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朝食にみちばたのチャパティ

3/21までウガンダにいます🇺🇬

2024.03.04 月
アチョリの一年には、四季ならぬ三季がある。二度の雨季と一度の乾季である。目安としては、11~3月が乾季、4~7月が第1雨季、7~11月が第2雨季。3月上旬の今はマンゴーの木が小さな緑の実を、ネムノキが蝋燭のような赤い花をつけている。ねむの花は乾季の終わりに咲くんだよ、と地元の人に言われた。

ネムノキの花

まだ乾季のはずなのに、最近は毎日のように雨が降る。空気も湿っぽく、洗面所に干した洗濯物が乾かない。ちなみに、ウガンダでは乾季の終わりを告げるネムの花は俳句だと夏の季語になるらしい。ひとつの物が、場所によって違う季節の象徴になるのは不思議だ。

雨の日やまだきにくれてねむの花 

与謝蕪村



2024.03.05 火
レストランでホロホロチョウの行進に出会った。かわいかった🦃

キジの仲間だそうです。意外とレア



2024.03.06 水
食堂で昼食を食べていたら(鶏肉のトマト煮込み)、隣でドライバーのおじさんがお店の無愛想な兄ちゃんと話していた。

ドライバー「You don't have Pilau?(ピラウ[コメを炒めて具と炊いたピラフの語源になった料理]は置いてないの?)」
兄ちゃん「No, we don't have.(ないよ)」
ドライバー「You don't know how to cook?(作り方を知らないの?)」
兄ちゃん「We know, but we don't have.(知ってるけど、ないよ)」

笑ってしまった。ないものはないよね〜



2024.03.07 木
現代美術みたいな切り株を村で発見

どんな形の木だったんだろう?



2024.03.08 金
国際女性デー(Women's Day)でウガンダは祝日。

ひと月かけてようやく大江健三郎の「万延元年のフットボール」を読み終わる。前半が重くて、後半は加速するようにぐんぐん読めた。面白かった。やっぱり時間をとって本読まなきゃだめだよー。筋書きは複雑なのでさておき、大江さんは所収の「乗越え点として」という短いエッセーで次のように語っている。

それが毎月四〇〇字にして百枚ずつを書く、という仕方で文芸雑誌『群像』にこの長篇を連載してゆく、およそ悪戦苦闘の日々のうちに――(中略)、しかしそれを乗越えてみると、もう自分は死ぬまで作家として仕事を続けるはずだと、自然に覚悟がさだまっていたのでした。

大江健三郎. 万延元年のフットボール. 講談社文芸文庫, 2023(1988). p.81.

本作は大江さんにとって、作家として、ぐっと歯を食いしばって、越えなければならない「乗越え点」だったそうだ。人生に「乗越え点」があるという感覚は分かる気がする。自分にも少しはあったし、まだまだこれからだなとも思ったり。

この「乗越え点」は本質的に他者の評価と関係ないものである。大江さんの場合はたまたまそうして書き上げた本作が代表作になったけど、まったく評価されなくても乗越え点は変わらず乗越え点だったはずだ。

それはある意味すごく純粋な自分との勝負の感覚、「こうしたいからこうする」という清々しさである。負けても自分ひとりが責任を負うというのは贅沢だ。利己的でいられる贅沢というか。

日々仕事していると、あらゆる行動に理屈をつけ、小さく勝ちを重ねることだけを考えて、大勝ち・大負けを避けている自分に気づく。それは仕事が基本的に他人にサービスを提供してお金をもらうことで、自分のためにすることでないからだ。それも大切だけど、大バクチもいい。僕もまたそんな大勝負がしたいな。




2024.03.09 土
朝、通りがかった道端の屋台でチャパティを買う。チャパティは小麦粉・油・塩でできた揚げパンで、人間の食の欲望をぜんぶ詰め込んだみたいな食べ物だ。食べ物の例に漏れず揚げたてが最高。

1枚500シリング(約20円)
生地はふわふわ
じゅわーっと油で揚げます いえーい



2024.03.10 日
朝、名古屋の祖父と国際電話。フキノトウを取りに行ったそうだ。もうそんな季節かと思う。地球の裏側でも、こっち側でも、季節がめぐっていく。

午後は日本にいる同居人と話をした。春は焼鳥がいいね、と。寒さのゆるんだ街を歩き、煙でぼんやり曇る店内で、気にしなくてもいいくらいの値段の串をのんびり食べながら、言わなくてもいいことを言いたい。

みなさん、美味しいもの食べてますか? まずは良い日曜日を。来週もぼちぼち頑張りましょう💪

(おわり)

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