて、実行したことである。

そして、それを実現するために、素材にこだわることを放棄した。つまり、キャンバスと筆を捨てた。必要になれば、また拾えばいい。

彼は、絵画や彫刻などの純粋アートのメディアだけでなく、ファッション、商品、アニメーションなどの商業用メディア などに侵入し、高品位のアートと低俗なアートの間のラインをぼやけさせたことで知られている。

その関連として、彼は、日本の芸術的伝統の美的特徴と戦後 の日本の文化や社会の性質の両方を表して、2000年に、村上隆はロサンゼルス現代美術館(Museum of Contemporary Art, Los Angeles)でキュレーションしたグループ展のカタログに「スーパーフラット(superflat)」という言葉を作り出し、理論を発表した。

この理論では、日本のマンガとアニメの美術史から、フラットな2次元画像の遺産であると仮定している。

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今回公開された写真は、村上隆のインスタレーションとして2017年06月06日から09月24日までシカゴのMCA Chicagoで開催された「The Octopus Eats its Own Leg(自分の足を食うタコ)」Photo: Nathan Keay, © MCA
である。

有限会社カイカイキキ元麻布本社の緯度、経度。
東京都港区元麻布2-3-30元麻布クレストビル2F
35°39'14.1"N 139°43'37.8"E
または、
35.653911, 139.727164

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