チェスト関ケ原!

画像1 9月15日は関ケ原の日!ということで、お蔵入りしていたチェスト関ケ原の記録をささっと紹介していきます。
画像2 まず電車から降りたらすぐに関ケ原!
画像3 待合室も関ケ原!
画像4 ホームから出たらそこは関ケ原!
画像5 すごい熱烈歓迎されてる感じがします。
画像6 こういう案内図がきれいだと助かりますね。
画像7 因みに私は鹿児島県人なので島津推しで行こうと思います。
画像8 観光の目玉として町全体で盛り上げようという感じですね。
画像9 電柱にはこういう武将のエピソードなどもあってあちこち見て回るのが楽しいです。
画像10 岐阜関ケ原古戦場記念館です。2020年に開館した新しい施設で様々な展示物がありました。話は変わりますが、別館に売ってあった草餅が絶品だったのでお勧めです。
画像11 東軍総大将、徳川家康公の最後陣地です。
画像12 古戦場記念館のすぐ近くにあります。
画像13 最後陣地とはいえ、かなり前線まで総大将が前進したあたりがまさに天下分け目といった感じ。
画像14 厭離穢土欣求浄土…今風に言うと「異世界転生したいなぁ」といった感じでしょうか?
画像15 島津方からの夜襲の献策を三成が採用していたら、歴史は変わっていたでしょうか?
画像16 島津陣跡・石田三成陣跡・決戦地は1㎞も離れていない場所にあります。
画像17 島津義弘公の陣跡です。
画像18 「小池」というのは地名で、近くに小池神明神社があります。
画像19 近くに名前がびっしりと書かれた石があります。これは鹿児島県の日置市から、「関ケ原戦跡踏破隊」の方々がやってきて、ここから大阪までを踏破するそうです。気合入ってますなぁ。
画像20 世にいう「島津の退き口」に至った説明がされてあります。実際距離的にはかなり近いので、大勢は決したとはいえ本陣に突撃してきたら東軍もびっくりしたでしょうね。
画像21 旗は新調したのかかなりきれいでした。
画像22 こちらの旗は開戦地の旗です。
画像23 開戦地と島津陣地は目と鼻の先にあります。敵と真っ先にぶつかる嫌な位置ですね…
画像24 史跡位置図①
画像25 史跡位置図②
画像26 関ケ原合戦400年記念平和の杜 近くには「平和を求める者が勝者である」といった内容の石板が設置してありました。
画像27 関ケ原の戦いの大まかな説明がされてある看板。近年の研究だと通説より早期に勝敗が決したという説もあるそうですが、どうなんでしょうね。
画像28 石田三成の陣地は小高い山の山の上にあります。
画像29 こうしてみると、裏切りがなければ負けなかったんでは?と思いますが…日新公曰く『心こそ軍する身の命なれ そろふれば生き 揃はねば死す』
画像30 ネット時代ではポチポチするとすぐに情報にアクセスできますが、実際に足を運んでみると、ラ〇ュタは本当にあったんだ!みたいな気分になりますね。日本の歴史の転換地、一度自分の目で見てみるのも悪くないのではないでしょうか。

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