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ホワイトハットの実態に迫る!シリーズ2


0.はじめに

「真実」という言葉がこれほど軽々しく使われ、穢されているのを見たことがないと思える昨今のコミュニティですが、誰もがこの言葉を使うことに全く躊躇がないために、言葉が本来の意味を失い、むしろ真逆のものに冠された偽りの商標に成り下がってしまった感があります。つまり、「真実」と付された情報の方が虚偽の嘘っぱちであるということが非常に多いのです。どうやらこれは今に始まったことではないようです。たいていはその「真実」の元になった本当の話が存在しており、それが人から人へと語り継がれるうちに、通過してきた個人の様々なフィルター(読解力・理解力・思い込み・信念体系・宗教・願望・希望的観測・妄想)によって、どんどんと変質していくということが、長い人類の歴史の中で繰り返されてきたようです。それは「ネサラの物語」の例からもよくわかることですが、時には後で改変されたバージョンの方がより広く世の中に浸透し、オリジナルの本当の話の方が否定され、葬り去られてしまうということも多々あるようです。

「ホワイトハット」や「アライアンス」という言葉にも同じことが起きています。実態とは乖離した妄想や、別の信念に箔をつけるため、信憑性を持たせるためにこの言葉を借用し始めた人々が、この言葉を実際の存在とは何の関係もない、呪文の言葉に変えてしまいました。そして、その呪文によって召喚されたエグレゴールやマニフェステーションが、理想化されたおとぎ話のキャラクターとして人々の空想や夢の中で活躍しています。

実際に、コーリーがアライアンスの実態を伝えたところで、ほとんどの人が耳を貸さなくなりました。「それは私たちの思うアライアンスとは違う。アライアンスというのは、もっと、こう・・・全てをコントロールしていて、もうすぐEBSで緊急放送をして、私たちを救ってくれる偉大な存在なんだ」と言って実際のアライアンスを否認するようになったのです。この一連の流れはとても滑稽でもあり、人間のやっていることのおかしさ、不合理、ばかばかしさの典型と言えます。

そんな議論にすらもう飽きてしまいました。コミュニティには「私は20年待っている」「私は30年だ」というツワモノがゴロゴロいるのですから、何を言っても無駄です。

「ホワイトハット」の実体、実態に目を向けることがこの記事の目的です。

ここのところパラディンのポッドキャストの更新は停止しており、Discordのチャットにも姿を現していません。その間に、彼が具体的に言及していたGIDIFAという組織について調べを進めていきたいと思います:

WEFに対抗する金融システム?

1.GIDIFAとアンヘル・フェルディナンド・マルコス

まずは外堀から攻めてみましょう。GIDIFAの中心人物、アンヘル・フェルナンド・マルコスについて報じたメディアの記事があります。

クラーク・フリーポートでマルコスの「息子」が銃と手榴弾の所持で逮捕される 2017年12月8日

本名はアンヘル・フェルディナンド・マルコスだと主張しているエディルベルト・デル・カルメンは、米国が締結した条約の原本も所持していると言う。

パンパンガ州(フィリピン)- 警察官は12月8日(金)、レジャー・パークにある彼の別荘で、故独裁者フェルディナンド・マルコスの息子だと名乗る男を、高性能ライフルと短銃、爆発物所持の容疑で逮捕した。 パンパンガの犯罪捜査・摘発グループ(CIDG)のロンメル・ラバラン主任警部は、逮捕された人物をエディルベルト・デル・カルメンと特定したが、この人物は本名はアンヘル・フェルディナンド・M・マルコスで、75歳であると主張した。 CIDG-パンパンガの捜査員は、カバナトゥアン地域裁判裁判所第24支部のアナ・マリー・ジョソン=ビテルボ判事によって発行された捜査令状を送達するため、午前8時30分頃、フォンタナ・レジャー・パーク内のローズガーデン643番地にある別荘に向かった。デル・カルメンは共和国法10591(包括的銃砲弾規制法)違反の罪に問われている。 ラバラン主任警部によれば、デル・カルメンの住居で、3丁の5.56mm自動小銃、1丁の9mm口径サブマシンガン、1丁の22口径ピストル、5個のMK2手りゅう弾、様々な弾倉、数百発の異なる口径の弾丸を押収したという。
デル・カルメンは銃器と爆発物の適切な許可書類を提示しなかった。
容疑者のアメリカ人同伴者、ウンベルト・ナルシソ・カレジア・ヴァラニョーロ(52)も公務執行妨害の疑いで逮捕された。
警察官は硬い紙のようなものでできた100ドル札のようなものを8枚発見した。ラバラン主任警部は、その紙幣の性質について知るためにフィリピン中央銀行と協力していく述べた。

別荘内には、『アメリカ合衆国の所有物』と刻まれた小さな金属製の箱がいくつも入った大型の金属製収納箱も発見された。

デル・カルメンは捜査当局に対し、その中には米国の義務やヴェルサイユ条約を含む条約の原本など、機密性の高い文書が含まれていると語った。
取り調べに対し、デル・カルメンは、自分の本当のファーストネームはアンヘル・フェルディナンド、ミドルネームはマルコス、ラストネームはマルコスだと主張した。ラ・ウニオン州アリンガイ出身のロサリンダ・マルコスとの間に生まれた故大統領の一人息子であり、第二次世界大戦中の1942年4月5日に生まれたと語った。
職業を尋ねられたデル・カルメンは、あるグローバル・インフラストラクチャー開発・国際金融機関(GIDIFA)の事務局長であると主張した。
彼は警察に身分証明書を提示し、彼が国連の「平和大使」であり、「アフリカ、アジア、アメリカの投資規制委員会」に参加し、「国連大使事務所で経済難民を世界中のすべての難民を扱い、アフリカ難民事務所の人道支援特使であり、フィリピン問題のための人道支援特使」であることを示した。
しかし、国連からの任務や任命の書類を提出するよう求められても、容疑者は何も示さなかった。
CIDGの捜査官によると、デル・カルメン容疑者にはバタス・パンバンサ22(不渡り小切手法)違反の苦情が数件あったという。
投稿時点では、警察はデル・カルメンに対し、銃器・弾薬の不法所持に対するRA10591違反と爆発物所持に対するRA9516違反の容疑で最初の告訴を行う準備をしている。また、ヴァラニョーロに対する司法妨害の立件も準備中である。

まず、この逮捕が行われた別荘の所在地は、クラーク経済特区という場所にあります。

クラーク経済特別区

デル・カルメン、またの名を「アンヘル・フェルディナンド・マルコス・マルコス」は、20年に渡る長期政権を握っていたフィリピンの大統領の隠し子であると主張しているようです。

フェルディナンド・マルコス

デル・カルメンは自分が「一人息子」だと主張していましたが、公式にはボンボン・マルコスというボンボン息子がおり、現在のフィリピンの大統領になっています。

ボンボン・マルコス

この逮捕劇について、もう一つ別の記事を見て情報を補完しておきます。

フォンタナ・リゾート&カジノ複合施設の別荘を警察が急襲、武器・弾薬が発見される 2017年12月8日
クラーク・フリーポート発-パンパンガ州マバラカットのフォンタナ・リゾート・アンド・カジノ複合施設にある高級ヴィラの一室で金曜日に行われた家宅捜索で、警察は大量の銃器と弾薬を押収した。 法執行官は、この別荘が犯罪組織のリーダー容疑者によって占拠されているという情報に基づいて捜査していた。 フィリピン国家警察(PNP)犯罪捜査・探知グループ(CIDG)の州チーフであるロンメル・ラバラン主任警部は、フォンタナ・ビラ、ローズガーデン通り643番地にいる容疑者の1人を、いわゆるデル・カルメン犯罪ギャングのリーダーとされるエディルベルト・デル・カルメン、別名アンヘル・フェルディナンド・マルコスと特定した。 ラバランによれば、「フィリピン国連大使」と名乗るイタリア人ウンベルト・ヴァラニョーロは、マルコスに対する捜査に介入しようとしたため、パンパンガCIDG事務所で逮捕された。 バラニョーロは司法妨害罪に問われている、とラバランは述べた。 家宅捜索は、カバナトゥアン市地方裁判所アナ・マリー・C・ジョソン=ビテルボ判事が銃器・弾薬不法所持の罪で発行した捜索令状に基づいて行われた。 弁護士同伴のマルコスは、押収品(主に高性能銃器、爆発物、弾薬)とともにパンパンガCIDGに連行された。 ラバランによれば、押収品は別荘の一室で発見された。その中には、手榴弾5個、「ベビー・アーマライト」ライフル3丁、コルトM4口径5.56ライフル、狙撃銃、サブマシンガン、22口径ピストル、マグナム357リボルバー、押収された各種銃器用の弾薬が含まれている。 ラバランは、キャンプ・オリバスに駐屯する第3犯罪捜査・探知グループ(3CIDG)担当官のリト・パタイ大尉への報告の中で、マルコスが率いるグループは、アンヘレス市と中央ルソンの他の地域で一連の不法行為に関与した疑いがあるとの報告を受けて、監視下に置かれたと述べた。 「アンヘレス市の歓楽街沿いのホテルオーナーや施設、またクラーク・フリーポートからも、このグループの活動に対する苦情が寄せられており、監視することになった」とラバランは語った。 マルコスとヴァラニョーロはパンパンガ州のCIDG留置場に拘留され、法廷での刑事訴訟提起を待っている。

GIDIFAにはYouTubeチャンネルがありますが、この逮捕劇以降、更新がストップしたままです。

これが最後の動画

今のところ、怪しさ満点であり、世界経済フォーラムに対抗できるどころか、存続しているのかすら怪しいグループといった印象です。確かにWEFの対極と言えるかもしれませんが・・・違う意味で。

GIDIFAの「アンヘル・フェルディナンド・マルコス・マルコス」が逮捕されたのは2017年が初めてではありません:

FBI、マルコス詐欺師「息子」を逮捕
2002年9月25日 NYポスト
フィリピンの独裁者、故フェルディナンド・マルコスの大金持ちの息子を装った詐欺師が、100万ドルの見返りにウォール街の金融コンサルタントに100億ドル分のニセの金証券を提供したと検察当局が発表した。

しかし、そのコンサルタントがFBIの潜入捜査官であることが判明したため、「息子」は手錠をかけられ、懲役25年を求刑されることになった。

弁護側は、黒髪の小男である被告は故独裁者の長男エディルベルト・マルコスであり、フィリピン政府からの特別任務中だったと主張している。

検察側は、マルコスは実際にはエディルベルト・デル・カルメンであり、1987年にカリフォルニアで武器所持の容疑で逮捕された詐欺師であるとしている。

「彼が通そうとしていた証券はインチキだった」と、ディアドレ・マケボイ連邦検事補は昨日マンハッタン連邦裁判所で開かれた冒頭弁論で述べた。

マケボイ検事と同僚のマシュー・ビバン検事によると、この企みは2000年11月、デル・カルメンが香港のホテルで20万ドルの支払いを怠ったために追い出されたことから始まったという。

その後、デル・カルメンはニューヨークにやってきて、警備会社のマイケル・ステイプルトン・アソシエイツから30万ドルを騙し取り、何組もの不渡り小切手を発行したとマケボイは言う。

「その都度、被告は会社に支払いを要求されたが、小切手は郵送中だと答えた。」 

同社社長のジョージ・ハーヴェイによれば、デル・カルメン被告がスイス銀行に35億ドル相当の金(ゴールド)を預けていることを示す「保管領収書」を差し出した後、同社はFBIに相談したという。

ハーヴェイによれば、連邦準備制度理事会(FRB)はその領収書に価値はないと言ったという。

FBI捜査官マイケル・キーリーは、ウォール街の新興証券会社のために資金を求める金融コンサルタント、マイケル・ウィートンを装い、おとり捜査を仕掛けた。デル・カルメンは2001年4月18日に逮捕され、ニセの証明書を渡した罪で起訴された。彼は保釈金なしで拘留されている。

逮捕から1年半近く経ってから、アメリカのメディアでは唯一NYポストが報じたようです。2001年の逮捕当時のフィリピン・メディアの記事も見ておきます:

あまりに多くの偽証明書と「偽」息子たち
マックス・V・ソリベン 2001年4月23日
「善政に関する大統領諮問委員会(PCGG)」の元委員長が、ニューヨークの連邦捜査局(FBI)のおとり捜査で逮捕されたことを、不名誉だと思わないだろうか?元PCGG委員長のデイヴィッド・カストロは、清廉潔白で聖人君子と言われたコリー政権(※コラソン・アキノ元大統領)で任命された人物だが、エディルベルト・マルコス(故フェルディナンド・マルコス大統領の隠し子と自称)がスイスの銀行から2000万ドルの金証券を、買い手を装ったFBI捜査官に売りつけるのを手助けしていたところをFBIに現行犯逮捕された。

その金証券も、マルコスの息子を名乗る偽者と同様、偽物であることが判明した。

なんということか!これらのスイスユニオン銀行(UBS)の金証券はキノコのようにたくさんあるに違いない。マルコスの「息子」たちが次々と出てくるのを見ると、フェルディナンド・マルコスはエラップ(※ジョセフ・エストラーダ元大統領。11人の子がいる。 )よりも多くの「息子」を持つことになりそうだ。

8年ほど前、売買や不動産業を営む友人が、マルコスの「隠し子」だと名乗る男を私の家に連れてきたことがあった。私はどうしてあんなごまかしが通用してきたのか不思議だった(私は彼の話を少しも信じなかった )。というのも、彼はBBCのコンピューター版イエス・キリスト、あるいはジェフリー・シリングボブ・ソブレペーニャを足して2で割ったような風貌だったからだ。

いずれにせよ、この「マルコスの息子」とされる人物は、同じUBS(スイスユニオン銀行)のものとされる、本物そっくりの金地金の証書の束を見せてくれた。透かしは正規のものに見え、印刷も問題なさそうだった。切手も署名も素晴らしいものだった。しかし、どこかおかしい。文書はドイツ語とフランス語で書かれており、両方の言語で単語のスペルが間違っていることに気づいた。スイスの20の州(confedérés)と6つの半州(half-cantons)の公用語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、そして1パーセントが話すスイス独特の方言であることは誰もが知っている。では、UBSの証明書印刷会社がドイツ語やフランス語のスペルを間違えるはずがあろうか?スイス最大の銀行であるUBSの本店は、ドイツ語圏の都市チューリッヒのバーンホフ通りにある。この大通りは、金で舗装されているわけではないにせよ、その地下には文字通り金が詰まった地下金庫がある。

いずれにせよ、「エディルベルト」・マルコスとそのパートナー、デイヴィッド・カストロが偽造したUBSの証明書は、先の偽マルコスが私に見せた書類と同じ印刷機で作られたに違いない。私はマルコス2世が訪ねてきたその日に、その偽証券とともに私の家からすぐに追い出したが、おそらく他の人たちはそれほど疑わなかったのだろう。驚いたことに、同じ騒動が8年経った今も健在なのだから! 

