見出し画像

「おやすみ。」の意味

私は、恋人に先に寝られるのが心底許せない女だった。

だった、というか、今でも時と場合によってその"ビョーキ"の症状が出る。
例えば現在夫は長期海外出張中なのだが、向こうから「おやすみ。」とメッセージが来ると、怒りと悲しみでしばらく返事ができない。私は自分に「お前はおかしい、お前はおかしい。」と言い聞かせ、必死に何でもないフリをして「おやすみ。」と返事をしている。

症状が一番ひどかったのは大学生時代、夫(になる人)と半同棲していた頃だ。「寝ないで!」という無茶な願望を喚き散らす私を彼は何とか宥めてから寝ていたし、私は彼が寝ると半泣きになって当時住んでいたアパートの屋上に一人で上がり、音楽を聞いて夜空を眺めていた。眠そうな彼が追いかけてきて「部屋に戻ろう。」と疲れきった様子で言うのだが、それを見た私は反省するどころか「何でそんなにめんどくさそうにするの?」と傷付いていた。

私が大学を卒業して就職してからは、遠距離恋愛になった。彼から電話で「おやすみ。」と言われても、私は返事をしなかった。さすがの彼も「どうして返事しないの?」と怒った。この頃の私はすでに自分の言動がどう考えてもおかしいことに気付いていたけれど、それでもその"ビョーキ"を克服することはできなかった。どうして「おやすみ。」を言われるのがそんなにも嫌なのか、自分でもよく分かっていなかったからだ。

そんなある日、いつものように「おやすみ、」と言われて黙ってしまった私に、彼が続けた何気ない一言が響いた。

「また明日ね。」

明日の約束をしてもらうことで、私の心は幾分か落ち着いた。もしかしたら私には、「おやすみ。」が「さよなら。」に聞こえているのかもしれない。だから「また明日ね。」と約束してもらうことで、安心するのかもしれない。そんな風に考えた。
でも、それだけでは私の怒りや悲しみが完全に消えることはなかった。夜だし眠いんだから寝るのは当たり前だと冷静に理解する自分がいる一方で、平然と「さよなら。」を言う彼をどうしても許すことができない自分がいた。

そしてそれは今の今まで続いていて、つい昨日も彼の「おやすみ。」が嫌で、私は気まぐれにその気持ちを伝えてみた。
すると彼は「俺は一緒に寝るっていうのが幸せなんだけどな。」と言う。その言葉に私は「それは"一緒に"というより"同時に"とか"隣で"とかだよね。寝てる君は私の知らないところにいて、それは"一緒に"いるわけじゃない。だから嫌。」と返した。「でもさあ、」と彼が言う。
「俺は君を隣に感じて寝てるわけで、単に寝てるのとは違う。俺は君と"一緒に"寝てるし、寝ていても"一緒に"いるつもりだよ。」

目から鱗が落ちた。

そう言えば、彼は二人の寝るタイミングがずれることをひどく嫌がる。大抵彼の方が先に眠くなるのだが、その時私の寝る支度が全然進んでいないと、機嫌が悪くなる。
彼は嫌なことがあっても私みたいに泣き喚いたりしないし、ずるずる引きずったりもしないから、あんまり気にしたことがなかったけれど。

同じだったんだ。
私は"相手を寝させまい"としていたし、彼は"相手も寝させよう"としていた。
でもそれはお互いの状況と考え方が違っただけで、その目的はどちらも"相手と一緒にいるため"だったんだ。

君も、私と、一緒にいたかったんだ。

何でもっと早く"答え合わせ"をしなかったんだろうと思った。彼にとって「おやすみ。」は「さよなら。」ではなくて、「一緒にいよう。」だったなんて。そんな風に考えたことは、私には一度も無かった。

「分かった。君と"一緒に"寝る。」
私がそう言うと、彼は「また明日ね。」とだけ言った。私は「一緒なら『おやすみ』でいい。おやすみなさい、また明日ね。」と返した。でも、何か違和感があった。彼は「おやすみ、また明日ね。一緒に寝るなら、『また明日』は変だけど。」と言った。そうか、それだ。
今度は「また明日ね。」が嫌な言葉になってしまった気がした。でももうそんなことはどうでもよかった。

これから先「おやすみ。」を言われたとき、どんな気持ちになるのかはまだ分からない。
でもきっと、今までよりずっと、大丈夫になる気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?