見出し画像

新卒でベンチャーに入った会社が東証一部まで成長したので振り返り

 はじめましての方ははじめまして、高橋和樹です。noteも初めて書くので、文章の拙さはご了承下さい。

2012年、大学を卒業し、そのときに数名だったテモナ株式会社に新卒で入社しました。
2019年4月12日、皆様のお陰様で、新卒で入社した企業で東証一部に上場することができた。
7年が経ちたくさんの経験をし、たくさんの思い出ができた。
その過程での経験をシェアしたいと思い、文章に残そうと思います。

新人時代

 数名のベンチャーではやることがたくさん。やろうとすればなんでもチャレンジできたし、私は率先してなんでもチャレンジした。
サポートの電話対応、営業訪問、セミナー講師、請求書作成。すべてが新鮮で楽しかった。チャレンジしている感覚ももちろんあったし、何より、業界の最前線で戦っているような感覚が気持ちが良くて没頭していた。

サポートの電話対応を経験することで、お客様がどんな課題を持って事業に取り組んでいるのかに真剣に向きあった。
営業を経験することで、自社の製品が売れる感覚を学ぶこととなった。
展示会に参加したときに、お隣さんの企業とバッチバチに喧嘩をしてしまった。
はじめての営業のお客様は、たくさんご迷惑をおかけしながらなんとか導入まで進めることが出来た。そのプロジェクトの振り返りでパートナーさんから社長あてに、「御社には良い新卒が入りましたね」とお褒めの言葉を頂いた。
エンジニアとして働き始めたあとにも、初心を忘れることなくチャレンジして、「2週間でできます!」って言ってプロジェクトに着手したら1ヶ月以上時間がかかってしまった。

 新人時代は、我ながら、1年目からアクセル全開だった。

リーダー時代

 仕事に情熱を持っていたし、体力もあったので、人一倍仕事をすることができたので、成果や実績があとからついてきた。 その御蔭で、リーダーの役職をもらうことになる。 開発チームは数名の組織だったので主にリーダーの役割は採用チームを率いることだった。

 結果として私のスキルが至らずで、採用チームは解散になった。

 仕事のスキルは足りないし、何より、リーダーシップを取れるだけの器がなかった。
 部活や、クラス委員や、応援団長など、リーダーの経験は多くあったが、会社の中で、リーダーシップを取るには、経験が足りなすぎた。
 メンバーのバックボーンも違うし、経験値も違うし、ゴールの不一致や、無限にある選択肢の中での決断など、部活動における関東大会に出場するなどの目標や、それに至るまでの戦略と大きく違う環境で、私は絶対的にスキルが足りなかった。
 この経験の中で、環境に合わせて自分を変化させていく(進化させていく)ことを本質的に理解することとなった。

暗黒時代

 創業のCTO(技術責任者)が社長として独立したことがきっかけで暗黒時代に突入することとなった。 具体的な状況としては、会社の戦略としてキャズムを超えるために、マーケティングやセールスに注力をし、アカウント数が増えていったので、会社の成長としては順風満帆だった。だが、社内としては組織の成長が追いつかずに、ずっと背伸びをしたまんま走り続けている状態だった。この負のスパイラルを何をもって抜けられるのか?に答えを出せる者がいない状況だった。

 結果として、CTOの中野さんが入社して、暗黒時代に一筋の光を見ることとなった。

 この間に、たくさんの課題やトラブルに向き合って、夜も眠れずに課題に取り組み、入社前の新卒に、「あんなにキラキラして見えた高橋さんがあんなボロボロに働いてて、、、」みたいな理由で、新卒に内定辞退されたりしながら、それでも諦めずに課題に向き合い続けた。

 この間に、場数だけは踏んだ。がむしゃらに3年は頑張れ。みたいな表現が巷には転がっているがそのとおりだと思う。課題は超えられるし、それがあとから自信になる。

ベトナム出張時代

4年目の途中に、ベトナムに出張することとなった。
 「今期予算の残りで、ベトナムで新規プロジェクト立ち上げて来てよ!」みたいなテンションだったのを覚えている。
 「行ってきます!」と言った後に、パスポートも切れてるし、ビザが取れないし、一緒に行くつもりだった、中野さんも家の事情で一緒に出発できなくなったのもいい思い出。
 一生モノの出会いがたくさんあった。
 ベトナムでお世話になったたくさんの人の顔が浮かぶし、毎朝食べたバインミーの味も今でも忘れない。
 採用イベントでは、「日本で一緒に働こう!」と誘って日本に来てもらっているメンバーは、今でも隣で仕事をしてる。現地で約束したとおり、日本での兄弟になれてるかなぁ?
 かけがえの無い出会いが人を成長させる。

マネージャ時代

 ベトナムから帰国すると、会社からはマネージャの役職をもらうこととなった。

ヒキアゲールのリリースと、エンハンス体制の構築
Uraraの立ち上げ
Nextチームの立ち上げ
インフラチームの立ち上げ
デザインチームの立ち上げ
QAチームの立ち上げ

といろんなことにチャレンジする中で、チームの人数は、25人を超えた。業務委託や、ベトナムから支援してくれるメンバーも含めると若干40人くらいのメンバーで、テクニカルチームを運営することとなった。

 チームを運営する上では、課題もたくさんあった。はじめ、「マネージャーは一番仕事が出来る人にならないと」と思っていたが、大きな勘違いだった。チームの成果を最大化するのが自分の仕事だとすると、必要な要素はたくさんある中で、自分が一番成果を上げることは、特に重要ではないことを理解した。

 マネジメントに関して何も知らなかった私は、技術顧問としてご参画頂いている、大場さんや、加藤さんとたくさんのインプットをもらって、チームを作ってきたが、チームを運営する上で経験する逆境は、本には書いていないなかった。
 ここでの大きな学びは「そのチームの課題を打破出来るのは、そのチームの中にいた私自身」だったということ。

 そしてこの間に、東証マザーズへ上場する。

新規事業開発担当(BizDev)

会社としては、職能別組織から、機能別組織(事業部制)に組織のマネジメントを移行した。そのタイミングで、私は新規事業開発担当として働くことになった。サポート、営業、エンジニアの経験値を活かして事業を作っていくことを、ミッションとして今は働いている。

企画、契約、交渉、マーケティング、セールス、ヒアリング。

はじめてのこともたくさんあるが、日々前進することが出来ている。

 そして先日、2019年4月12日に、東証一部へ上場することとなった。

 まだまだ旅の途中。。。。
 個人的には、平成元年生まれの私は、30歳になる年で、
 ちょうど本日の2019年5月1日に元号が令和に変わった。
 イメージしてたより、30歳は子供っぽいけど、思った以上にチャレンジ出来る世界の大きさも実感できてる。
 40代で、世界を相手に仕事が出来るように、20代の経験をフル活用して、30代は投資を続ける。

おわりに


 自分のためにまとめた感じになってしまったのですが、本質的には、誰かのためになったら良いなって思って書いたので、たまたま読んで共感したり、似た環境でチャレンジしている人がいらっしゃれば、嬉しいな!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?