P.T.バーナム(※ホラ話で有名な興行師)が「カモは1分に1人生まれる」と言ったのは正しかった。(※諸説あり

さらに、バーナムの言葉を証明しているのは、何十年もの間、最も聡明で冷静な人々でさえも犠牲にしてきた悪名高いナイジェリアの「石油」詐欺である。私はこのコラムで何度か、実際には1988年以来4年ごとにナイジェリア詐欺を暴露してきたが、詐欺は後を絶たない。先週、ある読者から、今月ナイジェリア詐欺の手紙が来たばかりだという手紙を受け取った!詐欺師たちは、ただひたすら挑戦し続けているのだ。そして、しばしば詐欺師たちは成功する。

* * *

PCGG(善政に関する大統領諮問委員会)の元委員長が、このエディルベルト・M・マルコスのような人物と関わったことは残念だ。この人物はメトロ・グラント・ホールディングスの社長兼CEOを自称し、香港のワン・ハーバーロード1番地にある香港コンベンションプラザ・オフィスタワー2602号室にオフィスを構えている。(このビルは、多くのフィリピン人に知られているグランド・ハイアット・ホテルのすぐそばにある)。

香港インターポール課のリカルド・A・ディアス課長が国家捜査局のマニラ・インターポール事務所に送った苦情「勧告」によると、このエディルベルト・マルコス・マルコス(Mはこの略)はフィリピンのパスポート番号EE835334を持っている。インターポールが明らかにしたところによると、彼はエディルベルト・マルコス・デル・カルメンやアルベルト・マラナム・プゾンといった別の名前も名乗っている。

インターポール香港は、日本人の中西たかまさという人物から「金融詐欺」(詐取)に関する苦情を受けたと述べている。たかまさと彼のグループは、「マルコスに誘われて、台湾、香港、フィリピン間の金取引を扱う "ロール・プログラム・プロジェクト "に総額100万米ドルを投資した」と訴えた。ディアスは、このプロジェクトは「偽物であることが判明した」と述べた。

このエディルベルト・M・マルコスは弁護士も名乗っているようだが、フィリピン統合法曹協会のホセ・アギラ・グラピロン会長は、1999年3月8日付で、エディルベルト・マルコスまたはエディルベルト・デル・カルメンという名前は協会の会員名簿に記載されていないという証明書を発行したようだ。

1990年から1992年までPCGGのトップを務めたカストロ氏については、思い起こせば、彼は職務とは別に、金塊探し(ゴールドハンティング)活動に積極的に関わっていた。以前のコラムでも述べたように、金塊や埋蔵金には人を狂わせる何かがある。

いずれにせよ、PCGGの幹部には疑わしい活動に従事した者が多く、PCGGとは「寵愛を受けた者たち」のための甘い汁を吸うための組織なのだという一般的なイメージを国民に与えている。PCGGに参加するか、PCGGの推薦者になれば、「成功」が約束されるというのが通説だ。

* * *

カストロとマルコスがニューヨークで逮捕され、これで終わったと思うだろうか?タイでも我々フィリピン人の評判は地に落ちている。

私の妻は、ギリシャのアテネで開催される国際会議に出席する前に、O.B.モンテッソーリ農場のハイブリッド「アグリ」プロジェクトに参加しているタイ人農業関係者との会議のために、この3日間バンコクに滞在しているが、昨夜、タイにいるフィリピン人がみんな恥ずかしい思いをしていると電話があった 。この2日間、タイのテレビでは毎正時のように、2人のフィリピン人、1人のタイ人、そして1人のシンガポール人が、偽造の借用書を売りさばこうとして逮捕されたというニュースが流れていたそうだ。

タイ警察はバンコクの銀行の金庫から額面247億ドルの偽造米国債を押収し、国家警察のサント・サルタモンド副署長は記者団に対し、一味に属する他の4人の外国人容疑者を探していると語っている。

偽の書類と債券は、おそらく数ヶ月前にミサミスオリエンタルのギンゴグやミンダナオとビサヤの他の地点で押収された数十億ドルの存在しない米国債と株式書類と関連している。先週の水曜日、グリーンヒルズ・ウォーキング・コーポレーションのフォーラムにゲストとして参加したマイケル・マリノウスキー米臨時代理大使は、フロアからの質問に答える形で、過去1年半の間にフィリピンで発見された「債券」や証券「書類」は「偽物の偽物」であると説明した。要するに、偽造者たちは、古くなった本物のような紙に、存在しない米国債やその他の国際債の見本を印刷したのだ。またしても、P.T.バーナムの「一分一人カモ説」の正しさが証明されたのである。

タイの新首相であるタクシン・チナワットは、私生活では数十億バーツ(数千億円)にのぼる電気通信とITの大物であるため、ビジネスに精通しているはずだが、タイ人の想像力をかき立てた偽債券スキャンダルによって、その信頼性は大きく損なわれた。彼の評判は、彼がミャンマー(ビルマ)国境近くの洞窟に埋められた何トンもの金と外国債券の宝庫と喧伝された「金塊発見」の噂の現場に飛んでいったことでさらに傷ついた。チョーワリン・ラッタサクシリというタイの上院議員は、この戦利品は第二次世界大戦中に日本兵が隠したもので、約500億ドルの価値があると主張し、物議を醸した(ある人は「変人」と言った)。

タクシン首相はこの「発見」に食いつき、タイの620億ドルの国家債務を賄うのに十分だろうとまで口にした。残念なことに、チャオワリン議員は自ら洞窟に入ったこともなければ、発見されたとされるものを直接見たこともないことが後に判明した。チャオワリン議員が提出した「証拠」はアメリカ国債のコピーだけであったが、それが不器用な偽物であることが判明した。彼はそれをいわゆるエディルベルト・マルコス一味から手に入れたのだろうか?

ちなみに、物議を醸している洞窟は、有名な『戦場にかける橋(クワイ河木橋)』(アレック・ギネス、ビル・ホールデン、ラルフ・ホーキンスが出演し、人気の「ボギー大佐の行進曲」を生み出した映画を覚えているだろう)からそう遠くないところにある。

* * *

エディルベルト・マルコスあるいはデル・カルメンの謀略の中には、マルコス大統領夫妻がマラカニアン宮殿から逃亡したとき、運び出されたのは1934年製のドル紙幣やその他の道具が入った箱だったというホラ話が含まれていたと聞いている。デル・カルメンは、この話を真実のものにするために、自身を現役の軍人や元軍人で囲い込み、その軍人たちが1986年にこれらのドルや債券を宮殿から運び出したのだと主張している。彼は、これらの箱は「受託者の手数料(信託報酬)」を払えばこれらの軍人から償還できるという考えを売り込んでいるとされ、その投資に対する見返りは「1箱あたり約1億米ドル」になると約束している。それはありがたい!人々は本当にそんな話を信じているのだろうか?どうやら信じているようだ。

もうひとつの詐欺は「信用状割引」である。この詐欺師は、なんと旧ロシアのグルジア共和国(旧ソ連のスターリンの故郷)や中華人民共和国の大規模プロジェクト(建設やエネルギーなど)用の異国風な信用状(※L/C・・・銀行が発行する支払い確約書)を見せる。その「信用状」は数十億ドル相当のプロジェクトを「表している」と彼は強調する。これらは一般的に5千万米ドル区切りで分割されており、彼は被害者に対し、ロイズ・オブ・ロンド(保険市場)との間ですでに手配されている保険スワップの保険料の何パーセントかに相当するペソまたはドルを差し出すよう誘惑する。この信用状を確認したところ、某有名ドイツ銀行からは「ゴミのような信用状」だと言われた。

横領犯はまた、マルコスの「長男」として、シティバンク、香港上海銀行(HSBC)、三和銀行などの「凍結口座」を持っていると主張している。彼は米ドル口座を持つ人々に、彼の銀行が発行する利益保証と引き換えに、彼名義の指定銀行に現金を送金するようそそのかしてきた。特定の銀行関係者と共謀して、口座が「確認」されると被害者は「食いつく」。

また、「不動産」詐欺や、「証明書と資産の人質(担保)」と表現される謀略もある。後者のスキームでは、彼はすでに3億米ドルの「人質」となった資産を積み上げたと捜査当局は推測している。私自身はよく理解できないので、どういうことか説明しようとは思わない。

しかし、成功した詐欺師が皆そうであるように、長男マルコスも、あるいは彼の名前が何であれ、口が達者で、金融二枚舌のスヴェンガーリ(悪徳催眠術師)であることは明らかだ。なぜかというと、彼はCIAの諜報員になりすましさえしているからだ。CIAといっても「Certified Ilocano Agent(公認イロカノ族諜報員)」という意味ではない。

2.フィリピンの政情に関する基礎知識

この記事を書いたマックス・ソリベンという人は、フィリピンの有名ジャーナリストで、フィリピン第2位の発行部数まで上り詰めたフィリピン・スター紙の設立者です。

興味深いことに、フェルディナンド・マルコス大統領との因縁もありました:

ソリベンのテレビ番組『インパクト』では、マルコス政権の最大の敵の一人、ベニグノ・"ニノイ"・アキノをゲストに迎えた。番組では、アキノの到着に備えて、ルピタ・コンシオ(※ベニグノの娘)とともに、絶対権力を手に入れようとするマルコスの企てを暴く極秘軍事計画について話していた。この計画は「射手座計画」と呼ばれていた。この計画では、戒厳令の計画と、それが発動されたときに何が起こるかを暴露するものだった。アキノはこれをソリベンの番組(反マルコスの番組の一つとしても知られている)で見せようとしていた。計画通り、番組は行われ、ソリヴェンは3時間にわたってこの計画について語った。しかし、彼らが知らなかったのは、マルコスがすでに行動を開始していたことだった。放送から数時間後、すでに戒厳令が布告されていた。2人が話したことが原因で、ソリベンは投獄されることになった

その後、ベニグノ・"ニノイ"・アキノはアメリカに追放されることになり、帰国後に暗殺されています。

ベニグノ・"ニノイ"・アキノ
ベニグノ=アキノ暗殺事件

これがマルコス失脚の一因となったと言われています。

ピープルパワー革命/フィリピン二月革命

しかし、ベニグノの未亡人であるコラソン・"コリー"・アキノ次期大統領のバックにはCIAがついていたのではないかと思わせる情報もあります。

フェルディナンド・マルコスの妻、イメルダ・マルコスは、後に亡命先のハワイで受けたインタビューで、アメリカに裏切られたのだと語っています。

『独裁者、その最後の時 パート2 ハワイのイメルダ・マルコス夫人(千野境子)2011年10月』

ピープルパワー運動で「選ばれた」コラソン・アキノ政権も、結局国民にとっては期待外れだったようです。しかしその何代か後に、その息子も大統領になっています。

そして今はマルコスの「ボンボン」息子が大統領となり、マルコス家は不死鳥のように蘇ったようです。

ボンボン・マルコス
中央からイメルダ、フェルディナンド、ボンボン

3.イメルダ夫人とフィリピンの金塊伝説

アンヘル・フェルナンド・マルコスことエディルベルト・デル・カルメンに話を戻すと、報道内容を見る限りでは、九分九厘、詐欺師で間違いないという印象を受けました。しかし、GIDIFAのYouTubeチャンネルには「秘匿した金塊らしきもの」を 写した思わせぶりな動画がアップされています。

また、彼の協力者として逮捕されたデイヴィッド・カストロはPCGG(善政に関する大統領諮問委員会)の元委員長であった点も見逃せません。そしてこのPCGGは、もともとフェルディナンド・マルコスの隠し財産を見つけるために組織された機関だったようです。

汚職と権力闘争が2008年のPCGGの仕事を妨げる
2009年1月5日

腐敗行為と権力闘争の疑惑は、善政に関する大統領諮問委員会(PCGG)の指導部を傷つけており、継続する内部対立は、故独裁者フェルディナンド・マルコスとその取り巻きの不正蓄財を国内外から回収するという任務を果たす同委員会の有効性に対する国民の信頼を損ないかねない。

PCGGは2009年2月28日に設立から23年を迎えるが、これはマルコスが20年以上にわたって(うち14年間は独裁者として)君臨した大統領職から退くことを余儀なくされた後、エドゥサの反乱(※ピープルパワー革命のこと)の4日目に設立されたものである。これは教会が支援し、軍が主導し、しかし市民が主体となった大衆行動だった。

エドゥサ後の初代大統領コラソン・アキノの政権下で、善政局はまず元上院議員ジョビト・サロンガが率い、ラモン・ディアス、アドルフォ・アズクナ(1カ月しか務まらなかった)、マテオ・アルマンド・カパラス、デイヴィッド・カストロが続いた。

(中略)
また、アブセデがマルコス家との妥協案を提唱したことに怒りを覚えた議員もいた。

これらの問題以外にも、PCGGは、サビオが2006年に、14ヘクタールの「パヤニグ・サ・パシグ」を管理するJ.Y.カンポスから明け渡されたマルコスの資産であるミッドパシグ土地開発公社から1,035万ペソの現金を前借りしていた問題などでも揺れていた。

(中略)
資金使途に疑問

PCGG指導部はまた、政府資金の使用に関する質問で揺れた。

ラウル・ゴンザレス法務長官が自ら率先して、2008年1月から6月までの会長室の100万ドル近い海外出張費を調査した。オンブズマンもこの苦情を調べている。

この費用は、2008年のPCGG予算8,700万ペソの半分以上であり、PCGGが「訴訟基金」と呼ぶ、フィリピン国立銀行にエスクロー(第三者寄託)された5,900万ドルの隔離マルコス資金から引き出されたものである。

ゴンザレスは、サビオと他の委員会職員および海外出張に関与した職員に、10日以内に「包括的報告書」を提出するよう命じた。 マルコス事件の解決を急ぐため、アロヨは2007年7月にEO643を発令し、PCGGを司法省の直接行政監督下に置いた。

PCGGが何を目的とした機関なのかがなんとなくわかりました。しかし、その設立のタイミングと、エドゥサ革命の背後にCIAの影があったことを考えると、どことなくいかがわしさも感じます。

