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解体新書 2

自身が得たインプットは使ってナンボ。自分の言葉・自分の血肉として得たものを活かす。そのアウトプットの場としてnoteに週5更新という目標を立て100日の継続を終えました。

節目という事もあり、ここらで改めて、自分のルーツ「ごとうはなぜ子育てを熱く考えるようになったのか」「ごとうのしたいことは何なのか」を振り返る機会を何度かに分けて作りたいと思います。

これまでも自己チューだった本noteが更に自己チューになるとは思いますが、宜しければお付き合いいただけると幸いです。

▼ごとうと 父親の背中 
▼チームであり 社畜であり←Today's theme!
▼世の全てを憎もうとした 出産直後
▼FJとの出会い と 転換期
▼ボスで変わる!確信が実感へと変わった瞬間
▼娘達へ

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解体新書1「ごとうと 父親の背中」

PART2 チームであり 社畜であり

大学は教育学部へと進みました。当時のごとう少年は、まだテレビを見て感化される年齢。「みにくいアヒルの子」というドラマを見て、「俺も熱血教師になったるぜ!」と言うのが、動機1。

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結局、学校の先生は選択しなかったものの、子供に関わる仕事をしたいし、子供達の未来を支えていきたい。そんな思いから、とある予備校に就職することになりました。

実際はほぼノルマ営業・パワハラ横行・イエスマン社会でしたが(笑)。

配属された事業所は、当時県内で最も大きい支店。ここでの上司との出会いが、僕の仕事観という中で一つ大きなターニングポイントになっています。

「休むのも仕事だぞ」

ある時、僕が風邪を引きまして。それを押して「でも今日は〇〇をやっておかないといけないんですよね。テストも近いし…」と出勤したんです。全体会議とかそうした場でことある毎に滅私奉公社員が評価され、成果(厳密には営業ノルマだけど)達成していない事業所は、犯罪者レベルに罵倒される環境です。

そんな場で、風邪なんかで休んだらいつ自分の首が飛ぶか…。氷河期世代でどうにか就職できた身として、それは何としても避けたいというのが当時の想い。子供の未来や意思など必要ない。必要なのは目の前の生徒の売上、保護者から幾ら巻き上げるか。ほんと、クッソくだらない空気だと思いつつも出社するしか出来ない当時の自分。まさに「社畜」の鏡です。

すると上司が僕に言いました。

「それはお前じゃなくても大丈夫だから気にすんな。まずいいから帰れ」と。

一瞬「それは俺が頼れねぇってことかよ!」と思いましたが、その後に彼が言ったのは「風邪うつしたらどうすんだ。休んで治すのも仕事のうちだぞ。」と。

僕の中で、”上司”という生き物には、はっきり言っていい印象が全くありませんでした。今でもどちらかというとそうです。昔テレビで「愛という名のもとに」というドラマを見ました。この時のパワハラクソ上司の印象が鮮烈すぎて…。勿論あれはテレビ使用だとは分かってるんですが、ああいう描かれ方をするという事は、事実としてああした風潮があったということの裏返しでもあります。

実は教育学部に進んだ動機その2がこれなんです。僕、このイジメと言いましょうか。こういうのがマジで嫌だった。学校の同調圧力が学生の頃からずっと嫌いで、派閥って言うんですかね。ああゆうのには極力属さないようにしていました。そこで生まれた歪で傷付く人間を見たいとは思わなかったし、何よりも、傷つけた側が笑顔でのうのうと暮らしていることが、気持ち悪かったし、そんな連中と笑顔で話していると、自分が加害者になった気がして気持ち悪い。

中学ん時に、クラスで風邪ひいて声が出ない子がいたんです。合唱コンクールの前に。すると、合唱に思いを巡らす子が「お前ちゃんと歌えよ!」と。すると翌日から、歌えなかった子への執拗なシカトが始まりまして。あんまり関わってなかったのですが、大のクソガキが一人のガキを寄ってたかってネチネチと。見てて気持ち悪いのなんのって。

そこで「あいつ風邪らしいぜ」と口にして、何だか自分にも飛び火するんではないだろうか?という不安もあったし、そんな不安で動けない自分にも悶々としました。こういうのが日常茶飯事。

だから決めたんです。そういうイジメとか、そういう下らねぇカルチャーをぶっ壊してやろうって。だって、自分の大切な人がそんな目に遭った時(実際そういう経験があったんですけどね)、何も出来ない自分も嫌だし、そもそもそんな事が起きなければ、みんなハッピーでいられるんじゃね?と。

