咲香里『Sweet pain little lovers』について

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 筋としてはよくある病弱ものと妹ものの融合といった感じで、絵柄も時代を感じるし、個人的にはそこまではまらなかった。ただ、主人公と妹の間で一つだけとても印象的なエピソードがあった。

 この紙幅でコマを貼り付けるわけにもいかないので説明すると、妹・けいは幼いころは入院続きで、普通の子供のように外に出て遊ぶことがかなわなかった。兄である健太は、見舞いという形でしか妹と会うことはなかったようだった。

けい「お兄ちゃん あたしが入院してた時
よくお見舞いに来てくれて……
その時 いろんな話してくれたでしょ

学校の友達の話とか……クラブのこと
行事の話とか旅行の話
本とか映画とか音楽の話――

話を聞くたび 一緒にいられたらなあって
いつも思ってたの」
(pp. 41-42)

 この台詞は、途中までへーそうですか、という感じで流せるほどのものでしかなかった。まあ妹ものだしそういう微笑ましいエピソードも重要よな、くらいの。

 しかし、後半にでてきた健太のモノローグによって、読み方の変更を迫られた。

昔…けいの見舞いに行ったとき
いつも話題に困って適当にしゃべってた
自分でも覚えてないのに……

あいつはずっと覚えてて……

その間オレは自分の都合のことしか頭になくて……
だから……

できるだけのことをしてやりたいって思うんだ
(pp. 74-75)

 見舞いに行って話題に困る、というのは確かによくわかる。まして、家族だけれど生活を共にしてもいない、かといって友達でもない、そういった相手に対して「適当に喋る」以外の選択肢があるのだろうか。そうすると健太の実感はとても正直で、そのように適当に喋ることはあまり面白いとは言い難いものだったに違いない。たぶん気のおけない友達と喋っているほうが楽しいと思っただろうし、見舞いが終わって病院を出た時点で、自分が何を話したかなんて忘れ去っていただろう。

 でも、こうした適当な会話、健太にとってはまったく思い入れの無かった言葉が、けいにとっては貴重な娯楽であり、病院の外への欲望を煽り立てるものだったのだ。

 どうも自分は、こういう「本人にとっては全くどうでもよかった気まぐれが、誰かにとっては決定的な救いだった」という事象に何か希望を見出しているのかもしれない(『タビと道づれ』のニシムラの記事でも似たようなことを書いた)。本人にも気づかれることのない、よって誰も贈与者のいない純粋な贈与。

 まあ「本人にそのつもりがなかった軽率な言葉が別の誰かを深く傷つける」を反転しただけじゃん、と言われればそうなのだけど。

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