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イタリア・バロックの画家グエルチーノが生まれた。

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ArtDailyは2022年02月08日に、イタリア・バロック(Italian Baroque)の画家で、エミリア(Emilia)、ローマ(Rome)そしてボローニャ(Bologna)で活躍し、製図家でもあったジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエリ(Giovanni Francesco Barbieri/グエルチーノ/Guercino/イル・グエルチーノ/il Guercino/1591 - 1666)は、ボローニャとフェラーラ(Ferrara)の間に位置するエミリア地方のポー平原(Po Valley)にあるチェント(Cento)という村で1591年02月08日に農民の家庭で生まれたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/63175

グエルチーノは、独学であったが、子供の頃から絵を描く才能を示していたため、16歳のとき、ボローニャ派の画家であるベネデット・ゲナリ(Benedetto Gennari)の店で見習いとして働き、父親からバスティア(Bastia)とボローニャ(Bologna)で絵を学ぶために送られ、ボローニャでは、ルドヴィコ・カラッチ(Ludovico Carracci/1555 - 1619)の作品を学び、彼はカラッチの称賛を勝ち取っていた。

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ルドヴィコ・カラッチは1585年に、従兄弟のアンニバレ・カラッチ(Annibale )、アゴスティーノ・カラッチ(Agostino Carracci,)とともに、いわゆる折衷的絵画アカデミー(Eclectic Academy of painting/アカデミアデッリ・インカムミナティ/Accademia degli Incamminatiとも呼ばれ)の創設者と監督(カポシンダコ/caposindaco)となったが、これは実際には弟子の助手がいるアトリエであった。

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しかし、このアトリエは、エミリ(Emilian)出身の画家たちをローマや他の場所で活躍させ、16世紀後半のいわゆるボローニャ派(Bolognese School)のアルバーニ(Albani)、グエルチーノ(Guercino)、サッキ(Sacchi)、レーニ(Reni)、ランフランコ(Lanfranco)、ドメニキーノ(Domenichino)らを後押しすることになった。

カラッチは、自然観察や自然なポーズを重視した習作を弟子に描かせ、人物は大胆なスケールで描かせた。
ルドヴィーコ・カラッチは特にジャコモ・カヴェドーネ(Giacomo Cavedone.)の育成に力を注いだ。カラッチ一家は、形式主義的なマニエリスムにおされがちなイタリア美術、特にフレスコ画を再活性化させたと言われている。カッラーチ自身の作品は、大らかな身振りと光のゆらぎがもたらす強いムードが特徴で、精神的な感動を呼び起こしている。

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ルドヴィコ・カラッチは1619年に、ボローニャで没している。

初期の作品としては、1615年から1616年の作品であったチェントのカーサパンニーニ(Casa Pannini in Cento)で、フレスコ画が残っている。それは、彼の風景の自然主義がすでにかなりの芸術的独立を明らかにしている。

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彼は常に、彼の初期のスタイルが、愛情を込めて「ラ・カラチーナ(La Carraccina)」として知られ、チェントのカプチン教会(Capuchin church in Cento)のためにルドヴィコ・カラッチが描いたマドンナの研究に影響を受けたことを認めていた。

彼の母親エレナ・ギゼッリーニ(Elena Ghisellini)と画家のグエルチーノ、ラゴット犬が一緒の肖像で、パオロ・アントニオ・バルビエリ(Paolo Antonio Barbieri)が描いた絵が残っている。

この時代に、プライベートな絵が描かれたことは、非常に珍しい。

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彼は一般に、グエルチーノ(Guercino)または、イル・グエルチーノ(il Guercino)として知られ、それは「やぶにらみ」という意味で、彼が斜視であったことからつけられたあだ名であった。

彼の初期の技法と、精力的な自然主義は、彼の後の技法と、作品の伝統的な平衡で対比されると言われている。

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また、グエルチーノの初期のスタイルはチェントのアンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci/1560 - 1609)の影響を受けているが、後期の作品となると、彼と同時代の巨匠で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とするグイド・レーニ(Guido Reni/1575 - 1642)の作風に接近し、より明るく明瞭な絵を描くようになってゆく。

彼の多くの構図はそれらの光と、活発なスタイルのために言及される。

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今回公開されたデッサンは、ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエリが、1640年代に、まだグエルチーノと呼ばれていた時に、ヘラクレスを描くためのもので、3 1/4インチの長さである。Photo: Cecilia Heisser/Nationalmuseum.

エミリア地方のポー平原(Po Valley)にあるチェント(Cento)という村の緯度、経度。
44°43'53.5"N 11°17'26.9"E
または、
44.731531, 11.29081

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