決して、加害者を裁いて、地獄に叩き落とす!みたいな話じゃなくて。罪を憎んで人を憎まず。こうした風土そのものをぶっ壊したかったんです。

でも、高校⇒大学と進学して、こうした問題を勉強したり研究したりするたび、これは難しい問題であること、人間の本能的な側面にも関与すること、教育の段階で変えようにも、これまでの経緯があり中々変わらないこと、そしてそのまま社会へ飛び出し、大人になっても未だにネチネチゲームを行う人がいることを知ります。当時はホント世の中クソだなと(笑)、諦めモード。そんな気持ちで就職したもんですから、疑心暗鬼になっていたんです。上司に対して。権力振りかざして、ノルマが~って部下を脅す職業なんでしょ?って。キレイごと言っても心の中ではそうなんだろ?って。
※僕も相当歪んでますよね(笑)

でも、彼はそんな事なかった

ある時、僕の待遇について、上司が真剣に部長と戦っていたことを先輩から聞きました。実は僕、非正規⇒正規パターンなのです。氷河期世代ですから、就職の倍率が60倍とか、そんな時代。当初、うちの会社は「非正規を正規採用にする」という事は全くあり得ない環境だったんです。その中で「こいつは将来的にどっかの事業所を任せられるカリスマがあるから」と評価してくれ、だからこそ、しっかりとした待遇で逃さず、育てたいんだと。会社のためにも僕のためにも…と。

後でそのことを聞いたら、「だってお前らを守るのが俺の仕事だしな!」と。彼曰く、僕らは部下ではなく「戦友」だそうです。戦友だから、お互いにカバーし合って戦っていく。戦友を信じて、背中を預ける。そういうのが俺の考えるチームなんだぜって。

丸いし、髪も多いわけではないけど、正直カッコいいなと思いました。

そうしった彼のマネジメントは、今の僕にもやっぱり影響しています。

数字の積み方もそう。チームメンバーをみんな集めて、みんなでどうしていくのか。彼はそれを重視していました。事業所に振られる目標(嫌な言い方をすればノルマ)をチームへ落としこんで、「俺だけの目標じゃないからさ」と、上手いこと僕らに自分事として数字を考えさせる。ノルマ感を取り除いていくのが上手かった。そして僕らはそれぞれの得意領域で勝負する。連携もするから、お互いの手の内を学んで、「え!そこが継続通塾するの?」といったような面談が出来たり、良い授業プランはみんなで共有して、誰しもが代打になれる体制を作っていました。

正直最初は「うぜぇ」くらいに思ってた仲間もいたと思うんです。僕もそうでした。でも彼はこのスタイルをやめなかった。その内、一人一人と「俺はこう思うんだけど」と自分のアイディアを発信するようになっていきました。ボスもそれに対して「お、いいじゃん!やってみっか!」と後押ししてくれます。それが続くと「ここは俺に任せて!」「今だ!力を合わせるぞ!」というチーム呼吸が活発になります。そしてそんなチームだと、仕事は楽しいんですよね。

彼曰く、なんも難しい事はしていないんだと。ただ、僕らがみんな、それぞれ自分らしく、そして自分の武器をフルに使って目いっぱいの成果を出す。そのために「チームメンバーの繋がり」を大切にしてるだけなんだぜって。覚えてないかもしれないけど、彼は一度僕と夜中までケンカしたことがあって(笑)。その時にそう言ったんです。

初めての上司がこの人で良かった。今でもそう思います。

そんな中、僕は結婚することになり、転勤し、彼の元を離れることになりました。

初めての管理職。でも、やれる!という確証がありました。彼から教わったこと「人の嫌がることはするな」「ボスが動けばみんなついてくる」、それを僕はやるだけなんだって。実際そのシンプルな原則、そして、「みんなが自分らしく働けるチームを作れば、結果はついてくる」という実感に基づいて動いただけ。それだけなんですけど、僕の事業所は就任1年目で、短期売上目標1位到達や、規模拡大を余儀なくされ、より大きい校舎への移転、そして2年後には前年比の3倍の売上を達成しました。

ですが、その成果を出す前にある事件が起こっていました。それは「ごとう被害者の会」事件。

当時の僕は、あまりにウザすぎたんです。上司として。

あの時のチームが残像にあるからこそ、そのレベルを部下に求めてしまう。そうなると自然と「何でこんなのが出来ないんだ!」と思ってしまうんです。それは僕の発言や態度に出る。

オマケに僕もステレオタイプな「男は仕事!」という価値観でガッチガチに固められていた世代。だからこそ、カッコイイ男=職場で血を吐いて倒れて死ぬ、くらいに思ってました。そしてそれを部下に求めてしまう。