PCGGのトップにいたディヴィッド・カストロは金塊探し(ゴールドハンティング)活動に積極的に関わっていたという情報もありました。また、タイの首相だったタクシン・チナワットも「金塊発見」の現場に飛んで駆けつけたことがあったそうです。政府のハイレベルな地位にある人々が、マルコスの隠し財産や、隠された金塊の存在をどこか信じているふしがあります。

それはイメルダ夫人の証言も関係しているのかもしれません。

イメルダ・マルコス:私がこのフィリピン上院の公聴会に出席することを待ち望んでいた最も緊急の理由は、故マルコス大統領の遺言を実行に移し、資産を管財人の手に委ね、マルコス人道基金を実施し、経済危機にある国を助け、苦悩するフィリピン国民を助けることができるよう、上院議員の皆様ののお力添えをお願いすることです。

フィリピン:イメルダ・マルコス上院公聴会
1998年12月22日
フィリピンの上院議員は、独裁者フェルディナンド・マルコスの未亡人に、彼女の夫がフィリピンの多くの土地を所有していたという彼女の主張について尋問した。

全国ネットのテレビで放送された公聴会で、彼女は特権を行使してほとんどの質問をかわした。

政府は、現在フィリピンの銀行の口座に保持されている約5億7000万米ドルのスイス預金の所有権を主張している。

このスイスの口座は、マルコス遺産に対する人権侵害の集団訴訟で勝訴し、20億米ドルの損害賠償を勝ち取った9,500人のフィリピン人からも請求されている。

真珠と金のジュエリーに身を包んだ69歳の彼女は、膨大な靴のコレクションで有名になったが、夫は泥棒ではなく、金取引で財産を築いたのだと語った。

上院の公聴会はケーブルテレビ会社によって生中継され、多くのフィリピン人がマルコス夫人が家族の財産について質問されるのを初めて見ることができた。

マルコスと彼女の弁護士は、マルコスが彼の仲間に託したとされる100以上のフィリピンの一流企業の株式、少なくとも5000億ペソ(126億5000万米ドル)を取り戻すために訴訟を起こす予定であると伝えられている。

公聴会でマルコス氏は、夫の資産を取り戻すために議員たちの助けを求めるために上院に出頭することに同意したと述べた。

彼女は、故大統領がすべてのフィリピン人のためにこれらを政府に引き渡すことを望んでいたことを示唆した。

音声抜粋:(英語)
「しかし、私がこのフィリピン上院の公聴会に来ることを楽しみにしていた最も緊急な理由は、名誉ある上院議員の皆さまに、故マルコス大統領の遺言を実行し、資産を管財人の手に委ね、マルコス人道基金を実行し、経済危機にある国を助け、苦悩し苦しむフィリピン国民を助けることができるよう、お力添えをお願いするためです。」 (イメルダ・マルコス、元フィリピン大統領夫人) 

今月上旬、フィリピンの大手新聞が、マルコス氏の一族がフィリピンの多くを所有しているとの記事を掲載した。 マルコスによって投獄されたフィリピン南部の元市長であるアキリノ・ピメンテル上院議員は、彼女がインタビューに答えたというのは事実なのかと質問した。

彼女はインタビューに答えたことを否定し、夫が隠れ蓑として利用した企業や資産、管財人を特定することを拒否した。 ピメンテル上院議員によると、彼女がインタビューの中で述べた名前の中にルシオ・タンの名前があったという。

しかし、イメルダ・マルコスは口を閉ざしたままだった。

音声抜粋:
「再度、黙秘権を行使します。」

質問: 私たちはあなたがおっしゃったディヴィッドというファーストネームに興味があるだけです。

「サンディガンバヤン(公務員の汚職裁判所)や他の場所でも多くの裁判があるため、私は黙秘権を行使するという弁護団の命令に従った方がいいと思います。」

質問:エドゥアルド・クアンコについてはどうですか?

「同じ権利を主張します、委員長。」
(イメルダ・マルコス、元フィリピン大統領夫人) 

フェルディナンド・マルコスは1986年の民衆反乱で追放され、3年後にハワイで亡命死した。

彼はいかなる不正行為もしていないと否定していた。

政府は、マルコス夫妻が20年間の統治期間中に不法に富を得たと非難している。

マルコス氏は、夫の莫大な富を認識していたと述べた。

情報を補足しておきます。ここでイメルダ・マルコスが黙秘権を行使して語ろうとしなかったルシオ・タンという人物は、フィリピンの有力な財閥です。フェルディナンド・マルコス政権ではクローニー(取り巻き)の一人として、タバコ産業などを任されていました:

フェルディナンド・マルコス百科事典:独占
伝統的エリート民主主義の「復権なき復活」(3)-戦後フィリピン政治体制変動に関する-試論-矢野 秀徳

この上院公聴会が行われた当時の記事をもう一つ見ておきます。

イメルダ、富をめぐって尋問される
1998年12月21日

イメルダ・マルコス元大統領夫人は月曜日、フィリピンの上院議員から、亡き夫が国の富の多くを所有していたという彼女の主張についての質問をかわした。

上院の公聴会は全国ネットのテレビで生中継され、多くのフィリピン人がマルコス夫人が一族の富の出所について質問されるのを初めて見ることになった。

マルコス夫人によると、彼女の弁護士は、マルコス夫妻が不法に得たとする資金を回収しようとする政府の努力をかわすチャンスを損なわないよう、沈黙を守るよう助言したという。

マルコス夫人(69歳)は議員団に対し、夫は泥棒ではなく、金の取引によって財産を築いたと語った。その他の詳細については明言を避けた。

1965年に大統領に選出されたマルコスは、1986年に民衆の反乱で追放され、3年後にハワイで亡命死した。彼はいかなる不正行為も否定していた。

フィリピンの大手新聞『フィリピン・デイリー・インクワイアラー』は今月初め、マルコス夫人の言葉を引用し、「私たちは実質的にフィリピンのすべてを所有している」と書いていた。

マルコス夫人は、100以上のフィリピン企業の株式少なくとも126億5000万ドルを取り戻すために訴訟を起こす予定だと報じられている。マルコス夫人はこれらの株式を、現在返却を拒否している仲間に託したとされている。

マルコス夫人は、現在管財人の手にある夫の資産を取り戻すために議員たちの助けが欲しいと述べ、故大統領がすべてのフィリピン人の利益のために政府に富を引き渡すことを望んでいたことを示唆した。彼女は投資先や受託者の特定を拒否した。

マルコス夫人は、亡くなった夫の財産に関する情報をインクワイアラー紙のクリスティーン・エレーラ記者に提供したことは認めたが、公表することは許可していないと述べた。

金曜日、エレーラ記者はマルコス夫人とのインタビューを録音したテープを議員たちに渡した。

政府は、マルコス夫妻が元独裁者の20年間の支配の間に不法に富を得たと非難し、フィリピンの銀行のエスクロー口座にある5億7000万ドルについて請求している。

マルコス夫妻の口座は、マルコス遺産に対する人権侵害の集団訴訟で勝訴した9500人以上のフィリピン人にも請求されている。

上院公聴会で質問され、イメルダ夫人が「受けていない」と否定したインタビューとは、フィリピン・デイリー・インクワイアラー紙のインタビューのことです。まずここでイメルダ夫人は一つ見え透いた嘘をついているわけです。そして、ここまでの状況を整理すると、フェルディナンドの独裁政権時に仲間(クルーニー)たちに分け与えていたフィリピンの資産を取り戻したいイメルダ夫人、PCGGを通じてそれを回収したい政府、もらったものは返したくない元クルーニー(ルシオ・タンに代表される中国・マレー系財閥)という三つ巴の構造が見えてきます。つまり、イメルダ夫人の「マルコス人道基金」という言葉は、穿った見方をすれば、自らの資産の正当性を主張するための方便に過ぎないようにも見えるということです。

ちなみにイメルダ夫人が言及していたサンディガンバヤンでの裁判は、この公聴会の20年後に有罪判決が出ています:

J-STAGEアジア動向年報:2018年のフィリピン

スイスのマルコス預金の動向については2015年にスイスメディアが以下のように報じています:

イメルダ夫人は実際にフィリピン・デイリー・インクワイアラー紙のインタビューでどのようなことを語っていたのでしょうか。当時の記事を参考にします:

KASAMA Vol.13 No.2 / 1999年4月-5月-6月 / フィリピン・オーストラリア連帯ネットワーク
イメルダ、マルコスの巨額財産を認める
マイニングの新しい定義「すべては私のもの」 
マレー・ホートン著

イメルダ・マルコスには頭が下がる。彼女の思い上がりはとどまるところを知らない。1998年10月、90年代初頭から長期服役を余儀なくされていた汚職罪の無罪放免(一日も服役していない)と、1998年の選挙で親マルコス派のジョセフ・エストラーダ大統領が誕生したことで、彼女は大胆な行動に出た。具体的には、何年も否定してきた素晴らしい富を公に認め、それを誇示することである。彼女によれば、彼女の行く手を阻む唯一の小さな障害は、この宝の山が実は彼女の手元にはなく、これまで信頼されてきた共犯者、悪名高いマルコスの取り巻き(クルーニー)の手元にあるということだ。イメルダ曰く、彼らは宝の山を持っているが、それは保管のためだけであり、彼女はそれを取り戻すために天と地を動かすつもりだ。

1998年末、イメルダはフィリピン・デイリー・インクワイアラー紙(PDI)に接触し、すべてを話すと申し出た。PDIはマルコス戒厳令政権末期に、独裁政権に反対するために設立された。しかし、自尊心のある新聞社なら、このような大きな特ダネを見逃すはずがない。イメルダはPDIの記者を豪邸に招き、山のような資料に自由にアクセスさせた1998年12月、PDIはクリスティーン・エレーラによる9回にわたる連載を開始した。

そして、彼女はどんな物語を語ったのだろう。パート1には目を引く見出しがあった:『イメルダがマルコスの取り巻き(クルーニー)に対して5000億ペソの訴訟を起こす;「実質には私たちがすべてを所有している」 』。彼女は冗談を言っているのではない:「電気、通信、航空会社、銀行、ビール、タバコ、新聞社、テレビ局、海運、石油、鉱業、ホテル、ビーチリゾート、ココナッツの製粉、小規模農園、不動産、保険に至るまで、フィリピンのあらゆるものを私たちが実質的に所有しているのです」。彼女は、サンミゲル・コーポレーションのような巨大コングロマリットや、フィリピン長距離電話会社(PLDT)のようなインフラの重要な柱をマルコスが所有していると主張した。彼女の主張では、フェルディナンド・マルコスはこれらの優良企業(少なくとも150社)の持ち株をすべてクルーニーたちに託し、クルーニーたちはそれを返さず、そこから莫大な利益を得たということだ。「彼らは高給をもらい、支援され、裕福で有名な生活を送ることを許されました。私たちは何を得ましたか?裏切りです。彼らはフェルディナンドに雇われ、その会社の権益を守っていたはずでした。しかし、どうなったかというと、彼らはすべてを欲しがったのです。」(PDI, 9/12/98; "Imelda: We made Tan, Cojuangcos"; Part 5)

5,000億ペソ(126億5000万米ドル=1兆7500億円)というのは控えめに見積もってのことで、マルコスの弁護士は1兆ペソに達するかもしれないと言っている。このような訴訟が実際に起これば、フィリピン史上最大の訴訟になることは間違いない。この5,000億ペソは、スイスの銀行で発見され、マルコス独裁政権の人権被害者のために信託されている220億ペソ(5億8,000万ドル以上)のマルコス資産に追加されるわけだ。フェルディナンド・マルコスとイメルダ・マルコスの1965年から84年の確定申告の合計所得が6,756,301(約675万)ペソであったことを考えると興味深い。

イメルダの最初のターゲットはPLDT(※フィリピン最大の電気通信企業)で、特に300億ペソの取引によって同社の経営権がスハルトに関連するファースト・パシフィック社に移るのを阻止しようとしている。イメルダは、1967年の取引によって、PLDTの実質的な所有者は、クローニーの第一人者であるコファンコ一族ではなく、マルコス一族であることが確定したと主張している。彼女はフィリピンを代表する資本家をターゲットにしていおり、億万長者のルシオ・タン(フォーチュン・タバコ、アライド・バンキング、アジア・ブルワリー、フィリピン航空を所有し、エストラーダ大統領の盟友でもある)もその一人だ。「あのルシオ・タン、彼は何者でもありません。ただ中古のボトルを買っていただけの人です」(同書より)。彼女の論理は筋が通っている。政府は1980年代半ばから、善政のための大統領諮問委員会(PCGG)を通じて、これらの企業がマルコスの所有・支配下にあることを証明しようとしてきた。しかし、所有権の証明に失敗し、ことごとく妨害されてきた。だから今、イメルダは公然と所有権を認め、支配権を取り戻したがっている。しかし、PCGGとは異なり、所有権は違法なものではなく合法的なマルコスの富から得たものであり、公にする動機は亡き夫を盗人とする言いがかりを晴らすためであると主張している。実際、イメルダはマルコスが莫大な財産を使ってフィリピンの開発に個人的に資金を提供したと主張している。しかし、この信じられないような主張を裏付ける証拠はまったくない。

「私たちは、フェルディナンド・マルコスに代わって管財人たち(クルーニーのこと)が持っていたものすべてを取り戻します。マルコスの会社や資産を買った者は、法廷で私たちと向き合わなければなりません。」 (PDI, 6/12/98; "Imelda vs cronies; 'I've deeds of trust, stock certificates'"; Part 2)「ルシオ・タンはフォーチュン・タバコとアライド銀行からの資金でフィリピン航空を買いましたが、そのどちらもマルコス家が過半数を所有しているんです。」(同書より)

1973年にマルコスがロペス家から買い取ったとして(アキノ政権はロペス家に返却した)、イメルダが取り戻そうとしている会社のひとつがマニラ・エレクトリック社(メラルコ)である。ロペス一家は、新富裕層のマルコスがいかに旧富裕層に取って代わったかを冷ややかに語った。家長のエウヘニオ・ロペス・シニアは、1973年に確かにメラルコをマルコス一族に譲渡した。なぜか?戒厳令下の独裁政権下で、ロペスの息子エウヘニオ・ジュニアが軍に拘束されていたからだ。マルコス家はロペス家の財産を掌握する代わりに息子を釈放すると申し出たが、その後彼らは取引を破棄し、息子を釈放しなかった(彼は5年間獄中にいた後、アメリカに逃亡した)。「売却」価格はインチキで、マルコス夫妻が支払ったのは1万ペソの手付金だけだった。彼らが人質を取って脅迫した動機は、メラルコを特に欲しかったからではなく、彼らの新聞『マニラ・クロニクル』を通じてマルコス政権の汚職と腐敗を攻撃してきたロペス夫妻の影響力を破壊したかったからである。


