正しい夫婦喧嘩の仕方って?
もう何回目の喧嘩になるだろうか。
また、夫と喧嘩をしてしまった。
柿の収穫の時期になると、決まって喧嘩をするのもお決まりだ。
夫も私も心なしか、柿の収穫の時期ともなると余裕がない。
夫と私が、畑でアルバイトさんと一緒に仕事をすることは、随分と少なくなったけれど、ベテランのアルバイトさんともなると、「また始まった」の域に達するくらい、畑で喧嘩をしてきた。
「note」でも何回か夫との喧嘩のことを記事にしたことがあるが、この年になって、果たして喧嘩の仕方がこれでいいのかと時々思うことがある。
夫の言い分はまた別にあるだろうけど、私の言い分。
夫の導火線は短い。
それは息子も指摘するくらいに。
特に腰の状態が悪くなって酒の量が増えた頃なんて、さいあくだった。
初めは本来もっている性格もあるのかなと思っていたけど、一時は普段の表情まで変わっていたので、「もしかして、酒かぁ」とやっと気付いた。
私はアルコール類を飲まないので気付かなかった。
結婚して以来、その時期、一番お酒を飲んでいたのかもしれない。
腰の治療で通院している病院で、血液検査をしてもらって、肝臓の数値が悪くなっていることを指摘されて、ノンアルコールにしてからは、少し穏やかになったが、一旦導火線に火が付くと、ここに書けない位の言葉を大声で怒鳴り散らす。
私も夫が感情的になるので、感情的になって言葉を返すが、やはり男性には勝てない。
大声で怒鳴られるのは、今に始まったことではない。
こちらも、ひどい言葉を使うこともあるが、夫が先に感情的になるし、言葉もひどい。
一番初めの夫婦喧嘩は、私が溜めていた不平不満をこぼすようになったころ。
そのとき、初めての喧嘩をした。
穏やかだと思っていた夫の、本性を見た気がした。
夫も私に同じようなことを、思ったのかもしれない。
それまでネコを被っていた私が、結婚数年目にして溜めて溜めて溜めまくった不満をこぼしたところから始まった。
今となっては、不平不満なんてこぼさない。
不満は溜めないし、出すとすれば、小出しにだす。
それに、昔感じていたような不平不満なんて、今となっては何とも思わないし、仕事のことふくめ、夫がどうすることも出来ないことを言っても仕方がないのは分かっている。
喧嘩にならないよう、地雷を踏まないよう気を付けているし、何事も根に持たないよう気を付けている。
若い頃は、喧嘩の原因が義母のことが多かったが、今となっては、日常のちょっとしたことが夫の逆鱗に触れ、逆上することが多い。
そこで発せられる言葉も、ものすごい。
私にモノが飛んでくることもある。(私はこのことに関しては、やり返さない。夫も一応私に当たらないようには気を付けているようだ。)
言い返す私もわたしで、汚い言葉を使ったりするが、最後は結局打ちのめされて、悲しみに暮れる。
もしかして、「note」を始めた頃よりも、そういったことが増えているのかもしれない。
少し前にお酒を飲む量が多かった時に比べれば減って、今となっては数週間に一度くらいの割合かもしれないけど。
夫が年をとり、より頑固になったせいなのか、それとも、喫煙やアルコールの影響なのかとも考えたりする。
もんだいは、その先。
その時は、深く深く悲しみに暮れる。
部屋でさめざめとひとり泣くこともある。
夫に対して憎しみを抱くこともある。
だけどもどっぷりと、感情に浸ったあとは、心の中はまだ穏やかにないにせよ、引っ張らないようにしている。
そのうち、もとの日常へ戻っていく。
夫がもとの日常へ引き込むこともあるし、私が忘れて普段とおなじように接していることもある。
あれだけのひどいことを言われて、忘れるってどうなんだろう。
もしかして、世間ではDVやモラハラと言われるかもしれないのに。
いちど、その時の感情の背景を、お互い言葉にして伝えあって仲直りをしたこともあるけど、もうそれも面倒くさい。
「まぁ、こっちへこいよ」と、今回も母屋の台所から夫が言ったけど、私は、外のハナレにつながる小階段から、頑なに動かなかった。
今回はムシャクシャして、そのまま部屋に戻った。
その日の「note」巡りは、ドンピシャ刺さる音楽だったり、記事だったりで、いつも以上に、私の心に行きわたるものばかりで、有難かった。
気が済むまで深い感情の沼にハマった後は、疲れて、早い時間から眠くなり、夫が部屋へ来ないうちに眠った。
つぎの日の朝、私たちは口を利かなかった。
いつもなら、私が新聞を読む前で、夫はスマホを見ながら、多少会話を交わすが、私も気分がのらなかったし、夫もそれを察していたはずだ。
状況が一転したのは、夫が用事があって下の町へ行ってくると、私に伝えに来てから。
その日は、仕事は休みで、どこにも行かずじまいで、その日が終わってしまうとなるのは切ないとばかりに、別に夫に誘われたわけではないけど、助手席に飛び乗った。
買いたいものもあったし、せめて、休みの日はおいしいデザート位食べたいわと。
下の町へ向かう車のなかで、ぎこちないながらも、何事もなかったかのように会話はすすむ。
わたしが引っ張るともちろん状況は悪化したのだろうけど、少しずつ元の日常へ戻っていく。
少しばかり、心はモヤモヤしながらも。
その日の夜は、「男はつらいよ」をふたり一緒に見たりして、笑ったりしてる。
こんなんでいいん?