ある時、とある飲み屋で偶然、僕の部下たちが僕抜きで集まって「ごとうさん、マジきっついわ…」と被害者の会を開いていました。そこで思ったんです。僕は、自分がそうされたように、チームを作っていくと思っていたんじゃないのか?と…。どこから間違えた?と。

その答えは、僕自身の恐れでした。

順当に昇進し、成果を求められ応えるために動く毎日。それは「今のポストを失ったら、暮らせない」という不安が背景にあります。氷河期マンですからね。やっと手にした正規の仕事を手放すなんて、勿体なさすぎる。加えて新婚。当時はガチガチの昭和OSでしたから、「俺が妻を食わしていくんだ!」というような頭がどこかにありました。だからこそ、会社の無茶な要求も(応えてたけどね)、「任せてください」と受け入れてしまう。でもどっかで歪が生じ、僕一人では戦えなくなる。だからこそ部下にもそれを求める。そして同じ次元で戦えない部下に対し、「なんでなんだろ」と疑問を持つ。それが態度に表れ、部下はモチベーションを落とす。その守りたい先にいるのは「自分自身」。

一言でまとめると、結局僕は会社に生殺与奪を握られてしまっていて、何とか生き延びねばならず、戦友ではなく、支配者として部下を信じないで仕事を振っていた。そのくせ氷河期で職を失うのが怖いから、会社にはイエスマン。「社畜がえり」に加えて、僕が一番嫌うタイプに自分自身を寄せてしまっていたことに気付いたときは、このまま死んだ方が世の中のためだくらいに思いました

でも、ボスの事を思い出したんです。「だってお前らを守るのが俺の仕事だしな!」というセリフと共に。

僕は一番大事なこと、チームで成果を出すためには「チームメンバーを守る」「一人一人に目を向け、対話する」というボスの重要なミッションを何一つやっておらず、勝手に「俺はここまでやってきたんだから、ついてこい!」と一人で進んでしまっていたんです。自分だけを守るために。

支配者で終われない。戦友として認めてもらいたい。終わるのはそれからだと。

原点回帰

覚悟を決めました。まず、部下に謝ろうと。今まで君達の事、何も見ていなかったと。

転勤の際、ボスからもらったネクタイを締め、一人一人と話し合いました。何を求めているのか。会社への不満、不安。何をしたいのか。どう働きたいのか。それに対して、僕が出来ること・無理なことを伝え、場合によっては一緒にやっていこう!と。

生徒や父兄とも、対話の時間が増えました。ともかく話した。マジメな話から恋愛相談まで(笑)。勉強自体は、ポイントだけ教えて、後は自己研鑽ですからね。そっちは言い方悪いけど、結構どうにかなる(笑)。それよりも、動機とか今の思い、そっちのゴールを僕らスタッフと生徒・父兄の間で共有することに時間をかけるようになりました。

一方僕はマネジメント側として、相変わらず会社からは「保護者から巻き上げろ」的な話をもらいます。心の中で「うるせえよ」と思いつつ(笑)。でも、部下・顧客と共有のゴールのビジョンを持つことが出来、そこに対してどう歩むかが双方で共有されると、勝手に売り上げはついてくるようになったので、割とヨイショされる側になりました。マネーゲームだけ勝てば、こうなるんだというのも何だか悔しい感じでしたが…。部下ともよく話していました。会社のためじゃなく、目の前の顧客と、俺達自身のためにやろうぜ!と。

そんなこんなで、僕を中心に、多分どの事業所よりも凄かったんじゃなかろうか?というチームを作る事が出来ました。それぞれが自分の持ち味を発揮し、笑顔で「お疲れ様です!」と出勤してくれる。顧客も笑顔で「せんせー!」と来てくれるし、保護者も「せんせーになら!」と沢山悩みや気づきを共有してくれる。カネは落ちるから、会社的にも悪い話ではない。

楽しかったですよ。自分たちのやっていることが、本当に役に立っているんだって実感できたし、チーム皆がそこで喜びを共有出来たから。

今でこそ、ワークライフバランスとかマネジメントの話であちこち登壇させていただけるようになりましたが、そうした場で話すことのルーツがこの時の体験です。こういう立場になって「イクボスとは~」とあちこちで話す内容、元々僕はあのボスからその原石足るものを脳髄に叩き込まれていたのかもしれません。

この状況が続けば、今でもこの会社にいたのかもしれません。この時は本当に、楽しかったです。仕事が。

でも、この状況が急転する事態となりました。

妻の妊娠です。

⇒次回へ続く


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