「イメルダ対クローニー」シリーズの第3部(PDI, 7/12/98;"マルコスは多国籍企業をターゲットにした")で、イメルダはマルコスをある種の愛国的資本主義者に仕立て上げようとし、1972年に戒厳令を宣言したとき、彼はアメリカの主要多国籍企業のパリティ権が1974年に失効することを知っていたと主張した(ラウレル=ラングレー協定に基づく)。
ラウレル=ラングレー協定

つまり、多国籍企業はフィリピン企業の持ち株の最大60%を放棄しなければならず、フィリピン人の所有権(マルコスによる所有権)を確保する絶好のチャンスだったのだ。企業を確保したマルコスは、その企業のトップに選び抜かれた取り巻き(クルーニー)を任命した:「私はすでに国の大統領だから、どの会社の社長にもならない」(同書)。ホセ・ヤオ・カンポスは49社、ルシオ・タン、ロベルト・ベネディクト、ダンディン・コジュアンコはそれぞれ12社を手に入れた。これらのクルーニーたちはそれぞれ、特権や利権の見返りとして、マルコスの秘密の銀行口座に数億ペソを定期的に支払っていた(フェルディナンドは自分の隠し口座と資産に「ウィリアム・サンダース」という名前を使い、イメルダは「ジェーン・ライアン」だった)。
金の山か、それともありふれた戯言の山か?
では、この素晴らしい、しかし合法とされるマルコスの富はどこから来たのだろうか?「イメルダ対クルーニー」シリーズが本当に面白くなるのはそこからである。パート4(PDI, 8/12/98)には驚くべき見出しがあった:『マルコスは4,000トンの金塊を持っていた』。イメルダによれば、マルコスは世界一抜け目のない金トレーダーであり、第二次世界大戦で日本軍と戦っていたゲリラ時代に最初の1,000トンを蓄え(伝説の山下財宝)、1970年代までに4,000トンを蓄えた(ピリピナス銀行BSPの金準備高は650トンしかないにもかかわらず)。彼女によれば、彼は1オンスあたり17米ドルで金を買い、32米ドルで売っていたという。金価格が1オンスあたり800米ドル近くまで上昇した1970年代に、事態は大きく動いた。

当然のことながら、この主張はフィリピン国内外から嘲笑を浴びた。専門家は、4,000トンは南アフリカの10年間の金生産量であり、フィリピンの100年間の金生産量であると指摘した。政府はイメルダの主張を検証するつもりはあるのかとの質問に対し、ガブリエル・シンソンBSP総裁はこう言った:「我々は世界の笑いものになるだけだ」(PDI, 10/12/98; "金の専門家、イメルダの主張に驚愕 ")。イメルダの実の娘でさえ、あまりにひどいと感じたようだ。イミー・マルコス下院議員は言う:「私たちはイメルダを心から愛していますが、時折、イメルダは暴走しておかしくなり、それを見るのはとてもエキサイティングです」(同書より)。ジョーカー・アロヨ議員は、この件に関する世論を最も端的に表現した:「泥棒の間に名誉はもうない。泥棒はみんな汚く、喧嘩ばかりしている。略奪品をめぐって争って自殺することを望む」(PDI, 8/12/98; "上院はイメルダ主張の影響を調査するよう要請された")。

クリスティーン・エレーラのPDIでの9回にわたる連載は第5回より先は続かなかった。その後、イメルダは家族の安全が心配だとして、掲載を中止するよう新聞社に嘆願した。「私のファックスが殺害予告を流しているの。番号を変えなければなりませんでした。みんな怖がっている。まるでピナツボのようです。私の子供たちは殺害予告を受けています。イミーが泣いている。アイリーンが泣いている。ボン・ボンは、起きていることが気に入らないようです。彼らは私に『ママ、私たちはただ平和が欲しいだけ』と言ったわ」(PDI, 10/12/98; "イメルダ、命の危険を感じ連載中止を懇願 ")。インクワイアラー紙は彼女の要求に応じ、連載を早々に打ち切った。物語は終わったが、忘れ去られたわけではなかった。

取り巻き(クルーニー)たち(そのうちの何人かは、マルコスの資産探しに協力したことで、すでに前政権から法的免責を与えられている)は、有無を言わずに従うつもりは全くなかった。「法廷で会おう」というのが、PLDT株の売却をめぐってイメルダが自分たちを訴えるという計画に対するコファンコたちの返事だった。

この異常な暴露(マルコスがどうやって財産を手に入れたかというイメルダの金満おとぎ話を除けば、膨大な文書に裏打ちされ、誰もが信憑性があると判断した)は、エストラーダ政権下でもマルコス政権下と同じように蔓延している、縁故主義という見苦しい光景に注意を向けさせた。ルシオ・タンとダンディン・コファンコを筆頭に、同じクルーニーが今もいる。

米国の裁判所でマルコス遺産を訴えて成功した数千人のマルコス時代の人権被害者も、イメルダが莫大な財産を認めたことに強い関心を持っていた。元被抑留者の組織であるSELDAは、エストラーダ政権に対し、マルコス一族に対する徹底的な調査を行い、国民に対するすべての犯罪を網羅するよう求めた。マリー・ヒラオ・エンリケス事務局長は次のように述べた:「イメルダ・マルコスが彼らの隠し財産を明らかにした今、政府はマルコス一族が犯した略奪だけでなく、彼らが命じた殺人、拉致、拷問も含めて調査する十分な根拠を得た。」


「チャンスを逃してはならない。イメルダ・マルコスの妄想に満ちた発言には真実の要素がある。実際、イメルダが狂ったように話すとき、彼女はただ自分自身である。そして、それは彼女が真実を語る稀な瞬間なのだ。私たちは彼女の発言をふるいにかけて、文字通りの意味でも比喩的な意味でも金鉱にたどり着くしかないのだ。ハワイ連邦地裁がマルコス一族に人権侵害の被害者への賠償を命じたとき、イメルダは自分は貧しいと主張した。そして今、彼女はイメルダ病の発作を起こし、フィリピンの戦略的企業のほとんどすべてを所有していると主張している。誰もが知っていることだが、マルコス家は過去にそれを否定していた。まず第一に、彼女は金の違法取引で捜査される可能性がある。第二に、不正に得た富の出所について調査され、それによって彼らに対する汚職罪が強化される。さらに重要なことは、マルコス・ファシスト独裁政権の1万人の犠牲者に対して命じた殺人、拉致、拷問の刑事責任を問うことである」(98年9月12日付プレスリリース「SELDAはマルコス一族の徹底的な捜査を求める」)。SELDAのロメオ・カプロン弁護士は、この1万人の犠牲者は、イメルダの5000億ペソといわれる財産のうち1500億ペソを要求するだろうと述べた。

上院はイメルダを委員会に召喚した。彼女の弁護士は、法的免責を認めるよう求めた。PDIは社説で憤慨した(12/12/98; "略奪"):「いったいなぜイメルダ・マルコスに免責を与えなければならないのか?忘れてはならないのは、独裁政権は夫婦間のものだったということだ。イメルダはテロリズムの一部であり、イメルダは窃盗の一部だった。イメルダの悪行を免責する、それが免責の意味であり、戒厳令の帳簿を閉じて、子供たちに何もなかったと言うのと同じことだ」。イメルダは免責を得られず、1998年12月に上院委員会に出頭しなければならなかった。彼女は50回以上も黙秘権を行使し、典型的な勇ましいパフォーマンスを見せた。彼女はまた、PDIのクリスティーン・エレーラと「会話」をしただけで、出版のためのインタビューではないと述べた。エレーラ本人は、記録を正すために委員会に出席した。イメルダから連絡を受けたPDIの編集長は、自ら同紙のビジネススタッフ全員を率いて、自主的に同紙に提供されたマルコスの記録や文書を精査した。

1998年12月、ヒラリオ・ダビデ新司法長官が率いる最高裁判所は、マルコス家と善政のための大統領諮問委員会(PCGG)の間で交わされた、マルコス家の遺産を75%(国)、25%(マルコス家)に分割するという取り決めを無効とし、マルコス家に大打撃を与えた。さらに裁判所は、1993年に提案された、マルコス一族に刑事・民事訴訟の免責を与えるという取り決めを覆した。判決は次のように述べた:「これは事実上、マルコス夫妻を法の及ばないところに安置するものであり、国民への説明責任にとって危険な先例となる。不正に得た富の一部だけと引き換えに、その責任を妥協するという選択肢を与えるのだから」(PDI, 10/12/98; "妥協なし:高裁、75対25のマルコス合意を破棄 ")。

しかし、イメルダは少々の法的な挫折はさほど気にしていない。イメルダは、流れが自分に有利になってきていると感じている。彼女の弁護士の一人が言った:「法廷闘争に勝つことで資産や財産をすべて取り戻せるのなら、政府にも被害者にも妥協する必要はないでしょう」(ニュージーランド・ヘラルド紙99年1月18日付「マルコスの10億ドルめぐりエストラーダが取引間近」)。イメルダは友人であるエストラーダ大統領が、不利な判決などどんな些細な不都合も帳消しにしてくれると期待しているのだ。13年にわたるPCGGのマルコス資産捜索は、株式、不動産、スイス口座の現金、宝飾品など約200万USドルというわずかなものでしかなかった。エストラーダは、最高裁の判決に関係なく、その素晴らしい戦利品の一部を政府の手に入れるために、取引をすることを切望している。

山下財宝の金塊伝説にもイメルダ夫人が一役買っていたことがわかります。これがまた話をややこしくしているのです。

毎日新聞 余録「夫が秘蔵していた金塊には・・・

2011年にイメルダ夫人はBBCのインタビューを受け、ハウスツアーをしています。

レポーター:このお部屋だけでも凄い宝物がありますね。絵画のいくつかを紹介してもらえますか?それは?
イメルダ夫人:ミケランジェロの「マドンナ(と子供)」よ。
レポーター:これは?

イメルダ夫人:(カミーユ・)ピサロよ。
レポーター:そして向こうにあるのは、ピカソですね。

イメルダ夫人:そうよ。
イメルダ夫人:これはゴーギャン。
レポーター:どうやってこんなにたくさんの素晴らしいものを手に入れたんですか?

イメルダ夫人: まぁ、主人は金鉱の弁護士で、金のトレーダーでもあったのよ。そして彼は金(ゴールド)が大好きだった。
イメルダ夫人:そして私によく言っていたの。「愛しい君、正直に適切にお金を稼ぐのは難しい。しかし、そのお金を適切に使うのはさらに難しい。だから君が使うんだ」。
イメルダ夫人:「どうして?」と私が言うと・・・
イメルダ夫人:彼は「君が買うのは美だけだから」と言ったわ。
レポーター:完璧な関係性のように聞こえますね。 彼はお金を稼ぎ、あなたはそれを使った。
イメルダ夫人:そうよ。そしてただゴールドのまま眠らせて置かなかった。
イメルダ夫人:絵画、美しい宝石、美しい銀、美しいものなら何でも買ったわ。
レポーター:でも、マルコス大統領がこのお金をすべて手に入れて、それをあなたに渡して使わせていたとき、あなたはそれを自分のお金だと思ったのですか? それともフィリピンのお金、フィリピン国民のお金だと思ったのですか?
イメルダ夫人:それは彼のお金だとわかっていたわ。金塊がすでに彼に家にあったのを見ていましたからね。
レポーター:あなた方は、前から金持ちだったのですね。

イメルダ夫人:彼がお金持ちだったのよ。

レポーター:彼が国の指導者になる前から。

イメルダ夫人:ええ、間違いなく。
ナレーション:そして、それが常にメルダの言い分だった。彼女の夫であるフェルディナンド・マルコスは「金の投資で驚異的な成功を収め、何十億ドルもの富を築いた。私たちはフィリピンの財務省を自分たち専用のキャッシュマシーンとして使ってはいないし、使ったと思うのならそれを証明すればいい。」
ナレーション:そして何百件もの裁判が行われているにもかかわらず、今のところ誰もそれを証明できていない。
レポーター:靴のことを訊かなかったのは私の不徳の致すところですね。
イメルダ夫人:彼らは私のクローゼットに骸骨(秘密)を見つけることはできなかったわ。
イメルダ夫人:彼らが見つけたのはフィリピン製の美しい靴だったのよ。
ナレーション:イメルダが戻ってきた。派手で誇り高く、美しい靴を履いている。そして 一部のフィリピン人には本当に人気があるようだ。
ナレーション:フィリピン政府はスイスの口座から4億ポンド以上を差し押さえたが、彼女の残された富の謎は、不可解な訴訟や争われた書類の中に閉じ込められている。
イメルダ夫人:これを見て。
レポーター:この封筒の表にはベルギーと書かれていますね。謎だ・・・
レポーター:これは何でしょう。
レポーター:これは何らかの財務省証券のようです。
レポーター:少しぼやけていますが・・・
イメルダ夫人:(カメラに映るのを遮るように)だめよ・・・
イメルダ夫人:こうして見せるだけですでに危険なのよ、フフフ・・・
イメルダ夫人:ほら、見て・・・

レポーター:私の写真のような記憶力を使いますか。皆さんにはお見せできません。
イメルダ夫人:ほら。

レポーター:しかし、ここにはブリュッセルの銀行にフェルディナンド・マルコス名義の預金があることが書かれていますね。その金額が・・・!!!
レポーター:9,800億ドル!!!
レポーター:カメラに見せてもいいですか?
イメルダ夫人:だめよ。
イメルダ夫人:しまって頂戴。
ナレーション:こんな巨額が本物であるはずがないのだが、弁護士軍団並みの知識を持つイメルダと一緒では、私にはイメルダの何十億という富の謎を解き明かすことはできなかった。
イメルダ夫人:ここは浅瀬よ。
ナレーション:しかし、貧困をなくし、フィリピンにトンネルを建設して世界の貿易問題を解決するという彼女の計画について、とても興味深い、とても長いプレゼンテーションを受けることができた。

このドキュメンタリーの3年後に、イメルダ夫人の絵画の押収されたというニュースが報じられています。

マニラ(フィリピン)-フィリピン政府は、独裁者フェルディナンド・マルコスの旧邸宅から15点の絵画を押収し、ゴッホ、モネ、ミケランジェロなど156点の美術品を回収しようとしている。

絵画は火曜日、マニラ首都圏のサン・ファン市にあるマルコスの旧邸宅から回収されたと、マルコスが20年間の支配の間に蓄えた富を回収することを任務とする機関のトップが語った。

