Notes of a Dirty Old Man in Philippines

ご主人もそうだし、奥様とも仲良しになって仕舞って飛行機を、
降りるのだけれど、
チーフの女性から声を掛けられて、日本語だったか、英語か、
車椅子に乗りますか、の問いかけが。

そうそうと思い出したのがマニラのエアポートでのこと。
最初のチケットを破いて捨てて新しいのを作ってくれたこと。
チケットに何かを書き加えてくれて、
何か私のことが次々と共有されてるのではと思わせた。

少しの関空の女性との打ち合わせの後に、もう用意されていた車椅子に。
飛行機を降りればもう終わりのつもりが、私はバッグパックだけだから、
荷物の受け取り場所を取っこして検疫の辺りまで楽ちん楽ちん。

どちらにしてもどなたもお綺麗でスタイルが良く、
事務方のお仕事でしょうか、今度は中国訛りの日本語で押して貰うのが、
申し訳なくてすいませんが口を付く。
恐縮仕切り。

検疫の筋向いが買いものをした届を書くスペースで書きものをしていたら、
またお二人に居合わせた。
私が早く書き上げ、奇しきご縁もこれが本当のさようならでした。
多分中国系の方だったやら。日本語を言う訳でも無く、
英語もたどたどしくて。でも言葉なんて関係なく心が、と思わせた。

どちらにしても取り留めも無く終わるお話し。
三ヶ月も留守にしたこちらの片付けものに気が行くし、
はたまたあちらに残した彼女への思いで気もそぞろで飛行場の中から、
イクサイトが眼に入り外に出れば日本を実感する。

そよぐ風の冷たさ加減に秋、オウタムと口に上ったのでした。
23年10月01日日曜日昼過ぎのこと。
~一つのものがたりが終わりました。


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