いつも思う。
喧嘩すると、いつも許せない位のことを発する夫。
昔は、それを私が蒸し返し喧嘩が長引いた。
だけど、それをしたからといって、そう夫が変わるわけではない。
喧嘩を長引かせると、面倒なだけだ。
それに気付いてから、気持ちを切り替えるのも早くなった気がする。
いつの間にか、言われたことも忘れてる。
もちろん、言われたひどい言葉のいくつかは覚えているけれども。
次の日は、雨で柿採りはやすみ。アルバイトさんと、選果のみの作業だった。夫は隣りで次の荷につかう「箱折り」をしてくれた。
お昼で仕事を終えて、アルバイトくんに仕事を頼もうにも、イヤな顔をされるのは分かっているから、それなら、運送屋のパレットへの荷積みの作業は私がするわと、引き受けた。
いつもより多い荷の積み替えの作業に、途中ヘロヘロになりながら、荷積みを終えた。
庭の屋根の下の定位置であるイスに座って、私の荷積みを待っていた夫に言ってやった。
「ボンコツで、悲劇のヒロイン気取ってるヨメやったら、こんなことできひんわ」
なんだかんだ言って、二日まえのことを根に持っていた私は、言ってスッキリ、部屋へ休みに戻った。
しばらくたって、「スーパー行ってくるわ」と夫。
またもや、助手席に飛び乗るわたし。
先ほどのことは、どこ吹く風のように会話をする私たち。
そうして、何もなかったかのように日常へ戻っていく。
その日の夜、私は見たかったNHKの番組にチャンネルをあわせた。
隣りに夫がいるのにどうかと思ったが、時々見ている番組なので、夫は何も言わず。
「DVの特集番組」を、夫とふたり、かたずをのみながら見守る。
ふたりともほとんど話すことなく見守った番組は、私たちの日常と照らし合わせると、想像を超える夫婦関係が紹介されていた。
DVを受けている方は、「かごの中のとり」と称され、常に相手に支配されている感じがすると。
若い頃は、多少そう感じたこともあった。
だけど、今の私は「かごの中のとり」でもないし、夫に支配されているとは感じない。
DVを受けていらっしゃる方は、365日ずっと継続して苦痛を味わっていらっしゃる印象がある。
私は、苦痛は一時的なもので、「自分」をもっているせいか、夫に「支配」されているとは感じない。
相手の発する内容のところが大きいのかもしれないけど、夫の言うことが誤りだとしても、必要以上に正すことはせず放っておく。
同じことで喧嘩をすることもあるけれど、基本、喧嘩にならないよう取り繕い、あとは自分のやり方でやりたい放題しているから、「かごの中のとり」でも何でもないのだろう。
仕方がない。
現世では、夫とこの世を全うしようか。
べつにどう考えても「嫌い」ではないし。
私たちは、会話ありきで夫婦関係がもっているのかもしれない。
どんなに喧嘩をしても、ヘラヘラと会話をしていては、悲しみや憎しみの感情が尾を引くこともない代わりに、何も解決しない気がする。
だけど、何をどう考えても結局は解決しないから、これでいいか。
来世があるならば、せめて大声で怒鳴らない人をえらぼうか。
喧嘩がない代わりに、会話もない実両親のようにはなるまいと、思ってはいたけれど、はて・・・。
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