善政のための大統領諮問委員会(PCGG)のアンドレス・バウティスタ委員長は、裁判所の保安官たちはマルコス未亡人のイメルダが所有するマンションからも絵画を押収しようとしたと述べた。保安官たちは1時間も外で待たされ、中に入った時にはイメルダ夫人が泣いているのを見たが、そこには空っぽの壁と、かつて絵画を飾っていたフックしかなかったという。

バウティスタ氏によると、保安官と国家捜査局はイメルダ・マルコスの議会事務所とイロコスノルテ州北部にあるマルコス家の先祖代々の家にも行ったという。彼は、彼らの報告を待っていると述べた。

同委員会は今週、数十億ドルと推定されるマルコス財産の回収を求める民事訴訟に関連して、156点の絵画に「差押令状」を課す裁判所命令を得た。

バウティスタは、絵画の差し押さえは、それらが 「消えたり、隠されたりする」前に必要であると述べた。回収されたものは中央銀行に保管された。

バウティスタは、絵画の真贋を判断するために、国際的なオークションハウスであるサザビーズとクリスティーズに協力を求めると述べた。

バウティスタは、裁判所が絵画の所有者を決定するまで民事裁判は継続すると述べた。 「政府の立場は、これは不正に得た富の一部であり、政府と国民に返還されるべきだというものです」と、最高裁判所の判決を引用して述べた。2003年の判決では、1965年から1986年までのマルコス夫妻の総法定所得約30万4000ドルを超える財産は、不正に得たものと推定されるとしている。

マルコスは大統領在任中の不正行為を認めないまま、1989年にハワイで亡命死した。

バウティスタは今年初め、フィリピン当局はマルコス一族が蓄えた推定50億ドルから100億ドルのうち、40億ドル以上を回収したと述べた。その中にはマルコスのスイスの秘密銀行口座からの7億1200万ドルも含まれているという。

2019年に制作されたこちらのドキュメンタリーでは、ミケランジェロの「マドンナと子供」がまだ部屋の壁に飾られているのが確認できます。結局、PCGGはこの絵を回収できなかったようです。これもおもしろそうなので、後日購入して視聴するつもりです。

https://youtu.be/7UnhdWq1VRo

もう一つ見ておきたいのが、2013年に放映されたフィリピンのニュース番組のインタビューです。タガログ語の部分は全くわからないので、英語で話しているシーンだけ抜粋します。

インタビュアー:もし政府があなたの宝石の売却を追求したら、あなたはその行為に対して法的手段を求めると言うのですか?
イメルダ夫人:私は国際司法裁判所に訴えるつもりです。ええ。なぜなら、私は国民のために戦うことになるからです。これらはフィリピン国民のために手に入れた美術品なんです。私のためではありません。私はもう84歳です。
(金融証券が入ったケース)
イメルダ夫人:ここには170のマルコス預金口座の記録があります。
イメルダ夫人:例えばこの船荷証券を見てみましょう。
イメルダ夫人:いくらと書いてある?

インタビュアー:240ミリオンドル(2億4000万ドル)。わぁ。
インタビュアー:まって、これはミリオン?それともビリオン?

イメルダ夫人:ビリオンよ。
インタビュアー:では、240ビリオンドル(2400億ドル)ということ!?
イメルダ夫人:たった一回の船荷でね。
インタビュアー:(呆然としている)
イメルダ夫人:これがたくさんあるのよ。
インタビュアー:マルコス夫人・・・これらすべてをもとにすれば、あなたは他に類のないお金持ちです・・・

イメルダ夫人:いいえ、これは・・・
イメルダ夫人:これは世界を救うことになるのよ。
インタビュアー:世界を?

イメルダ夫人:世界よ。
イメルダ夫人:これが私が生きていたい理由なのよ。
イメルダ夫人:もう私個人のためではないの。
インタビュアー:では、マルコス夫人は、この一部を、あるいはいくらかを国に、フィリピンの国民に、寄付することに前向きだということですか?
イメルダ夫人:フィリピンだけではないわ。世界によ。

こんなことを言われたら、フィリピン国民だけでなく、世界中で期待する人たちが出てくるでしょう。

そしてトランプ政権が始まった2017年にはこんな記事が出ます。

政治家:イメルダ、約3000億ドル相当の金塊の返還を申し出る
2017年8月30日

ドゥテルテ大統領が、マルコス一族が国に富の一部を返すと申し出たと主張したのに続き、ある上級政治家はイメルダ・マルコスがかつて7000トンの金を返すと申し出たことがあると主張した。

元マニラ市長で現ブハイ党下院議員のリト・アティエンザ氏は、金塊の問題を提起した元大統領夫人との会話を回想した。その金塊は3000億ドル近い価値があるという。

今日(8月30日、水曜日)、この政治家は、この申し出は「2000年代に」ある結婚式に出席した際になされたと語った。彼はマルコス夫人がこう言ったと主張する: 「私は国家を対外債務から解放します」。

「私は市長時代にイメルダ・マルコス下院議員から直接話を聞きました。彼女は、国が借金から解放されるように、金(ゴールド)を政府に返したいと言っていた。 私は彼女に『なぜそうしないのか』とたずねたのですが、彼女は『超大国が干渉している』と言っていました」。議員は金塊返還を妨害しているとされる超大国の名前は出さなかった。

山下財宝
政府の試算では、マルコス一族の不正蓄財は約100億ドルとされている。しかし、マルコス夫人はこれまでに何度も、一族が伝説の山下財宝の一部を発見した可能性をほのめかしてきた。東南アジア全域から略奪されたこの莫大な財産は、撤退する日本軍によってフィリピン全土に埋められたと噂されている。

アティエンザ氏の主張は、昨日(火曜日)のマルコス一族が「経済を守る」ために金塊を隠したと主張した大統領の演説に続くものである。

大統領は、「スポークスマンの名前は伏せるが、マルコス家は、『すべてを公開し、発見されたものはできれば返却したい』と言った。」 と発言した。

「彼らはこう言った、あなた方の赤字は多く、おそらく予測される支出も多いだろう、でもこれは大きな問題ではなく、多分ゴールドが助けになるだろう。私たちはオープンになり、数本の金の延べ棒を返す用意さえあると。」と大統領は付け加えた。

草葉の陰で泣いている
ドゥテルテ大統領の発表を受けて、マラカニアンへのマルコス家復帰反対キャンペーン(CARMMA)は、大統領がマルコス家と交渉したことを批判した。

「ドゥテルテは独裁者の公式な更生を後援しただけでなく、マルコス相続人の説明責任と処罰の免除を促進している。」と団体は語った。

  「ドゥテルテ大統領はマルコス一族のスポークスマンとなり、交渉人となってしまったと言える。」同団体の声明は、ドゥテルテの母親は「今頃草葉の陰で泣いていることだろう」と付け加えた。

ドゥテルテの母親ソレダドは、ダバオ市の著名な反マルコスの人物の一人であった。

この批判に対し、エルネスト・アベラ大統領報道官は次のように述べた: 「ドゥテルテ大統領がマルコス派のスポークスマンや交渉人になったというCARMMAの発言は、まったく的外れだ。大統領は透明性の精神に基づき、演説の中でマルコス財産の問題を明らかにした。 大統領は、「フィリピン人の最善の利益を念頭に置いている。つまり、マルコス財産の回収によって、国民がどのような利益を得るかということだ」。

上院議員の反応
上院議員は本日、マルコス一族が国家から盗んだものすべてを返還するよう要求した。

アキリノ・ピメンテル3世上院議長は、不正に得た富の一部だけを返すだけでは不十分だと述べた。

「それはマルコス家の弁護士たちの目論見だ。しかし、和解となれば、フィリピン共和国も決して安くはない。盗まれたものはすべて返されるべきだ。パンくずだけで満足するようなことがあってはいけない。」

少数派のパオロ・ベニグノ・アキノ4世上院議員は、マルコス一族の動機に疑問を呈した。彼は言った: 「フィリピン国民のお金なのだから、彼らの富を私たちに返すのは当然のことだ。返還されるべきだが、問題は、彼らが盗んだ金のうちどれだけが私たちに返還されるのか、ということだ。全額返却されるべきだ。」 

彼はまた、一族が国家のために財産を信託しているという主張にも疑問を呈した。「確かに彼らは富を保管していたが、何十年も保管していた。本当に国のために持っていたのなら、とっくに返していていいはずだ。彼らの金が不正に得たものであることは明らかだし、世界中が知っている。本当に返すべきだ」。

  金は一度も彼らのものだったことはない
リサ・ホンティベロス上院議員は、一家の財産はそもそも彼らのものではなかったと述べた。

「不正に得た富の一部を返すと発言することは、彼らがそれを持っているということと同じ意味です。そして、その富はもともと彼らのものではありませんでした。苦しみを味わったフィリピン人の世代は、テーブルの上のパン屑以上のものを得る資格があります。正義も説明責任もなく、マルコス一族による国民に対する甚大な虐待を認めることもなく、戒厳令の間に彼らが蓄えた不正蓄財のほんの一部を返そうという試みは、偽りの信用を買い、我々の歴史をさらに汚そうとするものです。 政府は、戒厳令のすべての犠牲者のために正義を追求する国民の気持ちを、わずかな金の延べ棒と引き換えてはならない。それは銀貨30枚のようなものです」と彼女は言った。

イロコスノルテ州知事であるイミー・マルコスとフェルディナンド・マルコス・ジュニア元上院議員を含む一族は、数十年にわたる戒厳令による虐待について謝罪したことはない。
銀貨30枚

なんと当時現役のドゥテルテ大統領と、元マニラ市長の国会議員がマルコスの金塊伝説に一定の信憑性を与え、期待感を煽っていたのでした。また別の記事でも・・・

アティエンザ議員は、最高裁判決によれば100億ドルにのぼる疑惑の富を大統領が取り戻すことに成功することを望むと表明した。

「私は、ドゥテルテ大統領がマルコスの金塊と富の一部を取り戻す仲介に成功することを願っています。」

イメルダの話を信じれば、マルコスの7000トンの金塊は間違いなく国の利益になる、と下院議員は言う。

「私は、マルコス夫人の7,000トンの金塊の申し出を成功させ、それがどこから来たものであれ、国がこの富から利益を得ることを願っています。」 

不正に得たとされる富を返還する限り、マルコス家を追及し起訴する必要はない、と彼は語った。

「我々は、告発する必要はありません。捜査や迫害はやめましょう。彼らの金塊を手に入れ、フィリピンがその恩恵にあずかれることを願うだけです」とアティエンザは語った。

ドゥテルテ大統領の父親はどうやらフェルディナンド・マルコスのクルーニーの一人だったようです。そして関係のこじれた他のクルーニーたちと違い、マルコス家との関係も良好だったそうです。

そしてこの「フィリピンのトランプ」とも言われるドゥテルテが、保守的で愛国的なムードをまとい、多くの国民から支持を得ていたのでした。

実際にオバマを罵り、トランプとは友好的な関係だったことから、フィリピン内外から、「きっと反DS、反エリート、反グローバリストなのだろう」と期待の眼差しを向けられていたはずです。

ドゥテルテは2022年の大統領選には出馬せず、故フェルディナンド・マルコスの息子ボンボンにそのバトンを渡す形となりました。ついにマルコス家は復活を果たしたのです。そして、ここでもトランプ人気やQムーブメントとの相関性が見られます。

では、ボンボンが大統領になり、マルコスが復権したことによって、実際にフィリピン国民にマルコスの隠し財産は分配されたのでしょうか?そしてイメルダの言っていたように世界の人々を救うために使われるのでしょうか?

ボンボン・マルコスは当選する前からこう言っています:

「金塊は存在しない」:ボン・ボン・マルコス、タラーノ金塊神話に終止符を求める
INQUIRER.net / 2022年2月5日

マニラ(フィリピン)- 大統領候補で元上院議員のフェルディナンド "ボンボン "マルコス・ジュニアは土曜日、一部の支持者が長年煽り続けてきた、マルコス家が金塊を所有しており、5月の選挙で彼に投票する人々に配るつもりだという伝説を否定した。

「ワラン・ギント。ワラン・ギント。(金はない。金はない。)」
マルコス・ジュニアは、DZBB放送の大統領候補者向けインタビューの中で、マルコス一族が何トンもの金塊を所有しており、それを彼に投票する人々に配るというのは本当かと問われ、こう答えた。

2011年、フェイスブックに、あるタラーノ一族が独裁者フェルディナンド・マルコス・シニアに弁護士報酬を支払ったという投稿があった。数年後、「Marcos Cyber Warriors」と呼ばれるフェイスブックのページでマルコス一族の支持者たちは、マルコス・シニアの富はかつての法律顧問であった 「Maharlikan Tallano family(マハルリカのタラーノ一族)」からもたらされたと主張した。

この都市伝説は、マルコス支持者が大統領選を支持する人々を増やすために運営している様々なソーシャルメディア・ページによって提案され、あるいは流布されたと言われている。

一方、1992年のAP通信の報道では、イメルダ・マルコス元大統領夫人が、夫の富はフィリピンの財源からではなく、第二次世界大戦後に彼が発見した日本やその他の金塊からもたらされたものである、と述べたことが引用されている。

しかし、先月のOne News PHのインタビューで、マルコス・ジュニアは、彼の家族が所有しているとされる山下とタラーノの金塊を見たことがないと語った。

そして、もしその金塊を見かけたら、彼に知らせてほしいと冗談を言った。

「Baka may alam sila, sabihan ako, kailangan ko yung gold.Wala pa akong nakikitang gold(彼らは何か知っているのかもしれない。教えてくれ。私も金がほしい。私は金を見たことがない。)」

この記事についた読者の反応が以下です。

怒っている人が多く、悲しんでいる人がいない。まだ金塊や隠し財産の存在を信じていて、諦めていない人が多いということか?

4.マハルリカとタラーノ

しかし「マハルリカのタラーノ一族」というまた別の伝説が出てきてしまい、頭が痛くなります。これも全然根拠のないところに湧いた期待感というわけではなく、前大統領のドゥテルテの発言も期待感を煽る一因になっていたようです。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41197590T10C19A2EAF000/

そしてボンボン・マルコスも政府系ファンドにマハルリカの名前を冠しています。

では、マハルリカのタラーノ伝説とは何なのでしょうか?山下財宝とタラーノの金塊についてのいくつかの記事を見ていきみましょう。

タラーノ金塊にまつわる永続的で滑稽な神話と、それがいまだに根強い理由
2022年2月18日

ああ、タラーノの黄金。永遠に続く金。

何度論破されても、この作り話は...死なない...。さて、どうしたものか?選挙戦の熱狂の中、多くのフィリピン人の想像力をかき立てたこの愚者の黄金(フールズ・ゴールド)の起源は何なのか?そして、なぜいつもフェルディナンド "ボンボン "マルコス・ジュニアと結びついているのか?

念のために言っておくが、タラーノ金塊についてまず知っておかなければならないのは、これは事実ではないということだ。

まず第一に、この話は嘘であり、捏造であり、真実ではないと、歴史家たちは真っ向から否定している。

マニラのデ・ラ・サール大学で歴史学を教えるホセ・ビクトル・トレス教授は、タラーノ金塊は「歴史的デマ」であり、証拠となる史料がないにもかかわらず、金鉱を掘り当てるという人々の期待によって煽られたものだと言う。

「カネのためです」とトレスは1月28日、One.PHのWag Po!に語った。「どれだけフェイクだと教えてあげても、無駄です・・・人々はカネのためなら真実を犠牲にすることも厭わないのです。」

  神話と嘘
フィリピンのネチズン(ネット民)たちは、タラーノ金塊に関する投稿に多かれ少なかれ出くわしている。この俗説はマルコス家と長い間結びつけられてきたが、すでに何度も論破されており、マルコス家自身によってさえ否定されている。しかし、この神話はソーシャルメディア上で盛り上がり続けており、地元の石鹸メーカーがこの神話のおかしさにインスパイアされた製品を作ったほどだ。

この神話は、口コミでさまざまなバージョンがあるものの、いわゆる王族タラーノ一族が所有する数十万トンの金塊を、故フェルディナンド・マルコス大統領が預かったのだと主張し続けている。マルコスは彼らの弁護士であり、その報酬として伝説の金塊を受け取ったというのだ。
「彼らは何か知っているのかもしれない。教えてくれ。私も金がほしい。」

一部の親マルコス派が主張するように、タラーノ金塊はマルコス家の富を説明するものである。この偽の起源は、戒厳令時代に20年以上政権を維持し、追放された独裁者マルコスが何十億もの不正蓄財によって自分たちを富ませたという主張に対して、手軽な反証となる。

マルコス一族とその取り巻き(クルーニー)から資産を回収するために設立された「善政のための大統領諮問委員会(PCGG)」は、これまでにマルコス一族から約1710億ペソを回収した。PCGGは、彼らの不正蓄財の一部とされる1250億ペソ相当のマルコス資産をまだ追っている。

この根拠のない話は、ソーシャルメディア、特に親マルコス派のフェイスブックやYouTubeチャンネルで拡散しているが、その主な発信者のひとつは、マルコス・シニアが創設した政党「キルサン・バゴン・リプナン」でもある。マルコス・ジュニアの出馬も支持する同党は、そのウェブサイトで、このまやかしの起源に関する偽情報を公表した。

都市伝説
この話が自然消滅することを拒んでいるため、マルコス・ジュニアもまた、長く続いている伝説について記録を正した。 「金はない。金はない。」とマルコス・ジュニアは2月5日のdzBBの大統領候補者インタビューで語った。 1月24日のOne PHのインタビューでも、マルコスJr.はこの神話について同じ感想を述べており、そのような金塊はこれまでの人生で見たことがないと語っている。

マルコス・ジュニアは、国民は問題の金塊のありかを彼に知らせるべきだと冗談めかしてさえ言った。

「彼らは何か知っているのかもしれない。教えてくれ。私も金がほしい。」と彼は言った。

その1週間前、彼の弁護士兼スポークスマンのヴィック・ロドリゲスは、マルコス家と長い間関係があったタラーノ金塊について全く知らないと述べた。

「率直に言うと、私はいつも皆さんに率直ですが、私は知りません。」 ロドリゲスは1月17日、記者団にこう語った。「無知と言われようが、今は自分の無知を公言しなければなりません。私はソーシャルメディアをフォローしていません。だから、そのことに関しては許してほしいと思います。」

2018年に戻って、マルコス・ジュニアの妹イミー・マルコス上院議員もOne NewsのThe Chiefsでこの問題を取り上げ、金塊を「見たことがない」と述べ、「都市伝説であり続けている」と語った。

「私は、それが常に話題になっていることを聞いたことがありますが、目に見えるものは何もありません。」と彼女は言い、人々は自分が所有しているとされる金塊の話に「いつも心をくすぐられている」と付け加えた。

100万ペソずつ
2017年、マルコス家がまだにこの神話を公に否定していない頃、戒厳令宣言45周年からわずか2日後の9月23日、「フェルディナンド・マルコスの生涯と業績」と題された小冊子を手にした数千人の人々がフィリピン大学ロスバニョス校に押し寄せた。

同大学の学生向け公式出版物『UPLB Perspective』は、マルコス家の財産を扱うとされる協同組合が、出席者に100万ペソ(約250万円)ずつを約束したと報じている。
希望者のほとんどは、カラバルソン、マニラ首都圏、マリンデュークのさまざまな地域から、早朝3時にはすでにキャンパスに集まっていた。中には、1日がかりのイベントに間に合わせるために、前日の夕方に家を出た人もいた。

また、UPLB Perspectiveによると、各受給者が受け取る予定の100万ペソのうち、50万ペソは4年2ヶ月間かけて、つまり毎月1万ペソが受給者に分配される。残りの半分は、受益者の出資金として協同組合に拠出される。

同協同組合は、受益者のために銀行口座を開設し、そこでマルコスの財産を受け取ることになるだろう、と同誌は付け加えた。

参加者はまた、プログラム中に1万ペソの前金を約束されていた。しかし、残念なことに、彼らは全員、現金も金の延べ棒も持たず、手ぶらで帰宅した。

当時、マルコス・ジュニアはこれを「詐欺」と呼び、マルコス家と距離を置き、このような詐欺的な約束を信じないよう警告した。

トレス教授はまた、いくつかの報道機関が事実関係をチェックし、マルコス一家が自ら否定したにもかかわらず、根拠のない話が根強い人気を誇っているのはソーシャルメディアのせいだとした。タラーノ金塊に関する投稿や動画がある限り、それを信じるように仕向けられる人々は常に存在する、と彼は言った。

「拡散され、広まる限り、それは続くだろう」とトーレスは語った。

マルコス・ジュニアはキルサン・バゴン・リプナン(KBL)党とは一定の距離を保っているようです。

現在は削除されていますが、キルサン・バゴン・リプナン党がブログで発信した「タラーノ金塊」の記事のスクショがこれです:

http://kbl.org.ph/the-untold-story-of-the-kingdom-of-the-maharlikans-now-called-the-philippines/

マハルリカ王国(現在のフィリピン)の知られざる物語

1930年代初頭、ヨーロッパは不況に見舞われ、ドイツは財政的に破綻していた。ある無名の党首が、ドイツ国民に雇用を創出し、経済を活性化させることができると約束した。ドイツ国民は彼に賭け、政権を握らせた。彼の名はアドルフ・ヒトラー。1933年6月、バチカンとヒトラーとローマ・カトリックは、相互保護と強化のための協定を結んだ。その直後、ヒトラーは大金を手にした。彼は大規模な軍隊を作り、戦争のための武器を製造した。そしてヒトラーはポーランドを占領した。1918年以前にはポーランドはなかった。その土地はドイツの一部であり、ドイツとロシアを隔てる緩衝地帯として使われていた。しかし、ヒトラーがそれを取り戻すと、イギリスはドイツに宣戦布告した。 スペインがマハルリカを占領している間、タゲアン/タラーノ一族の親族にはイギリス人やオーストリア人がいたため、一族はヨーロッパを訪れていた。1866年から1898年まで、ジュリアン・マクラウド・タラーノ王子もバチカンを頻繁に訪れていた。1934年、教皇ピウス12世の下、バチカンはフィリピン王室の一員であるマハルリカのクリスチャン・タラーノ一族と交渉した。64万トンのタラーノ金塊を教皇に貸与するという合意が成立した。これは、東南アジアのシュリーヴィジャヤマジャパヒト王国が900年にわたる栄光の治世の間に蓄えた金の一部であった。1939年、タラーノ家の2人とローマ・カトリック司祭のホセ・アントニオ・ディアス師は、サバ州コタキナバルからバチカンに金塊を持ち込んだ。この後、ディアス神父はマハルリカに戻り、カバナトゥアン市に住んだ。第二次世界大戦後、彼はバチカンからマハルリカへの64万トンの金塊の安全な返還を促進した。当時下院議員であったマヌエル・アクナ・ロハス(アクナ/タゲアン/タラーノ一族の親戚)とエンリケ・ソブレペナ司教は、ロレンゾ・タナダ弁護士立ち会いのもと、マニラで金塊を受け取った。タラーノ一族とマハルリカ政府との間でリース契約が結ばれた。合計617,500トンの金が、マハルリカのゴールドリザーブの要件を満たすために、新たに設置された中央銀行に預けられた。契約により、中央銀行はその金の保有者となった。このリース契約は2005年に終了する。

なんだか「ネサラの物語」と同じ匂いがします。虚実織り交ぜられ、実際に事実確認しようとすると、非常に労力を要するため、あまりにも面倒なので「無条件に信じる」か「却下する」の2択を迫られるような・・・記事が終わらなくなってしまうので、今回はなるべく概要に触れるだけにしたいと思います。この話に真実味が感じられる方は、ぜひご自身でも検証してみて下さい:

虚偽:フィリピンの「王族」が植民地以前の「マハルリカ王国」を支配していた
2019年2月15日

フィリピン、ブルネイ、南ボルネオ、ハワイ、スプラトリー諸島、サバからなるマハルリカと呼ばれる王国を統治していた植民地以前のフィリピン王家の証拠を示す記録はない。

主張:2018年9月24日付のフェイスブックへの投稿によると、フェルディナンド・マルコス元大統領は「フィリピンのタラーノ王家」から弁護士として金をもらっていたという。

タラーノ姓を名乗るいわゆる王族は、スペインがわが国を植民地化する以前、フィリピン、ブルネイ、南ボルネオ、ハワイ、スプラトリー諸島、サバからなるマハルリカと呼ばれる王国を支配していたと言われている。

彼らは18世紀半ばまでわが国を「所有していた」と言われている。

私たちの国民的英雄ホセ・リサールは、タラーノ家の直系子孫であるとされている。 タラーノ家は、マルコスが政治家になる前に彼を弁護士として雇っていたため、マルコスに「19万2千トンの金」を支払ったと言われている。

この投稿には、マルコスと彼の妻であるイメルダ・マルコス元大統領夫人の写真が、金の延べ棒の写真の上に重ねられている。もう一枚の写真はロドリゴ・ドゥテルテ大統領の写真である。写真にはこう書かれている: 「マルコスの金が世界を救う!」

この投稿は、投稿時点で79,000以上のシェアと5,000以上のコメントがある。この情報はfactcheck@rappler.com宛のメールでチェックを依頼された。

評価 :虚偽

事実:タラーノと呼ばれる王族が先植民地時代のフィリピンでマハルリカと呼ばれる王国を支配していたという歴史的証拠はない。

本誌は歴史学者でデ・ラ・サール大学歴史学助教授のシャオ・チュア氏に相談し、彼はこの投稿に対して5つの質問を提示した:

1. 所有権はどこにあるのか?

タラーノ一族がフィリピン群島全体を所有していることを証明する土地所有権は存在しない。

Inquirer.netによると、ジュリアン・タラーノは自分がラジャ・ソリマンラプラプの後継者であり、ルイソン・タゲアン王の子孫であると主張していた。

2002年、控訴裁判所(CA)はタラーノの主張を有効とする3つのパサイ裁判所判決に対して一時的禁止命令(TRO)を出した。これらの判決は、1997年7月7日、2001年7月11日、2001年10月8日のパサイ市エルネスト・レイエス判事によるものである。

フィリピン・スター紙が2002年に発表したTROに関する記事によると、訟務長官室は、パサイ裁判所の判決およびフィリピンを領有すると主張する3つの偽所有権の妥当性を激しく非難する請願書を控訴裁判所に提出した。

スター紙によると、この請願書は、「対象地域が広大すぎること自体が、当該所有権が偽のものであることを示す決定的な証拠である」と説明している。

2. スペイン統治時代の文書に、タラーノという名前が記載されているのか?
ブレアとロバートソンの文書コレクションからか?

3. フィリピンの地名としてマハルリカを挙げているスペイン統治時代の史料はあるのか?

エマ・ヘレン・ブレアとジェームズ・アレクサンダー・ロバートソンは、1493年から1898年までのフィリピン史一次資料55巻を編集した。
ブレアとロバートソンの収集した文書集には、地名や王国名との関連で「タラーノ」や「マハルリカ」という言葉は出てこない

また、フィリピンのある一族が列島の他のダトゥスの王国を支配していたことを示す記録もない。

1992年に出版された歴史家ウィリアム・ヘンリー・スコットの『フィリピン先史時代を探して』の中で、彼は植民地時代以前に存在した4つの社会階級について述べている。彼は、スペイン人はダトゥスを王だと思っていた-彼らが他の王国や他のダトゥスを支配する力を持っていないことに気づくまでは-と述べている。

マルコス公認の歴史書『タダナ:フィリピン民族の歴史』にも、航海士ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピンに足を踏み入れた時点では、フィリピンの多くの集団は統一されていなかったと書かれている: 「しかし、汎フィリピン的な国家はまだ誕生していなかった。重く、奇妙で、刺激的な力に呼応して、大小さまざまな土着の国家が誕生した。」

4. もし彼らがフェルディナンド・マルコスとホセ・W・ディオクノを弁護士として雇っていたのなら、そしてそれほど大きな訴訟だったのなら、彼らの著作や演説、信頼できる伝記の中にタラーノ家のことが書かれていたのだろうか?

マルコスの日記を所蔵する歴史学者でアテネオ・デ・マニラ大学歴史学教授のアンベス・オカンポは、タラーノ一族に関する主張を「疑わしい」とした。 ブリタニカ百科事典のウェブサイト、バイオグラフィー・コムのウェブサイト、国防総省のウェブサイト、上院のウェブサイトにあるマルコスの伝記には、タラーノ家についての記述はない。

5. これほど大きな最高裁判例であったのなら、最高裁にSCRAや、疑惑の判決に関する文書はあったのだろうか? 最高裁のウェブサイト、LawPhilのウェブサイト、チャン・ロブレス・バーチャル法律図書館で「Tallano」という名前を検索しても、1949年以前のTallanoとMarcosの両名に関わる判決は見つからない。

パサイ地裁ではタラーノの主張の有効性を認める判決が3度出ているそうです。その後、控訴裁判所で差し止められたようですが。

また、確かにマハルリカは地名や王国名を指す言葉ではありませんが・・・

Maharlika
マハルリカという用語の最初期の登場は、「自由人」という意味を持つ『ボクサー写本』に記載されたマンリカである。マハルリカ階級に関する他の唯一の同時代の記述は、16世紀のフランシスコ会修道士フアン・デ・プラセンシアによるものである。彼は彼らをタガログ人の世襲貴族階級(ダトゥを含むマジヌー階級)と区別した。歴史家ウィリアム・ヘンリー・スコットは、この階級はマジヌーの血筋に嫁いだ身分の高い戦士に由来するか、征服された血筋の貴族階級の名残であろうと考えている。バゴボやブキドノンのようなフィリピンの他の社会における同様の高位戦士は、その地位を継承したのではなく、武勇によって獲得したものである。

スペインによる征服後、スペイン人はマハルリカの名をイダルゴス(またはリブレス)と訳した。

語源
マハルリカという用語は、サンスクリット語のmaharddhika(महर्द्धिक)からの借用語で、「富、知識、能力のある人」を意味する称号である。現代の定義とは異なり、支配階級を指すのではなく、むしろタガログ人の武士階級(小貴族であった)を指し、直接的にはビサヤ語のtimawaに相当する。timawaと同様に、この言葉にはフィリピン語とマレー語の両方で「自由人」や「解放された奴隷」という意味合いもある。

・・・フィリピンの国名を「マハルリカ」にしようと言ったのはドゥテルテ大統領や、マルコス・シニアでしたし、それを政府系ファンドの名前にしたのは現大統領です。その意図は???なんだか変な感じです。結局、彼らはそういう思わせぶりなことをして、タラーノ金塊伝説やマルコス基金の噂をそれとなく永続させ、国民の漠然とした期待感を自分たちエリートの人気取りに利用しているのではないかという気さえしてきます。

ラジャ・ソリマンラプラプの後継者であり、タゲアン/タラーノ王族の子孫だと主張しているジュリアン・モーデン・タラーノという人がこちらです:

タガログ語なので何を話しているのかさっぱりわかりませんが、概要欄の説明によると・・・

フィリピン全体が、この男、ジュリアン・モーデン・タラーノ王子の所有物である。

ジョン・オルティス・テオペ博士がジュリアン・モーデン・タラーノ王子に、マハルリカの知られざる歴史、OCT 01-4、そしてフィリピン群島全体の所有者としてのタゲアン・タラーノがいかにして権利を奪われたかについて語る。

コメント欄には彼の主張を信じている多くの人たちの書き込みがあります。

@djroycerock
一人のフィリピン系アメリカ人として。 私はこの王子の真理と、同胞に対する彼の純粋な意図を理解できる。 私はこの王子を完全に信じている。 人生の中で、他の若い世代のフィリピーノたちが、私たちの真の遺産について疑問を投げかけることがあります。 そして今、私たちの文化の真の血統と歴史を明らかにする生ける王子がいる。 ピノイ・プライドのシャツを着ている私たちは、自分たちのルーツと祖先について語る生ける王子がいることに感謝すべきだ。

@coconightingle3136
このドキュメンタリーは、西フィリピン海がまだマハルリカ海峡と呼ばれていたフィリピンのオリジナル地図や、オリジナル土地権利OCT-01-4.のスナップショット、オリガルヒに対して勝訴したタゲアン・タラーノのオリジナル判決文(このビデオを見た人々が信じるには非常に重要だ)をもっとオープンに提示することができたはずだ。ただ聞くだけでなく、見ることで全く違うものになる。特にマルコスとアラネタによって意図的に消された我々の歴史の非常に重要な部分に関しては。 このトピックに関するエピソードがもっとあることを願っている。

OCT-01-4というのがこちらです。

GLRO 01107 $-5-9- 1956
注釈:カルロス・P・ガルシア大統領政権下のフィリピン国家財務長官は、ドン・エステバン・ベニテス・タラーノ(Don Esteban Benitez Tallano)のために、700,000,000ペソの支払いを引き受ける約束手形を提出した。これはパララ貯水池、ラ・メサ・ダム、および国/地方政府が道路、高速道路、その他のインフラに利用する少なくとも300ヘクタールの土地の支払いとして、ドン・エステバン・ベニテス・タラーノに700,000,000ペソの支払いを約束し、マラカナンで署名されたフィリピンと日本間の2,000,000米ドルの賠償協定から得られる同額を支払えば、所有者は対応する土地の所有権を放棄することを約束している。
文書の日付 1956年5月10日 謄本日付 1956年5月11日
(署名) JOSE D. SANTOS登記官

このような記述がズラーッと連なっていて、それが1500年代にまで遡ります。

EDC 011 S-1595
注釈:ルイス・ペレス・ダスマリナス総督は1595年8月10日、総督がルイソング・タゲアン王から10ヘクタールの条件付寄贈を成功させた後、ラグナ州ビニャンにサン・ホセ神学校を建設するために、王室財務省から1,000ペソの積み立てを発行した。
碑文の日付 1595年8月15日
(署名) LUIS PEREZ DASMARINAS スペイン王室総督

EDC 004 S-1608
注釈:スペイン国王フィリップ2世は、キリスト教主義とスペイン王室の人道主義を尊重し、アシエンダ・フィリピーナの島々におけるスペイン当局の悪行を止め、土地の所有権をルイソング・タゲアン王の相続人に戻すよう命じ、住民への不当な徴収に公式に異議を唱える勅令を出した。
本証明書に記載された不動産に影響を及ぼす抵当権の覚書

種別:占領証書
受益者:ミゲル・デ・レガスピによる強制占領後、スペイン国王フェリペ2世に名義変更
条件:マハルリカ諸島全域に関するアンドレス・ウルダネタ神父によるOCT-01-4文書草案
証書日付:12-7-1565/12-12-1565
抹消日:1566年1月5日、友好のシンボルとしてルイソング・タゲアン王のためにスペイン国王の勅令により一部取り消し
(署名)ミゲル・ロペス・デ・レガスピ

種別:ビノンドにある3,000平方メートルのラカン・タゲアンによる寄付証書
受益者:ローマ・カトリック教会によるマニラ大聖堂の建設
条件:1573年12月10日、教皇グレゴリウス3世がタゲアン(タラーノ)一族に大聖堂建設予定地に土地を提供するよう訴えた教皇勅書により、その目的を維持するための取消不能の寄付
証書日付:2-6-1578/12-12-1578
(署名)フランシスコ・デ・サンデ総督

ミゲル・ロペス・デ・レガスピというのはスペイン国王フェリペ2世の命令でフィリピンを制服した実在の人物です。

ミゲル・ロペス・デ・レガスピ

だからといってこのような覚書の内容が事実だということにはなりません。歴史の資料を見ながら、そこに実在しない「タラーノ王族」の作り話を挿入していくことだってできそうです。しかし、この謎の覚書の表紙には、これがフィリピンの司法長官室によって作成されたものだと書かれています。

本書は、LRC/民事事件番号3957-Pの裁判所命令により、司法長官室が作成した英訳である。

原権利証番号 T-01-4

エスクリバニア・デ・カビルド事務所
ハシエンダ・オブ・ザ・フィリピン・アイランズ
マニラ州

フィリピン諸島マニラ州にて1764年1月17日付で発布された同裁判所第571号事件において、英国王室の最高命令により議決された、マニラ王立大審問院の命令に従い、01-4号法令に従って作成された。

英国王室政府
フィリピン諸島
王立大審問院

王立大審問院の第571号事案は、トレンスシステムの下で採用された土地法の規定に従って正規に審理された結果、以下のように判決した。オーストリアのロウェナ・マ・エリザベス・オーヴァーベック・マクロード王女と結婚したラカン・アクーニャ・タラーノ・タゲアン王子(旧タゲアン一族)は、アシエンダ・フィリピーナ(HACIENDA FILIPINA)として知られる4つの主要な島々を含み、以下のように境界線が引かれ、説明されている土地の所有権を有する:(以下略)

ちなみにこの「オーストリア王女」の名前を検索してみても、(トランプの曾祖母の先祖だと主張する怪情報はあるものの)この書類のコピー以外には全くヒットしません。その他は実在する機関、人物、用語が使われていて、時代的な整合性は一応取れているように見えます。

Real Audiencia of Manila
マニラ王立大審問院はフェリペ2世の勅令によって、1583年5月5日に創設された。

※フィリピンの最初の最高裁判所らしい
(土地の説明の後)

よって、イングランド国王殿下は、エスクリバニア・デ・カビルド庁の公布法および実施方針に従い、オーストリアのロウェナ・マ・エリザベス・オーヴァーベック・マクロード王女と結婚したラカン・アクーニャ・タラーノ(旧タゲアン)王子の名義で、前記4つの島を登記することを、王立大審問院による命令と同時に命ずる。ただし、エスクリバニア・デ・カビルドおよび印度評議会法令に規定された要件および抵当権の下にあるものとする。

証人、英国王室ジョージ3世殿下、 西暦1764年1月17日。
フィリピンのマニラにて発行。西暦1764年、午前10時45分。

認証:ダウンソーン・ドレイク 英国総督

西暦1764年1月17日午後2時25分、上記州のエスクリバニア・デ・カビルドの事務所にて転写のため受領。

書類の最後にはこうあります。


このOCT No.T-01-4は現存し、信頼できる内容と考えられ、1902年の土地登記法 496に従って登録されたものであり、その結果、土地登記裁判所での2年間の法廷闘争の後、1904年10月3日、CLRO 475に基づく政令297号が発布され、Raja Lacan Tagean Tallano(Elizabeth Overbeck Macleod of Austriaと結婚)と、その息子であるPrince Julian Macleod Tallano(スールー国のPrincess Aminah Kiramと結婚)の訴えが認められた。 亀山島、スプラトリー諸島、サバ州(北ボルネオ島)を含む7,169の島々からなる群島全体を包含する当該土地は、1913年の地籍法2259に従い、第二審に付された。しかし、当該土地が適格かつ合法的に登録されていることがわかり、地籍裁判所は土地局に対象地であるアシエンダ・フィリピーナ(群島)の再調査を命じることとなり、長い法廷闘争の末、1914年3月14日に土地所有者に有利な判決が下され、地籍番号4720 に基づくプラン II-69、PSU-2031が土地所有者に譲渡された。この土地は、1880年6月の勅令第4条および第5条に従って発見され、1881年7月15日および1881年10月6日の勅令により免除されている。 さらに、同文書は戦争で破壊されたためほとんど読むことができず、フィリピン共和国の証拠の一部となりうる認証済み真正コピーを除き、法廷での証拠品として使用することはできない。同文書は、1960年、登記官がマニラ市の登記官に引き渡したものであり、管轄権の問題から同文書が作成された。1965年3月4日、リサール州パシグ市登記所にて発行された。

(署名)JOSE D. SANTOS リサール州パシグ市登記官


証明

これは、パサイ市CFI第28支部のLRC/民事事件第997号が、2つの民事事件の争点が同じであるため、審理出席中の利害当事者の利益のために、LRC/民事事件第3957-P号に編入されたことを証明するものである。

発行日:1991年6月27日
(署名)JOSE E. ORTIZ, JR.裁判所書記官

何を言っているのかさっぱりわかりませんが、理解するためには気が遠くなるほどの量のストーリーを読まなくてはならないようなので、内容の理解は一旦諦めて、ここではパサイ市近くのパシグ市の登記官が1960年代にOCT No.T-01-4(所有権証証明書原本 No.T-01-4)は信頼できると言って署名していること、1991年にパサイ市の地方裁の書記官が2つの民事事件が一つにまとめられたことを証明して署名し、パサイ地方裁(RTC Ⅲ PSAY)の「CERTIFIED TRUE COPY(原本の認証付きのコピー)」というスタンプがあるという点だけ押さえておきます。つまり、それぞれが証明している内容が異なるということです。

https://www.legal-translation.jp/~na9880/certificate/certified-copy.html

ちなみに登記官も裁判所の書記官も実在しており、内容の真偽は別として、この書類自体は本物の公文書である可能性が高いです。それはメディア報道でもあったように、タラーノの主張を有効とする3つのパサイ裁判所判決(1997年7月7日、2001年7月11日、2001年10月8日のパサイ市エルネスト・レイエス判事による判決)の内容に、これらの文書が紐づいていることから言えることです。しかし、この判決の具体的な内容は公式の報道や資料では一切確認することができません。意図的に隠されている印象も受けました。確認できるのは、怪しげなサイトや機関紙を通じてのみですが、ここで言われている文書の存在は実際に確認できます。

https://www.coursehero.com/file/p4ldrkn5/15-July-7-1997-Court-Order-signed-by-Judge-Ernesto-A-Reyes-In-the-petition-for/

15. 1997年7月7日、エルネスト・A・レイエス判事が署名した裁判所命令。再置換の申し立てにおいて、1975年11月4日付の決定書の法廷写しは、1992年1月18日にパサイ市庁舎が火災で全焼した際に焼失した。同判決のコピーはドミナドール・カリアソ訴訟代理人が受領していたことが確認されたため、裁判所は同判決の再構成を命じ、宣言した。

17. 2001年7月11日、エルネスト・A・レイエス判事の署名による裁判所命令。仲裁人ジュリアン・M・タラーノ(Julian M.Tallano)の検証済み請願に関連する裁判所の訴訟原因により、決定、明確化命令、執行令状、保安官返送状、管理状、判決文に関連する文書の再構成が行われ、リサール州およびブラカン州の登記官にTCT第408号および498号の再構成を命じた。

18. 2001年10月8日、エルネスト・A・レイエス判事の署名した裁判所命令。2001年7月31日付で法務大臣が提出した再考の申し立てに関連して、裁判所は、72年4月2日付の「和解合意付き判決」が判例法となり、下級裁判所の決定が上訴されず確定することを許された場合、それは判例法となり、裁判官によって破棄されることはないため、再考を求める法務大臣の申し立ては却下されるとの判決を下した。

この3つの判決が凍結されたというメディア報道が、逆説的にこの判決の内容を裏付けています:

控訴裁判所、ラプラプ「子孫」の土地請求に終止符を打つ
2002年4月22日

控訴裁判所(CA)は、1500年代の叙事詩の英雄ラプラプの子孫であると噂される人物が、3つの偽の土地所有権を通じてフィリピン群島全体を所有するというバカげた主張することを阻止した。

控訴裁判所第2部のマリーナ・ブゾン判事、カンシオ・ガルシア判事、エリエゼル・デ・ロス・サントス判事は、ジュリアン・タラーノ氏がフィリピンの何億ヘクタールもの土地を所有しているとするパサイ市裁判所の判決に対し、一時的禁止命令(TRO)を出した。

訴訟を起こした政府の弁護士によると、タラーノ氏は、ラジャ・ソリマンやラプラプを息子に持つルイソン・タゲアン王の血を引く王子であると主張している。

凍結命令は、1997年7月7日、2001年7月11日、2001年10月8日付のパサイ市のエルネスト・レイエス判事の3つの命令に基づいて出された。

TROは、エンリケ・アガナの法廷を引き継ぎ、タラーノの土地所有権を肯定したレイエス、アナクレト・マドリガル・アカピアード、アナクレト・マドリガル・アコップ、タラーノ本人、ブラカン州リサールとギグイントの登記官宛てに出された。

被申立人(レイエス他)は、「命令を執行すること、さらなる手続きを行うこと」を禁止された。

タラーノと彼の弁護士は、パサイ市の裁判所の命令を利用して、対象地域の不動産所有者に「嫌がらせ」をし、マニラの孤児院施設ホスピシオ・デ・サンホセを立ち退かせようとさえしていたと伝えられている。

訟務長官室(OSG)は昨年4月9日、控訴裁判所に提出した請願書の中で、カラヤーンとサバを含むフィリピン群島全体の領有権を主張する3つの偽権利証と同様に、下級裁判所の判決の正当性を激しく非難した。

シメオン・マルセロ法務官はその部下とともに、178ページに及ぶ判決取り消しの嘆願書の中で、「対象地域の広さは、前記所有権利証の偽の性格に関する決定的証拠以上のものである... 」と説明した。

やはりこれらの判決や書類自体は本物であり、実際にジュリアン・タラーノの主張がパサイ地方レベルでは1960年代から登記官や裁判官たちによって認められてきたということになります。

それをバカバカしいと否定する訟務長官室による178ページの判決取り消しの嘆願書というのは、容易に入手することも、読むこともできないわけですが、レイエス判事が「もはや判例法になった」という当該判決を下した72年4月2日付の「和解合意付き判決」(報道にあったエンリケ・アガナ判事による)でさえも、全部で140ページ近くあり、この記事内で検証するのはとても無理な分量となっています:

とりあえずダウンロードだけしておきました
最後には確かにエンリケ・アガナ判事の署名がある

しかし、金塊とマルコスに関する記述だけピックアップしておきましょう:

3) 1949年、若き天才弁護士フェルディナンド・マルコスの計らいにより、ホセ・アントニオ・ディアス神父がフィリピン共和国に貸与した65万トンの金塊は、新たに設置されたフィリピン中央銀行の必要な金準備のために、中央銀行の金庫に保管され、50年後に引き出し可能とされ、フィリピン・ペソの価値を安定させるためにさらに5年間のモラトリアムを経ることとなっている。
一方、一族、王室は、金塊の評価額の1パーセントのうち5パーセントをロイヤルティとして受け取る権利を有するため、政府は、1866年から1898年までバチカンに滞在し、178歳で亡くなった故ラカン・アクナ・タゲアン・タラーノ王子と、1898年当時50歳で生き残った1848年12月17日生まれの息子、故ジュリアン・マクラウド・タラーノ王子の相続人である信託受益者に、現金相当額を支払うべきである。

4) 当該50年間の金準備の要件は、相続人であるドン・エステバン・ベニテス・タラーノ、またはその後継者であるジュリアン・モーデン・タラーノ王子によってのみ、2000年からさらに5年間のモラトリアムの後、2005年から引き出すことができる。ただし、これは金預金が減少していないことが条件であり、減少していた場合、相続人であるドン・エステバン・ベニテス・タラーノ、または曾祖父である故ジュリアン・マクロード・タラーノ(タゲアン)王子から、コーラン法典に基づく王子の称号を合法的に継承したジュリアン・モーデン・タラーノが代表する王家は、フィリピン国民の利益のために、金預金を早期に終了させることができる。

5) フェルディナンド・マルコス上院議長が、所有者の同意なしに、ホセ・アントニオ・ディアス神父という王家の管財人兼管理人の陰謀によりフィリピン国外に預けた金塊は、この国の経済状況を安定させるため、フィリピン中央銀行に返還されるべきであり、所有者によるビジネスのための利用は、フィリピン中央銀行の金庫に引き渡された5年後に開始されるべきである。

マカパガル政権(※前政権)が提案した絶対的な実施条件を実際に見てみると、真の受益者は異議を申し立てていないにもかかわらず、次のような申し立てを理由に、現政権(※マルコス政権)は完全な実施には反対している:

王家が所有するという64万トンの金塊は、故ジュリアン・マクロード・タラーノ王子の当時の遺児が、ドン・エステバン・ベニテス・タラーノの名において、ホセ・アントニオ・ディアス神父の尽力により、世界大戦後にバチカンから輸送したものである。ホセ・アントニオ・ディアス神父は、王家の管財人であり、また同時に当時のフェルディナンド・E・マルコス弁護士の依頼人であった。したがってマルコスの依頼人であるホセ・アントニオ・ディアス神父に対し、640,000トンの総価値の最低でも30%の正当な補償を受けるに値する。なお、この640,000トンには中央銀行の金庫に実際に預けられた7,000トンの金塊も含まれる。さらに、マカパガル政権が提示した条件に対して、以下のような修正案があり、当時のマカパガル政権が提示した条件を補足している;

なんだかイメルダ・マルコスがBBCに語っていた「夫は金鉱の弁護士だった」「金塊がすでに彼に家にあったのを見ていた」「金の投資で驚異的な成功を収め、何十億ドルもの富を築いた」という話と重なる部分があるようです。ただし、タラーノ家としては、マルコスと管財人の神父が陰謀して金塊を盗んだと言っており、1974年当時のマルコス政権は、それは弁護士として受け取るべき正当な補償であり、中央銀行に返すつもりはないと主張した、というふうに読めます。

さらにページを進めると、神父の法廷での証言記録があります。

また、同神父は、中央銀行の金庫に残っている金地金の残高は、40万トンであること、1965年から1970年の間に、約21万7,500トンが違法に溶解され、1本75キロの金地金に加工され、赤色中国、香港、スイス、ドイツ、オーストラリア、アメリカ、イギリスという様々な国へ輸送されたことを認めた;

以下は、1972年5月5日午前10時35分、当裁判所とアミカス・キュリエ(法廷助言人)の公開法廷において行われた、ホセ・アントニオ・ディアス神父、別名セベリーノ・サンタ・ロマーナ大佐の証言の抜粋である:

セザール・パラス・シニア弁護士: 裁判長、あなたの許可を得て、フィリピン・ペソの価値の突然の暴落を引き起こした原因である、私の依頼人タゲアン-タラノ王家の金塊の不法輸送に関連する重要な証人であるホセ・アントニオ・ディアス神父に対する反対尋問の補足として、彼が公証人の前で行った宣誓供述書に関連する重要な質問をさせてください。
裁判所:はい、主題に関連した質問であれば可能です。

アミカス・キュリエ(法廷助言人):目的は何ですか?

セザール・パラス・シニア弁護士: はい、裁判長。不足している金準備に関連する事柄を明らかにするためです。

セザール・パラス・シニア弁護士:証人の神父は、このタイプライターで打たれた宣誓供述書をお持ちですか、そしてどのようにして中央銀行の金庫から預けられた金塊が違法に輸送されたこと、そしてその正確な日付を知ったのですか?

証人 ホセ・アントニオ・デイアス神父:私は、この宣誓供述書に署名した者であり、王家の管理人であったため、中央銀行保管庫から預託された金塊を引き出すための正式な署名者であり、1963年9月8日に当時のフェルディナンド・マルコス上院議長から指示された通り、金塊を引き出すためにそれを使用しました。その上、私は、ドン・エステバン・ベニテス・タラーノに同行し、1939年のある日、急速にエスカレートする第二次世界大戦から金塊を守るために、バチカン市国へ約61万7000トンの金塊を輸送しました。
セザール・パラス・シニア弁護士:1963年当時は何キロ引き出しましたか?

証人 ホセ・アントニオ・デイアス神父:当時のマルコス上院議長との取り決めに基づき、我々は3トンまたは3,000キロだけ引き出すことになっていましたが、私とマルコス上院議長がもう中央銀行の金庫にいたときに、中央銀行総裁アンドレス・カスティーヨとマルコス上院議員は、あの時35,000トンの引き出し書類に署名するよう私を説得しました

セザール・パラス・シニア弁護士:証人の神父、あなたがおっしゃった引き出し文書に署名した後、次に何が起こりましたか?
証人 ホセ・アントニオ・デイアス神父:その瞬間、マルコス上院議員は金庫から金塊を引き出し、無名の大佐が率いるフィリピン陸軍と4人のフィリピン憲兵隊に護衛された4台のトレーラートラックに金塊を積み込み、マニラ国際空港の出発エリアへと向かいました;

セザール・パラス・シニア弁護士:証人の神父、あなたがマニラ国際空港の出発エリアにいたとき、次に何がありましたか?

証人 ホセ・アントニオ・デイアス神父:私はトレーラーから金塊が降ろされるのを目撃しました。金塊は70個の木枠に詰められ、KLMオランダ航空の機内に積み込まれました。

セザール・パラス・シニア弁護士:証人は、金塊の再梱包が行われたときにその場にいたそうですが、その時間はどのくらいだったのですか?

証人 ホセ・アントニオ・デイアス神父:私たちが中央銀行に到着したのが朝の8時で、梱包を終えてトレーラーに積み込んだのが午後の3時でしたから、およそ7時間かかりました。
セザール・パラス・シニア弁護士: タゲアン-タラーノ家の金塊の管理人であるあなたは、タゲアン-タラーノ家が中央銀行の金庫に預けていた金塊の正確な数量を、この名誉ある法廷に伝えることができますか?

証人 ホセ・アントニオ・デイアス神父:正確には約61万7500トンが、私を通してタゲアン-タラーノ家から金庫に預けられました。これは1948年に私たちがバチカン市国から輸送した金塊と同じものであり、1949年に、当時新しく組織され設置された中央銀行の必要な金準備高を満たすために、国家政府に貸し出されました。しかし最近、相続人であるドン・エステバン・ベニテス・タラーノとジュリアン・モーデン・タラーノ王子と共に中央銀行へ確認と目録作りに行ったところ、当時の金庫にそのまま残っていた正確な目録は40万トンだけでした、 一方、当時のマルコス上院議長、現大統領の指示により、所有者の知らないところで私が引き出した在庫は3万5000トンであり、在庫残高は48万2500トンになるはずでしたが、最後の在庫残高が40万トンに過ぎないという我々の調査結果と矛盾していました。間違いなく、彼らは私の署名を詐称して82,500トンを引き出したのです。

ん?10万トン分計算が合っていませんね・・・61万7500-3万5000=58万2500です。

グティエレス事務弁護士:裁判長、私は名誉ある法廷の注意を喚起し、以下の文言の削除を求めます。「間違いなく、彼らは私の署名を詐称して8万2,500トンを引き出したのです。」

アミカス・キュリエ(法廷助言人):何のために?

グティエレス事務弁護士:証人の答えは、弁護人の問いに答えるものではありませんでした。その上、82,500トンの引き出しが行われたとされるとき、証人はその場にいなかったので、82,500トンの引き出しに関する証人の発言は風聞にすぎません。

神父の証言が本当なら、タラーノ家がフェルディナンド・マルコスに支払うつもりだった報酬は3トンの金塊であったところ、マルコスが勝手に3万5000トン引き出し、その後も不正に8万2500トンも引き出したということになります。マルコスならやりかねない、と思えてくる話であり、妙なリアリティを感じさせます。タラーノの金塊を信じている人たちが、ボンボン・マルコスの「金はない」発言の記事に怒っていた理由がこれでわかりました。タイミングは1年ずれていますが、確かに神父が言っていたように、この時期にフィリピン・ペソは暴落しています。

1963年9月8日に中央銀行から金塊を引き出したことが原因だというなら、ペソの暴落はそれより後に起きていなければおかしい。厳密にはデータは神父の証言と噛み合っていない。

ちなみにこれまでに人類が採掘してきた金の総量は約18万~20万トンと言われています。

人類がこれまで採掘してきた「金」は何に使われているのか?

ですから、この法廷でのフィリピンの中央銀行の金庫に「40万トンしか残っていなかった」という議論自体、かなり世間の常識とはかけ離れた議論をしていることになります。また、「バチカンで1898年に178歳で亡くなった故ラカン・アクナ・タゲアン・タラーノ王子」など、色々と信じがたい情報が満載されている雰囲気でした。

5.中間まとめ

パラディンが「世界には公表されているよりずっと多くの金が存在する」と言っていたのも、このタラーノの金塊にまつわる話が根拠となっている可能性があります。それにしても、GIDIFAと自称「マルコスの息子(デル・カルメン)」は、そこからさらに遠いところにいるような印象です。万に一つの可能性があるとすれば、「フェルディナンド・マルコスが勝手に引き出したタラーノの金塊の一部を預かっていた隠し子がいる」というストーリーでしょうか。それでも2017年に逮捕されて以降、活動している様子もありませんでしたから、世界経済フォーラムに対抗なんて、できるわけがありません。パラディンのいう「ホワイトハットがGIDIFAと協力して新たな金融システムを・・・」という話は、かなり頼りない話であることがわかりました。さらに根拠がない「量子金融システム(QFS)」についてはなおのことです。

パラディンは好感のもてる人物ですが、彼が「My Guys(私の仲間たち)」と呼ぶ「ホワイトハット」は、かなり信用できない連中であり、デル・カルメンと一緒に逮捕されたイタリア系アメリカ人と同じような詐欺師である疑惑が深まりました。実際、GIDIFAの動画にはなんだかよくわからない謎の欧米人が出てきます。

今後、調査を続けるうちに、それを覆すような情報が明らかになる可能性もありますが、「中間まとめ」としては以上のような感想です。次回の更新では、タラーノの金塊のストーリーをバックアップしている人たちが誰なのかについてかるく触れた後、山下財宝のストーリーについて簡単に紹介し、これらマルコスの金塊の話に尾ひれがついて変容し、ネサラや宇宙人の話にまで繋げられてきた過程について調べていきたいと思います。つまり、より信ぴょう性の薄い話になっていくということです。とても残念な展開ですが、真実を知る覚悟を持たずにいつまでも夢を見ているだけでは、投資詐欺やスピリチュアル詐欺に引っかかるのが関の山だということを歴史が教えてくれています。


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